第二話 桜吹雪とパンツイッチョマン(前編)
ナレーター (以下、「>」と表記)>花見は、古より歌に詠まれているほど、歴史ある日本文化である。桜が咲いてから散るまでの期間は短い。それゆえ、現代においては見頃が週末に重なるとは限らず、加えて気温も変わりやすい時期なので、暑すぎたり寒すぎたりする花見になることも多い。しかし、今年は都合良く、開花の時期が「週末」と「過ごしやすい天候」と重なり、絶好の花見日和となっていた。さすがは、ゴツゴウ・ユニバース!
>枚鴨市にある戸羽公園も花見客で賑わっていた。もし、世の中に深刻な伝染病が流行していれば、こんな事はできなかっただろうが、この世界ではそんな病気が広まっていないので安心だ。
※注釈1: 戸羽公園は前回の予告でもお伝えしたとおり、架空の公園ですが、ググったところ岐阜にそれに近い公園があるのがわかりました。しかし、そこにパンツイッチョマンは出没しませんので、近隣に住む視聴者の方は探しに行っても無駄です。「いないなら私が成ろう!」という変身も変態扱いされるでしょうからお勧めしません。
>戸羽公園の中央の広場でフリスビードッグ遊びをする犬と飼い主。ソメイヨシノが連なる広場の外周では、様々な人が桜の木の下で楽しげに過ごしている。年配者が中心の家族連れがゆっくりしている側では、三人の幼い子から目を離せない若夫婦。その隣には、ネットで知り合った十名ほどの男女が微妙な距離感ながらも、コアとなる趣味の話題で異様な熱量を帯びており、その近くでは若い大学生たちがサークルの仲間と集い、キャハハと楽しそうに笑っていた。さらに、職場の同僚と思しき集団がおり、ちょっと変わった所では空いた酒樽を中心に雑多な人が密度高めに集まっていた。そこから、離れること十数メートルの距離に、一人の若い女性が座っていた。私服姿なのですぐに気付かなかった視聴者もおられるだろうが、前回幼稚園送迎バス『もこもこ』号に乗っていた保育士、銀子先生だ。
女性保育士 銀子 (以下、「お銀」と表記): はぁ~。
>銀子先生は盛大な溜息を吐く。〝こんなはずじゃなかった〟と彼女は思っていた。一週間前なら、今日は彼氏とデートしている予定だったのだ。しかし、今彼女の周りを跳ね回っているのは、平日にしか会わないはずの子供たち。そこから少し離れた場所に、そのお母さんたちが楽しげに話し合っていた。
※注釈2: 〝〟は心の声の描写を示します。しかし、〝〟が使われず、ナレーターが情景描写とまとめて心情を代弁することもよくあります。
>何日か前、銀子先生はママ友たちが花見をするという話について、「先生も一緒にどうですか?」と振られた。園児と保護者と「さようなら」する玄関口での会話だった。銀子先生は、彼氏から「ゴメン、やっぱムリ」とデートキャンセルの通知を受けたばっかりだったので、苛立っていた。だから、深く考えず、「あ、良かったら、入れていただけますか? ちょうど予定が空いたばかりで」などと言ってしまった。そこで、「私たちママ友仲間で食べ物とか敷物とか用意するから、身一つでも来てね。先生にはいつもお世話になっているお礼よ」と言われた時は、〝ラッキー!〟とすら思った。だが全ては罠だったのだ。
>「準備している間、この子たちをお願いね」に安易に応じたが最後、銀子先生は以後ずっと子供たちの面倒を見る嵌めに陥った。「保育士を連れて行き、子供の世話を押しつける」という巧妙な策略だった。
>楽しそうに話すお母さん方を見て、銀子先生も〝やっぱり育児から解放されたい時もあるよね〟とわかるのだが、それを言うなら銀子先生も〝休日くらい休ませて〟と思う。変に花見の準備から解放された立場のため、「子供の面倒くらい自分たちでして下さい」とは言いにくい。いや、負い目がなくとも、今後の付き合い方を考えると、保護者に強く出られなかった。毎月お金を落としてくれるお客様でもあるからだ。
>実は、この失敗は、『保育士あるある』だった。全国至る所で、若い保育士は似た失敗をしている。事前に先輩から「保護者の方との距離の取り方は気をつけなさいね」と注意されていても、実際痛い目を見ないとわからない。人とはそういう存在なのだ。
園児1: せんせぇ、みてみてぇ
>木陰で中腰になっている銀子先生の元に近づく幼女。この子は第一話では園児6と表現されていた女の子だ。今回、1番目にセリフを取ったので、園児1となったが、エピソード毎に数字が変わるのは視聴者の方の混乱を招くので、今後は名前である園ちゃんと表示しよう。……幼稚園児園ちゃん。今は、同じ漢字が続くのでややこしいが、すぐに、小学生になり、手が掛かって生意気になってきたなぁと思ったら、もう大人になってしまう。子供の成長は早いのだ。だから、ややこしい表示になるのは一時的なものだと我慢していただきたい。
園: ほら!
