セレナさんの魔術講義
なんか複雑で作者も間違えてしまいそう。この世界で魔術を使うのは、結構難しく、精神性とか色々養う必要があります。だから、熟練したいわゆる達人は魔~の尊称がつくわけです。
魔は、この世界のこの地方では超自然的な、神秘的なくらいの意味となります。所謂、神がかったとか、鬼才とかです。
「さて、このお嬢さんの治療を始めますかね」
緊張感のない声と共に、セレナは木の、精巧な双頭蛇の細工が施された杖を少女の額に当てる。先ほど巨漢も呟いていたが、セレナがこれから行うのは、特にこの地方では総合系の魔術に分類される回復術だ。
基本的にいかなる魔術であろうと、複数属性の魔法を組み合わせて使う。その中で特に目立つ、あるいは大部分を占める属性をさして火属性とか、地属性と呼称することになっている。しかし火と言うのは現象の事だ。風と言うのも現象の事である。つまり見た目は火、名前は火属性であっても風と土を組み合わせたものもある訳だ。ここら辺が魔術と一般に言われるもののややこしいところで、ゆえに余程の天才でなければ師匠に就いて学ばないと基礎の属性の生成あたりで止まってしまう。
そして、さらに魔術師見習い達を混乱させるのが、その場の臨機応変性な対応で、例えば、人の腕を再生するのに地属性の、陶器の壺を治す様なのを使うと、妙にリアルな陶器の腕が再生されて、もちろん役に立たない。
「まあ、外傷は無いし、内臓も無事だから、最も単純な精神感応系でいいだろうな」
こちらの氣、いわば生命力を呼び水に相手の意識を戻させる簡単な仕事だ。対処しきれない外部の事情に、狸寝入りしてしまった少女の頭を杖で撫でるだけの術ともいえない術である。
『おきろ』
実際、回復はすぐに終わり、少女は意識を取り戻した。
『おきろ』
色の無い、暗澹とした原始のまどろみ。エスチュアの精神の絶対不可侵領域が、外部から揺さぶられる。
揺さぶりに敵意は無い、何かに気付かせようとしているのか、どことなく楽しげな気配に、エスチュアの自我が動きを見せた。とたんに、精神の不可侵領域は崩れさり、浮遊感を覚える。
無限に落ち続ける意識の中に、恐怖が芽生え、体が背骨辺りから魚のように強く揺れた。
「・・・うわっ」
て、あれ?目が覚めた。キメラに喰われたはずじゃ、ない?
そして臭い。全身が濡れていて、酸っぱいような臭いが鼻に付く。焦点の合わないぼやけた世界は、混乱の鎮静化と共に、次第にエスチュアのよく知る森の中へと姿を変えた。
「起きたか」
深みのある声に続いて、女の顔がエスチュアを覗きこんでくる。驚いて顔を見返すと、同性であるはずの自分でさえ脈拍が少し高くなる程の整った顔立ちの持ち主だった。肌が浅黒く、耳が長いダークエルフという種族だろううと思う。服の上からでもわかる、しなやかな肢体は、何処か優雅な肉食獣の姿を想起させ、妖しい気分になってくる。
「大丈夫か?」
「あ、・・・大丈夫です」
肌の色とは対照的な、銀白色の柳眉をしかめて語りかける美女に、つい頷かされてしまった。
動悸を抑えゆっくりと上体を起こして辺りを見る。ひょっとしたらここは天国か何かで、この女の人は女神か何かなのかも知れない。
・・・と、まあそんな訳も無く。
その横には私を喰ったと思わしきキメラの首なし死体が、切断面からとうの昔に干上がった、黒血の大河が見て取れた。
「セレナ=アルバだ」
「・・・え?」
「いや、私の名だ」
エスチュアに聞き返された恥ずかしさを紛らわす為なのか、女は軽く頭を掻いた。
「え、ええ。いえ、あのわたしは、エスチュアです!」
「そうか」
軽く肯くセレナの動作がまた軽やかで、つい見惚れてしまった。
「で、あの向こうにいるのが・・・」
セレナの示す方にエスチュアの視線が引っ張られていくと、
「あの巨漢がトーレルで私の相棒だ、・・・怖いだろ?」
「・・・そんなことは」
エスチュアの言葉が届いたのか、木の陰から憮然とした表情で、槍のように長い剣を背負った男が姿を現した。
恐い、と言うよりも底が知れない畏れを感じさせる。
けれど、キメラに比べれば。
あの直接的な恐怖に比べれば・・・・・・。
「・・・っ」
今更ながら、体に震えが走った。そうだ、もしキメラが殺されていなければ、そしてセレナさんが助けてくれなければ、自分は死んでいた。
「大丈夫だ・・・」
頭が柔らかい、熱いものに当たる感触。どうやらエスチュアはダークエルフの女に抱きしめられたらしい。この年で、という感じもするがとても心地が良く、次第に眠くなって来た。
「セレナよ」
「なんだ、トーレル?」
「もてるな、いつも女に」
「うるさいぞ」
いやぁ、中々に良い目の保養になったと巨漢は思う。
「それで、キメラに呑まれた時には、何にも分から無かったんですけど、
少しして、若い男の声?かな、意味不明な音がしました」
「ふうん、ありがとう」
エスチュアの話を聞く限り、野人は若い男だろうというのは、ごく普通の結論だが何故この山に魔剣級の剣士がいるのか。ゴブリンにも勇者はいるが、しかし彼らはキメラの首を落とせるような、刃渡りのある刃物は使わない。やはり、その辺がさっぱり分からないままである。
「とりあえず山を下りるぞ、トーレル」
「えー」
「えーじゃ無い、いい歳をした大人が気持ち悪い。それに、この様子だと私達と野人の間に縁が出来始めている。一旦村に戻っても必ず遭える」
セレナの断言に、それならばと巨漢も頷く。
こうして一度、山を下りることになった。