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蹂躙命運  作者: 琥月銀箭
8/10

第一章 痛感忘却 〜冬に咲き誇る向日葵〜 07

07


 ◆◆◆


 朝になると、私は決まって同じ時間に起きては、母さんに朝飯を急かし、腹に納めると、「いってきまーす!」と威勢のいい若き声で、家を飛び出すのはもう恒例と言っても過言ではない。

 日々が楽しかった。こうして、あの子と自然と触れ合っていることが、私にとって何よりの幸せだった。

 家にいても仕方なかったのだ。これといって、面白いことが起きるわけじゃない。それが毎日続くとなると、私の性に似合っていなかった。面白いことには貪欲な私は、変化の期待出来ない家にいるより、変化の期待に出来る外にいつも縋っていた。そして、変化と出会い、一種の悦楽を味わっては楽しんだ。

 私の家は、俗に言う退魔一家――いや、表向きではそう謳っておきながら、実は憑きもの一家だ――だった。世間で騒ぎを起こす異端者の排除を生業としていて、それはあの子も同様だ。元々、この村にいる者、家系は皆退魔を生業としている。世間体としては、ただの神社を営んでいる家系。そして、私の家族はただの集落の一つとして振る舞っている。

「ちょっとー! 今日も着物汚したらただじゃおかないからね!」

 母さんの声が聞こえた。その声を背中で受け「はいはーい」と二つ返事をすると、玄関を飛び出した。

 外は陽気な天気に見舞われていた。四月とあって、桜が舞っている。集落は全体的に桜日和で、外にいるだけで、その桜に目を奪われては時間を忘れてしまう。

 綺麗の一言に尽きる。

 風に舞い、桜は吹雪となって私の行方を桜色に染め上げる。

「あら、琥凛ちゃん。今日もお出かけ?」

「そうなんだー。ちょっとハクちゃんのところまで、お出かけなのです!」

「あらあら、元気な子ね」

 桜吹雪に見舞われていると、お隣さんの霊視(たまみ)さんこと、たまちゃんがいた。

 たまちゃんは、相変わらずの婦人さんだ。皆は綺麗だ、綺麗だ、とか褒め称えるけど、私にはその美観がまだわからなかった。私にとっては、綺麗とかいうのより、可愛いの方が優先的な感想なのだ。何より、たまちゃんは母さんよりは可愛い。ちょっとばかし、憧れでもある。

「ありがとう、たまちゃん」

「もう、本当に元気な子なんだから」

 ウフフ、と笑うたまちゃん。その容姿が何とも愛らしかった。

「気をつけていってらっしゃいね」

 たまちゃんにも「いってきまーす」と手を振りながら、桜吹雪の中を突き進んでいくのであった。

 ハクちゃんの家は、長い石畳の階段の先にある。山の斜面に建てられた家――神社――なので、この階段を上らずして、家に行くことは出来ない。

 階段は人々でごった返していた。こんな田舎にある何の変哲もない神社だというのに、どこから噂を聞きつけてきたのだろうか、毎日人の波が途絶えることはなかった。子供一人が、階段を上るにしても、この渋滞では時間がかかって仕方ない。でも、それを逆手に取る私。幼き身体は小さい分、間を擦り抜けて行けるのだ。

 人ごみの中を縫うようにして突き進み、やがて階段を上り切ると、広い境内に出る。

 広い境内には、大きな神木が悠然と生えており、それは樹齢何百年と言った話を訊いたことがあるのだが、私にはさっぱりだ。そんなことはどうでもいい、なんて簡単に片づけてしまう。取り分け、面白い話にはあまり興味は持たなかった。

 境内を中程、ちょうど神木を目の前で見れるところまで歩み進めると、一人の巫女さんと出会った。

「あら、琥凛ちゃんかしら? おはよう」

 両眼の視えない巫女さんではあるが、何故だか視界はハッキリとしていた。不思議な巫女さんである。

探女(さぐめ)ちゃん、おはようございます! ハクちゃんはいますか?」

「えっ!? 珀? あぁ、珀ならもう例の場所に向かってるわよ」

 綺麗に整えられた髪を持つ探女お姉ちゃん。緑の黒髪は、噂では櫛さえも使わなくていいほどに木目細かいと訊く。その緑の黒髪を揺らしながら、視えない眼は彼方を見据えていた。その先に、ハクちゃんがいるのだ。

「あっち、かな。うん、視えた」

「あっちね。ありがとう、探女お姉ちゃん」

 踵を返して、探女お姉ちゃんに言われた方へと向かおうとした時、思わず足を躓いてしまい転んでしまった。突然の出来事で、思わず身体を擦り剥いてしまった。幾つか傷口を作ってしまっても、私は痛くも痒くもなかった。

 「あらあら、大丈夫なの、琥凛ちゃん。転げた物音が聞こえたけど」と、耳で私が転んだことを察して、手を差し伸べてくる。手を借り、私は立ちあがると、衣服の泥を落とした。早速汚してしまった。母さんに怒られることは確実である。

「もう、お節介さんなんだから。大丈夫よ、珀は逃げも隠れもしないから」

 私は「アハハハ」と愛想笑いを浮かべた。

「大丈夫だよ、ハクちゃんは探女お姉ちゃんから逃げられないから」

 あの頃は、何故逃げられないのかわからなかった。探女お姉ちゃんは、かくれんぼで鬼と役になると、必ずといって逃げ切れない。探女お姉ちゃんは、捜すことには達人であった。あそこにあれがある。ここにあれがある。自分が動かなくとも、的中させてしまうのだ。故に、ハクちゃんは逃げることは出来ない。