>おむすびを結ぶように重ねていた両手を開く園ちゃん。
お銀: きゃっ!
>覗き込んでから、驚いて声を上げる銀子先生。小さな手の平にいたのはショウリョウバッタ。大捕物があったせいか、バッタは仰向けに転がり、口からはオレンジの体液が漏れていた。
園: えへへ、つかまえた。
>銀子先生は困った顔で園ちゃんを見た。銀子先生は虫が苦手だった。だけど、子供たちには虫への嫌悪感はない。きっと自分も幼い頃はそうだったと気付いてからは、銀子先生の中でも虫への苦手意識は減っていた。これは先輩に言わせると慣れらしい。
先輩保育士(回想): そうよ、慣れ。私も昔は苦手だったけれど、今は虫を見ても「へぇ」で済むようになっちゃった。だからと言って、嫌いなものは嫌いなままなんだけど、慣れると我慢できるようになる、っていうか、そんなに気にしなくなる感じかなぁ。……ほら、旦那と同じよ。むしろ嫌なのに、居ても気にならない。まあ、近くに居たら鬱陶しいと思うんだけど……あ、それも虫と同じだねぇ。
>そう言ってケラケラ笑う先輩に、銀子先生は密かに、〝甘い結婚像を壊さないで欲しい〟と思った。
園: せんせ?
>回想に意識が飛んでいた銀子先生に、園ちゃんが首を傾げた。それで我に返った銀子先生は、園ちゃんの頭を撫でる。
お銀: へぇ、よく捕まえたねぇ。でも、かわいそうだから離してあげようか?
園: うん。
>園ちゃんが、手の上のバッタを無造作にポイッと捨てる。もはや死んでいるのではないかと思われたバッタは、フワリと着地した後、意識を取り戻して跳ねて離れていった。銀子先生は、他の子供たちの位置を素早く確認する。男の子一人が母親の甘えに行っているだけで、後の三人はキャッキャッと跳ね回っている。他の花見客の迷惑にならないよう、広場方面に展開させているが、少し距離が出始めている。このまま放っておくと、見失う恐れがあった。子供の動きは急に変わりうるのだ。銀子先生は、子供に呼び掛ける。
お銀: は~い、集合! 手を繋いで。どこまで繫がるかな?
>保育士テクニックだ。子供たちは「集まれ」と呼び掛けて集まるものではない。成長する過程で、こういう場合は呼び掛けた者に集まるものだと理解するようになるが、「ここに集合」と呼び掛けていないので、中には、現時点で人がたくさん集まっている場所に集まるべきだと判断する子供もいるかもしれない。こうして、早く言えば、好き勝手な解釈で集まる子供たちをまとめるのは難しい。けれども、保育士たちは経験則として、「手を繋ぐ」という明確な目標を持たせた方が、幼児をコントロールし易いのを知っていた。
お銀: は~い、そうそう。……じゃあ、てんくんは先生と手を繋ごうか。
>そうして、銀子先生と子供たちは一つの輪になる。実は、この手繋ぎを一つの輪にするのも、子供の数によっては一苦労だ。「手を繋ごう」と指示を受けた子供たちは、まず近くの子供と手を繋ぐ。中には仲良しの子や、好きな子じゃないと嫌だと相手を求めて走り回る子がいて、混乱が生じる。そのうち何人かが連なった形ができると、この小さい鎖同士が繫がる段階に移る。成長すれば、長い鎖が優先される、というルールに従って混乱はないのだが、幼い子同士ではどちらが長いかすぐに判断できなかったり、長い鎖の端を見つけるためにぐるぐる走り出したり、色々と混乱が生じる。三本の手を持つ子がいれば、そこで鎖が分岐し――あ、それはそうそう起きないですか。ともかく、長い握手の輪を作るのもそれなりに大変なのだ。しかし、ここでは鎖は短かったので、まだ保育士として若輩の銀子先生にも問題なくコントロールできた。
お銀: はぁい。じゃあ、右回り~。……次は~左回り~。はぁい、今度は小さな輪。……ばぁぁ!
