20.寄生虫
しばらくしてガブリエラは落ち着きを取り戻すと、今日の所は引き上げようと決めた。
気を失って倒れてしまったメイドたちの介抱が必要だったのもあるが、何よりもガブリエラの頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していたからだ。リンシー公爵の正体はあまりにも衝撃的すぎて、今のガブリエラには冷静な判断が下せそうになかったのだ。
「明日の朝食後、あらためて会合を持ちます。よろしいですね?」
「…………。」
「よろしいですね?」
「…………。」
芋虫の怪物はガブリエラの言葉に返事を返そうとしない。もしかすると、芋虫の口では人の言葉を話せないのか?
「話が出来ないようね。それとも、そもそも言葉を理解できないのかしら?」
「いえ、そのようなことは……」
「ギャリソン、貴方には聞いていないわ。」
口を開こうとしない芋虫の怪物をかばうように、ギャリソンが口を挟むが、ガブリエラはそれを受け付けない。
化け物は喋れるのに、拗ねて黙っているだけなのかもしれない。しかし今のガブリエラには、そんな子供じみた抵抗を受け入れるだけの余裕が一切ない。そんな状態だからこそ、一度引き上げて仕切り直し、明日の朝に再開しようと言っているのだ。
抵抗しようというのなら、今ここで決めてしまっても良いのだ。そう、この芋虫の化け物は話合いが出来ない相手だと、自らの意思で示した。ならば護衛たちに命じて、地下牢に封じ込めてやればよい。言葉の通じない化け物相手なら、そうするしかない。
ただ、それはあまりに一方的なふるまいだと、ガブリエラのなけなしの理性が訴えている。
「まあ良いでしょう。すべては明日の朝にします。」
まだまともに動けないメイドたちのため、護衛たちの手を借りつつ、ガブリエラは公爵私室を後にした。
立ち去るガブリエラの背後で、閉じられた分厚い扉の奥から、ガチャン、バキバキと、物が壊される音と、怒り狂ったような吠え声が、長い間大きく響いていた。
その日は一日中、落ち着かないまま過ごすことになったが、翌朝になると、一晩しっかり睡眠を取れたことで、ガブリエラの頭の中はかなりすっきりとしていた。
朝食後はただちに応接室に集まるように、芋虫公爵とその乳母、執事ギャリソン、メイド長メーガンには昨日のうちに連絡してある。昨日はミッティを含めて数人のメイドがいたけれど、みんな同席は許してくれと泣いて懇願してきたので、今日はメアリ一人だけだ。
あと、会議への参加者ではないが、ガブリエラの護衛は四人全員、応接室に集うことになっている。
「皆さん、不寝番ご苦労様でした。おかげでぐっすり眠れたわ。」
「お嬢、そりゃあ、良かった。まあ、あの執事の野郎が何度かうろうろしてて、それを追っ払ったぐらいで。他には特に何もなかったんで楽でしたがね。」
「……そんなことがあったのね。」
殺されることは無かったかも知れないが、もしも隙を見せていれば監禁ぐらいはされただろう。もう甘い顔は一切見せられない。
芋虫の化け物だけでなく、乳母と執事についても、もしも暴れ出すようなら即時捕縛するように、出来れば殺したくはないが、危険ならば容赦なく斬るようにと、護衛たちには改めて申し渡しておく。
「お嬢の事はしっかり守りますんで、安心しててください。」
「あんな化け物、俺は今すぐ斬り殺しておくべきだと思いますがね。」
「暴れ出すまでは絶対に駄目よ?」
「わかってますってば、お嬢。」
本当に大丈夫なのかどうか、かなり不安ではある。しかし、慎重を期すあまりに傍観されるよりも、拙速でも良いので相手を制圧してくれる方が、安心できることは間違いない。
ガブリエラが護衛を伴って応接室に入ると、そこにはギャリソンとメーガンが既に準備を整えて待っている。芋虫と乳母はまだのようだ。
「来ないつもりかしらね。」
「お声がけはしたのですが……。」
「メーガンが気にすることではないわ。でも、少しだけ待ちましょうか。もしも来ないようなら、その時は怪物として処分いたします。」
