「人惑わせの森」
森は鬱蒼としていて、真昼間だというのに薄暗い。
天高く木が育ち、枝葉が陽の光を遮っているからだ。不気味な雰囲気の中、私、ローレンス殿下、ルイスは黙々と進んだ。
途中途中、休憩を入れて森の奥に向かうが、ふと、私は違和感を覚えた。
(…………?)
改めて、辺りを見るが、やはり見当たらない。
……おかしい。
ちらりとルイスに視線を向けると、彼もそれに気がついているのだろう。眉を寄せ、険しい表情のまま、軽く頷いて答えた。
私は、前を歩くローレンス殿下に尋ねる。
「……動物がいませんね」
「魔素に中てられたんだろう。あれは、生きているもの全てに影響を与える」
「……魔素に汚染されたら、指先から腐敗が始まり、やがては理性を失い、自他問わず攻撃するようになる──。そういった症状が出るはずです。この森は、通常の魔素とは違う、と?」
「……断定はできない。俺も、この森に何が仕掛けてあるのか、あるいは、森自体になにかあるのか。推測でしか話すことが出来ない」
ローレンス殿下は、この問題を早く片付けたい、とうようなことを言っていた。
聖女に浄化を頼むのだから、この森に何が起きているのか具体的に知っているものだと思ったのだけど──どうやら、アルカーナの方も手探り状態のようだ。
もしかしたら、偵察と確認を兼ねて、ローレンス殿下はこの地を訪れたのかもしれない。
一国の、皇子という立場の彼が諜報活動など、我が国では考えられないけれど。
アルカーナは、何かと規格外だ。
皇子ひとりで他国を歩き回っていることもそうだし──何しろ、ヴィクトワールより国土が小さいのにそれに反比例した軍事力を持っている。
なぜ、アルカーナがそこまで強い軍事力を有しているのか、ヴィクトワールでは未だ判明していなかった。
「ローレンス殿下は、ここに何度か来たことが?」
迷わず歩く姿からして、恐らく過去に数回足を運んだことがあるのだろう。
そう思って尋ねると、やはり、ローレンス殿下は頷いて答えた。
「ああ。それで……聖女の力が必要だと判断した」
「何が在ったのですか?」
「……封印、あるいは、魔素の根源。どちらにしろ、俺達には手が出しようのないものだった」
封印か、魔素の根源か……。
どちらも対極的な存在である。
先程彼が言ったように、やはり正確には分かっていないのだろう。現に、ローレンス殿下は推測で語っている。
「……あなたは、なぜこの森の影響を受けないのです?」
薄々、予感しているものの私はあえて彼に尋ねた。彼と同じように、推測はできるがそれが正しいかまでは分からないし、もっというなら具体的には分かっていないからだ。
ローレンス殿下は、ちら、と後ろを歩く私を見た。
そして、答えた。
「さっき言った通り、俺はあなたと相反する力を持つからだよ」
「……明確な答えはいただけない?」
「……言えない。制約があるんだ」
先日からはぐらかしてばかりで、今回は【言えない】と来た。
私だって、こんなかんたんにアルカーナの内情を教えてもらえるとは思っていない。
『あなたにとって、まだ俺は信頼に値する人物ではないだろうしね』
まだ、も何も、この状況で彼を信じるのは無理がある話だと思う。
恐らく──アルカーナの強大な軍事力は、彼の言う【聖力とは相反する力】というものが関係しているのだろう。
それがどういうものか、までは分からないけれど。
それから、またしばらく歩いて──どれほど、時間が経過しただろうか。
「おかしいな」
そう言ったのはローレンス殿下だった。
その言葉に、私とルイスは足を止める。
「おかしい、とは?」
「発言をお許しいただけますか」
私が尋ねると、ルイスがローレンス殿下に尋ねた
それに、ローレンス殿下は頷いて答える。
「体感では既に三時間ほど歩いています。時刻は十二時ほどで、既に太陽は南中しているはず。それなのに、陽の強さは変わっていません」
その言葉に、私は顔を上げる。
変わらず、鬱蒼とした枝葉が天を覆っていて、空の様子は全く分からない。
それでも……太陽が南中しているなら、今がもっとも日差しが強いはずだと、そうルイスは言っているのだろうか。
枝葉で覆われて分からないだけで、日差しは強くなっているのでは?と思ったけど、彼がそう言うのだ。何かしらの根拠があるのだろう。
視線を向ければ、それに答えるようにルイスが答えた。
「私は、従軍時に山歩きに慣らされました。分かりにくいですが……陽の強さは森に入った時から変わっていません。……いかがですか、ローレンス殿下」
いつの間にか、懐中時計を取り出していたローレンス殿下は、ルイスに問われると短く「ああ」と頷いた。
「そうだな……。きみの言う通り、時刻は今十二時二十六分。日差しがもっとも強くなる時間帯だ。……仕掛けられたな」
ローレンス殿下は、確信を持ったように言った。