第九話 ブレイクスルー(2)
ナレーター(以下、「>」と表す。): 今回のお話は、何ヶ月も遡った過去が舞台です。パンツイッチョマンが活躍するよりも先に起きていた出来事、ということです。もしかすると、あの動物園事件が起きるよりさらに前、パンツイッチョマンの誕生の秘密、が語られるかもしれませんね!
>さてさて、舞台は空港。到着後、乗客の大きな荷物を運んでくるベルトコンベアのシーンです。ズームされるのは一人の中年男性。……東洋系ですが、どうやら外国人のようです。早速、同調して、基本情報を取得してみましょう。
>男性の名前は、リチャード・ラップ。中国系の血を引くアメリカ人です。姓が中国語ではないので、純粋な華僑とは違うようですね。ですが、お仕事はいわゆる商人のようです。……うーん、かなり大きな秘密を抱えているようですね。基本情報領域にマスク化した情報がかなり目立ちます。深層領域なら、そもそもこちらで捕捉できませんが、基本情報領域なら、大抵の場合、こちらでアクセス可能です。やってみましょう。……うん、やっぱり、このように、自分のアイデンティティの大部分を占めながら、世間に対して秘匿しなくてはならない情報を抱えている人は大抵この部類になります。このリチャードさん、一言で説明すると犯罪者です。自己認識としては、密輸業者だそうです。なるほど、だから、彼は空港が好きなようです。防犯の現場を確認できて、あれやこれやと想像できるからですね。……しかし、彼は実行犯ではありません。裏方、というよりむしろ黒幕の方ですね。実際に密輸をするのは、使い捨てられる下っ端のようです。
>日本は島国で、地続きの国に比べれば、輸出入の管理はし易いはずなのですが、実際上密輸ゼロにはできないのですね、やっぱり。確かにドラッグ系の話は良く聞きます。たまに大量摘発のニュースが流れますが、少量であればバレにくいし、数も多いので網から漏れるのが出てくるのは仕方ないところです。――と言っても、視聴者の皆さんがトライするのは止めましょう! ついでに、はっきり言いますと、本人は「法的に問題ない」と言い張っていますが、町中をパンツだけで歩き回るのも大問題ですからね。真似しないように!
女性: こんにちは。
>後ろから声を掛けられて、リチャードさんが振り返る。そこに立っていたのは一人の美女。しかし、リチャードさんに見覚えがないようです。周りを見回して別の人に声を掛けたのかと確認しますが、その女性はリチャードさんを見たままです。自分が声を掛けられたとわかると、リチャードさんは英語で返事をします。でも、安心してください。音声多重(略)脳内活劇は同時通訳機能も標準装備です。
リチャード: 申し訳ないが、日本語は得意ではなくて。
>これは嘘だった。少なくとも彼は、商談ができるほど日本語ができた。もっとも、日本語は使えても、商談で基本的に使用するのは英語だ。リチャードさんの日本語理解力は、商談相手の日本人が日本語だと理解されないと勝手に思って本音を漏らすのを聞き取るのに利用されていた。そういう意味では、日本語がわからない態度というのは一貫されていた。
女性: あら、すみません。外国の方でしたか。
>ゆっくりして訛りもあったが、女性が英語で話し続ける。まだ絡み続けてくるつもりだと理解したリチャードさんは、笑顔を浮かべながらも、内心は疑いつつ、確認をする。
リチャード: 私に何か御用ですか? ミス……
>これは、相手の名前を聞き出す策だった。しかし女性はスーツケースを引く手を持ち替えると、左手の指を揃えて立てる。その薬指には銀色に光るリングがあった。
女性: ミスではなく、ミセスです。
>欧米では日本人は若く見られがちだ。だから、リチャードさんは二十代の未婚女性と思ったのかもしれない。あくまで確率の話だが、年齢が高くなるに従って、既婚率は高くなる。しかし日本人の感覚では、この女性は三十代という推測が多数派になるだろう。結婚で言うと、微妙な年代だ。未婚か既婚かを当てる確率は高くないし、正解しても相手を苛立たせる可能性すらある。そう考えると、世の中で議論になっているとおり、未婚か既婚かで呼称が変わるシステムはややこしい。そういう文化だと、相手の出方を窺って、それこそ結婚指輪の有無を確認して呼び掛ける手順が当然となっているのだが、リチャードさんは今回気にしなかった。この場限りの出会いと考えていたからだ。
リチャード: これは失礼をしました。ミセス……
>女性は掲げていた左手で口元を押さえるとクスクスと笑った。
女性: 名前、必要ですか?