>幼児たちとぐるぐる回り、互いに近づいた後は、さらに顔を近づけた。大人からすると何が面白いかわからないが、子供たちはケラケラと笑う。銀子先生も楽しそうに笑っていた。少し前まで、体よく利用されていた事に心がささくれ立っていたが、子供たちの笑顔が彼女を癒やしてくれた。銀子先生は、自分が意識する以上にこの仕事に向いていた。
大人の男: おぉ、楽しそうにお尻をプリプリ揺らして、そそられるねぇ。
>いつの間にか、紙コップを片手に持った中年男性が、銀子先生と子供たちの輪に近づいてきていた。男の発言の対象が、女児であれば困った事態だが――いや、男児が対象であっても困った事態なのだが――幸い男のねちっこい視線は銀子先生のヒップに向けられていた。もちろん、銀子先生にとっては、幸いではなかった。
お銀: ちょっと、何ですか! セクハラですよ!
>学生時代は電車で痴漢被害に遭っても泣き寝入りしていた銀子先生――いや、その当時は先生になる前だから、銀子さんですね。えーと、学生時代、痴漢被害に泣き寝入りしていた銀子さん。突然、そんな事をされたらショックで行動が停止させられたのだ。しかし、銀子さんから銀子先生へとクラスチェンジを果たした今は、護る者ができて少し強くなった! でも、相手は酔っ払い。
お銀: っん! くさっ。
>構わず近付いて来た男の吐息を受けて、銀子先生が顔を背ける。口臭としても臭かったのかもしれないが、今はそれがわからないほど酒臭かった。ゆえに、銀子先生のセクハラ注意も通じていない。酔っ払いは聞く耳など持っていないのだから。
酔っ払い: へへへ、セクハラはそっちが先だほ? エロいケツをプリプリさせやがってよう。
>上の発言に、誤字があるように感じたかもしれないが、ろれつが回っていないだけである。誤入力をした後、書き直そうとして、〝あ、酔っ払いだからいいか〟となったわけではない。……たぶん。
お銀: ちょっと、子供たちの前ですよ。変な真似は止めて下さい。
酔っ払い: へへっ。子供の前じゃなきゃいいってか? なら、あっちへ行こうぜ。オレなら準備はできてるぜ。
>既に酔っ払いの服は一部開けていた。しかし、酔っ払いの言う準備|はそれではなく――って、また銀子先生がそこ見てる! あ、カメラも釣られたらダメですよ! ……ともかく、銀子先生は自分の置かれている状況が良くない状態だと理解した。酔っ払いに捕まれた手首を振り解こうと振る。
お銀: 離してください! 私、彼氏がいるんです
酔っ払い: おっ、そそられるねぇ。彼氏とオレとどっちがいいか、試してやろうじゃない!
