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スノトーラはイズから受け取ったものを読み進めた。
イズはウキウキしながらそれを眺めている。
『愛しの我が妻、イズ。
今日、偶然君の好きな花を見かけた。
花を見ているだけなのに君の姿ばかりが思い浮かぶ。
この想いを君に伝えたくて花と共にこの手紙を送るーーー』
スノトーラは数行を読んで、顔を上げる。
「これは?」
「旦那様からの手紙。ちなみにあそこに飾ってあるのがその贈り物のお花」
イズが指差した方にスノトーラは顔を向けるとイズに似た水色の瞳を見開いた。
そこには贈り物などと可愛らしい言葉では収まらないほどの一種類の花でできた庭園が出来上がっていた。
「すごいよね。ほら、旦那様って仕事柄、王都と領地を行ったり来たりして忙しくて、一緒にいないからって送ってきてくれて、あ、あっち側の庭園は去年の贈り物の花」
のんびりと惚気のテンションでイズは言っているが、スノトーラは衝撃で固まった。
壮大な庭園で気づかなかったが、よく見ると花の種類毎にいくつかのエリアで分かれており、彫刻や噴水まで整備されておりまさに王宮の庭園のようだ。
いや、2代前の国王が寵妃に送ったこの国で最も美しいとされている庭園でもこれほどの規模はない。
国王領よりも広大な土地であるヴァンディル伯爵領だからこその光景であり、それを踏まえればヴァンディル卿の愛情表現とも受け取れれる。
しかも、花の種類毎に分けられているもののその一種類の量が凄まじい。
まさに種類毎の花畑が広がっているようだった。
「お姉様…あれは…」
呆気にとられて庭園を眺めていたスノトーラは声をあげた。
彼女の目に映っていたのは、庭園のど真ん中で一際大きな彫刻だった。
その顔にスノトーラは見覚えがある。
「あぁー、あれね………」
イズは驚くスノトーラと同じ物を見ながら遠い目をした。
いつも呑気でなんでも簡単に受け入れてしまうイズにしてはかなり珍しい表情だ。
「私なんだって」
何事があっても笑って『大丈夫』と言ってマイペースなイズがまさしく死んだ魚の目をしていた。
「やはり」
スノトーラは戸惑いながらも、自分の認識が間違っていなかったと頷く。
そしてイズも力なさげに頷いた。
「うん…結婚2周年目記念の時の旦那様からの贈り物でね………。流石に恥ずかしいっ…!」
イズは勢いよく顔を覆った。
隠れていない肌は真っ赤になっていた。
「お花を呑気に見たいだけなのに一々あれが目につくのっ!」
顔を覆いながらイズはスノトーラに訴える。
自分でも容姿が優れていないと自覚しているイズにとって、まるでこの領地の支配者の様に立っている様な自分の像を見る度に拷問を受けている様な気分になるのだ。
「あれはヴァンディル伯爵のお手製です。とても奥様に似てらっしゃいますよね♡」
侍女のフリーンが羨ましそうに、そして嬉しそうに呟いた。
その言葉を聞いてもスノトーラに羨む気持ちは生まれない。
むしろ、恥ずかしがっているイズに同情した。
「似ているのが余計に恥ずかしいっ…」
「私達どもは奥様にそっくりであの像を見る度に穏やかな気持ちになりますよ?」
「うっ…」
フリーンは項垂れるイズを励ますが、それはイズを更に悶絶させる。
スノトーラはイズの存在が心穏やかにしてくれる事については賛同するが、今はイズへの哀れみの思いが強い。
「似てるからやだよっ…もっと空想フィルターかけてよ…なんでそんなに器用なの!旦那様!!手間がかかりすぎて拒否もできないし!」
イズは思いを空に向かって叫ぶ。
何をやるにも標準タイプのイズにとって、軽々と物事をこなしてしまうヴァンディル卿は羨ましい限りだ。
だが、今はその器用さに羨望するより、恨めしくなる。
スノトーラは励ます言葉さえも失いイズを眺めつつ、あのイズに恋する乙女や取り乱す表情をさせるヴァンディル卿が何者か彼女には分からなくなっていた。
ヴァンディル伯爵は国随一の武将であると同時に、その堅物さで有名だ。
見た目は麗しい美男子だが、冷静沈着、質実剛健…などなど彼を表す言葉が堅苦しいものばかりだ。
そんな彼がこんな大胆な愛情表現を行うのかスノトーラには想像もできない。
判断に迷いながらスノトーラはなんとか思いを消化させようと手元の手紙を読み進めた。
本当に彼がイズを思ってした行動なのかスノトーラには判別がつかない。
何か謎が解けるかもしれないとスノトーラは焦りながら目を通した。
「お、お姉様…これって…」
だが、その手紙もスノトーラをより混乱させる。
スノトーラが渡された紙の束は30枚ほどある。
何回か分の手紙をまとめた物だと思っていたスノトーラはそれが1回分である事に気付き驚愕の表情を浮かべた。
その手紙にはヴァンディル卿が起きてから寝るまでの行動歴が細かく表記されているのだ。
最初の夫婦らしい文などなく、まるで業務報告の様にきっちりと書き込まれている。
誰と会って何を話したのかイズが全てを把握でき、書いた者の生真面目さがよく現れている。
「あ、それ?すごいでしょ?」
そんな放心状態のスノトーラに羞恥心から立ち直ったイズは不敵な笑顔を浮かべ口を開く。
「この行動履歴を見る限り、『想い人』の存在が全くいないの。しかもすごい忙しそうでしょ?貴族なら午後からもう少し仕事を減らすのに全く休みなしで働いてるの。それでも、この手紙を送ってきてくれるんだよ?」
復活したイズは得意げな表情でつらつらと語る。
些か嬉しそうだ。
「正直、浮気してたらこの量の手紙を書く時間を恋人に費やすよね~」
意外にまともな事を言うイズにスノトーラは思わず同意したくなる。
これが本当ならそうだが、嘘である可能性も拭えない。
「でね。これ」
イズは胸元のブローチを指差した。
そこには美しい緑の魔石が輝いていた。
魔石というものはこの世界に生まれるとそれぞれに洗礼式で神々に与えられた加護によって授けられる物だ。
お守りの意味もあり、古代の風習で生涯の伴侶と交換する風習もある。
「結婚して数ヶ月して旦那様がくれたんだ」
イズはこれを受け取った時を思い出しながら笑う。
ヴァンディル伯爵は表情は変えないものの耳を真っ赤に染めて「ん」とぶっきらぼうに魔石をイズに渡した。
ーー可愛かったなぁ
イズはこの3年、十分すぎりほどヴァンディル伯爵から愛をもらっている。
それは言葉だったり、行動だったり、ものだったりと様々だったがたくさんもらった。
「綺麗で旦那様そっくり」
「…」
愛おしそうに魔石を見つめるイズにスノトーラはどう反応するべきか迷う。
確かに魔石を他人に渡すというのは長年連れ添った夫婦でもあまりない事だ。
特に将軍として活躍したヴァンディル卿が、自身を守る魔法の発動具である魔石を簡単に手放すわけがないのだ。
それでもスノトーラの持つヴァンディル卿の印象とどうしても結びつかない。
「全てヴァンディル卿が『想い人』をお姉様に知られないが為の演出、ということは?」
質問されたイズはうーんと考えこむが、結論はあっさりと出た。
イズに対する後ろめたさがその過敏な行動に結びついていても無理はない。
「ないね」
イズは真顔で断言した。