リチャード: ええ。会話をお望みなら、呼び名が必要ですから。私の名はリチャードです。
>リチャードさんがあっさり告げたのには理由があった。自分が狙って声を掛けられたのであれば、隠しても無駄だという判断だ。もし、自分が狙われていなくて、相手が無害なら、名を知られても困らない。……と、ここまでがリチャードさんの表層の思考ですが、深層にはまだ関連情報が埋まっているかもしれません。最も臭いのが、リチャードは本名ではない通り名だ、という可能性です。
女性: それでしたら、ダレカとお呼びください。
>リチャードさんはしばらく黙った。イントネーションを変えて名前らしく発音していたが、「ダレカ」が「誰か」を示しているのはわかっていた。彼が考えていたのは、彼女がそう名乗った意図だった。本名を知られたくないのは、先の言葉から明らかだった。ふざけているのも間違いない。偽名を使うなら、それらしい名前はいくらでもある。リチャードさんが推し量っているのは、悪意だった。害意と言い替えても良いかもしれない。リチャードさんは周囲を見回し、防犯カメラや警備員の配置を確かめる。……ここがセキュリティの死角ではなく、急に仕掛けてくる心配はないだろう、と判断したようです。ようやく女性に向き直り、答えます。
リチャード: どうやら、偶然ではなく、私が何者かわかった上で、コンタクトを取りに来ているようですね。
女性: 一部正解です。間違っているのは、これは偶然の出会いですし、私はあなたが何者か知りません。ただ、あなたが普通の人ではない事はわかりました。
リチャード: 普通、ですか? ……普通とはどういう事なのでしょう。
女性: 難しい質問ですね。……少なくとも、あなたは……日常を破壊する人ではないですか?
>お、リチャードさんの不快指数が急上昇しました。普通の人は、面と向かって反社会的だと決めつけられたら、不快に感じるのは当然です。でも、事実であっても不快に感じるものなのですね。……あ、そうか。バレてるという焦りが出るせいかな。
>ようやく流れてきた自分のスーツケースを見つけると、そちらへ歩き出すリチャードさん。そのスーツケースに別の男性が手を伸ばしそうになり、リチャードさんはその人を押しのけて、スーツケースを掴みます。……その男の人は別に盗むつもりだったとかではなく、単に間違えただけのようです。驚き、無作法へ怒りを顔に出しますが、負い目もあるので抗議せず下がります。リチャードさんは、公衆の面前では目立たないことを心掛けているはずなのに、騒ぎを起こしかけるあたり、かなり苛立っているようです。話し掛けてきた女性に顔を向けず、スーツケースを引いて立ち去ろうとします。が、数歩進んだところで立ち止まる。女性も付いて来たからだ。彼女は既に自分の荷物を回収していた後だったので、いつでも移動できる状態だったのです。
リチャード: レディ。私に未だ用がありますか? 貴女の目的は何です?