> まさに聞く耳持たずの酔っ払い。おまけに、力が強い。銀子先生は、しばし迷う。実は、武術の心得がある銀子先生は、酔っ払いに抵抗するのは簡単だった。しかし、過去の記憶がそれを躊躇わせる。
>中学時代、銀子先生――じゃなくて、錦子さんは、イタズラな男子に絡まれていた女子生徒を助けたことがあった。その男子生徒は「スタントマンかよっ!」と思われるほど、見事にクルリと空中一回転して投げ飛ばされた。錦子さんは、衝動的な手助けだったので、拍手喝采で讃えられるとは期待していなかったが、クラスがシーンと静まり返ったのには、〝あれ? 何か間違えちゃった?〟と思った。現に間違っているとは言えなかった。そのイタズラを周囲の人たちは〝ああ、また「好き」を拗らせちゃって〟と見ていたからだ。とはいえ、当事者の女子もそういう裏があるのは感じてはいたが、〝いい加減、しつこい!〟と怒っていたので、まあ、錦子さんの加勢が完全に間違っているわけでもなかった。ただ、やり過ぎたのだ。
>やり過ぎ感は、地元における養老家の影響力の大きさによって増大していた。もし、錦子さんが養老家の人ではなかったなら、少なくとも一部の女子からは拍手が上がっていただろう。でも、養老家の娘だったので、周囲の人たちは〝養老家を怒らせた!〟とビビったのだ。それは、錦子さんが被害女生徒に「大丈夫?」と呼び掛けたら、相手がビクッと一歩引いた事からも窺えた。これは、錦子さん、いや後の錦子先生が酔っ払いをすぐに投げ飛ばさなかった理由といえた。しかし、真の理由、すぐに暴力を振るえなくなった、いわばトラウマになった出来事は別にあった。
>中学時代、錦子さんに投げ飛ばされた男子生徒は、派手に転がったせいで勢いを削がれたのか、大した怪我は負わなかった。せいぜい擦り傷程度だ。これについては、錦子さんは最初から問題になると心配していなかった。例え男子生徒が骨折してしまっても、正しい加勢をしたと信じていた錦子さんは、お咎めがほとんどないだろう、という自信があった。男子生徒の家族や学校側が及び腰になるほど、養老家は地元で影響力が大きかったからだ。実際、大した怪我がなかったおかげで、この件は処理もなく流された。
>しかし、錦子さんの見通しは甘かった。この件に反応した人が居たのだ。それは錦子さんの父、養老家当主の養老統だった。
>錦子さんにとっての父親は、少し遠い存在だった。毎日家に帰ってくるが、いつも忙しそうにしていたからだ。幼い頃は、気にせず父の膝の上に座りに行ったはずなのだが、いつの間にか、近寄りがたい存在だと気付き、自然と距離を置くようになった。父も食事の時の他愛のない会話以外に、錦子さんに話し掛けてくる機会は稀だった。だが、男子生徒の投げ飛ばし事件は、まさかの父からの呼び出しを受けた。
>物静かで優しい父。聞かれれば、錦子さんは父の印象をそう答えただろう。だけど、その裏には、張りつめた鋭さがあった。だから、父の部屋で、事務机の向こうにいる父親の目の前に立つと、錦子さんは緊張した。事件について聞かれると、錦子さんは自分の意見をはっきりと告げた。正当な行いであると。父はいつもの穏やかな顔で頷くと、静かな声で告げた。
統: 正義の心を持つのはよしとしよう。しかし、その実行を、養老家の者自らが手を下す必要はない。私がお前に護身術を学ばせたのは、まさに自分の身を守る為なのだ。その力はその為に使いなさい。
>注意されただけだった。怒られたわけではなかった。だが、この戒めは錦子さんの心に深く楔を打った。実の娘にとっても、養老家当主の言葉はそれほど重いものだったのだ。
>と、長い回想シーンが流れてしまいましたが、これが錦子先生が酔っ払いを投げ飛ばせない理由だったのです。本来、教えられた掟から考えたら、むしろ「今がその時でしょう!」となってもおかしくなかったが、あの経験は錦子先生の心にガッチリと錠を掛けてしまい、〝いや、未だ耐えられる状態だよね〟と自分に言い聞かせてしまっていた。見方を変えると、錦子先生は自分の強さに自信があるからこそ、この程度では追い込まれたとは言えないと感じていたのだ。なんか、強いって存在のも、本人にとっては難しいようです。
>だから、錦子先生はひとまず持たれた手を引っ張り返し、足を踏ん張る抵抗を試みた。彼女が怯えていない事を示す行動として、錦子先生は目を閉じた。そちらの方が踏ん張ることに集中できるからだが、同時に、手を出さないように堪える為でもあった。体重は酔っ払いの方があったが、錦子先生は抵抗に集中することで、持ち堪えた。――と思った直後、急に引っ張る力が強くなり、銀子先生はそちらによろめいてしまう。
お銀: キャッ!
酔っ払い: のわっ!
>そのまま転びかねない状態だった銀子先生は、酔っ払いの手が離れた事で踏み止まれた。自然と瞑っていた目を開けると、そこには裸の男の横姿。
お銀: 〝えっ!? 脱ぐの早っ!〟
>と銀子先生は最初に思った。しかし、すぐに考え違いだと悟る。目の前の肉体は、先ほどの中年男性の酔っ払いとは考えられないほど逞しい〝憧れの〟体つきだったからだ。……ん? 途中で銀子先生の思考が混入しましたね……。まあ、気を取り直して、素っ裸だと思われた体は、視線を下ろすとちゃんと黒いボクサータイプのパンツを身に着けていた。…………銀子先生の視線に同期させていたら、そこから離れないですね。横からだと隆起がはっきりわかるのも釘付けの理由かもしれません。……このショットはもういいので、カメラさん、上にパンしてください。……そうそう。引き締まった腹筋に胸筋。僅かにはみ出ている脇毛。そして、サングラスを掛けた横顔。バイザータイプで、横からもその男の目は見えない。
>はい。子供たちが既に騒いでいるとおり、あの男です。しかし、ここは本人が名乗るまで少し待ちましょう。
酔っ払い: な、なんだ? てめえ。もう脱ぎやがって。順番抜かしかぁ?
