第一話 その名は『パンツイッチョマン』
お風呂に入る前はぐずっていたのに、いざ入るとテンションが上がって、出た後もしばらく裸で暴れまわる幼児に悩まされている保護者の方々に朗報! パンツイッチョマンを視聴することで、お子さんもすぐにパンツをはいてくれるようになるかもしれません。はいてくれた後、服を着ようとしない副作用はあるかもしれません――な作品です。
ナレーター (以下、「>」と表記)>命が芽吹く季節、春。この時期は、ある種の人が増えることでも有名である。
※注釈1: 統計に基づいた情報ではありません。
>東京郊外を走る幼稚園バス『もこもこ』号にも、その手の男が出現していた。
暴漢: ちゃんと運転せえ!
>スーツ姿の若い男がバスの前部に立ち、運転手へ怒鳴っていた。右手には刃物、左腕には震える少年の手首を握っている。
女性保育士: ちょっと、あなた! いこいくんを放しなさい。
>バスの後部には、若い女性保育士とその周りに集まる六名の幼稚園児たちがいた。
園児1: ギンコせんせい、こわいよぉ
園児2: いこいくん!
園児3: うわぁ~~ん
園児4: おかあさぁ~ん
園児5: はやく、かえりたいよぉ
園児6: ………。
>泣き喚き、いきり立ち、しょぼくれる園児たち。ちょっと収拾がつかないので、ここへマイクを向けるのは控えよう。
運転手: 行き先は? どこへ行くの?
>白髪の運転手に怯えた様子はない。むしろ、苛立っている感じだ。
暴漢: 大阪や! そう、大阪への直行便やぁ! ハハハ!
>刃物の男はそう言うと、楽しそうに笑った。それに運転手が眉を顰める。
運転手: 行けってんなら行くけどよぉ。ガソリンが足りねえんだ。兄さん、ガソリン代あんの?
>この運転手は、以前長距離トラックで運送稼業をしていた方だった。数え切れないほど通った東京大阪間は、勝手知ったる道。その自信に溢れた江戸弁に、刃物の男が恐縮する。
暴漢: あ、はい。たぶん、持っていると思います。
>刃物を持った手で、スーツの上から胸の内ポケットを探る刃物の男。そこに、女性保育士が抗議する。
女性保育士 銀子 (以下、「お銀」と表記):そんな! 私はともかく、子供たちは親御さんの元へ返して下さい!
暴漢: やかましい!
>江戸っ子に気圧されていた関西弁の男は、銀子先生のおかげで勢いを取り戻した。こんな話し方なので、つい中年のおじさんだと思われがちかもしれないが若い男だ、と重ねてお伝えしておく。どうやら関西弁は、中年あるいは壮年のおじさん感が強い言語のようだ。
暴漢: そうや、このまま、ガキどもと一緒に、大阪観光いうのも良いなぁ。
>泣き喚く子供たち。何を訴えているか詳細は省略だ。そんな中、銀子先生は心の中で一つの希望にすがっていた。
お銀: 〝百秋ちゃんのお母さんが、きっと警察に通報してくれているはず……〟
※注釈2 〝〟は心の声の描写として使われます。
>ここで、少し時間を遡ろう。
>白昼堂々、刃物を持って幼稚園児の送迎バスを乗っ取ったした不遜な輩は、どうやってこのバスに乗りこんできたのか?
