第二十三話 ある村の言い伝え(四)
満月の夜。
策を実行に移す夜となった。
行者が女達と共に、あの村を調べ始めてから、もう三月程が過ぎていた。
ここ迄に知り得た事から導き出した策は、妖の女の目を盗み、牢の中の怪異を異界へ送り返す事だった。
これが上手く行ったとして、男達が元の村に帰って来るのかは、不明である。
しかし、他に手立てがなく、この策に望みを託すしかなかった 。
この策の為に、行者は退魔の札を、二枚用意した。
一枚は自分が使うもの。
もう一枚が、村の女の一人に持たせるもの。
これは、万が一、自分が怪異に札を貼れない事態に陥った時の備えだった。
行者は三昼夜掛けて、この札に気を込めた。
この札であれば、行を積まない者であっても、退魔の呪さえ唱える事が出来れば、術は発動する。
これを一人の娘に託した。
年の頃は十六、七。
目鼻立ちの整った、利発そうな娘だった。
その娘に退魔の呪を教えたが、札にもそれを記しておいた。
村への侵入迄は、前回と同様に簡単なものだった。
しかし、洞窟の入口が見えてくると、前回と様子が違った。
あの朧の大犬が、入口の周りを三頭で見張っていた。
しかも、居眠りもせずに。
行者は、不穏な空気を感じた。
妖の女が、気が付いたのかもしれない。
もしかすると、物見の札が見つかっていたのか?
もしそうだったとしても、こちらの意図を完全に把握しては居ないだろう。
朧な大犬達は周囲を警戒している。
しかし、自分達が見つかった様子はない。
という事は、幾分警戒を強めておいた、位のものなのではないか?
そして、侵入者があったとしても、妖の女の妖力をもってすれば、容易く排除できる。
そう考えている筈である。
そこに、自分達の付け入る隙がある筈だ。
行者は数瞬考え、そう結論付けた。
三頭の大犬達を引き付ける役を、三人の女達がする事になった。
引き付けている間に、行者と二人の女達で洞窟に入る事にした。
女達は一人が札を持ち、もう一人はその女の護衛役だった。
三人の女達が、大きく迂回しながらそれぞれ大犬達に近付いて行く。
行者達三人は、引き付け役から距離を取りながら、洞窟へ向かった。
その動きを確認しながら、引き付け役は、大犬達の気を引く行動に出た。
がさがさと大きな音を立て、叢を移動し始めた。
大犬達が直ぐに反応した。
この大犬達は、吠える事が無かった。
音を立てながら移動していく女達を、大犬達は足音一つ立てずに追う。
幽霊が移動するなら、きっとこの様な感じなのだろう。
囮の三人は、喘ぎ声が響き渡る方へ進み、狂った様に交わり続ける村人達の中に紛れて、逃げて行った。
この機に乗じ、行者と二人の女達は洞窟に侵入した。
洞窟の中に、満月の光が差し込んでいた。
かなり奥の方まで、うっすらと見える。
牢屋がぼんやりと、浮かび上がって見えていた。
あとは、あの牢まで進み、怪異に札を貼り、退魔の呪を唱えるのみ。
三人は、静かに慎重に進んだ。
あと十数歩の所まで牢に近付いた時、奥の陰から人の気配がした。
「おやおや、お客さんとは珍しい」
妖の女が、剥がした物見の札二枚を、右手にひらひらさせながら現れた。
うっすらと月光に照らされたその顔には、これから楽しい遊びをする童の様な表情が浮かんでいた。
行者の血の気が引いた。
一瞬立ち止まりかけた行者は、驚き動きを止めた女達に向かって声を上げ、妖の女の方へ走った。
「止まるな!札を頼む!女は我が何とかする!」
そう言いながら、行者は両手で何かの印を組みながら妖の女の前へ出た。
その間に、女達も牢まで走った。
「破っ!」
行者が声を発しながら、両の掌を勢い良く妖の女に突き出した。
行者と妖の女の間に、雷の膜の様な物が現れた。
「ほう!上手ではないか!」
妖の女が笑顔で声を上げた。
明らかに、この状況を喜んでいる様子だった。
行者は己の生命を力に変え、雷の結界を作った。
行者の業の中で、最も強い結界業だった。
この間に、女達は怪異に辿り着き、退魔の札を貼る事が出来た。
一人の女が辺りを警戒する中、札を託さた女が大きく息を吸った。
そして、退魔の呪を唱え始めた時、妖の女の顔色が急変した。
「なんと!それをしに来たとは!」
妖の女の長い黒髪が逆立ち、次の瞬間、行者の張った結界に黒い霧の塊がぶつかった。
立て続けに轟音が、大きな振動と共に響き渡った。
結界が眩く発光し、火花が辺り一面に散る。
行者の結界は、辛うじて妖の女の黒い妖気の霧を防いでいた。
しかし、そう長くは持ち堪えられそうにない。
行者は懐からどす黒い丸薬を数個取り出すと、それを頬張った。
そして、眉間に皺を寄せ、血走った両目を剥き、眉毛を吊り上げながら、口いっぱいの丸薬を咀嚼した。
行者の蓬髪が、天に向かって逆立つ。
行者の張った結界が、厚みを増した。
「ええええい!小賢しい!そこを退け!」
妖の女は大きく美しい切れ長の瞳を吊り上げながら、叫んだ。
その時、女が退魔の呪を、最後まで唱え終えた。
すると、それまで大人しく寝ている様子だった怪異が、突然暴れ出した。
女達は倒れそうになりながらも、洞窟の外に走った。
怪異は出鱈目に暴れた。
牢の組んでいた太い丸太が軋み、折れる。
「あああ!何と言う事を!」
妖の女が、その妖艶で美しい顔に苦悶の表情を浮かべながら言った。
行者は全身の穴という穴から血を吹き出しながら、結界を張り続けていた。
「やったか……」
行者はそう言うと、膝を折って前のめりに崩れた。
結界は消えた。
妖の女は行者を蹴とばすと、暴れる怪異に近付いた。
怪異は、狂った様に暴れ、鬼灯の萼の様な口を開いた。
すると、凄まじい怪音波を、その口から発した。
これには妖の女も、耳を両手で押さえるしかなかった。
怪異の怪音波は、牢屋を崩し、洞窟を崩した。
「こうなってしまっては、どうにも出来ぬ……」
妖の女はそう言って、朧な黒い大犬達を呼び寄せた。
そして、崩れた洞窟から、金色に光る何かを運び出させた。
怪異は怪音波を発しながら、洞窟から出て来た。
その姿はぼんやりとし、背後が透けて見える。
遂に怪異は村の中心迄進んで来た。
すると、突然地鳴りがし、村のある大きな崖が崩れ始めた。
正気を失って交わり続けていた村人達は、そのまま崩れた崖と共に、海に落ちて行く。
行者と共に来た女達は、崖が崩れる前に村を出ていた。
怪音波を発し、周辺を破壊した怪異も海に落ちて行く。
しかし、その姿は、途中で消えてしまった。