>引き倒されたまま、立っている半裸の男に話し掛ける酔っ払い。なお、言葉の上では半分裸と示してはいるが、半裸の男は事実上ほぼ全裸である。酔っ払いが全裸と判断しても、ほとんど正解と言える。
半裸の男: 君は強姦未遂の容疑を掛けられているが、その自覚はあるのかね?
酔っ払い: ゴーカン? いや、あれば合意だ。
半裸の男: 彼女は嫌がっているように見えたが?
酔っ払い: おめえは女心ってのを、わかってねえなあ。だから先走って脱いじまってんだな、
>酔っ払いがヨロヨロと立ち上がる。
酔っ払い: 昔から言うだろ? 「嫌よ、嫌よも、好きのうち」ってな。
半裸の男: そうなのか?
>聞いた先は銀子先生だ。しかし、銀子先生はよそ見をしていたので、話を聞いていなかった。
お銀: え? え、あ、さっき彼氏がいるって言ったのは、言葉の綾って言うか、その断る口実っていうか……その、仲良くしている男の人はいないわけではないですけど、別に結婚を誓い合っているわけでもないですし、ですからあの……私、フリーです!
>早口でまくし立てた後、銀子先生は小さくガッツポーズを取って、半裸の男を見る。というか、もうこれはアピールだ。そこはかとなく、銀子先生からビッチ臭が漂ってくるが、これはきっとデートをキャンセルされた恨みもこもっているに違いない。うん、きっとそうだ。
半裸の男: ……言っていることがよくわからなかったが、つまり、その友達以上恋人未満的な相手が、この男なのかね?
>半裸の男が指差した先にいるのは、服が乱れた酔っ払い。倒れて起きたせいでまた露出面積が増えているが、放送に配慮しなくてはいけない範囲ではないので問題ない。なお、この酔っ払いは指差されて照れたように頭を掻いた。もちろん、この指摘は間違っているぞ。
お銀: え? そ、そんなわけないじゃないですか! この人は初めて会った人です。名前も知りません。
>半裸の男のサングラスを向けられて、酔っ払いが取り繕う。
酔っ払い: つれないこと言うなよ。さっきはあれほど嬉しそうにしていたくせに。
お銀: 何を言っているのですか? でたらめです!
>銀子先生の訴えには視線を向けず、半裸の男は酔っ払いに聞く。
半裸の男: では、彼女の名前は?
酔っ払い: え? ……えーと、なんだっけ? そ、そうだ。ミキ! ミキちゃんだったよな!?
お銀: 違います!
酔っ払い: あ、そうだったな。倒れてちょっと気が動転して……えーと、じゃあ、これならどうだ? アイ! アイちゃん? 違う? じゃ、ヒト――
>妙な名前の三連コンボが出る前に、銀子先生は自分の変わった名前に、もしかすると生まれて初めてになるかもしれない、感謝をした。親が地元で影響力があったので、名前でイジメられたことはなかったが、恥ずかしい思いをしたことなら数え切れないほどあった。しかし、この名前なら絶対に当てられない自信があった。
半裸の男: どうやら、私の見立てどおりだったようだが、他に申し立てはあるのか?
酔っ払い: え? ち、チキショー……いや、ある。あるぜ。――
>露骨に悔しがった後に、急に態度を変化させる酔っ払い。これは、少し離れて見守っている子供たちでも、胡散臭いとわかった。
酔っ払い: ――こいつを食らいな!
>油断を誘っての先制パンチ、のつもりだったのだろうが、こんな見え見えの攻撃では相手の隙は突けなかった。パンチも慣れてないからか、それとも酒のせいなのか、ヨロヨロだ。半裸の男は、容易くそれをクルリと回って躱す。そして、その勢いを利用して、平手打ちを返す。
半裸の男: イッチョマン・スラップ!