>幼稚園児の一人である百秋ちゃんが降りて、出迎えていた母親と手を繋いだ時、カメラの外から現れて、押しのけるようにしてバスに乗りこんだのであった。
>銀子先生の願ったとおり、現場を目撃した百秋ちゃんのお母さんは〝これは大変だ!〟と、百秋ちゃんの手を引き家路を急いだ。脳裏に焼き付けられたギラリと光る白刃。
百秋ちゃんのお母さん: 〝あれは出刃包丁かしら?〟
>そう考えた百秋ちゃんのお母さんは台所連想で、〝そういえば、お鍋の火を掛けっぱなしだったかしら!?〟と慌てた。送迎バスの事情も大変だが、旦那様がローンを組んで買ったばかりの家が燃えてしまう方がもっと大変だ! 慌てて駆け戻る百秋ちゃんのお母さん。ほどなく見えた家からは、炎も煙も上っていない。
百秋ちゃんのお母さん: 〝良かったぁ。間に合った~〟
>それでも、履き物を脱ぎ散らかすほど急いで――
百秋: ママ~! おくつをぬぎっぱなしじゃ……
>娘からのお叱りを聞き流し、百秋ちゃんのお母さんはガスコンロの火を消そうとして、そもそも火なんか点けていなかったのに気付いた。
百秋ちゃんのお母さん: 〝もう。私ったら慌てんぼ〟
>百秋ちゃんのお母さんは、右手の拳を自分の頭に当て小さく舌を出した。かつて、旦那様となる前のカレをノックアウトしたテヘペロだ。
>その後、百秋ちゃんのお母さんは何か重要な事が他にあった気がした。お鍋の火を掛けっぱなしだ、と慌てたため、その何かが抜け落ちてしまっていた。しかし、百秋ちゃんのお母さんはそれが何なのか思い出す努力をしなかった。もう視聴者の方もお気付きのとおり、天然ボケが激しい百秋ちゃんのお母さんにとって、重要な事があったけれど思い出せない経験は日常茶飯事だったのだ。だから、敢えて踏み止まらなかった。
百秋: ママぁ~~!
百秋ちゃんのお母さん: はいはい、ごめんなさいねぇ。今行きますよ~。
>こうして、城崎家の午後は平和に過ぎて行くのだった。
お銀: 〝百秋ちゃんのお母さん、お願いします〟
>長い脱線から戻って来やすいよう、祈り続けてくれている銀子先生。しかし、その願いが聞き届けらないのは視聴者の皆様もご存知のとおりだ。
運転手: ん!?
>運転手が、声を出しながら上の方を見た。その直後――
♯ ドサッ
※注釈3 ♯は効果音の描写として使われます。
>バスの屋根に何かが落ちた音がした。バスの中にいた者が頭上を見上げるが、音を立てた対象は屋根の上なので当然見えない。
暴漢: おい、何があった!? 何か見たんだろ?
>刃物の男が運転手に聞くと、運転手はルームミラーを見ながら首を傾げる。
運転手: いや。……チラリとだけだったが、歩道橋の上に、ハダ――
>運転手が話している間に、バスの窓からにゅっと素足が伸びるように入ってきていた。アニメや実写であれば、手間を省くためや「見苦しい」という批判を避けるため処理されているのだろうが、音声多重総天然色3D脳内構築活劇である本作はそのような忖度などない! 素足の臑毛はONだ。もちろん、音声多重総天然色3D脳内構築活劇であるゆえに、視聴者の方々による臑毛OFFカスタマイズもO.K.だ。
>多くの人が利用するバスは、通常、人が落ちないよう窓が広く開かないように作られている。しかし、この送迎バスはそうした配慮がなされる前の古い型の路線バスを改造し、外見が獣っぽい――獣の種類や細かい描写をすると問題になる可能性があるので省きます――構造および塗装をしていた。そのため、この獣バスは窓の上部からは大人が入れる余地があったのだ。もちろん下部は、幼稚園児転落事故を防ぐためにきちんとロックされている。
>伸びてきた素足は、人質現場の前部と避難者の後部の中間に侵入しており、刃物の男からは背後で見えてなかった。だが、騒ぎ立てる幼稚園児たちの声に、刃物の男は振り返りすぐに異変に気付いた。しかし、刃物の男が現実を目にし衝撃から言葉が出ないうちに、侵入者はバスの中に降り立ってしまう。
侵入してきたのは半裸の男。いや、言葉としては半裸で間違っていないのだが、表現としてはほとんど全裸の男とした方が正しい。筋肉質なその侵入者は、黒いボクサースタイルのパンツをはき、バイザータイプのサングラスを掛けていた。短い黒髪で、毛深いほどではなかったが、体毛はほどほどにあった。具体的には脇毛もONだ。もちろん、音声多重総天然色3D脳内構築活劇であるゆえに(以下、略)。
暴漢: お、おまっ、な、何者だ!?
>刃物の男は驚くというより怯えていた。しかし、これを以て彼を臆病と断じるのは些か一方的である。誰しも、こんな風貌の男がいきなりソーシャルディスタンスぎりぎりに現れれば恐怖を感じるはずだ。
半裸の男: 私は文明の守護者――
>半裸の男は、人差し指を立てた右手を、刃物の男に突き出す。
半裸の男: パァ~~~ンツ――
>突き出された人差し指が頭上へと突き上げられる。
半裸の男: イッチョマン!
