抹茶
幼い頃、近所に踊りの先生が住んでいた。
自宅で踊りの教室をやっていて、厳しいながらも穏やかな微笑みを向けるような…大人の先生だった。
私は踊りを習っていたわけではないが、子供用の着物のモデルを頼まれたことが縁となって自宅兼教室となっている場所に顔を出すようになった。
幼かったので詳しいことはわからないが、先生のところでは踊り以外にもお茶やお花、着付けなどを教えていたようだ。
ある時、何の気なしに遊びに行った際に、お茶をご馳走してもらった。
ゴツゴツとした重たい器にちょっぴり入った、緑色のお茶…抹茶である。
家に口うるさい祖母がいたので、私は大人の言葉に従う癖がついていた。
余計なことを言わず、言われたことを守る…私は非常に出来のいい未就学児だったのだ。
幼い子供のくせに大人しくお茶を飲むからか、声をかけてもらうことが増えた。
生徒さんが点てたお茶を飲む要員が欲しかったのか…余ったお茶菓子を食べる誰かが必要だったのか、小さい子供が嗜んでいることで生徒さんたちを和ませていたのか…真相はわからない。
けれど、週に一回、着物を着せてもらって、正座をして、おまんじゅうを食べて、お抹茶を飲む習慣ができたのだ。
ご馳走してもらったお抹茶は、あわあわで…ほんの少し熱くて、おいしかった。
抹茶と聞くと、苦いとか、濃いとか、渋いとか、のどにこびり付くとか…あまり好ましくない印象の感想を聞くことが多いように思う。
けれど、私は入れてもらったお茶を、本当においしいと思っていただいていた。
おそらく…、優しい大人に囲まれて穏やかに飲むことは、美味しさを引き立てていたのだろう。
どこからも叱る声は聞こえてこないし、突き刺さるような憎しみの眼差しも向けられない、癒しの空間がそこにはあったのだ。
幼稚園に入った頃から、先生のところにお邪魔する機会はめっきりと減った。
園児になった事で自由に訪ねて行ける時間が減った事は確かだ。しかし、それを考慮したうえでも…いきなり交流を絶たれたという印象がぬぐえない。
子供であった自分にはわからない、事情があったのだと思う。
本格的にお茶を習いませんかという話も出ていたように思う。
私の家族は、先生のような…大人ではなかった。
子供じみた理由で先生との交流を断たれてしまった気もするが、真相はわからない。
美味しいお抹茶とは縁が遠くなってしまったが、普通の抹茶は身近にあった。
交友関係の広い祖母は、お茶の席に招かれたり、あまり物の抹茶の缶をもらって来たりすることがあったためだ。
色々と蘊蓄を口にしながら…、文句なのか知恵なんだか経験談なんだか教訓なんだかをモリモリ聞かされながら飲む抹茶は、それなりに美味しかった。
幸せな思い出が、目の前にある抹茶に美味しさをトッピングしてくれたのだ。
実家を出て、とんと遠ざかっていた、お抹茶。
家庭を持ち、新しい街で暮らしていたある日…ふいに遭遇する事となった。
地域のイベントで、呈茶の席が設けられていたのである。
着物をお召しになった女子高生の皆さんによる、ほんの少しぎこちなさを纏った、心づくしの…一服。
ほのかに香る、爽やかな抹茶。
着物に染み込んだ、和の心が…清楚な風となって届く。
―――私、美味しいでしょう?
どこか自分に似た少女の眼差しが、記憶をくすぐる。
忘れていたはずの、先生の言葉を思い出しながら…お抹茶の器を、口元へ。
―――背筋を伸ばして…指先にも気を使うんだったよね!
そうそう、こんな感じだった。
お抹茶と向き合う時は、いつだって…一生懸命で。
美味しいだけじゃない、学ばせていただくということが、とても…心地よくて。
美味しくお抹茶をいただいた私は、呈茶のイベントに顔を出すようになった。
年に数回の、少女との邂逅を…私は心待ちにしているのだ。
けして、けっして…甘い和菓子だけを欲しているわけでは、ない。