>あ、ついに本人もほとんど名乗った状態になってしまった。これでは、本人がきちんと名乗ってか名称を公開しようと思っていた案が、置いてけぼりにされた気分である。まるで時代に取り残されたガラケーを使っている人の心境だ。……いや、これは勝手な推量だったかもしれない。私のケータイはちゃんとスマホだからだ。ガラケー使いの気持ちはわからない。だが、もうここまで来れば意地でも、名乗りがあるまで「半裸の男」で押し通る!
♯ パチン……ドサッ
※注釈3 ♯は効果音の描写として使われます。
>半裸の男の平手打ちを頬に受け、うつぶせに倒れ伏す酔っ払い。気分が悪くなるほどお酒を飲んだ後は、意識がなくても吐くことがあり、その際にうつ伏せだと吐しゃ物が喉に詰まって窒息することがあるので、大酒を飲まれる視聴者の方は気を付けてください。もちろん、一番良いのはそこまで酔わないことですよ。
半裸の男: 怪我はないか?
>〝憧れの〟半裸の男――ああ、もう。また混入してきた――に声を掛けられて、有頂天になる銀子先生。
お銀: あ、はい。だ、大丈夫です。貴方様に助けていただいたので、あの、それで――
>しかし、銀子先生がうつむいてから見上げた時にはもう、半裸の男の呼びかける先は変わっていた。
半裸の男: 怪我はないか?
園児たち: 「あ、パンツイッチョマンだ!」「ありがとー」「どこから来たの」「うえぇぇぇん」
>口々に言いたいことを言って半裸の男を取り囲む幼児たち。むろん、「押し通る」と断言した以上、私は特定の情報は無視して進む。
>半裸の男に近づいた幼児たちは、ペチペチと体を叩く。もちろん、体格差から子供たちが叩けるのは下半身だ。こういう時気楽にタッチできる子供を恨めしく――じゃなくて、羨ましく見つめる銀子先生。先程も、カッコをつけて「大丈夫」と答えてしまったが、本当は、酔っぱらいに握られた場所は跡が残っているくらい痛かった。このあたり、計算高い女としてはまだまだ経験値が低い銀子先生であった。
>その時、園ちゃんが――やっぱり、この名前、語呂が……いや、全国にいるソノちゃんに悪いので、これ以上は止めておこう――ともかく、園ちゃんが半裸の男の隆起しているアソコに興味を示した。他の子がしているように、園ちゃんもアソコに小さな手をストライク――しようとしたその時、稲妻のように素早く伸びた手が園ちゃんの手首を握って止める!
お銀: そこは大人しか触っちゃいけません!
>ものすごい剣幕だった。その必死さは子供を怯えさせて泣かせるのに十分だったが、鋭すぎてそうならなかった。園ちゃんの心に説得力を持って深く刺さったのだ。
園ちゃん: 〝おとなになったら……いいんだ〟
>園ちゃんがそのチャレンジに初めて挑むのはそれから十一年後。高校の先輩と……あ、こっちの話はいいですか。すみません。
半裸の男: 花見に酔客が現れるのは良くある事とはいえ、今回のこれは、些か異常と言えるな。
>両手首の外側を腰に当てた、例のフロントラットスプレッドに似たポーズで周囲を見回す半裸の男。そこではいつの間にか、確かに例年とは違った異変が起きていた。一言で表現するなら騒がしすぎるのだ。大学生の浮かれっぷりは度を過ぎており、至る所で怒鳴り合いが生じていた。幼児たちの母親も、高笑いをしてママ友を叩いている人や、別のママ友に泣きついている人。ひどいことに、髪の毛を掴んで喧嘩を始めているママも居た。近くでは、取り残された男の子が騒動に怯えて泣いていた。
お銀: あら、大変!
