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(4)

 志賀咲哉は鬼才とも呼ばれる魔術師としての才能を持っていたと、聖は彼女について調べている間に何度も聞かされた。相手の使った魔術を見ただけで、どのような魔法陣を描き、どのように魔力を駆使するのかを瞬時に見抜いてしまう。それほどの人物であったというのに、彼女は自らの力を見せびらかすことも、相手を卑下することもなかったという。


 幼い頃に両親を事故で亡くした彼女は母方の叔父夫婦に預けられた。養子に迎え入れることも提案されたというのだが、彼女自身が志賀から烏山(からすやま)の姓に変わることを嫌がったのだと言う。幼い彼女の胸の内は分からないが、烏山家に引き取られた咲哉はそこで叔父夫婦と当時生まれたばかりの諒太(りょうた)という男の子と一緒に暮らしていた。


 誰もが口を揃えて言った。



 ――彼女がそんなことをするはずがない。



 彼女のことを知っていた誰もが決して、彼女は良い人だった、とも、明るい子だった、とも、優しい子だった、とも言わない。誰もが、冷たい子だった、自分にも他人にも興味のない子だった、という。そして同時に、彼女は怖いほどに魔術に長けていた、と話すのだ。


 だが彼女が人を殺すはずがない、というのだから聖には訳が分からなかった。志賀咲哉と言う人物が、どのような人物なのか、全くイメージが沸かなかった。だからこそ、聖は魔研に入ることを決めたのだ。


 人々の話から、咲哉が殺人犯なのか分からなくなってしまった。全ての現場に残された魔法陣が彼女を犯人だと示していた。だがそれ以外の証拠など一つもなかった。彼女の叔父夫婦は事件後、直ぐに引っ越したために行方は追えず、彼らからの証言は得られなかった。


 犯人死亡で片付けられた事件に、聖は納得ができない。咲哉を知る人物たちからの証言から、彼女が犯人だという確信は得られない。それならば魔研に入り、当時の事件を自ら調べるしかない。


 兄が殺され、兄の恋人を殺され、数え切れないほどの魔術師が命を奪われた。その事件の真相を知るために、聖は魔研に入ったのだ。魔研に入社するには、魔研から直接推選を貰うしかない。そのために、聖は死ぬほどの努力をし、やっとの想いで魔研へ入社する資格を得た。


 前に進めていないと言われても、聖は諦めたくはなかった。同じところで足踏みを続けるだけだとしても、じっとしているよりもずっとましだと、聖は思うのだ。







 初出勤を終えた聖は帰路に着いていた。今日は仕事の知識を覚えることばかりに追われて、知りたい情報は少しも得られなかった。もちろんあの事件のデータを覗き見る暇などなかった。



(明日なら時間があるだろうか)



 魔研の事件データには、志賀咲哉の事件の記録も残っているはずだ。その中にはあの事件で使われた魔法陣についても詳しく記されているはずである。聖が魔研に入った理由は、その情報を得る目的が大半だ。既に捜査が終了されているのならば、自ら調べるしかないのだから。


 深いため息を吐き、薄暗い空の下を歩いていく。西の空はまだ仄かに明るく、紫色を帯びている。その空から地面へ視線を落としたところで、ふと気付いた。



(あれは……?)



 聖が見たのは、昼間に安道小町と共にいたあの青年だった。



(確か、夏樹って呼ばれていた……)



 彼の手にはスーパーの袋が握られている。白い袋の中にはどうやら野菜が入れられているようで、長ネギの頭が袋から飛び出していた。



(つまり、これから家に帰る?)