>言いながら、半裸の男の右手は下がりながら左右と振られ、最後は腰の高さで手刀の形で払われる。それと同時に人差し指を立てた左手が前に伸び、腰が少し落とされる。
♯ バン! バン! バン!
>左、右、正面と三連続のズームイン。強調されたのは、バイザーで半分隠された顔であり下半身ではないので、PTAも安心だ。解説前に、違ったカットを脳内再生されていた視聴者の方々がおられるかもしれないが、音声多重総天然色3D脳内構築活劇を堪能しているので、それはそれで大ありだ。
♪ チャラッチャラッチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデテドン)チャラッチャラッチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデテドン)
《中略》
♪「パァアンツー」チャッチャー「イッチョマーン」
※注釈4 ♪は音楽の描写として使われます。
>テーマ曲が流れている間、物語世界は動いていないから心配無用だ。
>ヤンヤと喜ぶ幼稚園児たち。足が入ってきていたあたりで、既に一部の幼稚園児が「あ! パンツイッチョマンだ!」とフライングしていたことからわかるとおり、幼稚園児たちにとってパンツイッチョとの出会いは初めてではなかった。その出会いについては、いつか語られるかもしれない。……やっぱり語られないかもしれない。
パンツイッチョマン(以下、P1と表記): 次代の文明を担う子供たちを拉致し、精神的苦痛を与えるとは君は文明人として恥ずかしくないのか?
暴漢: 恥ずかしいって、そっちの格好の方が恥ずかしいやろ! そんな格好で、文明を語るな!
>刃物の男が刃物の先をパンツイッチョマンへ向ける。対するパンツイッチョマンは軽く笑いながら突き出していた左手の人差し指を左右に揺らし、その後両手の拳を軽く結び、両手首の外側を自らの両腰に当てた。ボディビルの世界で、フロントラットスプレッドと呼ばれるポーズに近い。
P1: 君は何を見ている。こうしてパンツをはいているだろう。このパンツこそが、獣と人間を隔てる、いわば文明の象徴!
暴漢: え!? ……そうなんか?
>意外にも、考えさせられてしまっている刃物の男にパンツイッチョマンは再び指を差す。
P1: 納得したなら、とっとと刃物を捨てて、文明破壊行為を終了するのだ。
>刃物を指摘された事で、我に返った刃物の男は刃先を幼子に向ける。
暴漢: やかましい! 俺は、俺は大阪に帰るんや!
P1: 望郷の念を抱くのは構わない。むしろ文明的とさえ言える。だが、その為に他者を不幸に巻き込まれる事は許されん。
暴漢: なんや、俺に説教か? こっちには人質がいるねんぞ。
> 刃物の男は捕まえている園児を揺する。
憩良: ふ、ふぇん
>かわいそうな目にあっている割に、ようやく今になって大写しになる半ベソのいこいくん。頑張れ!
P1: 話し合いをするのに人質は不要だ。何なら代わりに私が人質になろう。ほら、武器など持っていないぞ。
> そう言ってパンツイッチョマンは両手を広げると、ゆっくりと歩み始める。
暴漢: ち、近寄るな!
> 怯えるのも無理はない。誰しも、こんな風貌の男が両手を広げてソーシャルディスタンスを踏み越えて来れば、恐怖を感じるはずだ。
暴漢: 何も持ってないんは見ればわかるわ、アホ!
> 刃物の男はそこで何かを思い付いたかのようにニヤリと笑うと、刃物の先でパンツイッチョマンの股間を示す。
暴漢: いや、それともあれか? そこん中に本当は、マグナム隠してるんやないか?
>ピタリと足を止めるパンツイッチョマン。示された股間を一度見下ろした後、急に顔を上げ、左手の人差し指を刃物の男へ突き付ける。その声は低く冷たい。
P1: 下ネタか? 幼気な子供たちを前にして、下ネタなのか?
暴漢: い、いや、そう言うわけやない――って、違うわ!
> 狼狽えていた刃物の男は、エアちゃぶ台返しをして、勢いづく。
暴漢: こっちは、わざわざそっちの土俵にまで降りて、話し合わしてやったんや。下ネタはそっちの方やろ、変態!
