08. 物理層の傷跡(上):老朽化したサーバールーム
「……チッ。またか」
週の半ば、火曜日の午後。
昼休み明けの緩んだ空気の中、黒川がモニターを見つめたまま短く吐き捨てた。
彼の視線は、モニターを流れるテキストログの一点に釘付けになっている。
『%HW-3-FATAL: Port 24 PHY Chip Error』
『Link Flap detected』
ほんの数ミリ秒の瞬断の痕跡。
滝のように流れる正常な緑色のログの中に、一瞬だけ、不吉な赤色が混じり込んでいた。
「……死にかけてやがる。おい佐藤、確認しろ」
「えっ?」
背後の席で缶コーヒーを啜っていた佐藤が、ビクリと肩を跳ねさせる。
「スイッチAのログだよ。今日、これで何度目だ」
「え、ええと……午前中だけで三回目です。でも、A系が落ちても、冗長化してるB系に切り替わるはずですし……。今のところ、業務への影響は出てませんよ」
「『今のところ』だろ」
黒川は椅子の背もたれに体重を預け、忌々しげに首の骨を鳴らした。
「冗長化を信用しすぎるな。片側がフラフラしてりゃ、いつ墜落してもおかしくない。……田中、例の予備機、キッティングは終わってんだろうな」
エラーと格闘していた若手の田中が、弾かれたように立ち上がる。
「はっ、はい! 設定投入済みです。金具も取り付けて、いつでもラックに入れられます!」
「よし。今からサーバー室へ行く。現行機と交換するぞ」
「い、今からですか!? 業務時間中ですよ!?」
「夜は夜で、夜間バッチが待ってる。ログが荒れ始めてんだ、タイミングを待ってたら致命傷になる」
黒川の言葉に、フロアの空気がピリリと引き締まる。
「今回の実作業は、田中がやれ。佐藤はログ監視とサポートだ」
「ええっ!? 僕ですか!? 無理ですよ、あんな基幹部分のホットスワップなんて……!!」
「甘えたこと言ってんじゃねぇ! 勉強だ、俺が後ろで見ててやる」
「ひぃぃ……! 鬼だ……!」
田中が涙目になりながら、渋々と工具袋を手に取る。
少し離れた席から、その様子を結衣が静かに見つめていた。
(……機器の不調。物質的な経年劣化ですね)
彼女の瞳には、オフィスを飛び交う電子の粒子の流れが見えている。その奔流の中に、血栓のような微かな澱みがあるのを、彼女もまた感じ取っていた。
(興味深いです。人間がどのようにして、バグを排除するのか)
結衣の視線を感じ取ったのだろう。準備を整えた黒川が、彼女の方を振り向いた。
「……おい、新人」
「はい。何か?」
「お前も来い。サーバー室、見たことねぇだろ」
その言葉に、佐藤が驚いたように声を上げた。
「芽上さんをサーバー室に入れるんですか? あそこは関係者以外……」
「こいつはウチの社員だろ、関係者だ。それに……」
黒川は、結衣の澄み切った瞳を見据えた。
「『X-CORE』を更地にすんだろ? だったら見ておけ。自分が壊そうとしてるもんが、どういう場所で、どう動いてんのかをな」
それは現場を知らない「エリート」に対する、挑発であり、教育だ。
結衣は小首を傾げ、数秒の後、静かに頷いた。
「承知しました。同行させていただきます」
その返事に黒川は鼻を鳴らし、釘を刺すように指を突きつけた。
「いいか、見学だぞ。余計なもんには触るなよ。ヒールでケーブル引っ掛けたら、その瞬間に全社の業務が止まるからな」
「ご安心ください。私の歩行制御は1ミリの揺らぎもありません。踵の接地角度、摩擦係数を踏まえて最適化しています」
「……そういう時はなぁ……!『気をつけます』、でいいんだよ!」
黒川が苛立ったように吐き捨てる。
「少しは人間らしい受け答えをしろ、可愛げがねぇな!」
「人間らしく……」
結衣は一瞬、思考回路を巡らせるように瞬きをした。
「承知しました。以後、気をつけます」
「……おう、わかればいい」
その素直な反応に、一瞬、黒川は虚をつかれる。だが、すぐに表情を引き締め、顎で出口をしゃくった。
「ついて来い。――『泥船』の心臓部を見せてやる」
◇
重厚なセキュリティ扉を開けた瞬間、暴風と轟音が全身を叩いた。
――グォオオオオオオン……!!
