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始動開始①

 男は目の前の朝食にウンザリしていた。

 一夜を共にしての最初の食事になるのだろうが、共働き夫婦の未来を想像させるには完璧な食事を用意されると、昨夜の幸せな余韻どころか罠に嵌ったと、それもどっぷりと、首まで漬かってしまったのかという後悔の念の方が湧き出てしまうものである。


 なぜ自分は一時の激情に身を任せてパンツを脱いでしまったのだろうか、と。


 刺激を与えることで感情を伴わなくとも男性自身を奮い立たせることは可能であるが、持続やら行為中の官能やら愛撫やらは感情が伴わなければ無理であろう。

 彼が昨夜の行為を自発的に招いたのは事実であり、最中が楽しかったのも事実なのである。そして、彼の向いに座る事無しに愛犬と消えた彼女に、普通以上の、それも妻を亡くしてから久々に沸き出でた好意を抱いているのも事実だ。


 早く食べてしまわないと、と彼はフォークを持ち上げた。


 彼はダイニングテーブルに一人きりであり、栄養学的には理想的な彼への食事を作ったこの部屋の主である不在の彼女には、朝食を食べたら出て行けと厳命されている。


「先に食べて、先に出て行ってね。鍵はポストに入れてくれればいいから。私はこの子の散歩をしてから食べるから構わないで。今日の私は遅出だし、この子は私が抑えていないとテーブルの上に乗っちゃう悪い子なの。躾の失敗ね。」


「僕が犬を押さえるから君が食べてしまえば?」


 笑顔で柔らかい顔立ちだった彼女は、途端に鋭角な顔立ちに戻ってぎろりと彼を睨んだのである。


「いいから食べて。」

「はい。いただきます。」


 そうして彼女は甲斐犬の血を引くらしき斑模様の騒々しいだけの雑種犬を連れて、夫婦の日常の風景のように彼を取り残して外に出て行ってしまったのである。

 彼女の指示したとおりに食べて外に出てしまえばいい話だ。

 それでお終い。

 次からは誘わず誘われずに距離を保てば良い。

 警察官同士の同じ所轄の、それも同僚同士の恋愛は御法度なのだと逃げれば良いのだ。


 彼は溜息をついてから食事をし、食器を洗って片付け、彼女の言う通りに彼女の部屋を出た。

 自分の居ない内に出て行けとは、彼女こそ関係を続ける気はないのではないのか?これは一夜を供にしての女房気取りなどではなく、「京都のぶぶつけ」同様に彼を追い払うという意思表示そのものではないのかと、食事をしながら彼は気がついたのである。

 でなければ、関係を持ったばかりの男をあんな殺すような目で睨まない筈だ。


「えー。僕の価値は冷凍オムレツとシリアル程度?」


 部屋を出て職場に向かう道のりで、気楽だと、何時もと変わらない状況の自分であると考えながらも彼は落ち込んでいる自分自身を認識しており、不可思議だと心の中で首をかしげている時に、彼はもう一人の女に出会った。


 若草色のアンサンブルニットにベージュ色のフレアスカートを合わせている彼女は、彼女に気がついた彼の姿を認めてにっこりと微笑む。


「あら、奇遇。」


「田辺ちゃんに奇遇は無いでしょう。立ち話?どこかに入る?」


「私の車で。付いて来て。」


 大通りから外れた路地に彼女の支給車は置かれていた。紺色に輝くミニバンである。


「どうしてアウディ。」


「普通の奥様はアウディでしょう。」


「そう言い張ったんだね。まぁいい。話はなんだい?」


 彼は我が物顔で彼女の車の助手席に乗り込んだ。

 公安に属するこの女、田辺たなべ美也子みやこは、元公安であるたか悠介ゆうすけの昔馴染みで優秀な刑事だ。彼女は常に一般の、それも少々裕福な主婦にしか見えない姿をして世間に馴染み、敏腕な刑事の誰よりも早く正確な情報を掴んでくるのである。また、身分証明書の偽造に関してもお手の物で、つい最近も彼女の手配で髙は海外に不法滞在をして暴れてきたばかりでもあるのだ。


 運転席に乗り込んだ彼女は髙に視線を寄こすことなく無言のまま車を発進させ、髙はその事に意も唱えずに助手席のシートに体を深く沈みこませた。

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