「そうだったわね」

 探女お姉ちゃんは自嘲した。

「それじゃ、行ってきます、探女お姉ちゃんまたねー」

 手を振りながら踵を返す。探女お姉ちゃんは「いってらっしゃいね。あと、珀と仲良くね」と、見送ってくれた。

 矮躯を人々の波の中に押入れながら、私は神社を後にした。


 神社を後にし、一旦国道へと出た。そして、すぐさま国道の道脇に進路を変えて、獣道の中を突き進んでいく。

 もう幾度か踏み潰された植物は、薙ぎ倒れさそれが道を模っていた。

 獣道の行く先。進んでいくごとに、あのタキの音が聞こえてくる。ざー、ざーと滞りもなく打ち付ける水の音。聴いているだけで、どこか安心と安らぎを与えてくれる。あの場所は、昼寝するには持って来いの場所であった。

 到着する。私とハクちゃんだけが知る秘密基地に。

 ハクちゃんは、いつものレザーシートの上で座って、タキに目を奪われていた。私がここに来たことでさえ気付かぬ程、タキに酔い痴れているようだ。私が「ハクちゃん!」と大声で名前を叫びながら、背中を叩くと、これがまた面白い驚き方をしてくれる。

「う、うわぁ! な、なんだ、琥凛ちゃんか……。お、驚かさないでくれよ……」

「アハハ、面白いハクちゃんって。そんなに驚いた?」

「驚いたよ……」

 心臓が止まるかと思ったよ、などと愚痴を零すハクちゃんの隣にちょこんと座ると、共々タキに酔い痴れた。

「タキって、何でこんなに綺麗なのかな?」

 私がつい思いを言葉にしていた。ハクちゃんはその問いに「何でだろうね。ただ流れ落ちてるだけなのに」と、何とも面白みのない返事を返す。私は「め!」とハクちゃんを叱咤しながら頭を叩いた。

「あっ、痛いな。何するんだよ」

「つまらないんだもん、その答え」

 男の子は、もっと豪快に行かなきゃ、私はそう思っている。その理想は、お父さんから受け継いだものだ。私のお父さんは「例え、人が火の中水の中いようが、俺は突っ込むぞー!」と豪語する人である。何の恐れも知らず、馳せ参じる姿は私を楽しませた。故に、私の性格も引き継いでいる部分はある。楽しいことには、目がない私であり、馳せ参じるのも当たり前である。

「つまらないって、じゃあ、どうやって返事すればいいのさ?」

「知らない。私女の子だもん! 男の子のことなんて、ちっともわかりません」

 模範解答を求められたって答えられはしない。ハクちゃんは「そんな、酷いな琥凛ちゃんは」と、文句を言ってくる。

「もう、ハクちゃんって、ロメンチックじゃないんだから」

「ロマンチックでしょ」

「ありゃ……、そうだった」

 うぅ、恥ずかしい……。ここぞという時に、言い間違えるなんて……。私はそっぽを向いて、自らの赤面の顔を見せぬように努力した。だがもう遅い。ハクちゃんは笑いながら「琥凛ちゃんって、面白いね」と嘲笑われた。視線がハクちゃんに向く。

「ム! ハクちゃんに言われると何だか腹が立つな」

「えっ、あっ、ごめん。怒っちゃったのなら謝るよ」

 ハクちゃんは人一倍相手の表情を伺う性質だ。こうして、少し鎌をかけただけで、すぐにころっと私の手の内に転がすことが出来る。

 私は内心魔女のような高笑いを浮かべながら、表では半分泣きべそを演じていた。

「あぁ、わかった、わかった、ごめんってば」

 ハクちゃんの慌てる姿が面白い。どうしようか、どうしようか、と慌てふためく姿は、面白いというよりも、実際は可愛げに相当していた。私には思ってないその可愛げに惹かれていた。

「っね、今度プレゼントあげるから」

「えっ!? 本当に!?」

「う、うん。こないだ僕にプレゼントしてたから、お返しがしたくって」

 思わぬ展開であった。魔女たる私とて、こういう話に持ち込まれるとか、どう手段を立てるべきか、返事をしながら内では窮地に瀕していた。うぬぬ……、ハクちゃんもやりおるのう……。

 動揺を隠し切れず私は「えぇー、お、お返しなんて……」と、またもやそっぽを向いた。これは本当に恥ずかしい気持ちを抱いていた。ただ、誕生日プレゼントを渡しただけ、というのに、どうしてそれにお返しをするのだろうか。私の誕生日が近いというのなら、まだ納得は出来る。でも、私の誕生日はまだ先だ。お返しをするには早すぎる。

「熊のぬいぐるみ……、初めてもらったプレゼントだったから、嬉しくて」

 何とも面映ゆいことを言ってくれるハクちゃんである。私の貯金を全て使い果たしてまで買ってあげたあのぬいぐるみが、心底気に入ってくれているとなると、あげた本人とて鼻が高い。

