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I 消えた女子大生

「お願いです。麻里恵(まりえ)を探してください」


 その若い女は、ポツポツと語られた要領の得ない話の最後を、疲れが滲んだ声で締めくくった。S警察署生活安全課の平川篤史(ひらかわあつし)は、うーんと唸りながら書き上げたばかりの調書を眺める。


 一か月前の七月の初め頃、同じ大学に通う友人が急に連絡が取れなくなり、大学にも来なくなった。何かよくないことが起きたに違いないから、捜査して欲しいという訴えだった。しかし平川は、その友人は自分から姿を消した可能性が高いと、話しを聞きながら思っていた。


 友人にとっては地味で真面目な人間でも、実は誰も知らない裏の顔を持っていたなんてケースは世の中に幾らでも転がっている。麻里恵という女も多分そんなところだろうと。


 ただ、いなくなった時の状況が引っかかった。


 調書にはその友人が提出した写真が添えられている。行方不明になったという白石麻里恵のスナップ写真である。


 美人と言えなくもない。だが表情に乏しくちょっと寂しい顔立ちだと平川は思った。


「ご家族…ああ、親戚でしたね。その親戚の人はどうして警察に通報しないのでしょう。一か月前から行方がわからないのならとっくに警察へ届け出るはずですが」平川は最も疑問に感じている点を口にした。


「よく分かりません。大学に入る前から一人暮らしで、その親戚の人とは付き合いが無かったみたいです」友人の神野彩花という女は俯き加減でボソボソと言った。


「現場に着いた時には、その白石麻里恵という女の自宅マンションの部屋には鍵が掛かっていた。だから鍵を開けてもらうよう、管理会社に電話して事情を説明して来てもらったんだが、文句たらたらでな。勝手に開けて訴えられたら困るとか個人情報がどうのとか」


 平川は同僚の宮部祐也(みやべゆうや)に、うんざりしたという顔で言った。平川は叩き上げのベテラン刑事だ。今年で四十ニ歳になる。一回り違う後輩の宮部とはよくコンビを組んで事件に当たってきた。席も隣同士だ。二人の周囲では同僚の刑事たちが忙しそうに働いている。


「まあ、こういうご時世ですからね。それで誰と行ったんですか」

「加藤だ。それにその神野という女子大生。昨日のおまえは忙しそうだったし、まだ事件と決まった訳じゃないから」


「そう言いながら平川さん。その女の子の話を聞いてすぐに動くなんて、何か気付いたことがあったんでしょう」

「いや。何というかな。まあ、後で話す。とりあえずいなくなった女の部屋の件が先だ」

「了解です。話の腰を折ってスンマセン」


 ペコッと頭を下げた宮部に、平川は、構わないというように顔の前で鷹揚に手を振った。


「自宅マンションのポストは郵便物で一杯。私信らしき物は皆無でほとんどがダイレクトメールだった。部屋には荷物が残されていて、どこかに旅行に行ったとか長期間留守にするつもりで外出したような雰囲気ではなかった。きちんと片付けられていて争ったような形跡もない。部屋の隅には中身が空の旅行用のスーツケース。キッチンの椅子の上に女物のショルダーバッグ。その中に財布とスマートフォンが入っていた。一緒に行ってもらった神野という友人に確認したところ本人の物で間違いないそうだ」

「ほう」

「それから、キッチンのテーブルの上にはマグカップが乗っていて、その中に茶色の液体が残されていたよ」

「紅茶かな。キッチンのテーブルで紅茶を飲んでいる時に誰かに急に呼び出されてそのまま帰ってこなかったとか」

「スマホも財布も持たずにか?財布は忘れても今時の若い娘がスマホを置いて出かけるかな。現場へ一緒に行った加藤の娘も今年から大学生だそうだが、風呂に入る時もトイレに行く時も四六時中スマホを手放さないと呆れていたよ」

「俺はよく忘れます」


 宮部は刑事らしくない整った細面をニヤッと歪めた。しかしその目はジッと平川に注がれており、年上の相棒の話を一言も聞き漏らすまいという姿勢が窺える。


「刑事がケータイを忘れちゃいかんだろう」

「はい。それでよく妻に呆れられています」


 急に平川は真面目な顔になった。


「奥さん、具合どうだ?」

「ええ。風邪だと思ったんですが、ひと月以上経つのに良くならなくて。明日、休暇を取って大学病院へ連れて行きます。検査を受ける予定なんです」

「ちゃんと診てもらった方がいい。風邪は万病の元と言うのは本当だぞ。俺の知り合いなんかは・・ああ、話が逸れたな。いなくなった女の子の部屋の話だった」

「はい。お願いします」


 宮部は居住まいを正し、表情を引き締めた。


「さっき一つ言い忘れた。部屋の窓は全部施錠されて、財布が入っていたバッグの中には部屋の鍵があった。試してみたところその部屋のドアの鍵だった」

「うーん。オートロックとか」

「マンションと言ってもアパートに毛が生えたような古い賃貸だ。防犯カメラも入口に一つだけ。最近流行りの、入居者がロックを解除しないとエントランスから一歩も入れないような物件じゃない。それにオートロックでも部屋に鍵を忘れて出かけたら入れなくなる」

「それじゃあスペアキーを使った」

「あり得なくはない。だが何のために?普段使っていたと思われる熊のキャラクターのキーホルダーが付いた鍵は彼女のバッグの中にあったんだ。どうしてわざわざスペアキーを使う?」


 中空を見つめ唸る宮部。


「さあ。分かりません。そういえば行方不明になる前に、その友人に変な事を言ってたとか」

「ああ、“もうすぐ迎えが来る。あの人たちが来たら一緒に行くんだ”とか」

「一緒にって、どこへ?」

「“あの森”と言ったそうだ。訳がわからん」


 向かい合って腕を組み沈黙する二人の男。線の細い印象の宮部と、いかにも刑事らしい厳つい体格の平川は好対照だった。


「あとで調書を読んでみろ。もっと混乱するぞ」

「それで平川さんはこれは事件だと?」

「まだ分からん。でもその可能性は高いと思う。自発的にいなくなったにしては不自然な点が多い」

「俺もそう思います。これからどうしますか」

「もっと白石麻里恵の部屋を調べてみたいが、事件かどうかも分からんのに何度も勝手に家探しできないだろう。だから部屋の調査は置いといて、とりあえずマンションの管理会社へ行ってみるか」

「親戚の連絡先ですね。それと防犯カメラの映像」


 宮部の言葉に、ああそうだと顎を撫でながら、だがと平川は渋い顔をした。


「不動産屋で仮に連絡先が分かったとして、彼女がいなくなってから一ヶ月も経ってるのに何もしていないなんて、しかもその親戚というのが白石麻里恵の唯一の家族らしいのに、いったいどういう事情なんだろうな」

「まあ、当たってみれば分かるでしょう。防犯カメラに何か映っているかもしれないし。それで、いつ行きますか?」

「先に片付けたい仕事がある。おまえ、暇なら調書を読んでみろ」


 机の上の書類の束を取り上げ、平川は宮部に向けて、そら、と突き出した。受け取りながら宮部は苦笑する。


「暇なわけないでしょう。平川さんも知ってるとおり、マイナンバーカード偽造事件で超忙しいんですよ」

「知ってるよ。お疲れさん。じゃあ俺はちょっと出張ってくる」


 立ち上がった平川は、ニヤッと人の悪い笑みを向けた。


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