(3)
「そいつは、安道小町だな」
魔研の研究所に着いて早々に聖が先ほど商店街で出会った女性の話をすると、纓田は然も当然のように答えた。彼は懐かしむような呆れのような深い吐息を一つ落とす。
「元はここの職員だ。三年前に突如退職届を提出して去ったがな」
「魔研の?」
「ああ。お前も知ってるだろ。あいつは【エンペラー】だ」
聖は纓田が告げた言葉に目を見開く。
エンペラー――それは日本で最も難関とされる魔術師専門の国立大学の卒業生の通称だった。正式名称は『日本魔術大学』というが、誰もがその卒業生を帝王と呼ぶ。略称で魔大と呼ばれるその大学に毎年入学できる生徒の数は五十人弱。その中でも卒業できるのはほんの一握りの学生だ。そして卒業者は誰もが圧倒的な魔力を有する。
「安道小町は十六の時に魔大に飛び級入学した。その四年後卒業したあいつは魔研にスカウトされて、ここに入ったんだ」
「でもどうして魔研を――」
「甘えよ」
聖の問いかけを遮ったのは、二十代半ばの女性。聖や纓田と同じように魔研の職員である能上杏奈だった。猫のように吊り上った目をした彼女は厳しい声で告げる。
「容疑者になった友人を捕まえるのが耐えられなかったんでしょう。自分で陣紋を解析しておいて」
「え?」
聖は苛立つような口調の能上に目を白黒させる。そんな彼に纓田が煙草に火をつけながら補足する。
「魔術師ならお前も覚えてるだろ。三年前の魔術師連続殺人事件」
「……はい」
頷く聖は目を細める。
(三年前の、連続殺人)
その事件なら聖も覚えている。――忘れるはずがなかった。
その事件を捜査していたのは、聖の兄だ。そしてその捜査の最中――彼は命を奪われた。魔術師を殺し続けていた犯人と同一の犯人に。
「あの事件現場にはいつも同じ陣紋の魔法陣があった。その魔法陣を解析したのが、俺の班だった」
犯人は被害者の魔術師を魔術を用いて殺していたと言う。それは聖もテレビの報道で知っていた。その捜査を纓田が班長を務めるこの班が担当していたのだ。事件が起これば、魔研では何十班とある班のうちの一班が担当する。その確率的に低い、なんとも運命的な班に聖は入ることとなったのだ。
「今思い出しても胸糞悪い事件だった……魔術師なら老若男女関係なく殺害された事件だったからな」
纓田は記憶を辿るように視線を斜め上へ投げた。そこに吐き出された紫煙が天井に澱のような白い影を漂わせる。それをじっと見つめたまま、纓田は言った。
「その事件で一人の容疑者が浮かび上がる」
「確か、――志賀咲哉、でしたっけ?」
「ああ」
首肯した纓田は淡々とした調子で続ける。
「志賀は安道と同じ十六歳の時に魔大に入学した。同じ年齢だったこともあって、二人はライバルであり親友であった、と俺は聞いている。同じように魔研にスカウトされ安道は入社したが志賀はそれを断って……」
「志賀咲哉は……連続殺人の容疑者になった」
「そうだ」
同じように天才と謳われた魔術師。
だが同じ大学を卒業した二人は全く違う道を進んでしまう。
「志賀は複雑に描かれた魔法陣を使う。誰も瓜二つの魔法陣を使いこなせる奴なんていない」
「それで犯人だと……?」
「ああ。それを特定したのが安道だった」
解析した魔法陣が親友のものだと知った彼女は何を思ったのだろう、と聖は想いを馳せてしまう。もしかしたら彼女は解析する前からその魔法陣が親友のものであると気付いていたかもしれない。強い魔術を使う者の基礎魔法陣は複雑で個性が強い。違うと信じて解析した、その結果が残酷な真実を齎したのだとしたら。
そこまで考えたところで兄の死を、信じられない、と自分の耳と目を疑った三年前のあの日の気持ちが蘇ってくる。そして同時にやり切れない事件の結末も思い出した。