ガブリエラの発した処分という言葉を聞いて、ギャリソンは思わず大きな声を出してしまう。
「ガブリエラ様っ! しばらくお待ちください。私が責任をもってお連れしてまいります。」
「駄目よ、ギャリソン。貴方はここに居なさい。」
「いや、しかし……」
「貴方、拘束されたいのね。」
ガブリエラの背後に控えていた護衛たちが、その言葉を合図に動き出した。
「いえ……、出過ぎたことを申しました。」
「わざわざ手を煩わせないで欲しいわ。」
「はい、申し訳ございませんでした。」
そんなやり取り以降、誰も何も喋ろうとしない。静まり返った応接室に、ただ時間だけがゆっくりと無意味に流れていく。
一晩しっかりと考えた結果、ガブリエラの方針ははっきりと決まっていた。一度決めてしまえば、それは考えるまでもない、当たり前のことだった。あんなものが人間であるわけがない。化け物として処理する以外にないではないか。
「やはり来ないようね、とても残念だわ。」
矛盾しているように見えるかもしれないが、芋虫の化け物が現れないことを、そして化け物として処理することになったことを、ガブリエラは本心から残念だと思っていた。
ここに現れたとしても、あれが化け物であることには変わりがない。しかしあれが人に害を与えないだけでなく、非常に協力的な化け物であれば、無理に処理してしまう必要はない。公爵として扱うことはできなくても、どこかでひっそりと暮らさせる分には問題ないとも考えていたのだ。
ギャリソンの態度をみれば、あの化け物には会話能力があるのだろう。会話できるのに、それを拒否しているのだ。それはつまり、ガブリエラと敵対の意思を示していることに他ならない。
「それではこれより、公爵私室に突入、怪物を取り押さえて拘束します。もしも抵抗するなら討ち取って構いません。」
「ガブリエラ様! お待ちくださ……」
ガブリエラを止めなければならないと、思わずギャリソンが歩み寄ろうとしたところで、護衛たちが素早く動いた。
「ぶちのめすぞ、こらぁ!」
ギャリソンは護衛たちに殴り飛ばされ、瞬く間に押さえつけられてしまった。ぶちのめすも何も、もう既にぶちのめしている。
「お嬢、どうします? 殺しときますか?」
「そうね。でもちょっとだけお待ちなさいな。その前に少しだけ聞いておきたいことがあるの。」
殺すことは確定しているかのようなやり取りの後、ガブリエラはゆっくり立ち上がってギャリソンに近寄り、そのまま彼を見下ろすようにして問いかけた。
「貴方、あれを人だと思っているようだけれど、その理由は何? 何か根拠があるの?」
ガブリエラの問いに、ギャリソンはすぐさま答えた。
「ございます。はっきりとした根拠がございます。」
これが最後の機会になるだろう。ギャリソンは殴られた傷から血を流していることも、護衛たちに上から押さえつけられていることも、すべてを忘れたような態度で、はっきりとした口調でその根拠を語りだした。
それは二十年以上前の、前国王の時代の話だ。前国王は立派な王ではなかったかも知れないが、それほど悪い王でもなかった。王妃との仲も良く、三人の立派な王子に恵まれて、王国は平和なムードに包まれていた。
しかしそれは長くは続かない。三人の王子が急な病気や事故などで相次いで亡くなり、それを悲観した王妃が病で倒れ儚くなってしまった。貴族たちは暗殺を疑ったが、何も証拠は出てこなかった。
そんな中、失意の前国王を支えたのが、王妃付きのメイドであったイライザだった。イライザの献身によって前国王は力を取り戻し、イライザを新しい王妃として娶ることを宣言したのである。それからしばらくすると、イライザのお腹の中には新しい命が芽生えていた。
証拠は何もなかったが、前国王もまた、三人の王子たちの暗殺を疑っていた。そしてイライザまで暗殺されてしまうのではないかと恐れた。そこでイライザを王宮の中に留めて置くのではなく、離宮に隔離して、そこで出産させることに決めた。
その離宮というのが今の公爵邸、イライザ付きの侍女が前メイド長のマチルダ、そしてその時につけられた近衛騎士のなれの果てが執事のギャリソンなのだという。
