21.完全変態
自分に乳母を説得させてほしい、という執事ギャリソンの申し出をガブリエラは受け入れ、彼を縛り上げるのはやめて、公爵私室への同行を許可した。
彼の顔はまるで付き物が落ちたようにすっきりとしている。これならもう大丈夫だろう。
「あんなものが人のわけがねえ。今までそれに気づかないなんて、あんたたちよっぽどどうかしてるぜ?」
「ええ、おっしゃる通りです。本当に私たちはどうかしていました。」
護衛たちには何もしがらみがない。その目は客観的で公平だ。そしてあれは疑うことなく化け物だと判断している。ギャリソンも目が覚めた今では、なぜあれを人だと思っていたのか自分でもわからなかった。
もしかしたらあの化け物も同じように、自分が人だと信じて生きてきたのかも知れない。もしかしたらあの化け物は非常に理知的で心優しかったのかも知れない。ガブリエラは化け物と共存する道はあったと思っている。しかしその道を閉ざしたのは化け物自身だ。
しかしそんなことで悩む日々は今日で終わりだ。そして同時に、公爵家も今日で終わりを迎えるのだ。
「異国には、犬や猫、ヘビの頭をした神々がいると聞き及びます。あれはこの国ではなく、もしかしたら遥か異国からやってきた者なのかも知れません。」
「そうね、メーガン。間違ってこの国にやって来なければ、異国で神として幸せ暮らしていけたのかも知れないわね。」
近隣の国には、頭が牛の化け物がいて、夜な夜な人を食い殺していたので、迷宮に封じ込めたという伝説もある。異国から侵略してくる化け物は、封じるしかないのだ。
古代神話に謳われているように、遥か昔には、人の上半身に馬の下半身を持つセントールや、山羊の下半身を持つサテュロスなどがいたというのは確かな事だ。
そういった存在もまた、もしも今の世の中に現れたとすれば、ただの化け物として始末されるだろう。そんな異形な者たちですら受け入れられていた、神々ともほど近い古代の世界でさえ、牛頭の人は受け入れられなかったわけだ。それなのに芋虫頭の人が、この世に受け入れられるはずがないではないか。
公爵私室への扉の鍵は開いてた。護衛たちが警戒しながら部屋に飛び込むが、特に何かが襲い掛かってくることもない。
部屋に入ると、中は大きく荒らされているのが目に入ったが、おそらく昨日、化け物が暴れたのが原因だろう。蜜柑の植木鉢もほとんどが倒され、土があちこちに散乱している。
そして化け物がそこにいた。ソファーに座ったまま動こうとしない。
「昨日と化け物の形が違うぞ?」
「芋虫じゃないな、なんだ、ありゃ?」
間違いない、あれは蛹だ。蛹が首から生えているのだ。もしかしたら芋虫から変態して蛹になったのだろうか?
そんな蛹の化け物の横では、乳母がへたり込んでいる。
「昨日まであんなにお元気だったのに、急に動かなくなってしまわれて……ああ、坊ちゃま……これもみんな、お前が来たからだっ! お前がっ、お前のせいだ! この鬼めっ! 魔女めっ!」
力なく座り込んでいた乳母は、ガブリエラの姿を見た途端、その瞳に憤怒の炎を灯し、罵倒しながら掴みかかってきた。もちろん乳母の手は護衛たちに阻まれ、ガブリエラのところには届かない。
「ギャリソン、頼んだわよ。」
「はい、お任せを。」
正直な話をすれば、魔女の呪いでは化け物を生み出すことは出来ない、というガブリエラの説明は、正確だとはとてもいえないし屁理屈も良いところだ。ギャリソンだってそんなことは百も承知だろう。それでもガブリエラの説明を信じたのは、それを信じたかったからに他ならない。
理性では化け物としか思えない、そんな公爵を人として、主人として仕えることにギャリソンは疲れ果てていたのだ。だからこそ、ガブリエラの言葉に救いを見出し、すぐにそれに賛同したのだ。
乳母もまた、化け物の側仕えをする毎日に疲れ果てていた。
「それでは、この化け物が坊ちゃまを食い殺して成り代わっていた、というのですか? だとしたら、王妃様は、本物の坊ちゃまは……、ああ、私は何という……」
化け物を守る立場から、化け物を憎み排除する立場へ。化け物を守ろうとする気持ちが強かった分だけ、化け物への怒りもまた激しい物となる。
乳母が変節した以上、もう化け物を守ろうとするものはどこにもいなかった。
「この動かない化け物、どうしますかねぇ。」
「そうね。縛り上げて土牢に閉じ込めておくのが良いと思うのだけれど、ギャリソン、それで良いかしら?」
「はい、それが妥当と存じます。」
化け物の頭は蛹になっている。もしかしたら羽化して、巨大な蝶が飛び回ることになるかも知れない。そう考えれば縛り上げるだけではなく、しっかり牢の中で閉じ込めておきたい。
すぐに殺してしまっても良いのだが、できればこの化け物にはいくつか聞いておきたいことがあるのだ。
「あれに触れるのは、ちょっとぞっとしませんぜ?」
「そう? マーテルの蒸留酒をつけるけど、それでもやめておく?」
「乗ったっ! おい、みんな! とっとと縛り上げて、牢にぶち込むぞ!」
「さすがお嬢だ!」
こうして公爵だった化け物は高級酒一本で売り飛ばされ、衣服を剥ぎ取られて縛り上げられて、地下牢に投げ込まれることになった。
「旦那様は、見た目は確かに化け物でしたが、優しく聡明な方だと思っておりました……。それも私の思い込みだったのでしょうか。」
縛られて牢の中に転がる化け物を見ながら、ギャリソンがポツリとこぼした。
「そうね……。私は会話を交わしたことは一度もないから、正確な事はわからないわ。ただ言えるのは、ここに来てから食事の準備から何から、全部自分でやらなければいけなかった、ということだけよ。」