「そ、そんなに嬉しかったの?」

 口調が定まらない。震えた声で私はハクちゃんに振り向きながら問う。

「そ、それはもう。今までずっと籠りっぱなしだった僕に、琥凛ちゃんはお友達になってくれたから」

 そう、ハクちゃんは今まで、お父さんやお母さんの理由があり、外に出してくれることはなかった。最近、外に出れた。普通なら、集落の子と仲良くなるのが当たり前だというのに、ハクちゃんは、皆と違っていたということから、差別されていた。

 子供というものは、他人と何かが劣っている、何がか違っているからといって、自分と隔離しようとしたり、話題に持ちあげたりしようとする。それは囃したてる本人ならまだしも、囃したてられた本人にとっては苦痛でしかない。ハクちゃんの場合、ただ右目が視えないということだけで、それも自分達には視えない物が、平然と視えているということだけで、どこか忌避されたり苛められたりしていた。

 事実、ハクちゃんの身近な友人は、私と私の姉しかいない。他の子は、やはりハクちゃんの右目が視えないからといって、忌避するばかり。私が幾ら「ハクちゃんはいい子だもん!」と弁明したところで「右目が視えないんだぜ? アイツ、人間か? 本当は宇宙人かなんかじゃないの?」と、無茶苦茶な理由をこじつけては笑い者にしようとする。私には、どうしてそんなことが思えるのかわからなかった。

 本当に、ハクちゃんと接してみれば、何とも優しい子だというのに。ハクちゃんが嫌われているとなると、その探女ちゃんとて、誰も近寄ろうとしなかった。視えないのに、そこに何かがあるなんて、気味が悪いからだ。

 今まで引きこもっていたこともあり、周りの子とは若干馴れ合いが少ない分、馴染むことが出来なかった。故に友人など作ることが難しいのだ。

「は、恥ずかしいよ……」

「あ、あれ、変なこと言ったかな?」

「うん、凄く」

 ハクちゃんは首を傾げた。どうやら、自覚していないようで、言うのも更に恥ずかしくなるので、私は寡黙を決め込んだ。代わりに脹れっ面を見せると、ハクちゃんは狼狽した表情で見返してくる。

 やっぱり、ハクちゃんって面白い人。

「ね、ねぇ。怒ってるなら、謝るよ……?」

 か細い声でハクちゃんは私に言った。いつまでも黙考していても、些かつまらないこのこの上ない。私は笑顔を取り戻し「嘘ですよー、怒ってなんかないよーだ」と、言い返してやった。

「あぁ! また僕を騙したな!」

 ハクちゃんの表情も一変する。

「騙される方が悪いだもん」

「騙す方だって酷いよ」

「なら、お互い様だね」

 そしてお互いに笑い声をあげて、この場の収拾は得るのだった。


 あの骸の出来上がりは最高だった。完膚無きまでに破壊されつくされた肉体は、もはや生命としての維持機能を保つことは出来ないだろう。

 ハクちゃんは、虚ろな視線を、境内にいる二つの骸に向けていた。気力をとことん奪われ、立つことさえ難儀なその姿。悲哀に飲み込まれ、己の感情さえ制御し切れない。その裏には、怨念が溜まっていることであろう。

「やめて! お父さん、そんなの……、もう……」

 私は幼い声を必死に荒げてお父さんを制止しようとする。でも、駄目かも知れない。あの魔に憑かれてしまったのだから、今さらどうこうは出来ないだろう。

 境内の真ん中、遺体を目の前にして笑う私のお父さん。前までは、あんな姿ではなかったというのに、今では己の欲望に掻き立てられた(けもだの)でしかない。高々に笑うその姿は、嫌でも目に見える。

「琥凛、駄目よ。もう、あの人は駄目なの」

 お母さんは制止する。夫は既に夫ではなくなってしまった。それを妻は哀れな視線を向けていた。私を止めながら。お姉ちゃんもお母さんに縋って脅えていた。




 ――人が、たった一つの物によって、支配されてしまう光景に。それで、骸が出来てしまったことを。




 私は何としてでも止めたかった。いや、もう取り返しのつかないことであろう。既に人の命を二つ奪っているのだから。今さらどうこうなど、無駄な行為。何もかも終わってほしい、などと願うのは無意味な僥倖。

「琥凛、この場から離れるの!」

「嫌だ!」

 こんな時くらい、我儘を言わせてほしかった。ずっと、我儘を言っては怒られたけど、でも今回時ぐらいは見逃してほしかった。ハクちゃんを、一人には出来ない。私は必死の抵抗心を剥き出して、お母さんに盾突いたが、所詮は子供。まだ親の心配をかける年頃である。大人の力によって、私はいとも簡単に、抱き抱えられてこの場を離脱する。抱えられた私は、遠ざかっていくハクちゃんの姿を目に焼き付けた。

 離れ離れながらも思う。あのプレゼントした熊のぬいぐるみが、私とハクちゃんをどこかで繋ぎとめてくれる。きっと、再会した時には、それが示してとしてくれるだろう、と。

 私達一家は、村を離脱。他の村人達と合流し、避難した。

 離れてもなお、強大な呪力を、集落から、いや、あの境内から感じる。限界を超え、そして欲望に負けたその者――お父さん――による物だ。

 母さんは、私を抱き抱えながら、走りながら、共に愛を誓い合ったあの人のことを罵倒した。

「あんな人に、人なんて救えない」

 そうやって、何度も、何度も罵倒した。数えるくらい鬱陶しくなる程に。

 「お母さん……?」と私が訊ねても、一切見向きもしなかった。

 やがて、村から距離を置いたある避難場所にたどり着いた。私達、集落に住む者は、いざといった緊急事態に備えて、こうした避難場所を用意していた。普段なら、私達を思わしくない人達が襲ってくるのだけれど、まさかこんなことで、あの集落を抜け出さないといけないなんて思ってもみなかった。

