伯爵令嬢、ご学友が立ちはだかる
春風が吹き込む朝、マリアが手にしたチラシを私の前に差し出した。
そのチラシを見たとき、私は思わず二度見した。
《“本物の紅茶文化”を、街の皆さまへ──バイン・ティーサロン、新装開店》
柔らかな金色の飾り文字に、控えめな紅茶のイラスト。
そして小さく添えられた一文が、何より私の神経を逆撫でした。
《監修:レオノーラ・ファルメール》
「……は?」
思わず声が漏れた。
マリアが無言で横からカップを差し出す。
私の好きなミルクティー。
けれど香りすら飛ぶほど、思考が追いつかなかった。
レオノーラ。
貴族学校で同じクラスだった、あのレオノーラが、庶民向けのティーサロンに?
「どういうこと? あの子、貴族の娘よ。父親は領主の相談役で……紅茶より舞踏会が得意だったはずだけど」
マリアが、ふぅとため息を吐いた。
「……家が没落したの。去年、父親が裁判で敗訴して、爵位も財産も剥奪された。今はバイン商会の保護下にある。名家の出身ってことで、商会の看板娘みたいに使われてるわ」
「それで“監修”って……」
「実際は、紅茶のブレンドもメニューも、全部バイン商会の専属スタッフがやってる。レオノーラは“飾り”よ。けど、その飾りが今の客には刺さるの」
マリアは、チラシを指先で軽く弾いた。
「“本物の貴族が手がける庶民のティータイム”。そういう幻想を、丁寧に売ってるの」
私は、言葉を失った。
数日後、客足の変化は数字となって現れた。
「……今週、ティータイムの売上が一割減」
マリアの声は冷静だったが、帳簿を見た私の手はわずかに震えていた。
客が来ないわけではない。
だが、常連だった顔ぶれが減り、若い女性のグループがちらほらと姿を見せなくなっていた。
「“レオノーラさん、気さくで素敵だった”って話、よく聞くわ。庶民にも分け隔てなく話しかけてくれるんですって」
「……貴族が“庶民にも優しい”って言われるの、皮肉よね」
マリアは苦笑しながら、ティーカップを拭いた。
「でもね、エリー。庶民って、“上の人に優しくされること”に慣れてない分、それを特別視するの。レオノーラはそれをよく分かってる。だから、たまに相手の名前を呼んだり、服を褒めたりしてるだけで、“親しみやすい貴族”って印象になる」
媚びへつらうわけじゃなく、ただ自然に微笑んで、誰にでも好かれるように振る舞える。
あの頃、社交界でもレオノーラはそういうタイプだった。
「……けど、どうしてバイン商会は、わざわざ彼女を使って庶民相手に?」
私は、疑問を口にした。
バイン商会は大手だ。
わざわざこんな小さな町で、“うちのような店”を潰すためだけに動く必要なんてない。
マリアは一瞬だけ躊躇したが、やがて静かに言った。
「……貴族社会に、まだ影響力のある家がいるのよ。エリーの実家の古い派閥。あなたが店を始めたことで、“貴族の格を貶めた”って怒ってる人たち」
「……まさか、バイン商会と?」
「繋がってるのかは分からない。でも、“庶民に支持される元貴族の娘”がいる限り、その人たちは面白くないの。バインは彼らの顔を立てることで、別の利益を得られる……たぶん、そういう取引があったんじゃない?」
私の胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。
紅茶を注ぐ手が止まる。
香りが、さっきよりも遠くに感じる。
“居場所”をつくったつもりだった。
でもそれは、誰かにとっては許されないことだった。
夜の店内、マリアが帳簿を閉じた。
「手はある。けど……これは正面からの潰し合いになるわ。覚悟、ある?」
私はゆっくりうなずいた。
「逃げたくて、この町に来た。けど……居場所を壊されるのは、もっと嫌」
指先でティーカップの縁をなぞる。
ほんの少しだけ、震えは収まっていた。
「なら、やりましょう」
マリアはにやりと笑った。
「レオノーラが演じる“本物の貴族”じゃなく、あなたがこのカフェで選んだ“店主”としてね」