>「憧れの」と度々割り込んできて腑抜けていた銀子先生の表情が引き締まる。
半裸の男: ひとまず、君は、あの少年を保護して、安全な場所に避難しなさい。
お銀: で、でも、ケンカを止めないと……。
半裸の男: うむ。だが、おそらく簡単には収まらない。この元凶を取り除かない事には。
>酔っぱらいのケンカは急速に広がりつつあった。たしなめようとする声には耳を貸さず、一方的に殴る蹴るの暴行を働く。それに刃向かう人がいれば、周囲の酔っぱらいが集まって袋叩きにする。それは、奇妙な連携だった。
半裸の男: あちらにはまだ混乱は広がっていないが……時間の問題か。
>半裸の男が西の方を向いて言った。あ、西と言われてもわかりませんか。では、左の方を向いて言った。そちらにいる花見客は、騒動が広がっていくのを見て、不安げな顔をしていたが、ほとんどが避難する素振りを見せない。花見に来ていた気持ちを切り替えるのが難しいのだ。何人かはケータイで警察に通報し、立ち上がって助けを呼びに行く人もいた。ここ戸羽公園の花見は規模が大きいので、毎年必ず酔っぱらい同士のケンカが発生し、それに対応するため近くに警察官が配置されていたのだ。……あれ? このままじゃ、警察が騒動を収めてしまうぞ。どうする!? パンツイッチョ……じゃなくて、半裸の男!
半裸の男: 暴れているのは一部の酔っぱらい。しかし、酒を飲んだ者全てが汚染|されているわけではなさそうだな。
>半裸の男の観察眼に、納得し、トキメキながら、銀子先生は、ある事に気付いた。
お銀: あ! もしかして、樽酒。
半裸の男: ん? どういう事だ。
お銀: あっちの方で、無料の樽酒を配っていたんです。暴れているお母さん方はその樽酒を口にされていました。
半裸の男: なるほど。ならば、試してみるか。
>スタスタと銀子先生の指示した方向へ歩き出す半裸の男。確かに、そちらへ近づくほど、混乱の度合いも大きくなり、暴れる酔っぱらいの密度も高くなる。しかし、半裸の男は素面の連中にからんでいる酔っぱらいたちからはほとんど無視されて進める。これは、もうこんな格好をしているから出来上がっているヤツに違いない、という酔っぱらいたちの思い込みから仲間とみなされているからなのかもしれない。
お銀: は! 今のうちに。
>逞しい体が遠ざかっていくのを寂しそうに見送っていた銀子先生は、子供たちを守らなくてはいけない事態であることを思い出し、気を引き締める。まずは、混乱状態にあるお母さん現場から、取り残された幼児を救出しなくてはいけない。お酒を飲んでおらず、正気を保っていると思われるお母さんたちも助けないといけない、と銀子先生は思ったが、絡まれている様子が大変そうだったので、口を出すと巻き込まれる恐れが大きいと考え直す。
お銀: 〝大人だから、もう一人で対処できるよね〟
>銀子先生はそう自分に言い聞かせると、お母さんたちをそっとしておく事に決めた。この判断の背景には、自分を無料の子供の世話係として利用しようとした策略への仕返しが込められているに違いない。因果応報、恐るべし!
>一方、樽酒を振る舞われている現場に近くまで来た半裸の男。しかし、それ以上は気取られずに近づくのは難しい。集まった人が、紙コップや升を手に、今なお樽酒を飲み続けていたからだ。それ以上近づくには、この人の群れに割って入るしかなく、そうすればいざ問題が起きた時に完全に包囲された状態に陥ってしまう。
半裸の男: この混乱を引き起こしたものはどいつだ?
>樽酒から離れること十メートルほどの距離で、半裸の男が呼ばわった。途端に、周囲の酔っぱらいが、ギラリと異様に光る眼を半裸の男へ向ける。それぞれが何やら不満のような言葉を漏らしていたが、不明瞭なうえにバラバラな内容なので、まるで巣に集まる蜂の羽音のように唸る音にしか聞こえない。そんな中、しわがれているがしっかりと聞こえる男の声が返ってくる。
男の声: 貴様、そんな恰好をしていて、素面だな?
>これに、酔っぱらいたちの唸り声に怒りの叫びが混じる。外敵が近寄って来た時に、ミツバチの羽音はブンブンと調子を変え、警告する。この酔っぱらいの変化はそれに似ていた。
半裸の男: 花見は日本の文化。それを乱す所業は、文明社会にヒビを入れる行為だ。君たちの野蛮な行動のせいで、来年以降、この公園での花見は禁止されるのかもしれないのだぞ。
男の声: うるさい。酒を飲めず、うっぷんを晴らせない花見など花見ではない!
