第52話 ただいま!
私たちは同行者に黒雷を迎え、川沿いを進んでいった。
黒雷が加わってからの道行きは実に順調だった。
黒雷を警戒しているのか、妖怪が全く寄ってこない。
妖怪避けとしてはこれ以上ないほど便利だ。さすが大妖怪を自称するだけのことはある。
そうして、私たちはさしたる障害もなく、白龍と出会った場所へとたどり着いた。
そこでの光景を目にするなり、姫子と黒雷は口々に言葉を発した。
「うわっ、これは思ってた以上にひどいな」
「龍が暴れただけのことはある」
辺り一面、樹々がなぎ倒されていた。
場所によっては地面ごと抉った痕が生々しく残っている。
「……小娘よ、辺りから霊力を感じる。人がいるやも知れぬぞ」
「ほんと?」
感覚を研ぎ澄ませてみたが、私では何も分からなかった。
だけど、冗談というわけではないようで、黒雷はいつの間にか見慣れた犬の姿へと変化し、それを見ていた姫子が小さくどよめいた。
「え、かわいい。こんな姿になれるんだ」
「まあ、我は大妖怪ゆえな」
ふふんとでも聞こえてきそうなほど得意げに鼻を揺らす黒雷。
その姿はどう見ても、大妖怪としての威厳は残っていない。
懐かしの犬吉モードになった黒雷を引き連れ、龍との戦場になった場所を歩く。
かつて陣幕を張っていた方へ向かうにつれて、木片やビリビリに裂かれた布も目につくようになってきた。
それでも、死体の一つも見当たらないのは、人的被害は思ったほどではないのか、それとも、誰かが来て動かしてくれたのか。
しばらく歩くと以前にはなかった設営拠点と、その周辺にたむろする人たちが見えた。
その中には確かに見覚えのある顔があった。
「お母さま!」
「……瑠璃!?」
いつも家で見る服装ではなく、隊服に身を包んだ桔梗が、他の隊員と話し合っていた。
私の姿を確認した桔梗は、慌てて駆け寄ってきた。
「瑠璃! 本当に瑠璃なのね!?」
「う、うん――」
「良かったわ! 本当に、良かった!」
口を開く間もなく、桔梗は私をギュッと抱きしめた。
いつも桔梗がしている香水の匂いはなかった。代わりに線香の香りがした。
「あの人だけでなく、あなたまで、私を置いて居なくなってしまったと……」
痛いほどに強い抱擁。
いつもなら、もがいて抜け出すか、背中を叩く私だけど、今回ばかりはされるがままになっていた。
もう夏も始まろうとしているのに、母の声と身体はひどく震えていた。
「……お母さま、ただいま帰りました」
「おかえり、瑠璃」
◆
白龍の襲撃は通り雨のようなものだったという。
討伐隊を襲うのも早ければ、そこから撤退するのも早かった。
討伐隊がなんとか態勢を整え、反撃の狼煙をあげる頃には白龍は踵を返していた。
結果、ゲリラ戦を挑まれたような形となり、戦場には討伐隊の被害だけが残った。
遠征の継続は困難と判断され、討伐隊は街へと戻った。
今ここにいるのは白龍討伐を目的として新たに組まれた隊だという。
また、白龍討伐が第一とはいえ、行方不明者の捜索も兼ねているらしい。
そこに参加していた桔梗からすれば、いつまで経っても見つからない娘の姿に半ば諦めていても無理はないだろう。
「菊桐姫子さん、あなたがいなければ、私と瑠璃がこうして再開できる日はこなかったでしょう。心から感謝します」
「い、いや、えーっと」
桔梗に頭を下げられて、姫子はおろおろしていた。
ずっと一人暮らしをしていたのだから、そもそも人が複数集まる場というものにすら慣れていないだろう。
妖怪との戦闘や、山での狩りとはうってかわって狼狽する姫子。