> パンツイッチョマンは振り返り、周囲を一度見回してから前に向き直る。
P1: はて、変態? どこにいる?
暴漢: どこって、目の前じゃ! お前や、お・ま・え!
>パンツイッチョマンは左手の人差し指を左右に振る。
P1: 勘違いしているようだな。これはれっきとした文明的装束だ。現に、この格好なら罪には問われない。
♯バァーーン
>胸を張るパンツイッチョマン。
暴漢: そ、それは……。
>答えに詰まる刃物の男。ナニを露出しないことには逮捕されないという話は視聴者の皆さんも耳にした事はあるかも知れない。そうでないと、海水浴場は犯罪者の巣窟になるからだ。しかし、法令違反にならなくとも、市町村によっては条例違反になる恐れがあるので、よい子のみんなは真似をしちゃいけないぞ。
P1: 翻って君のしている行為は紛れもない犯罪。誰も怪我をしていないうちに投降するんだ。
暴漢: う、うるさいわ! 俺は一刻も早く、大阪に帰りたいんや。
P1: 大阪に行くだけなら新幹線があるだろう。新幹線なら安全にもっと早く移動できるぞ。一眠りして仕事に疲れた体を休める事さえできる。この文明の利器をなぜ利用しない?
暴漢: そ、それは……。帰りたいなぁ、って思っとったら、偶然このバスが通りかかって……
P1: ほう。……では、その包丁は?
暴漢: こ、これはやな。堺の刀鍛冶やった頃からずっと続いている『公正』さんとこの一品や。大阪から東京行くんやったら、そら一流のもんを――
P1: いや、そうではない。先ほど衝動的犯行のような供述をしていたが、凶器があるならそれは計画的だ。よもや、そんな物騒な物を普段から持ち歩いているわけではあるまい。
暴漢: あ、あれ? ほんまやな……どうしてなんだろう……
P1: ふむ、どうやらそのあたりが臭うな。
>腕を組むパンツイッチョマン。対する刃物の男は呆然と呟く。
暴漢: におう? そうや、確か花の匂いが……
P1: ん? どういう――
>パンツイッチョマンが刃物の男へ一歩近づいた時、刃物の男は小さく頭を振り、顔を上げる。パンツイッチョマンを見つめる目には、怒りと狂気の炎が再び宿っていた。
暴漢: やかましい! 俺は、大阪に帰れたらそれでええんや。
>パンツイッチョマンの左手が綱を掴み損ねたのを悔やむように握られ揺れる。
P1: ……念入りな。記憶を呼び起こさせない暗示か。
>呟くパンツイッチョマンに、刃物の男が怒鳴る。
暴漢: ごちゃごちゃうるさい!お前はとっとと出て行け。大阪には連れて行ってやらへん!
P1: 怒鳴らずとも、時が来れば自ずと立ち去るつもりだ。その前に、一つ聞かせてくれ。それほど大阪が恋しいのなら、どうして東京に出て来た?
暴漢: そ、それはやなぁ。俺も最初はやる気に溢れてて、人事の人に「地元じゃない勤務地でもいいですか?」と聞かれて「はい!」って元気よく答えとったんや。
でも、現実はどうや? 大阪を離れた地方じゃみんなの話にはオチはない。俺がボケても誰もツッコまへん。
>刃物の男は右を見て話す。
暴漢: 『任せて下さい。それくらいで緊張なんかしませんよ。俺のお爺ちゃん、アメリカ大統領やったから』
>刃物の男が次は左を向く。別の人を演じているというジェスチャーであろう。
暴漢: 『あ、そうなんだ! 難波さんって、名門の生まれだったんだ!』――って、この顔のどこがアメリカンやねん!
> 刃物の男が自分の、どことなくタコ焼きを思い起こさせる顔をぐるぐると指し示す。ちなみに示しているのは包丁の先なので、ちょっと危なっかしい。よい子は真似しちゃダメだぞ。
暴漢: ボケ殺しばっかや。『いや、今の冗談です』って修整するのも恥ずかしい。それで流しとったら陰で嘘つき呼ばわりされる。これ、なんやねん。お前らのツッコミ力が低いだけやろ!
P1: それで、この凶行に及んだというわけか?
暴漢: いや、違う。最後の一押しは転勤や。
P1: 転勤?