女性: 目的……
>問われて初めて認識したようで、女性は自分に語りかけるように呟く。リチャードさんは、それを機に足を止めた女性を置き去りにするつもりだったが、相手の目を見て自分も足を止める。
>リチャードさんにとって、目を見て相手の考えを推し量る技術は重要だった。危険な業界なので、ある程度相手の考えが読めないと裏切られて捕まったり殺されたりしかねないからだ。リチャードさんが仕事で会う人たちの目には、主に二つの要素が認められた。一つは空虚さ。危険極まりない世界だけに、考えなしに飛び込んでくる者がいる。そういった連中は使う側には便利なので、居場所がある。「成り上がってやる」と粋がっている者の一部の目にも、この空虚さは見えた。本人は目的意識があるつもりだが、根が生えていない薄っぺらいものだからだ。もう一つの特徴が、狂気だった。これも、そういう要素がなければ、危険な世界には飛び込んでこない。
>リチャードさんが気を取られたのは、話し掛けてくる女性の目にも、空虚さと狂気は見えた。だが、良く見る者たちとは違う輝きだった。束の間考えて、荒々しさがないと気付く。その差について興味を覚えたが、リチャードさんは首を左右に振って、余計な考えを追い出す。興味があるからといって立ち止まっていたなら、彼は今この場にいない。おそらく、途中で脱落させられていただろう。こちらの目的とは関係ない安全ではないものからは、身を遠ざけるべきなのだ。
女性: もしかしたら、復讐かもしれません。
>そう言われて、リチャードさんは、やはりこの女性は自分の素性を知って近づいてきたのだろう、と警戒を強める。リチャードさんの商品は、武器だったからだ。
リチャード: それならば、それに対応してくれる専門家に相談しなさい。
>リチャードさんが暗に示した相手は殺し屋だ。具体的に、請け負ってくれそうな人の顔まで浮かんでいたが、紹介するつもりはもちろんない。
女性: でも、相手は社会なんです。
>そういう女性の目には、ぽっかりと黒い穴が空いていた。もちろん、物理的な変化ではなく、心理的変化の反映だ。リチャードさんは過去にこのような目を見た記憶があった。確か、見たのは前線に居た頃だった。その前線からは、離れて過ごすようになって久しい。すぐに、どういう者の目つきだったか、思い出せない。
女性: 隙だらけ、穴だらけの社会を、私は変えたい。
>リチャードさんはドキリとした。その社会の穴を突いて生息しているのが自分たちのような者だからだ。早く立ち去ろうと思いながらも、リチャードさんはなかなか立ち去れないでいた。女性に、引きつけられていた。それを断ち切るのは、話を進めなくてはいけない、と直感的に理解し、ついに返事をする。
リチャード: 貴女の話だと、私はそれとは真逆の存在です。だから、排除したいのですか?
>女性がニコリと笑った。リチャードさんの感じていた穴も見えなくなる。
女性: いえ、逆です。市民の信じている社会の脆さを指摘してもらいたいと思っています。
>リチャードさんは黙り込む。彼女の発言は想定外のものだったからだ。FBIの息が掛かった者かと警戒していたが、違う気がした。……違う……異質な存在。それがリチャードさんの感じている手触りで、彼を困惑させていた。
女性: 私は、他人を励ますのが得意でして、相手が自然に抑えてしまっている心の障壁にひびを入れることができるんです。
>女性は、日本語で語りかけていた。リチャードさんは、いつの間にか自分が日本語を理解すると悟られた、と気付いたが、不思議と焦りはなかった。妖しい光を放ちだした女性の目に釘付けになる。
女性: ひび……ううん。むしろ、穴です。小さな穴。だけど、自分の心が壁に覆われていると気付いていなかった者にとっては、自由の風が吹き込む大きな穴になるでしょう。そのちっぽけなきっかけが、その人にとって大きな行動の変化を生じさせるかもしれない。
>女性は瞬きをすると、被っていた大きな黒いつばの広い帽子を目深になるよう角度を変える。それで、リチャードさんもふと我に返った。
女性: だけど、貴方の心を取り巻く壁には既に幾つか穴が開いているようですね。だから、私は大して力になれません。ただ、貴方が思っている以上に可能性はあるのではないですか、と提案できるだけです。
リチャード: 可能性? ……どういう可能性なのだ?
