第75話 悪い妖怪!
村外れの前と同じ場所に蓮太郎はいた。
私の提灯の明かりに振り向いた少年は、露骨に落胆したように見えた。
「……またお前かよ」
「私で悪かったわね」
私に見つかるのが嫌だったら、毎度同じ場所にいなければいいのに。
「みんな心配してるわよ。さっさと家に戻りましょ」
「…………」
「鐘の音は聞こえなかった? 今、村は妖怪に襲われてるし、ここは危険よ」
「…………」
「早くいきましょ。いくら、歌の練習をしたいとしても、それで死んじゃったら元も子もないわ」
「……わかった」
何か悩んでいる表情。
それでも蓮太郎はうなずいたから、私はそれ以上、何も言わなかった。
彼がここに来た理由は、歌の練習。
とりあえず、今はそういうことにしておこう。
「せっかく儂がここまで来たというのに、もう帰るのか? しばらく見ないうちに、ずいぶんと薄情者になったのう」
「弐鬼!」
蓮太郎が弾かれたように振り向き声を上げた。
その視線の先には、一見すると一人の女性がいるように見えた。
蓮太郎より頭一つ高い身長。
提灯の明かりが照らし出す深紅の肌。
額から生える二本の折れた角。
そして、笑みからのぞく鋭い牙。
それは一匹の鬼だった。
「護衛ッ!」
護衛の男は私が呼ぶよりも早く飛び出していた。
刃物同士をぶつけたような鈍い衝撃音が響き渡る。
「危ないのう」
護衛の男が振るう小刀に、鬼は無手で応じる。
凶器の如く鋭く伸びる爪で裂き、払い、穿つ。
「……チッ」
苦々しげな表情で距離をとる護衛の男に対して、鬼は実に愉しそうな笑みを浮かべていた。
助けに入るどころか目で追うことすら困難な攻防に待ったをかけたのは、この場で最も無力なはずの少年だった。
「ま、待って!」
ともすれば身を裂かれていてもおかしくないような凶刃に身を晒す行為。
そこまでして割り込んだ少年は、鬼へと背中を預け、私たちを強く見据えていた。
「坊ちゃん、そこをどいてくれやせんか」
「こいつは、弐鬼は悪い妖怪じゃないんだ!」
「村を襲ってる妖怪が鬼だとしても?」
「…………」
「……はぁ、こいつは困りやしたね」
護衛の男が手を出せずにいると、蓮太郎の背後から鬼がしなだれかかった。
蓮太郎の頭に顎を乗せ、肩に手をかけながらニヤリと笑う。
「なんじゃ、お主ら。もう、斬りかかってこんのか? つまらんのう」
弐鬼と呼ばれた鬼は、肩に乗せていた手を動かし、少年の頬の輪郭をつつつとなぞる。
「ちょ」
「お、照れたのか? 可愛いのう」
鬼の言葉に、蓮太郎が耳を真っ赤に染め上げる。
そんなやり取りを見て、護衛の男は毒気を抜かれたように構えていた小刀を下ろした。
「うっさいな。い、いいから、離れろよ」
「人間の分際で儂に指図するでない。却下じゃ却下。……大事な食材を逃すわけないじゃろ」
鬼の声色が一変した。
護衛の男が慌てて小刀を構えようとするが、それを制するように鬼の声が響き渡った。
「お主ら、動くでないぞ! 身動き一つ取ろうものなら、こやつの命はないと思え!」
護衛の男の動きが止まった。
男の浮かべる困惑の表情は、脅しが効いたというよりも、状況が把握できていないように見えた。
そして、それは私も同じだ。
「結局、あんたは何者なのよ」
「お主らを喰らいに来た鬼。紛れもない悪い妖怪じゃよ」
「……蓮太郎は、違うって言ってたけど」
「そう信じたいのじゃろ。可愛いやつよな」
弐鬼はそう言って、蓮太郎の耳元に顔を近づけると牙を剥いた。
「ッ!」
「あんた、何を!?」
「なあに、少しつまみ食いをしただけじゃ。どうにも、お主らから感じる殺気がとんと無くなってつまらなくなってきたからのう」
蓮太郎の左耳があった場所から、だらりと液体が垂れる。
「……に、弐鬼、なんで? 人間は、好きだって」
蓮太郎が信じられないものでも見たかのように、顔を引きつらせた。
「ああ、好きじゃぞ。人間はとっても美味じゃからなあ! あまり育ちすぎたのは固くて好かんが、お主くらいの子供は最高じゃ」
弐鬼は震える提灯に照らされながら、心底愉しそうな笑顔を浮かべたのだった。