「あの、それはあの……」
「あのメイド長の責任だから化け物には関係ない、なんてことは言わないでね? その彼女を雇って全てを任せていたのだから、その責任は全てあの化け物にあるの。」
「……はい、その通りでございますね……。」
「私にとっては、手紙のやり取りも、顔を見せあわずに扉を挟んでの会話も、何も受け付けなかった。そんな引きこもりの化け物だったわね。」
もしもあの化け物が良い人だったとしたらだって? 馬鹿も休み休み言って欲しい。あんな異形の化け物を夫として受け入れられるわけがないじゃないか。
前国王夫妻だって、我が子が化け物であることに苦悩した末に亡くなっているのだ。勝手に死ぬ前に責任を持って、しっかり止めを刺しておいて欲しかったと思うほどである。
なぜこんな嫌な役目を押し付けられなければならないのか。やはりガブリエラには、王家の人間のことを好きにはなれない。
乳母は先王の三人の王子を暗殺したのは現王妃であり、公爵に芋虫の呪いをかけたのもまた、現王妃であるとずっと固く信じていたと、そう語っていた。執事のギャリソンもまた、同じようなことを考えていたそうだ。
ガブリエラも、あの王妃であれば暗殺ぐらいはするだろうし、王子に呪いをかけることも平気だっただろうと思う。でも考えてみて欲しい。証拠を残さず三人の王子を亡き者にできるだけの力があったというのに、末の王子だけを呪いにかけるなどということがあり得るのかどうかを。
もしも生かしておけば、何かのはずみに呪いが解けて自分たちを殺しに来るかもしれない。そんな相手を殺さずに放っておくのだろうか。もしも呪いをかけたとしても、その後で確実に殺処分にするだろうことは間違いないのだ。
ガブリエラの見立てでは、あの女ならば間違いなくそうするはずだ。今もなお化け物が生きているということは、化け物は呪いによるものではない。そうガブリエラに信じさせる根拠の一つになっているぐらいなのである。
化け物を生かしておくことで自分への疑いをそらしている、そんな風にうがった見方をすることも出来るが、あの女に限ってそんな深い考えがあるはずがない。
蛹になった化け物は、ほとんど動かず固まったままだ。棒で突っついてやると、ピクピクと少しだけ動いてみせる。それでまだ生きていることが確認できるのだ。
しかし十日ほどたったある日、棒で突っついてもまったく動かなくなってしまった。よく見ると、蛹の体にいくつか穴が空いている。
「これ、蜂が出てきた時の穴に似ていますね。」
「既に寄生されていたということね。それならそうと言ってくれれば、こんな面倒なことをせずに済みましたのに。」
ガブリエラにとっては、最後までいらいらさせてくれる化け物だった。
化け物から出てきたはずの蜂は、すでにどこかに飛んで行ってしまった後なのか、その姿はどこにも見つからなかった。結局、化け物は羽化することはなく、あっけなくその生涯を終えてしまったのだった。
「これでリンシー公爵家は終わったわね。」
「はい、なんだか長い夢を見ていたような気がします。」
「その貴方がたの夢のせいで、こちらは酷いとばっちりを受けることになったわ。」
公爵が亡くなった以上、跡取りがいなければリンシー公爵家は存続できない。もちろん年金を受け取ることもできないので、使用人を雇い続けることはできない。もちろんこの屋敷もそのまま維持することはできなくなる。
葬式が終われば、家財などの一部はガブリエラの別邸に運び、それ以外は売りさばくことになっている。使用人たちもガブリエラが連れて来た者たち以外は、馬丁と庭師を除いて、全員に退職金を渡して解雇することになる。
馬丁にはそのまま別邸での仕事を、そして庭師にはこの公爵邸の庭と建物の管理を任せることになるだろう。
リンシー公爵家が亡くなった後も、ガブリエラの身分はリンシー公爵夫人のまま変わらない。誰かと結婚するまでは、ずっとそれが彼女の呼び名として残ることになるのだ。それがガブリエラには、まるで呪いのように思えた。
全てが終わってこの公爵邸を立ち去る頃には、もう秋は終わりを告げており、寒い冬が始まろうとしていた。蜜柑の実もすでに収穫を終え、木々は緑の葉をつけているだけだ。もう蝶々の姿なんてどこにも見えない。
「あ痛っ!」
「ああ、蜂ですよ、お嬢様。もうかなり冷え込むようになりましたのに珍しい。」
メアリが馬車の中からガブリエラを刺した蜂を追い払いながら、そんなことを口にした。
「まだここに来てから一年もしないのね。」
荷馬車に揺られてここに連れてこられた、あの時はまだ春だった。次の春までにはまだ、寒い冬を越えなければならない。
馬車に吹き込む隙間風を防ぐように羽織りなおしたレース編みのショールには、緑の芋虫の編みぐるみはもうどこにも見当たらなかった。
拙作をお読みいただき、誠にありがとうございました。
これで感想や評価を求めるのは……ちょっと無理ですね。さすがに、そこまで厚顔無恥ではいられない。
野獣と結婚なんて絶対あり得ない、っていう発想から書き始めたのですが、実際に書いてみたら、そんなのは当たり前の事すぎて、盛り上がりに欠ける作品になってしまいました。
やっぱりテンプレって偉大です。そしてテンプレ作品を世に出す作者さんも素晴らしいってことがわかりました。
プロットでは最後、公爵はちゃんと生きていて、色々とやり取りをしてから終わる予定だったのですが……すみません、書いててキモすぎて無理……。
イモムシが生えてる人間は無理だった(@_@!
ごめんなさい、ごめんなさい、もうしないから許して!