暴漢: そや。本社に「もう、辛いから大阪に帰してください」って言うたら、「関西出身の新人は、みんな元気よく『他の地方でも頑張ります』と言ってくれるが、数年経つとみんな『戻して下さい』と言う。その順番もあるので、すぐには無理だ。代わりに別の地方に移ってもらい、順番が回って来次第、関西配属とする」って言われて、「良かったぁ」と思とったら、移る先はどこやったと思う?
♯ピーーー
や。
♯ピーーー
言うたら、関西人が一番信用ならん言うてる所や。そんな所行ったら、ツッコミどころか、えらい嫌われるのに決まってるやろ。
>刃物の男は具体的な都道府県名を言っていたが、本人の主観的意見で該当県民の視聴者の心情を傷つけるのは申し訳ないので、ナレーター権限で封印させてもらいました。あしからず。
P1: しかし、『郷に入っては郷に従う』という言葉もある。個々の文化は尊重されるべきだ。君の主張は大阪文化の一方的な上塗りではないのかね?
暴漢: なんやと~!
>刃物の男の目がギラリと光る。これまでのような睨みどころではない。その眼差しは明らかに殺気を秘めていた。そこでパンツイッチョマンが動く。刃物の男へ歩み寄ったのだ。ついに攻撃範囲内に入ったのに反応してか、鋭い包丁がパンツイッチョマンへと突き出される。危ない、パンツイッチョマン!
P1: イッチョマン・スラップ!
>パンツイッチョマンは、華麗な回転ステップで、突きを躱すと、回転を活かした踏み込み平手打ちが刃物の男の頬を打つ!
♯ パァーーン
>音声多重総天然色3D脳内構築活劇では、まるで銃声のようにも思えるが、これはパンツイッチョマンの平手が、刃物の男の頬を打った音だ。
P1: 何故、気付かない? 望まぬ土地への赴任を厭う君が、同じく他の者へ望まぬ土地への移動を強制しているのだぞ。
>パンツイッチョマンが、人質になっているいこいくん、そして後部に集まっている子供たちを示す。
暴漢: お、俺は……
>呆然とし、視線を落とす刃物の男。その目がそちらを見上げるいこいくんと合う。本日二度目のいこいくんのアップだ!
憩良: …………
>目が泳いでいたが、まあ合格だ。
暴漢: 俺は、何をやっていたんだ!?
>我に返ったかのように、呟きながら辺りを見回す刃物の男。ほとんど全裸の男がすぐ近くに居るのに怯えていないあたり、意識や記憶は繫がっているようだ。
P1: どうやら憑きものが取れたようだな? おかしくなる前のこと、思い出せないか?
暴漢: あ、あれ? ……アカン。何か記憶がすっぽり抜けてる。
P1: ふむ、やはりそうか。
暴漢: うわぁ!
>刃物の男が、自分が握っていた包丁に驚いて声を上げた。同時に包丁を放り投げる。それが回転して、いこいくんの上に落ちる前に、パンツイッチョマンが難なくそれを空中で掴む。ちなみにいこいくんはギュッと目を閉じたままだ。
P1: どうだ? まだやり合うか?
暴漢: あ、いや、もう……
>しょんぼりと小さくなる刃物の――あ、もう刃物を持っていませんでしたね。では――小さくなる刃物を持っていた男。いこいくんは、ようやく目を開けてキョロキョロと周りを見る。
P1: よく頑張ったな。
>パンツイッチョマンがいこいくんの頭を撫でようと手を伸ばしたが、いこいくんはビクリと身を震わせることで拒否を示す。伸ばした手をピタリと止めるパンツイッチョマン。その手をくぐり、なるべくパンツイッチョマンに近づかないよう、狭い通路の端を歩いてその場を抜けると、いこいくんは銀子先生へと半ベソをかきながら駆けていく。手を伸ばしたまま首を巡らして見送ったパンツイッチョマン。ちょっと哀しげだ。が、もう一方の手に持った包丁に目を落とすと、頷いて近くの空席にそっと包丁を置く。
>〝これが怖かったんだな〟と納得しているようだが、それはきっと違うぞ、パンツイッチョマン。
>パンツイッチョマンは背を伸ばすと、後部へと歩き出す。ビクリと身を震わせる銀子先生。その目が、パンツイッチョマンの顔ではなく股間に注がれているのは……気のせいかな? うん、気のせいだから、もう一度カメラを向けて、ドキドキと頬を赤く染めている銀子先生を写さなくていいですよ。
♯ピンポーン
女声: 次、止まります。
>子供はスイッチを押したがるものだから、獣バスからはかつて路線バスだった名残の降車意思表示ボタンを外されていたが、唯一残っているボタンが天井の中央部にあった。これは、平時では子供たちを無事送り届けた後、幼稚園に戻る時に保育士たちがネタで押すのに使われていた。なお、今回押したのはパンツイッチョマンであった。
運転手: あいよ。
>軽快に答える運転手。彼は当初指示どおり高速道路のインターチェンジに向かっていたが、パンツイッチョマンが入ってきてから進路を変えていた。いつものルートに合流するのを見越した迂回路だ。そのうち事件は解決するだろうと信頼していたのだ。
運転手: 次は、いこいくんの家の近くで止まるから、そこでいいかい?