 夏樹は安道小町と仲が良いようだった。もしかしたら彼の後をつければ、安道小町に会えるのではないだろうか。


 聖は小町に用がある。三年前のあの事件に最も詳しいのは、小町に違いないのだ。その彼女と話をして、願わくは彼女に手を貸してもらいたかった。そのためには、彼の後をつけるべきだろう。


 聖は決意すると、そっと夏樹の後を追った。高身長の彼は人々から頭一つ分ほど飛び出している。その彼を追うのは造作のないことだった。気付かれないように、あとを追っているとそれから間もなくして雑居ビルに夏樹は入っていった。この時代にしては珍しい古いビルだ。その外階段をカンカンと足音を立てながら、夏樹は上っていく。足音を立てないように聖は彼の後に続く。やがて三階の踊り場で立ち止った夏樹は、左壁にあった扉を開いて中に消えた。パタン、と軽い音を立てて閉まった扉を確認すると、聖はその部屋の前に立った。


 扉の上部にはすりガラスが嵌められている。その扉の上に、『安道魔術探偵事務所』と書かれた看板が掛けられていた。安道小町の事務所だということが分かる。



(そういえば、依頼者がどうのって今朝言ってたな……)



 あれはこの探偵事務所に来た依頼の件だったのだろう。


 この中に安道小町がいる。それを知り、覚悟をしたところで、聖はドアノブを握った。ごくり、と生唾を飲み込むとドアノブを回す。鍵はかかっていなかった。小さな金属音が鳴り、すんなりと扉は開いた。


 部屋の中に顔を突っ込み、中を覗く。電気が点いていない所為で、薄暗い。八畳程度の広さだろうか。部屋の中央には応接用なのか、向き合うソファーとその間にテーブルが置かれている。奥にはすりガラスの衝立が置かれ、奥の様子は分からないが、左側の壁の裏にある部屋との仕切りにされているのだろう。目に入る範囲のこの部屋の窓側。その一点に机と椅子が置かれていた。その机に伏して寝息を立てている人物を見付けて、聖はどうしたものかと考えてしまう。


 椅子に座り、机に突っ伏しているその人物は、今朝出会った安道小町に違いなかった。身体の上下している様子から、彼女が眠っているのは違いない。どうするべきか、悩んでいるとすりガラスの衝立の向こう側に黒い影が映り、聖が逃げる間もなくそこから夏樹が現れた。


 夏樹は驚いた様子もなく、聖の顔を見ると小町の傍に寄った。そして彼女の肩に触れると、その身体を揺さぶる。



「起きてください、小町さん」


「ん……は! また寝てしまいました!」


「大丈夫です。今回は三十分しか眠っていません」



 小町は口の周りについた涎を拭い、机に広がったその名残を服の袖で拭いていた。傍らに置いていた眼鏡をかける彼女の様子を茫然と眺める聖に構わず、夏樹は部屋の電気を点ける。二度の点滅のあと、部屋が白く照らされる。その段に至って、聖は口を開くことができた。