>「そうだ」と呟き、揺れる酔っぱらいたち。しかし、その人の壁に阻まれて、答えてくる男の姿は見えない。
半裸の男: 月下独酌。詩仙李白は、一人で飲む酒を楽しんだという。しかし、君は大勢のお仲間に囲まれていないと不安のようだな。話をするなら姿を見せろ。
>この挑発に、酔っぱらいたちはざわめく。動揺なのだろうか。この騒動を作り出した何者かは、酔っぱらいたちを強固な支配下には置いていないらしい。
男の声: ……貴様、何者だ?
半裸の男: 私は、文明の見守り隊――
>ああ、やっと来た。半裸の男は人差し指を立てた右手を、酔っぱらいたちへ突き出す。
半裸の男: パァ~~~ンツ――
>突き出された人差し指が頭上へと突き上げられる。
半裸の男: イッチョマン!
>言いながら、半裸の男の右手は下がりながら左、右と振られ、最後は腰の高さで手刀の形で払われる。それと同時に、人差し指を立てた左手が前に伸び、腰が少し落とされる。
♯ バン! バン! バン!
>左、右、正面と三連続のズームイン。強調されたのは、今回もバイザーで半分隠された顔であり、下半身ではないので、PTAも安心だ。
♪ チャラッチャチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデケドン)チャラッチャチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデケドン)
♪ チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャラッチャッチャララー、チャッチャー(デンドンデンドンデンドンデンドン)
♪ 「パンツをはいたら」(パンパパン)「戦闘準備完了」(パンパパン)
《中略》
♪「パァアンツー」チャッチャー「イッチョマーン」
※注釈4 ♪は音楽の描写として使われます。
>安堵のあまり、先に水を飲んでしまい、曲をすっ飛ばすのが少し遅れてしまった。しかし、それでもテーマ曲が流れている間、物語世界は動いていないから、心配無用だ。
男の声: パンツイッチョマンだと? そんな姿でヒーローのつもりか。……一人で粋がったところで、チームの力には敵いはしない。取り囲め!
>男の号令に、パンツイッチョマンの近くにいる酔っぱらいたちがゆるゆると広がる。それだけではない。それまでパンツイッチョマンが通り過ぎた方向からも、思い思いに暴れまわっていた酔っぱらいが戻ってきていた。中には、あの銀子先生たちを上手く利用しようとしていたお母さんたちも混じっていた。
男の声: 人は理性が働いている間は自然と自分の力をセーブしているという。しかし、酒の力を借りた俺たちは、そのブレーキは弱まっており、常人を上回る力を出せる。その気になれば、貴様はたちまちバラバラに引き裂かれる。そうなりたくなければ、貴様も俺たちと同じように酒を飲め。
>その声に従うように、近くにいた若い酔っぱらいが、中身の入った紙コップを持ってヨロヨロとパンツイッチョマンに近寄る。しかし、パンツイッチョマンは決めたポーズのまま、伸ばした手の人差し指を左右に振る。
パンツイッチョマン (以下、「P1」と表記): 酒は文明の早期より人類と共にあった。ゆえに、私は酒そのものは否定しない。しかし、過ぎたる酒は毒になる。そして、君の提供する酒は既に毒が入っているようだな。
男の声: 交渉は決裂か。仕方ない。では、あの世で鬼にお酌をしてもらうがよい。
>パンツイッチョマンを取り囲む酔っぱらいの数は二十以上。これは、テレビ番組の特撮物の戦闘員が一度に出てくる数をはるかに超えていた。一回の番組で倒される戦闘員の数としては二十くらいはいるのかもしれない。しかし、それはたいてい五名ほどの単位を繰り返して映されている。と、表現すると、まるで倒したはずの戦闘員が別カットで蘇ってまた倒されているように感じるかもしれないが、別にそんな夢のない話は言ってはいない。ただ、予算として人件費は高くなるのだという事は知ってもらいたい。
>と、話を逸らしたところで、パンツイッチョマンの危機的状況は変わらない。張り詰める空気。その時、一陣の風が吹き、桜の花びらが、戦場となりうる広場を舞う。危うし、パンツイッチョマン。
男の声: かかれ!
>と、画面が暗転。画面の上半分に一つずつ浮かんでいく「PANTS」の文字。それに応じて、流れる音声。
電子音声: パ・ン・ツ
P1: イッチョマーン
#シャキーーン
>パンツイッチョマンの声と効果音と共に、画面下半分に横からカットインしてくる「ICCHOMAN」の文字。
>えーと、アイキャッチという画面ですね。Aパート終了。続きのBパートはコマーシャルの後だ。