>おっと意外な事に次はいこいくんの番だったようだ。あと少しで帰り着けたところ運が悪かった。
P1: ああ、かまわない。こちらから降りられるかな?
>パンツイッチョマンが前部ドアを指差す。この獣バスは前部と後部に一つずつ昇降口があった。
運転手: お銀ちゃん、子供たちはそっちから降ろすのでいいかい?
お銀: あ、はい。大丈夫です。
運転手: ああ。問題ねえぞ。
>パンツイッチョマンは、運転手に頷くと、その後ろの席へと近づく。そこには、刃物を持っていた男が背を丸め座っていた。
P1: 話を聞いたところ、君は地元ではボケの立ち位置で活躍していたようだが……どうしてなかなかツッコミも冴えていたと思うぞ。
暴漢: え?
>刃物を持っていた男が驚いて、パンツイッチョマンを見上げる。パンツイッチョマンは前を向いていたが視線を受けて頷く。
P1: 君の心の中には、大阪の魂がしっかりと存在している。それは世界中どこへ行ってもきっと失われることはない。それこそが重要なのではないか?
>刃物を持っていた男は、感極まったように目を潤ませると、歯を食いしばって涙が流れるのを堪える。太腿の上に置いた両手もギュッと握る。
暴漢: は、はい。
> 下を向いた刃物を持っていた男の拳に、はらりと水滴が落ちる。どこから流れ出た水か語るのが野暮だろう。
P1: 辛い経験が役立つことは多い。特に関西人はそういった経験や失敗談をオイシイと言って、受け入れるのではないか?
暴漢: はっ! そ、そや。……本当や、なんでそないなこと、気付かなかったんや……。
>刃物を持っていた男が、自分の太腿を叩く。そのまま数秒停止してから、意を決したかのように力強く頭を上げる。
暴漢: 運転手さん。 済みませんが警察へ寄っていただけますか? 俺、自首します。
運転手: ん。いこいくんを送った後、交番を通るからそこでいいなら。
暴漢: はい。お願いします。
運転手: だったら、いこいくんが降りた後、そこのボタンを押しな。
>刃物を持っていた男は、運転手の意図がわからず首を傾げた。相手には伝わらなかったが、運転手は刃物を持っていた男をもはや侵入者と思っておらず、乗客の一人と見なしていたのだ。パンツイッチョマンは両腕を胸の前で組むと、運転手の横に歩み出る。バスはフロントガラスが広いので対向車からすると丸見えだ。対向車の方は奇特な画にびっくりして、運転事故を起こさないように祈ります。
P1: 粋だな。
運転手: あたぼうよ。江戸っ子から粋が失せてるってのは、大阪人に笑いがないのと同じだろうよ。
>これも、遠回しに笑顔を見せろという呼び掛けだ。これには刃物を持っていた男も意図を理解して笑おうとしたが、優しさが身に染みて泣き顔になる。
お銀: あ、あの……
>前部で心の交流が行われているところへ、銀子先生が躊躇いがちに声を掛けてくる。呼びかけた相手はパンツイッチョマンだ。
お銀: 今回も危ないところを助けていただき、ありがとうございます。
>銀子先生はぺこりと頭を下げる。
お銀: それで、一つお聞きしたいのですが……お名前は?