その様子を見て、桔梗もそれ以上の声はかけず、私へと向き直った。
「瑠璃、あなたの指導員もちょうど拠点にいるみたいですよ。会ってきたらどうかしら」
「……あぁ、銀縁メガネの」
えーっと、名前なんだったかな。
「荒銀杏次さんです。……まさか、そんな失礼な呼び方をしていたわけではないでしょうね」
「してない! してないです! 滅相もございませんです!」
久しぶりでちょっと名前を忘れていただけだ。せっかく再開した娘なんだから、そんなに目くじら立てないで欲しい。
姫子と黒雷を引き連れて杏次に会いに行こうとすると、桔梗から待ったが入った。
「瑠璃、犬吉は置いていってもらえるかしら」
どうやら母は、私が「なんか知らんけど、偶然出会った」とひたすらシラを切り通した黒雷を御所望のようだ。
「久しぶりに私も犬吉を撫でたいわ」
「……だって、犬吉。ほら、あっち行きなさい」
恨みがましそうな黒雷の視線が向けられる。
ええい、家に来てもいいとはいったけど、妖怪であることを誤魔化す工作は自分でやってくれ。私にゃ、そこまで面倒は見きれん。
私は黒雷を置き去りにして、姫子を引き連れ、杏次の元へと向かっていった。
◆
白龍襲撃での行方不明者が見つかったというニュースはすでに駆け巡っているようだ。
あちらからも探していたようで、銀縁メガネの指導員とはすぐに会うことができた。
「えっと、荒銀班長、お久しぶりです」
「行方不明者が見つかったとは聞きましたが……本当に心葉さんなんですね。よかった」
眼鏡越しの瞳は相変わらず変化に乏しいけど、絞り出すような声は無感情とは程遠いものに聞こえた。
「あの、他のみんなは、大丈夫だったんでしょうか」
ずっと気になっていたけど、桔梗に訊きそびれたことを問いかけた。
「東藤くんと魚住さんはどちらも無事に街に帰りました。あとの二人ですが――」
「紫乃は行方不明だよ」
杏次の後ろから、ふらりと眠そうな顔がのぞいた。
指導班を構成する男女、歌方弥仁と白小町紫乃。
弥仁の言葉は、片方の不在を示していた。
「……そうですか」
「まあ、同じ行方不明者だったキミが生きてたんだしね。望みはまだある、といえなくもない」
弥仁は行軍の時からして顔色が悪かったけど、今はそれに輪をかけてクマが酷いように見えた。
「そんな湿っぽい顔しないでよ。行方不明者が初めて発見されたってだけでも、今日はめでたいんだから」
「……はじめて、ですか?」
思わずおうむ返しに尋ねると、弥仁はうなずいた。
「うん。行方不明者は他にもいるんだけど、死体で見つかることはあっても、生存者は誰一人見つかってなかったんだよね」
それは……あの母だって、諦めるはずだ。
死体が無いならまだ生きているかもしれないと思い込むには、たぶん桔梗は現実的すぎる。
すっかり黙り込んでしまった私を見て、杏次は口を開いた。
「心葉さん、あなたも疲れているでしょうし、今日のところは――」
「やあ、お嬢さん、キミが噂の生き残りかい?」
杏次をさえぎるような声。
思わず視線を向けると、そこには長身痩躯の男が立っていた。
銀髪、紅い瞳、青白い肌。
長身のわりには酷く痩せた体型。
『おおよそまともな人間とは思えなかった』
黒雷の独白が脳裏をよぎった。
幅広の帽子や、腰にまで届きそうな長髪など、黒雷の告げてない特徴もあるが、それでもその風貌を一目見ただけで黒雷の独白が正確だったとわからされた。
私の隣では、姫子も同じように目をみはっていた。
「こんにちは、お嬢さん方。少しだけでいいんだ、俺と話をしてくれないかな」
血のように紅い瞳が私を見つめていた。