 お母さんから降ろされ、私は集落のあった方へと視線を向けていた。皆から離れ、一人孤立していると、肩を並べるようにしてお姉ちゃんがやってきた。

 お姉ちゃんとて、私と考えは一緒だった。

「ハクちゃん……、大丈夫かな? ねぇ、お姉ちゃん、答えて」

 横に並ぶお姉ちゃんの横顔。名を須雀と言い、いつも無口無感情なくせに、今回ばかりはその相好が崩れていた。無感情の鉄壁とまで謳われたお姉ちゃんではあったが、その時は不安そうに顔を歪めた。

 隣にいる私の頭を擦りながら、お姉ちゃんは答えた。

「大丈夫。珀ちゃんだもの。きっと」

 それ以上、何も言うことはなかった。私も、なんだか訊ねるのが億劫になってしまい、俯いた。

 疎らに避難所に人々は駆けこんできた。ただ、その中にハクちゃんや、探女お姉ちゃんの姿はない。命からがら生き延びた村人に私は幾度となく訊ねた。「ハクちゃんは無事なの?」と。誰が、首を横に振るばかりで、「探女さんがいるから大丈夫だよ。ほら、探女さんって、鳥瞰眼球の持ち主じゃないか。僕達の居場所なんて、容易く見付けだしてきっとくるから」と、私を安堵させようということが丸わかりなことを言っては、事態の収拾を図ろうとする。「ほ、本当のことを言ってよ!」と問い詰めると、誰もが言い淀んだ。

 結局、ハクちゃんと探女お姉ちゃんの消息は掴むことは出来ず、失踪故に死亡と判断した。誰もが、悔やむ想いであっただろう。でも、何もすることは出来なかった。皆、ハクちゃんの家族を志した者であった故に、師を失った弟子達は、ただ胸に抱えきれない感情を抱くばかりであった。

 やがて、元の集落に再び住むことは不可能と判断された。呪力があまりにも辺りを汚染していた為に、人が住める状況下ではなかったのだ。止む無く、避難所を新たな村として発足させたものの、前は師の存在が大きく、村は常に結界によって守られていた。たが、新しい村、そして師の喪失はあまりにも痛手が大きい。結界を張るにも、敵との乱戦にはあまり役には立たず、村は呆気なく滅んでしまった。生き残った者は、私や姉、他の村の子供ばかりだ。やがて、私達は孤児院へと身を置くこととなった。




 ――全ては、私のお父さんは引き起こしたことだ。過去に兄さんを巻き込み、その罪さえ贖うことが出来ない。そして、今回起こった事件、神隠しサイトによる淫乱殺人事件。首謀者は私、琥凛であり、姉さんや兄さんは、確実にこれに巻き込まれてしまう。姉さんも兄さんも、断固としてこの事件に手を染めさせるわけにはいかない。

――姉さんは……、姉さんには、純潔でいてほしいのだ。こんな淫乱を売りにすることなど、姉さんの体や夢にはあっていない。

 ――兄さんとて、同じだ。兄さんの為にも、姉さんの夢の為にも、過去の罪を贖いたい為にも、この役を買って出た。食虫植物という淫乱と殺人を兼ね備える脇役を。

 ――姉さん……、兄さんと仲良くね。姉さんと兄さんが仲良くなることが、私の一番の希望だから……。

 ――兄さん……、貴方の両親を失わせたり、こんな状況下に持ってきてしまったのは、全部私のお父さんのせい……。でも、お父さんは贖う気なんてないでしょう。だから、誰かが代わりにやってあげないといけない。そうじゃないと、兄さんが可哀想だった。

 ――全てを考慮して弾き出した答えが、私が食虫植物になることだった。

 ――そして、間もなく全てを終わらせる。この役は最後まで演じ切らないといけない。二人に悪魔の手が及ばぬように。


 ◆◆◆


 午後十時ちょっと過ぎた頃。俺は巫弥の事務所を訪ねていた。

事務所には既に、巫弥と衛樹がいた。話すにはちょうどよかった。俺は、ありのままを二人に話した。

 琥凛が、食虫植物だということを。

 二人は動揺を隠し切れていなかった。それはそうだろう。まさか、俺の妹が事件の首謀者だと知ったのだから。

「えっ!? ちょっと待って!? 状況が飲み込めないよ。なんで、妹の琥凛さんが食虫植物なんて演じてるのさ!? 確かに、BLYっていったら、琥凛としか解読出来ないけど」

「そうよ。円城の考えじゃ、絶対にそんなの考えられないんでしょ? う、嘘言われても困るわよ、私」

「お、俺だって信じたくないさ」

 落胆しながら、自分のデスクに座る。デスクに座るなり、溜息が漏れるばかりだった。

「でも、これが現実なんだ……。琥凛が……、この一連の事件の犯人なんだ」

 この落胆ぶりは、どうしようもない程に、隠し通すことは出来ない。身内がこの殺人事件の犯人だと知ってしまった俺は、どう足掻いても、別の仮面を被ったところで、内なる表情は既に表立っている。なんて無意味なことなのだろうか。