>リチャードさんの返事は変わらず英語だった。だからこそ、彼は自分で日本語を理解するという真実をこれで示したことになる。
女性: さあ。それはご自身の心にお聞きするのが正しいでしょう。
>そして、女性は帽子のつばの先を軽く触って会釈をすると、スーツケースを引いて、立ち去っていく。それを半ば呆然として見送るリチャードさん。頭の中では、〝何だったんだ?〟という不可解さが渦巻き、理性が〝あぶない奴の話になど耳を傾ける必要はない〟と主張していた。だから、リチャードさんは頭を軽く振ると、目的地への移動を再開した。しかし、頭の中ではずっと女性の言葉が響き続ける。その共鳴が途絶えたのは、ホテルでディナーを摂っている最中、ある考えが閃いた時だ。
リチャード: そうか。市場を開拓すれば良かったのか。
>ニヤリと笑い、ワインを飲むリチャードさん。リチャードさんは、武器の密輸業者です。現代で武器といえば銃器。それらは日本社会で普通に流通していません。ゆえに、小規模な商いしかできず、だからこそ大きな組織に属していないリチャードさんでも生き延びられる土壌となりえました。しかし、経験を積み、方々にネットワークを張り巡らせた今、ステップアップできる状態は整えられていたのかもしれない。そう、リチャードさんは思いついたのです。きっかけはやはり、「可能性に目を向けろ」と言った謎の女性のアドバイスでした。それは、あるいはリチャードさんにとっては預言だったのかもしれません。
>武器密輸業者による市場開拓って、悪い予感しかしませんね。あと、もうお気づきの方は多いでしょうが、このリチャードさんに話しかけた謎の女性は、後にパンツイッチョマンへ『穴穿き』と名乗った女性でした。もしかすると、今回のシーンが彼女にとって、初めて異能が発現した瞬間だったのかもしれません。洗脳までには至っていませんが、まさに、発想の壁に穴をあける影響を与えていましたね。
>しかーし、こんなきな臭い話では、『文明の〇〇 パンツイッチョマン』らしくないです。もっとこう、パンツがないと、ですね! パンツイッチョマンはさしずめ「文明における一服の清涼剤」なんですよ。ちょっと、ダメもとでアクセス先にキーワードを投げかけてみましょう。パンツやーい! …………って、ぶおっ! 画面いっぱいに黒パンツ! ちょっと寄りすぎです。カメラさん離れてください。
>黒パンツの男が、海に出ているボートに乗り込むところでした。うーん。黒パンツだけど、これはいわゆる海水パンツですね。背中もちっともパンツイッチョマンではありませんでした。あの人は筋肉がもりっと目立ちますが、この人は脂肪が……って、でも肉づきは脂肪だけではないですね。その下に筋肉が隠されているようです。この体型は、相撲取りで見かけます。……って、今、皆様が思い浮かべたのは、ちょっと丸すぎる相撲取りです。筋肉質な相撲取りがぴったりでしょう。
>このボートには、釣り糸を垂れている男がもう一人。一見、海に遊びに出ている二人ですが、先程海から上がった人はロープを持っています。それを船に固定して、うーん、引き揚げないんですね。三本のロープが吊り下げられて、海の中へと消えています。……ちょっと、調べてみましょう。……あっと、ロープの先には袋が繋がっていて、そこに武器が収められているようです。リチャードさんのシーンから検索を掛けたので、後に彼が手配した密輸入のシーンがひっかかったようです。完全に荷物を引き上げないあたり、恐ろしいですね。もし、当局の目に入りそうになったら、ロープを切るだけで証拠を隠すことができます。引き上げた荷物を投げ入れると波しぶきが立つので結構目立つそうですよ。
>ここで画面は暗転。画面の上半分に一つずつ浮かんでいく「PANTS」の文字。それに応じて、流れる音声。もう、そんな時間ですか。
電子音声: パ・ン・ツ
謎の女性: イッチョマン
#シャキーーン
>謎の女性って書いているけれど、絶対、穴穿きさんですね。次回は、パンツイッチョマン出てくれるのでしょうか? 彼が出てこないとまるで真面目な話みたいになっちゃいますね。では、また来週!