「でも確かその容疑者って……」
「死んだわ」
一蹴するような鋭さで能上が告げる。
「首を吊ってね。自殺したのよ」
志賀咲哉が容疑者として浮かび上がったと報道された翌日、彼女は山の中で首を吊った姿を発見された。その所為で事件は迷宮入りされたのだ。
「真相は謎のまま。でも犯人は陣紋から見ても志賀咲哉に間違いない。……だってあの安道小町が解析したのよ? 間違えるわけがないわ」
「だが安道は志賀の死に責任を感じてここを去った」
そこで纓田は今までにないほど厳しい目を聖に向けた。そして言い聞かせるように、強い口調で言う。
「いいか、城戸。ここにいる限りお前は甘さを捨てろ」
「甘さ……」
「そうだ。そうじゃなけりゃ、安道のようにここを去ることになる」
彼らの話からして、安道小町は余程優秀な人材だったのだろう。事実、聖もそれを目の当たりにしている。彼女は昼間、いとも簡単にイアン解析法を使っていた。解析魔術は誰にでもできるものではない。そうだというのに彼女はあの一瞬で聖よりも素早くスムーズにやってみせたのだ。
「それに最近、またニルヴァーナが動き出してる」
纓田の台詞で聖は眉を顰める。
「あの犯罪者を処刑するって言う組織ですか?」
「ああ。ここ数年静かだったが、最近また活動し始めてるようだ。先日の強姦魔の不審死もニルヴァーナの仕業らしいからな」
ニルヴァーナは、犯罪者には死を、という信念を誓いとして掲げている犯罪組織である。犯罪組織と言っても、彼らが手に掛けるのは過去に罪を犯した者ばかりだ。彼らは被害者やその遺族から依頼を受けて犯行を実行すると言われているが、未だ実態は謎のままだった。ただ、犯行現場には共通してニルヴァーナのボスであるシュウという人物からのメッセージカードが残されているという。
難しい顔をして黙然とした聖の隣で纓田は煙草を灰皿に押し付ける。
「さて、と。俺は今日の報告書でも書くかな」
「私は基礎魔法陣の解析結果を警察署に届けてきます」
能上はそう告げると、そそくさと部屋を出て行った。その彼女が去った扉を眺めていると、ぽん、と聖の左肩に手が置かれた。緑のジェルが右人差し指の爪に塗られている。視線を上げると、そこには若い男性――佐脇の苦笑した顔があった。
「そう緊張しなくて良いよ」
「佐脇さん……」
聖が配属された纓田の班は纓田と聖、そして先ほど部屋を出ていった能上と優しい声で話すこの佐脇だった。魔研は四人一班としてチーム行動を取るため、聖の所属する纓田班はこの四人だけだ。
佐脇は穏やかな空気を纏う男だ。まだ二十代半ばを少し過ぎたくらいだろうか。彼はやわらかな表情で、聖を慰める。
「確かに最近のニルヴァーナは活動的だけど、彼らは銃殺がメインだ。俺たちにまで仕事が回ってくることはないから。殺人現場にはそう出向くことはないよ。だから安心して」
「……はい」
気遣ってくれる佐脇に聖はどうにか笑顔を浮かべることで答えた。
だが、その聖の頭にあったのはニルヴァーナのことではない。
(安道小町……)
聖の兄は、三年前に死んだ。
血に塗れた遺体の傍には魔法陣の痕跡があったという。そこから解析された陣紋は兄が追っていた魔術師連続殺人犯と同じそれだった。魔研からのスカウトを断ってまで刑事になった兄の事件に対する熱意はいつも強かったが、あの事件は一際力が入っていた。兄がどれほど真剣にその事件を追っていたのかは、聖は理解していた。何しろ、初めの被害者が彼の恋人だったのだ。兄は血眼になって、寝る間も惜しんで犯人を追っていた。その報いが、死、ならばあんまりだと聖は思う。
だから聖は魔研に入社したのだ。兄の死の真相を知るために。
そのことに、自らの人生を捧げると誓った。