> パンツイッチョマンは、後部へ向き直ると力強く頷く。人差し指を立てた右手を突き出しながら、朗々と宣言する。
P1: 私の名は――
>突き出された人差し指が頭上へと突き上げられる。
P1: パァ~~~ンツ――
>見守る銀子先生の後ろでは、パンツイッチョマンの動きを真似ている幼児が二人。ただし、幼子のすることなので右手左手が逆の鏡合わせだ。
P1: イッチョマン!
>言いながら、パンツイッチョマンの右手は下がりながら左右と振られ、最後は腰の高さで手刀の形で払われる。それと同時に人差し指を立てた左手が前に伸び、腰が少し落とされる。
♯ バン! バン!――
お銀: いや、そうじゃなくてですね。
>パンツイッチョマンへの三連ズームの途中にまさかの横槍!
お銀: 私が知りたいのは、あだ名? ううん。ヒーローネーム? ともかく、そういうんじゃなくて、貴方の本名です。
>そう言って頬を赤らめる銀子先生。伏し目がちになった視線はまたもパンツイッチョマンの股間――いや、もうここの描写は止めよう。
>当然のごとく、生まれる沈黙。それはそうでしょう。世の中には不文律、お約束というものがありまして、合体ロボの合体シーケンス中を敵が毎度狙わないのも同じです。様式美です。この思いは、獣バス前部にいる男三人も同じでした。かく言う私もそうです。
>あのまま、パンツイッチョマンの見得が切れていたら、テーマ曲が流れて、そのままエンディングに持っていけました。しかし、その流れを断ち切られた今いったいどう終わればいいのでしょう。
運転手: お銀ちゃん、そいつは野暮ってやつよ。
>いたたまれず運転手が諫める。江戸っ子の彼にとっては、野暮を野暮と指摘する、この発言自体野暮だったが、同僚の不始末だから仕方なく恥を忍んでの発言だった。
お銀: でもでも私は、命の恩人さんのお名前を知りたいのです。
>両手の拳を上下に振って、だだをこねる銀子先生。パンツイッチョマンはポーズを取ったままだ。どうする? パンツイッチョマン! なんとかエンディングまで持って行ってくれ!
園児2: ぱーーんつ、いっちょまん!
>この危機を打開してくれたのは園児だった。パンツイッチョマンのポーズを真似て、手を前に突き出す。手を一度頭上に上げてから左右に落とす、という過程の省略。突き出した手は開いているのではなく、オリジナルでは人差し指を立てている点も違うのだが、些末なことだ。止まった空気を動かしてくれた事が重要なのだ。
園児6: いっちょまん!
>別の女の子も、最初に真似をした男の子の横に並ぶ。この子はちゃんと指を立て――ようとして、他の指も連動しちゃうから、自分の手を見ながらもう片方の手で指を押さえて形を作ってから、ようやく前に出す。
園児3: ちがうよぉ。パンツイッチョマンだから、パンツイッチョにならないといけないんだよ。
>なかなか鋭い指摘だ。しかし、番組の進行を仰せつかっている私としては少し怖い展開だ。
園児2: じゃあ、パンツイッチョになる!
園児6: わたしも~。
>ああ、やっぱりこうなった。子供の裸が全く問題なかったのは随分過去の話。昨今は、子供の裸にも気をつけなくてはならない。パンツイッチョになるつもりが、勢い余って丸裸になる危険もある。まして女児の裸は色々困る。……いや、そこは音声多重総天然色3D脳内構築活劇だから大丈夫なのだろうか? やっぱりアウトなのだろうか? 悩む間もなく園児たちは脱ぎ始める。二人だけでなく、半ベソをかいていたいこいくんさえ、新たなウェーブに乗ろうとしている。
お銀: ちょっと貴方たち、止めなさい!
>多分に天然の血が混じっているに違いないとはいえ、ここはさすが本職の保育士。直ちに暴走し始めた園児たちの統制に掛かる。
>銀子先生の視線が逸れたことでポーズを解くパンツイッチョマン。私も幼児裸問題が回避されて一安心である。
運転手: 着くよ。
>獣バスのウィンカーが点灯して、バスが路肩に寄る。ちなみに前から見ると、ウィンカーはヘッドライトを半分囲むように設計されているので、なんだかネコ――じゃなくて、獣がウインクしているように見えなくもない。
お銀: あ、いこいくん、準備できた?
