お茶と、私
…昔、お茶がとても身近だった。
居間のど真ん中にある長机の上には、ポットと急須、お茶っぱの入ったカンカンが完備されていた。
いつでも自由に飲んでいい飲み物として、お茶は日常にあったのだ。
こじゃれたことを好む祖母は、良いお茶を買うことが多かった。
知人が多く、いただき物としてやってくる茶葉もそこそこあった。
お茶は、開封したら速やかに飲んでいかないと風味が落ちてしまう。
古いお茶が残っていると、新しいお茶を開けることができない。
私は、お茶の消費要員として懸命に努めていたのだ。
初めは確かに、飲まなければいけないという使命感のもと、任務としていたはずだ。
どうして真夏の暑い時期に、あっちんちんのお茶をふうふう言いながら飲まなければいけないのかと思っていたはずなのだ。
…習慣というものは、意識を変えていくものらしい。
気付けば、私は、真夏であろうと真冬であろうと、体調が良かろうが悪かろうが、腹が減っていても満腹でも…茶葉にお湯を注いで飲むことが一番しっくりくる人間になっていた。
もちろん、合間合間に清涼飲料水も飲む。
けれど、なんやかんや言っても…結局、熱いお茶というものを飲みたいのだ。
独立し、家庭を持っても、お茶は身近だった。
高級な茶葉が遠い存在になってしまったりはしたけれど、代わりに物珍しい茶葉が身近になった。
大喜びするような出会いも、ドン引きするような出会いもあった。
安心、驚き、恐怖、感動、哀愁、幸せ、怒り…お茶はあらゆる感情を与えてくれた。
……いつからだろう?
お茶を飲む私の脳裏に、ふわりと…女子が訪問するようになったのは。
お茶入れて、湯気を吸いこみ、一口飲む。
すると…茶葉の香りを纏った女子が、何の前触れもなく現れるのだ。
時にやさしく。
時に強気。
時にはかなげで。
時に元気過ぎて慄き。
時に驚き。
時に陶酔し。
時に、時に、時に……。
お茶とともに現れる女子を、私は”お茶女子”と呼んでいる。
……私と彼女たちの物語を、ほんの少しだけ…自慢したくなったのだ。
だから、こっそり…綴ってみようと、思う。