「ふーん。円城は妹さんの言うこと信じるわけ?」

 巫弥が突拍子もなく訊ねてきた。俺は顔をあげて、ただ頷くばかりであった。返事を返すと、巫弥の顔は一瞬にして憤怒の表情に塗り変わった。

「最低な兄貴ね、貴方って」

「えっ!?」

 巫弥は抑揚ないとてつもなく冷酷な口調で言い放った。そして続ける。

「日記と妹さんの口から出た言葉だけじゃない。それだけで円城は、妹さんが犯人だって信じるわけ? じゃあ、訊くけどさ、それだけじゃ、決定的な物は全くないわよ。まだ、疑いということだけで、確定ではないじゃない。妹さんの口から出た言葉と、出てきた日記だけで信じちゃうの? 妹さんの悪戯かもしれないじゃない」

「い、いや、悪戯なわけ――」

「本当に言い切れるかしら?」

 矢継ぎ早に巫弥が訊ねてくる。俺は少し間を置いて、「あれは確かだ! 琥凛は……、一連の犯人は、自分だって言ったんだ!」と、声を荒げた。確かに俺は琥凛から「――元凶は、私なんですよ、兄さん」と訊いたんだ。一語たりとも訊き逃しや訊き間違いは起こしていない。

「じゃあ、ちょっと試させてもらうけど、私が近くのコンビニで万引きしてきたよ、って言ったところで、円城は信じるの?」

 巫弥が万引きなんて、するわけがない。それに、何を万引きしたのか、何で万引きしたのか、その一場面を見ていないので、何とも言えない。まだ疑惑しか出てこない。

「いや、まだ、本当なのか、疑いだけだよ。それに、巫弥が盗みを働くなんて、到底思えないし……」

「当たり前じゃない。決定的なことがまだわからないだもん。私が万引きをしたという決定的な事項が欠けているから、円城は疑いをかけるんでしょ?

妹さんと一緒よ。妹さんだって、自分が犯人だとか、日記からわかる通り、だとか言ってみるみたいだけど、本当にそれが真実なのかしら? 円城には、まだ決定的な事項。私の例題の場合、盗んだ物とか現場とか。妹さんなら、現場が妥当でしょうね。それを知らないで、あんたは何言ってるわけ?」

そうだ、俺は確かに俺は琥凛が犯人だということの決定的なことを知らない。だから、ただ単なる日記による先入観に囚われ、琥凛の言葉に乗せられ、俺は琥凛を犯人だと位置づけてしまっている。まるで、警察が逮捕状を持たずに犯人を逮捕するような物だ。何と、無価値で無意味なことだろうか。結局は無駄でしかない。

「巫弥に一理ありだな」

 衛樹が巫弥の言葉に頷きながら、俺達の言い合いを見守っていた。

「円城。確かに、僕達は、琥凛さんが犯人なのか、本当という点ではわからないよ。口からの出任せかもしれないし。もしかしたら、嘘かもしれない。思い上がって、琥凛さんを犯人に仕立て上げるなんて、ちょっと酷いんじゃない、兄貴として」

 何も言い返せない。俺は、ある意味最低な兄だ。俺が琥凛の犯人的な意味合いで何を知っていると言うんだ。問い質せば、何も知らない、という襤褸が出てくる。結局は知らないんだ。

「でも、ちょっとばかし、興味深いわね。もう一人の妹さん、須雀さんとのこともあるから、琥凛さんが犯人だと円城が疑う材料としてはあるわね。ただ、円城の場合、過剰的に考え過ぎただけかもしれないけど」

「そうだと思うよ」

「何はともあれ、琥凛さんに何かありそうなのは確かなのかな」

 巫弥が席を立った。そして、式礼を取り出し、部屋の中央に陣取った。そして、祝詞を告げると、手許の式礼は蒼い炎に包まれ、焼失してしまった。何故か、巫弥は熱いとも感嘆を露わにすることもなく、また席に戻っていく。俺と衛樹はそれを静かに見据えていた。

「な、何よ、二人して。私が変なことした?」

「う、うん。マジックみたいなこと。今、式礼燃やしたよね?」

「えぇ、何か文句でもあるの?」

「何やったんだよ」

 衛樹はどうやら、目の前で式礼が燃やしたことがよっぽど気になる様子であった。式礼は、言わば呪術士の使い魔の拠り所だ。それを焼失させるなど、衛樹には考えられないようであった。俺はよく見ている光景だったので、これといって狼狽することはなかった。

「何って、監視の式神を街中に放ったのよ。琥凛さんのことと、包帯巻きのことを共々何か動きがあったら、簡単に見付けられるようにね。まあ、すぐには見つかりっこないでしょうし、気分がてら、飯でも食べに行きましょ」

