伯爵令嬢、ライバル店への対抗策を考える
朝焼けの光が店内に差し込む頃、私はすでに厨房に立っていた。
夜のあいだに考えたレシピ案を、忘れないうちに紙に書き留めている。
手元のメモはすでに何枚にも重なり、見慣れた文字が幾重にも走っていた。
マリアが眠そうな顔で厨房に入ってくると、私の様子を見て、目を細めた。
「……もしかして、ずっと起きてたの?」
「少し、だけよ。眠れなかっただけ」
「“少し”って、カップ三つも紅茶の痕があるんですけど」
苦笑を交わす私たちの間に、柔らかな空気が流れる。
それでも、頭の中はずっと動いていた。
味。
香り。
色。
盛り付け方。
器の手触り――五感をすべて使って、誰かの心を少しでも温める一皿に。
私は目の前の紙をマリアに渡す。
「ランチメニューを増やそうと思うの。あったかいポタージュに、軽めのキッシュ。そして……ハーブティーのおかわり自由を付けようかと」
「いいと思う。手間は増えるけど、お客様がゆっくり過ごせるなら意味があるわね」
マリアはメモを読みながら頷くと、すぐに食材の確認を始めた。
彼女のそういうところが、私は好きだった。
元メイドとして仕えていた頃より、今の彼女はずっと生き生きとしている。
その日の午後、店の常連たちに試作品を振る舞った。
仕立て屋のマルクさん、絵描きのセリーヌ、そして、薬草店の若夫婦。
皆、一皿一皿に丁寧に反応をくれる。
「このキッシュ、ほうれん草の香りが生きてる。重すぎないのがいいね」
「ポタージュ、まろやかで優しい味。子どもにも人気出そう」
「こういうの、バイン商会じゃ出せないわよ。あっちは味が濃すぎるの」
温かい言葉が、心に沁みた。
味で勝負しているわけではない、と思っていたけれど――やっぱり、喜んでもらえるのは嬉しい。
後日、町の掲示板に手作りの新メニュー告知を貼った。
文字はマリアが丁寧に清書し、絵はセリーヌが描いてくれた。
『春のランチセット 心ほぐれるハーブとともに』
控えめな一枚だったけれど、噂は少しずつ広がっていった。
週が明ける頃には、昼時の店に笑い声が戻ってきた。
ポタージュをすする親子連れ。
キッシュをつつきながら談笑する商人たち。
静かな店内に、命の色が戻ったようだった。
「……ちょっとだけ、戻ってきたわね」
「ええ。これも、皆のおかげ」
私は感謝の気持ちを込めてお茶を淹れながら、ふと扉の向こうに目をやる。
その瞬間、見慣れたシルエットが目に入った。
ヴィクトル公爵。
今日も変わらず、淡々とした足取りで店に入り、窓際の席に座る。
「紅茶を」
「かしこまりました」
紅茶を淹れながら、私はふと思う。
彼は、どうしてここに通ってくださっているのだろう。
「新しいランチ、少しだけ効果が出てきたみたいです」
「……見れば分かる」
「……貴族社会では、やはり良く思われていないようです」
「君の問題ではない。彼らが変われないだけだ」
カップの中の紅茶が、揺れる。
彼の言葉は、相変わらず簡潔で、冷たいようで、どこか温かい。
「それでも、何とかしてみせます。私は、私の居場所を守りたい」
彼は何も言わなかった。
ただ、その言葉に、目を逸らさず頷いた。
だが、その静かな日々は、長くは続かなかった。
数日後、街角で聞いた噂が、またしても私の心をざわつかせる。
「聞いた? バイン商会、今度はティーサロンを始めるらしいわよ」
「店の奥を改装して、紅茶も出すんですって。しかも、専門の執事付きで」
胸の奥が、またざわりとした。
ティーサロン――まさに、私たちのカフェを狙ったような店だ。
そして私は、このときはまだ知らなかった。
それが、このカフェを本格的に追い詰める大波になることを。