>子供たちを制御し、いこいくんの服装を確認する銀子先生。獣バスはいつもの位置を少し進んで止まる。今回は後部ドアが開くからだ。
>このいつもとはちょっと異なる点に、眉を顰めたいこいくんのお父さん。しかし、扉が開いて可愛い息子の顔が見えると心配は吹き飛んだ。が、いこいくんはバスの前の方を見ている。よく見ると、他の幼稚園児も付き添いの銀子先生も前を見ている。つられて、いこいくんのお父さんがそちらを見ると、バスの前部ドアから飛び出す裸の男がチラリと見えた。
憩良くんのお父さん: 〝……見えた気がした。〟
>……そう、子育ての場面では気付かなかったことにしておく技術が度々役に立つのであった。ただし、奥さんに対して「あ、気付かなかったや」で済ませようとすると喧嘩の原因になるので気を付けよう。ここでの見過ごしは、子供のある種のミスについてである。「あれはダメ」「これもダメ」と責め立てずに余裕を持たせてあげると、親も子供もお互い楽になるのだ。
憩良くんのお父さん: 〝うん、春だしな。〟
>いこいくんのお父さんは、裸の男なんか見なかったことにした。君子危うきに近寄らずの精神である。本来、愛する息子の乗る送迎バスに変質者が同乗している事実は、親として看過できない重大インシデントである。そう心が動かなかったのは、いこいくんのお父さんの本能が関わってはいけないと教えてくれたからだろう。
園児たち: ぱんついっちょまーん、さよーならー
>いつもは園児の保護者に手を振ってくれる子供たちが、やはり前を向いたまま手を振っていた。銀子先生もいこいくんのお父さんに会釈をした後、前の方を向いた。
憩良くんのお父さん: 〝ぱんついっちょ? ……そうか、パンツは穿いていたのか。じゃあ、いいか。〟
>ちっとも良くないが、いこいくんのお父さんはそう片付けた。その夜、一緒にお風呂に入っている時に、いこいくんからバスでの事件について、いこいくんの活躍が加わったアレンジ版で聞くことになるが、その時もいこいくんのお父さんは〝関わり合いにならないようにしよう。〟と思うのであった。競争率が激しくなかったら幼稚園を変える手続きを取っていたかもしれないが、結局そうならなかった。大都市に住む者にとっての弊害である。そのおかげ、あるいはそのせいで、またいこいくんはパンツイッチョマンと出会うことになるのであった。
>と、パンツイッチョマンからカメラが離れている間に、パイツイッチョマンの姿は見えなくなった。多くのヒーローのように、飛んで行ったり専用の乗り物に乗ったりロープのようなものを伸ばしてビュンビュン移動したりせず、ただ走って去るのみ。そう、その庶民的な姿こそがみんなの愛するパンツイッチョマンらしさなのだ! ……え、まだ愛していませんか? では、みんなが愛することになるかもしれないパンツイッチョマンらしさであった。
>文明の灯を守る為、今日も走れ、パンツイッチョマン! 戦え、パンツイッチョマン!!
♪ チャラッチャラッチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデテドン)チャラッチャラッチャッチャチャチャラー(デケデケドンデケデテドン)
《中略》
♪「パァアンツー」チャッチャー「イッチョマーン」
==次回予告==
桜舞い散る 戸羽公園
平穏乱す 酔っ払い
日本の文化 花見が、騒乱の地に変わるその時 現れたるは半裸の男
さらに乱れる風紀 飛び交う怒号
そしてパンツイッチョマンは!?
次回、第二話『桜吹雪とパンツイッチョマン』
パンツ洗って、待っときな!
※戸羽公園は架空の公園名です。近所に同名の公園があっても偶然の一致です。それと、わかっているとは思いますが本作品はフィクションです。登場する個人名や団体名その他名称は……えーと、続きは良く見るあの内容と同じです。
記念すべき(?)パンツイッチョマンの初回。
執筆当初は「一回限定」もしくは「不定期連載」というつもりでしたが、結局連載になりました。
一回分はだいたい一万文字前後にしています。
興味があれば、というか、ノリが合えば、続きもご覧ください。合わなければ……いや、それが普通だと思いますよ。合っちゃった人は、自分が変わっているのを自覚しましょう。