「まだ昼時には早いかと」

「別にいいでしょ。ほら、円城もずっと沈み込んでないで、男ならしゃっきとしなさい!」

 巫弥に叱咤され、俺は止む無く事務所を追い出されるのだった。


 ◆◆◆


 世間は夜中の十一時過ぎとなる。外を歩く三人。一人は浄眼異能者。一人は呪術に長けた巫女。一人は宝石付加魔術に長けた魔術士。計三人は、寝静まった夜道を歩いていた。

 道に、人影など、他に見当たらない。剰え、帰宅するサラリーマンの姿さえないのだ。言わばゴーストタウンといったところであろう。どこの家も、電気は然程ついていない。極力、在宅の有無を悟られないようにつもりなのだろう。車道に車さえも通らない。国道も、普段なら土砂などを運ぶトラックがよく夜道を駆け抜けていくのが、相場なのだが、今晩は違う。虚しく信号が夜道を電子的に交通整理していた。

 巫弥は放った式神に気を配りつつ、辺りを見据えていた。眉を顰め、一層この状況を把握しようとする。俺も衛樹も、同様に辺りに視線を隅々まで飛ばしていた。

 今のところ、包帯巻きの魔術士の気配。そして、琥凛は自宅にいることが確認されている。これといって動きはないのだ。何もないとなると、巫弥はある場所に行きたい、と提案した。

 俺が「どこだよ、そこ」と尋ねると、巫弥は「前に四神家が使ってた母屋。銀二さんの話でね、変な結界が張られてるって言うの。それもずいぶん前から。本人はあまり気にはしてなかったみたいなんだけど、事件との関連でもあるんじゃない、ってことで、ついでに見てこいって言われたのよね」と、半分愚痴混じりの返事を寄こした。

 結局、あれから一時間経とうとも、何の動きも発展もなく、止む無くその旧四神家の母屋に向かうこととなった。

 旧四神家の母屋は、酷く山奥にある。まだ、この土地が温泉街として発展する前から、この土地に根付く神道家系とあって、母屋が山奥にあっても別段不思議ではなかった。いや、寧ろ神道というものは自然との調和を重要とする為、山奥にあった方が、どちらかといえば自然なのだ。

 歩みを進めて行く。その母屋に向けて。

 街並みを外れ、温泉街とはまた違った山道に入ると、そこはまだ舗道されておらず、電灯だけが辛うじて設置されているだけの、砂利道が続いていた。別にお化けが出てきたって、不相応な場所でもない。いや、出た方がどちからというと雰囲気は出るだろう。

 虫の音しか聞こえないこの砂利道は、酷く小ざっぱりとし、完璧なる寂寥を演じている。ここが日本の温泉街がある街の外れだとは、思い難い。砂利を踏む足音さえ、邪魔だと思う程に静かであった。

 何か言葉を口にすることさえ億劫になり、俺達三人は、これといって会話に花が咲くことはなく、いや種さえ捲かれることはない。三十分程の時間を使い、砂利道の終着地、旧四神家に着いた。

 立派な門構えは当たり前のこと。全体が木を基調とし、風雨に晒され滑稽な容姿になろうとも、以前として門からは威圧を感じた。何も知らぬ者なら、この威圧に圧し負け、とっとと帰るだろう。これも、銀二さんの手の内、と巫弥は言った。文字通り、門前払い、の呪術がかけられている。

 巫弥が門に手をかけた。ぎしぎし、と耳を突き刺すような音をたてながら、門は開き、そして俺達を中へと案内する。

 門からは石畳が連なっていた。両脇を池に囲まれ、石畳の先には一軒の家が悠然と建っていた。やはり、門同様、家からも威圧を感じる。

「銀二さんって、恐い人なのか?」

 威圧から感じとる銀二さんの想像図(イメージ)。衛樹は思わず口にしていた。巫弥は衛樹に一瞥しながら「まあ、怒ったら空間が答える程だから。そうね、空間が怒気に塗り変わって、まずそっちが襲いかかってくるのかな」と、平然と答える。空間が怒気に塗り変わる。つまり、空気ということだろうか。その場の空気が襲いかかってくるなど、耐えられるだろうか。巫弥曰く「普通なら耐えられないわよ」と、付け足した。

「おぉ、こわ。よくそこに弟子入りしたな……」

「わ、私には揺るぎがない信念があったの! 例え、火の中水の中、自分が鍛えられるのなら飛びこむ気持ちはあったらかね」

 巫弥はそれ程家族との屈辱を晴らしたいのだ。

「小心者のあんたには、到底無理でしょうね」

「……、ひ、酷いこと言うな、所長は」

 まあ、なんだかんだでいつもの調子が出ている二人である。

「それにしても……、禍々しい物を感じるわね。二人とも、そう思わない?」

 母屋の前に立つと、巫弥の言葉が一層真実味を増やしていく。確かに、ここで忌まわしき行為が行われている気がする。母屋から悲痛な叫び声が、俺には聞こえてきた。

 亡き者の声だろうか。どれもこれも、生きている人間の声ではない気がした。

「うん、なんだか」

「ん? それは視えてるってこと?」

「いや、視えてはない。ただ、聞こえるんだよね」

 巫弥が訝しげに俺を一瞥すると、母屋に視線を戻した。

「聞こえる、ね……? 俺にはさっぱりだな……」

 衛樹は俺とは裏腹の感想を言葉にした。

その時だった。何もかもが裏返るような一種の違和感。抱擁されるこの感覚。三人の表情が一瞬にして強張った。

 巫弥は式礼を。衛樹は幾つかの宝石を手にした。

 この母屋は、何かがおかしい。魂心体の体を失いし、霊がこの母屋には漂っている。その霊達は、抱えきれない想いを胸に、この地に止まっている。つまるところの自縛霊だ。視えないが、感覚だけは感じる。そこにいる、あそこにいる、あそこにもいる。どうやら、能力という存在に気付いて以来、無駄に意識してしまう故に、こうして能力を勝手に行使していた。