数百台のサーバーファンと、床下から吹き上げる空調が奏でる、絶え間ない重低音。そして、肌を刺すような冷気。
「さ、さむい……!」
田中が震えながら上着のジッパーを上げる。その横で、結衣は温度計を見ながら淡々と呟いた。
「……気温18度、湿度45%。局所風速、秒速5メートル。体感温度は約9度。有機生命体の生存には過酷な環境ですね」
「待って、芽上さん。共用のブルゾンを貸しますから!」
薄着の結衣を見かねて駆け寄る佐藤を、結衣は手で制した。
「不要です」
「ええっ、でも……寒くないんですか!?」
「はい。外気温に合わせて、熱交換効率を常時最適化して……いえ」
結衣は一瞬言葉を切り、先ほどの黒川の指摘をなぞるように言い直した。
「問題ありません。私は……『基礎代謝』が、少々高いものですから」
「き、基礎代謝が……!? さすが芽上さん、身体のスペックまでサーバー級だ……!」
田中は上着を抱きしめながら、戦慄した。黒川は、そのやりとりを冷ややかな目で見下ろすと、短く吐き捨てた。
「さっさと入れ。遊びに来たんじゃねぇんだぞ」
彼は二人に背を向けると、迷いのない足取りで奥へと進んでいく。 その先に広がるのは、整然と並ぶ黒い巨大な鉄の箱、サーバーラックの列だ。
窓一つない室内に、数千の冷却ファンが吐き出す風と振動が、地鳴りのように響いている。 会話をするにも声を張り上げなければ届かない、異質な空間。
「これが、俺らの守っている『X-CORE』の正体だ」
結衣の視界には、無数のLEDが瞬く光の海が映っていた。緑、オレンジ、青。それらは不規則に明滅し、この巨大な機械の塊が「生きている」ことを証明している。
「列の真ん中だ。床のパネルを揺らすなよ、静かに歩け」
黒川は、中央通路の中ほどにあるラックの前で足を止めた。
『Rack-A5』とテプラが貼られた黒い扉。黒川が鍵を差し込み、ハンドルを回す。
そこには、何十本もの青いケーブルが滝のように垂れ下がっていた。
「うわぁ……。凄い配線ですね……」
田中がげんなりした声を出す。
「これでもマシな方だ。隣のラックは、もっとカオスだぞ」
黒川はラックの上部、激しく点滅するネットワーク機器を指差した。
「いいか、よく見ろ。これが『X-CORE』の末端、スイッチAだ」
黒川がペンライトで照らした先には、1Uサイズの薄い筐体に、青いLANケーブルが密集して突き刺さっていた。
24本のケーブルは、それぞれが絡み合いながら、その上のパッチパネルへと消えている。
「音、わかるか。重低音に混じって、高い金属音が鳴ってる。ベアリングがイカれ始めてる証拠だ」
黒川は慣れた手つきでコンソールケーブルをスイッチに接続し、ノートPCを開いたまま、冷たい床にドカッとあぐらをかいて座り込んだ。
「こいつが黙る前に終わらせる。……俺はA系の切断と全体の監視、佐藤は隣でB系のログを追え。芽上は見学だ」
「は、はい……!」
田中が緊張した面持ちでドライバーを握る。
結衣は、黒川の隣に立ったまま、その作業を見つめた。
「……始めるぞ」
黒川の鋭い視線に急かされ、ガチガチに緊張した田中が古いラックへと手を伸ばした。