「あの……」


「あ」



 聖に気付くと、小町は聖の話を聞くより先に再び奥へ戻ろうとしていた夏樹を睨み上げた。



「ちょっとぉ。夏樹くん、尾行されてましたよぅ」


「そうでしたか。すみませんね」



 淡々と謝罪する夏樹に小町の目が三角になった。



「ちっともすまなく思ってないじゃないですか! というか、気付いていたのに放っておいたパターンですね!」


「ええ。それよりも今晩はカレーで良いですね」


「あ、はい、良いです。っていうか、わたしに決定権ありませんね」



 頬を膨らませる小町に表情一つ変えない夏樹が再び部屋の奥へと消えていく。直ぐに水が流れる音と、包丁がまな板を叩く小気味の良い音が耳に届いた。


 その音に紛れて、「それで、」と小町が口を開いた。



「何のご用ですか? ペットの捜索ですか? 浮気調査ですか?」


「違いますけど……」



 魔術探偵事務所と掲げていても、持ち込まれる依頼は普通の探偵事務所と変わらないらしい。聖はそう思いながら、彼女に尋ねた。



「ここは探偵事務所、ですか?」


「そうですよ。大体はどんな依頼でも請け負います」


「……それじゃあ、」



 聖は机を挟み、彼女の前に進み出た。そして言う。



「一つ、手伝ってほしいんです」


「お手伝い?」


「安道さんって、志賀咲哉の知人、ですよね?」



 志賀咲哉。その名前を出した途端、それまで間の抜けていた小町の目が鋭くなった。だがそれも一瞬で、次の瞬間にはそれまでと同じ眠そうな表情へと戻る。


 その彼女へ聖は続ける。



「俺はおかしいと思うんです」


「何がですか?」


「三年前の事件……本当に志賀咲哉が犯人だと確信できない自分がいます」



 再び名前を出すと、彼女は興味なさそうな顔をして欠伸を零している。



「それになぜ彼女は自殺したんでしょうか。俺が調べた限り、彼女は自ら命を絶つような人ではありませんでした。ですが残された魔法陣は全て彼女の犯行を裏付けています」



 だから、と聖は頭を下げた。



「力を貸してください」



 そこで欠伸を零していた小町の目が聖に向いた。その瞳を真っ直ぐに見返して、聖は告げる。



「俺の兄は志賀咲哉に殺されました。だから彼女について知りたい。あの事件の真相が知りたい。彼女が犯人であると確信したい。そうしないと、俺の中であの事件が終わらない」


「……そう言われましても」



 困ったように視線を落とした小町は深いため息を吐く。



「わたしは既に魔研ではないですから。手の貸しようがありませんよ」


「でも魔術は使えますよね?」



 小町の解析魔術は聖の力量を越えている。それは今朝の件から明らかだった。小町が力を貸してくれれば、あの事件はより迅速に真相に近付く。聖にはその確信があった。



「事件の資料は俺が持ち出してきます。あの事件について調べるには貴女の知識が必要です。だから一緒に捜査を――」


「お断りです」



 だが小町は聖の提案を一蹴した。瞠目して呼吸を止めた聖から視線を外した小町は椅子ごと聖から身体を逸らす。



「わたしはもうあの事件には首を突っ込まないって決めたんです」


「でも!」



 それでも、と思った。


 聖は力いっぱい机を叩き、小町に訴える。



「中途半端なままじゃ、俺は前に進めない! 俺も七菜も――」


「もうわたしはあの事件とは関わりたくありません。そのために魔研も辞めました」



 そう放たれた声は、すっかり耳に馴染んでいた間延びした喋り方ではなかった。低く暗い声は夜の闇を思わせる。その声に言葉を奪われた聖を、彼女の焦げ茶色の瞳が冷ややかに捕えた。



「帰ってください。わたしは貴方の力にはなれません」



 強い拒絶。


 その彼女の瞳の奥で悲愴が滲んでいるように、聖には見えた。







 安道小町の探偵事務所からの帰り道、聖は深いため息を落とした。その吐息に諦念と絶望を滲ませ、彼は背を丸めている。


 あの後も小町は聖の依頼を一切取り合ってくれなかった。最終的に諦めて帰ろうとした聖になぜか彼女は、カレーを食べていきませんか、と優しい言葉をかけてくれたが、聖はそれを断った。事務所内に漂っていた美味そうな匂いを思い出し、聖の腹が惨めに鳴く。やはり食べてくるべきだっただろうか。


 そう思ってため息をついていた時だった。ズボンの後ろのポケットで携帯電話が震えた。その調子からして電話だろう。携帯電話を手に取り、画面を見る。そこに映された名前を見て、聖は電話を耳に当てた。



「はい。お疲れ様です、シュウさん」


『こんばんは、城戸君。今日は魔研に初出勤だったのかな?』


「はい、今日初出勤でした」



 電話から聞こえてきたのは、甘さの香る男性の声。その彼と話しながら聖は人の行き交う商店街を歩いていく。その途中で、今朝方の事件があった現場を通りすぎる。その現場を横目に眺めながら、聖は魔研で聞いたニルヴァーナの話を思い出す。



「先日の強姦魔の件は警察が捜査しているみたいですよ。あの様子だと魔研は捜査に参加しないみたいです」


『そうか』



 電話口の相手は、まるで自分と無関係のような口ぶりだ。この人物がその中心人物だというのに。



『城戸君。ちょっと今から本部に来てもらってもいいかな? 話したいことがあってね』


「はい」



 聖が頷くと、待ってるよ、と告げた言葉を最後に切電された。

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