「結界かしら」

 巫弥の一言に、衛樹が「そうだね」と言って、眉間に皺を寄せながら、辺りを見渡した。俺はこれが結界なのかと、合点をするのだった。

 その時だ。結界が揺らいだ。


◆◆◆


 骸を見下す一人の男。涙を浮かべつつ、あと少しの完成を待ち望んでいた。傍らに倒れ込む娼女は、もう既に気力がない。もはや、淫乱に身を染め、男の為にその身を破壊し尽くした娼女を最期はあまりにも呆気ないものであった。これ以上は無理だろう。男はそう思っていた。

 ただ、一人の娼女を破壊しようとも、男は笑っていた。こんなのただの駒に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもないのだ。男の野望の為に、自らの夢の為に命まで捧げたなど、笑止千万。そこまでして、守ろうなど、何故思い付くのだろうか。結局は、最後の切り札として、三人とも生贄となってしまうのだから、どんなにこの場で足掻こうとも無駄なことだ。

 娼女の想いなど、もう無意味だ。これ以上思ったところで、馬鹿馬鹿しい話である。

 男にとっての野望。一度犯してしまったあの過ちを、今ここで取り戻せそうというところまで来ている。これも、あの御方が教えてくれたこと。死者の蘇生という魔術協会にまで、片や世界にとって禁断とされる術を、男は行使しようとしていた。

 死者の蘇生。それは、最もたる冒涜行為。人は、生きて死ぬという一方通行でしかない。例えるのなら、川だ。上流が生であり、下流が死。その流れに狂いはない。狂わせてはいけないのだ。これは、常識と言う形で既に決まったことである。輪廻転生という言葉があるが、あれはこの世――生者としての世――においては生から死への一方通行でしかない。その逆を行くということは、世界を敵に回すのと同じ。今まで作り上げてきた流れ。幻想的物のように、蘇生があるなど、あれは馬鹿馬鹿しい。

 元々、世界があらゆる空間の組み合わせである。この空間は、言わば魂の生の満ちる空間といってもいい。人間は死ぬというが、結局は魂は生きているのだ。それは、一時的死んだということであり、魂にとっては仮死でしかない。しかし、魂は肉体がない限り、この空間にはいられない。だから、魂は一時的死者という空間――天国とも地獄とも言う――に送られ、そこで次なる肉体を待つ。これが輪廻転生の機能(システム)だ。

 男は、禁断を犯してまでも、ある者を蘇生する。




 反魂の術にて。




 かの西行法師が、鬼の法を真似て、孤独を振り払いたいが為に人を作り出そうとした一種の術。これを用いて、骸を用意し、紅白の液――男性が紅、女性が白。それらは、男女が性交の際に出す分泌液だ――を混ぜ、肉付けの接着剤にする。反魂香を焚きながら、三人の魂を生贄に、男は野望を叶えるのだ。

 その為に、この術を教えられて以来、ずっと娼女という餌を用いて、何度も性交をさせ、その度に釣られた男共を殺し、肉と内臓を剥ぎ取ってきた。内部が漏れぬよう、また無駄になった男共の遺体の破棄の為に、捕まえた魔術士を拘束の術で、従者にさせてきた。娼女も同様、口が裂けても言えぬように拘束の術はかけられている。

 頭骨を擦る。もうすぐで、会えるから、と誓ったその時だった。結界内に人が入る気配がした。


◆◆◆


 結界内が凝固する。空間がねじ曲がるような感覚は、嫌悪する程だ。だが、現状、そんな嫌悪などに構っている場合でもなかった。

 母屋の玄関の戸が開いた。中から出てきた者に、俺達は目を奪われることとなった。

 全身を巻く白き包帯。眼と口と鼻と耳だけ出さぬ容貌。間違いない。包帯巻きの魔術士以外、見当がつかなかった。

 俺達三人は、一歩遠退いて、包帯巻きの魔術士と対峙する。

「おいおい、そんなに驚かなくたっていいだろ」

 包帯巻きの魔術士は、心外だな、と顔を使って口走った。

 巫弥は、母屋から包帯巻きの魔術士が出てきたことで確信する。ここで何かが起こっているのだろう、と。

「偶然ね、まさか、あんたと会うなんて」

「あぁ、これで何度目だろうな。お前達が、夜中街をうろちょろするから、俺達はまともに動けねぇ。ん? いつもは珀の坊はいなかったが、今回ばかりはいるのか。なら、ちょうどいい。生贄がわざわざ来てくれるなんて、好都合だ」

「俺が生贄ってどういうことだよ!」

 合点がいかない。俺が生贄ということが。何のために、生贄として捧げられるのだろうか。この包帯巻きの魔術士からは何の推測さえも出来ない。

「なんだ、まだ知らないのか? 愚かな奴だな。お前の妹さんだって、とっくのとうに知ってるだろ」

 琥凛と須雀が生贄? 琥凛は食虫植物関連で、何かに関連しているのはわかる。ただ、何に関わっているのか、本人は話してくれなかった。何か知る手立てはないかとここに来たらこの始末だ。ここに何かが隠されいるような感じは、俺のチャネリングとしての感覚、そしてこの包帯巻きの魔術士の登場によってより強固の物となる。