「思い出話など、今はどうでもいいのだけれど。貴方の引き延ばしにはそろそろうんざりしてきたわ。」
「お待ちください、ガブリエラ様、真実を理解するには、私の立場をご理解いただかねばならないのでございます。」
「そう? ならば早くしなさいな。」
ガブリエラにはお涙頂戴な思い出話を聞くつもりなどまるでない。元は国王に信頼された近衛騎士だったと言われても、それを尊重する気もまったくない。
いや、そういう言い方をすればかなり語弊があるだろう。ガブリエラは元々、化け物とは知らなかったにしても公爵を立てていたし、この執事も、そして盗賊だった前メイド長も立てていたのだ。そんなつもりは無かったかもしれないが、そんなガブリエラを蔑ろにしてきたのが元の公爵家の面々だったというだけのことだった。
簡単に言えば、今、床に押さえつけられている執事も、そしてこの場に出て来ようとしない芋虫公爵も、ガブリエラを舐めていた、というだけのことに過ぎなかった。
「そうして旦那様はこの屋敷でお生まれになりました。乳母と、そしてマチルダが立ち会っておりました。私自身は立ち会っておりませんが、お生まれになった直ぐ後にそのお姿を拝見しております。」
「それで?」
ガブリエラの態度はどこまでも冷たい。しかしそれを跳ね返すように、はっきりとした口調でギャリソンは答えた。
「旦那様は間違いなく、イライザ様からお生まれになったお子でございます。」
覚悟を決めたようなギャリソンに対して、ガブリエラの返答は実にあっさりとしたものだった。
「へえ、そうなの? で、それがどうかしたのかしら?」
ギャリソンの思いは、ガブリエラには全く通用しなかった。
魔女の魔法や呪いの力で、人が何か別の生き物にされてしまうという伝説や昔話はいくつもある。
南国の王子は魔女の魔法でカエルにされたが、真実の愛の力で魔法が解けて元通りの姿を取り戻したという。白鳥にされた北国の王女は、愛する王子に裏切られて、白鳥の姿から元に戻ることができずに亡くなったと言われている。
そういった伝説と同じように、芋虫公爵も魔法や呪いで化け物にされてしまった、そう思いたくなる気持ちはわからなくもない。
しかし考えてみて欲しい。王子はカエルにされたのであって、カエル頭の人間にされたのではない。王女だって白鳥にされたわけで、人の首のところから白鳥が生えていたわけではない。
魔女の魔法や呪いは万能ではない。そう、魔女の魔法や呪いでは、人を動物に変えることは出来ても、化け物にすることなど出来はしないのだ。
公爵が芋虫の姿であったなら、魔法や呪いだと言われればそれを信じたかもしれない。しかし芋虫が生えた人間など、人の目から見ても、芋虫の目から見ても、そして魔女の魔法をもってしても、生まれながらのただの化け物としか言えないのだ。
「呪いや魔法ではないとすれば、旦那様はなんだとおっしゃるのですか!」
「前王妃が化け物に卵を産み付けられたのではなくて?」
産み付けられた卵が前王妃の体内で成長し、腹の中の赤子を食べ、そして生れ出てきたのではないのか。
「そ、そんな馬鹿なことが……」
「あら、芋虫にはそういうことが良くあるわ。庭師が詳しいから呼びだして聞いてみてもいいわよ?」
ガブリエラが貰った蝶々の蛹からは、蝶々ではなく蜂が生まれて出てきたのだ。前王妃に寄生して生まれてきた化け物を、今まで王子と勘違いして育てて来たのではないのか。
「そんな……、それでは我々は、我々は何のために今まで……、」
完全に抵抗する力を失った執事を見下ろしながら、ガブリエラはもう一つ、別の魔女の伝説について考えていた。
それは芋虫と人ではないが、魚と人が合体したような化け物が、魔女の魔法で人の姿に化けて王子に近づいてみたものの、上手くいかずに露と消えてしまう、そんな話である。
つまり、もしも魔女の魔法で化けていたとすれば、それは前王妃、そういうことになるのだが、ガブリエラはそれを口に出すことは無かった。




