30. 社長の視察と化けの皮
その日の午後。開発二課のフロアは、いつになく浮き足立っていた。
愛莉の『魔法』の噂を聞きつけ、なんとデジタル・ハーモニーの社長が突如として視察に訪れたのだ。
巨大なモニターに映る『KAGÜの物流ショールームの3Dシミュレータ』。その前に座るのは、デジタル・ハーモニーの社長だ。彼は手元のタブレットから顔を上げると、興奮を抑えきれない様子で愛莉を見た。
「素晴らしい! まるで私の思考を先読みしたかのように、画面の中のロボットが寸分の狂いもなく動いたぞ! まさに魔法だ!」
社長の興奮に、愛莉はとびきり可憐な笑顔で応えた。
「ふふっ、ありがとうございますぅ♡ アテナがお客様の潜在ニーズを完璧に可視化するんです」
その言葉に、周囲の若手たちも前のめりに同調する。
「すごいですよね! KAGÜ側との共同研究が進めば、すぐに現実になりますよ!」
沸き立つ社長と若手たち。背後で唇を噛む高橋をよそに、社長はポンと手を打った。
「そうだ! 森田くん。3日後、政府主導の『国プロ』入札に向けた事前審査がある。我が社の運命を左右する大勝負だ! 政府の役人をKAGÜのテストセンターに招くから……そこでこの魔法を、『本物の実機 (AGV)』と連動させて見せてくれ!」
その一言で、若手たちの熱狂がスッと引いた。
「えっ……? し、社長! いくらなんでも3日で実機連動は……! しかも、絶対に失敗できない国プロの審査でだなんて! これはあくまでPC上の仮想シミュレーションで――っ」
「何を言うんだ、現場を動かすためのシミュレーションだろう? 違うのかね?」
凍りつく若手たちの中で、愛莉だけが一瞬目を細めた。
――無謀な要求。だが、これを乗り切れば一気に上層部へ食い込める千載一遇のチャンスだ。
彼女はすぐに、とびきり可憐な笑顔を作った。
「はいっ♡ お任せください! 現場で完璧な魔法をお見せします!」
その言葉に頭を抱える若手たち。
その一連の様子を、フロアの隅から見ていた黒川は、低い声で吐き捨てた。
「……3日で実機デモだと!? 冗談じゃねぇ。PC上のシミュレーションとは訳が違う」
最悪の場合、機械が暴走して物理的な事故に繋がる。黒川はギリッと奥歯を噛み締め、低く唸った。
「あいつ……現場を巻き込んで、自滅する気かよ……!」
◇
終業後の薄暗いオフィス。 すでに照明が落とされたフロアで、黒川のデスクのPCモニターだけが青白い光を放っている。
画面に表示されているのは『クロスアテナプロジェクト』の仕様書と、実機連動を想定したトラフィックの負荷試算データ。黒川は眉間に深いしわを刻み、険しい顔で画面を睨みつけていた。
「黒川さん……まだ残っていたんですね」
不意に背後の暗がりから声が響き、黒川が振り返る。 そこには、いつもと変わらず小首を傾げ、甘い笑顔を浮かべた愛莉が立っていた。
「愛莉ちゃん……」
「現場対応ですか? 遅くまで、お疲れ様ですぅ♡」
「さっきのデモの話……マジで受ける気かよ」
「もちろんです! 幹部の皆様も期待してくれてますし……がんばらなきゃ♡」
両手で無邪気にガッツポーズを作る愛莉。
その全く危機感のない態度に、黒川は深く息を吐き出すと、重い動作で立ち上がった。
「無謀だ、中止しろ」
低い声で凄む黒川に、愛莉はきょとんと目を丸くした。
「……え、ええっ……? でもぉ、もうやりますって言っちゃいましたし……」
「適当な理由付けて、今すぐ取り消して来い! 下手すりゃKAGÜの機械が吹っ飛ぶ大事故になるだろーが!」
黒川の怒鳴り声に、愛莉はビクッと肩をすくめた。
「あ、あのぉ……私、そういう難しいことよく分かんなくてぇ……」
「分かんねぇだと!? ふざけんな! まだトラフィックの負荷試算すら――」
「ええっとぉ……でも、黒川さんが……なんとかして、くれますよね……?」
すべてを丸投げするような甘え。その言葉を聞いた瞬間、黒川の中で、何かが決定的に冷えた。
チッ。 静まり返ったオフィスに、舌打ちが鋭く響く。
「――お前、いい加減にしとけよ」
それは後輩を諭すようなものではない。苛立ちを剥き出しにした、低い怒声だった。
「時間の無駄だ。 俺は、真面目な話をしてんだよ……!」
張り詰めた空気が、二人を包む。
だが――。
ふいに、クスッ……と。愛莉が吹き出した。
「―――真面目な、話?」
その声からは、先程までの甘さが完全に消え失せていた。
「一体、どういう風の吹き回しですか? 『守ってやらなきゃ何もできない後輩』に、急に真っ当な議論をふっかけてくるなんて」
愛莉が一歩、黒川へ歩み寄る。見下ろすようなその瞳には、確かな侮蔑の色が混じっていた。
「お気に入りの彼女に―――芽上さんに、何か吹き込まれたのかしら?」
「……愛……いや……森田……」
自分に向けられた剥き出しの敵意と冷笑。
もはや「愛莉ちゃん」と呼ぶことすらできず、黒川は絶句した。
「無謀ですって? 百も承知よ。だから何? 邪魔しないでちょうだい」
――彼女を、守ってやっているつもりだった。黒川の無自覚な傲慢さが、正面から粉々に叩き割られる。
「やっと掴んだチャンスなの。やらないで潰されるより、やって自滅した方が100倍マシよ。使えるものはなんだって使うわ」
「私は這い上がって見せる。貴方と一緒にしないで。―――不愉快だわ」
完全に言葉を失った黒川の前で、愛莉は再びフワリといつもの甘い笑顔を被った。
「……ふふっ。なんですか、その顔。びっくりしちゃいました? 」
愛莉がスッと手を伸ばし、黒川の胸元――少し開いたシャツの襟元をツーッと指先でなぞる。
「ねぇ、黒川さん。私を見下していいんですよ?…… いつも通りに」
愛莉は、黒川の耳元で甘く囁いた。
「舐めて、鼻を伸ばして―――そうすれば、あなたを頼って (つかって)あげるわ」
完璧な笑顔と、その奥底にある悪意。
黒川が守ろうとしていた「無知で可愛い後輩」など、最初からどこにもいなかった。
愛莉が去った後の薄暗いオフィスで、黒川はただ、手元の負荷試算データを呆然と見下ろしていた。