「さぁ、宴まであと少しだ。俺は、あの方の望みを叶える為、お前を捕獲する」

 包帯巻きの魔術士は、俺にビシっと指を刺した。

「お前は一体何を――」

 その時だった。まるで俺の言葉を遮るかの如く、屋根が割れ、辺りに破片を飛び散りさせながら、そこから一人の男が出てきた。月夜を背後に控え、容姿をハッキリと見ることは出来なかった。そして、その男はある者を抱えていた。ぐったりとしたある者は、夜であろうと映える白銀の長髪、疲労に平伏したその相貌、間違いなく琥凛だった。

「琥凛!」

 俺は咄嗟に名を叫んでいた。ただ、琥凛は反応することがなかった。代わりに、男はニヤリと笑った。そして、次の瞬間、山の方へと跳躍し、その姿を消してしまった。

 琥凛が連れ去られた現状を見てしまった俺は、気を抑えられずにいた。

「おっと、どうやら準備でも整ったのだろうな。主さんがついに始めたやがったな」

 包帯巻きの魔術士は、男のように笑ってはこちらを一瞥する。「さぁ、お前も来いよ」と言わんばかりに視線を送って来る。

「ちょ、ちょっと、貴方達は何をするつもりの!」

「何? そうだな、どうせだ。もう時間は残されてないんだ。もう、主さんは止めれられない。もう走り出してしまったんだ、いいだろう。今まで公言は許されてなかったんだが、教えてやるよ」

 包帯巻きの魔術士は、語り始めた。

 食虫植物のこと、自分達の存在意義、そして、包帯巻きの魔術士が主と呼ぶ人物のことを。

「あの方はある者を蘇生させたいのさ」

「蘇生、だって!?」

「あぁ、そうだよ」

 平然と話す包帯巻きの魔術士に対し、衛樹は心底驚いた様子で問い返した。巫弥も若干顔を曇らせた。

「主さんは、昔のある魔術の研究を行ってたらしく、その時は既婚者で妻がいたんだが、魔術の研究の操作に誤り、殺してしまったんだ。それはそれは、主さんも落ち込んでね、お前達も蘇生なんてことが、現実に起きるわけがない。いや、寧ろ世界によって禁断とされているから、起きるわけがないと思っているんだろう。主さんもその事実は知っていてね、当時は亡き妻を悔やんだんだ」

 主と呼ばれる――あの男のことだろう――は、過去の魔術研究によって妻を殺してしまった未亡人。蘇生が出来ないことを知っておきながら、何故行うのだろうか。

「ちょ、ちょっと待って。蘇生の術を知らないわけでしょ? じゃ、じゃあ、何で今蘇生させようなんて案があるのよ。意味がわからないわ」

 巫弥が一言言うと、「そりゃ、そうだろう」と包帯巻きの魔術士は頷いた。

「そっちの魔術士は知るかわからないが、巫女ならわかるんじゃないか。西行法師が行った反魂の術を」

「そ、それは!」

 巫弥は驚愕の顔を浮かべて、包帯巻きの魔術士を見返した。どうやら、相当な呪術なのだろう。巫弥の驚き方からして、俺とて異常な呪術だと察しがつく。

「流石巫女だな。どうやら、どんなものか知っているみたいだな」

「そういうわけね。それで、人々を誘い込んでは、バラバラになっていたわけね」

 巫弥曰く、反魂の術は、骸、男性と女性の分泌液、肉との組み合わせによって人を蘇生させる禁断の術の一つ。

 人が神隠しサイトによって連れ去られ、食虫植物と性交をさせた後に分泌液の回収、そして最後には肉と内臓目的にその者を殺してしまう。なんて外道な殺害方法なのだろうか。たった一人の者を蘇らせる為に、何人も犠牲者が生み出されてきた。食虫植物という単語も、まるで自らの蜜――異性という餌――で虫――男共――を誘き出し、食らって殺してしまう。合点のいく。神隠しサイトの裏側、食虫植物としての存在、バラバラになった死体の数々。散らばっていた点は、やがて線を紡ぎだし、線はやがて形を形成する。その形から見えてきたのは、反魂の術という蘇生方法。

「ふざけるな! それだけの為に、琥凛を巻き込みやがって!」

「はぁ? 何言ってんだお前」

 激怒に塗り固まった俺に、包帯巻きの魔術士は首を傾げた。どうやら、場違いの発言でもしたのだろうか、包帯巻きの魔術士の表情が訝しんでいる。

「お前の妹は巻き込まれたんじゃねぇよ。自ら首を突っ込んできたまでだ。俺、いや主が強要したわけじゃねぇ」

「ちょっと、それどういうことよ。琥凛さんは、自ら食虫植物になったってわけ? 異性に身体を売るってことが、貴方にとってどんな苦痛だかわかるの?」

「ふん、そんなの知ったことじゃねぇ。もとより、お前だって知らんだろ」

「そ、それはそうだけど……」

 でも、想像だけでも補える。望まぬ交合という行為がどれほど苦痛なことなのだか。それを、自ら進んで受けるということはどういうことなのか、全くと言っていいほどに俺にはわからない。

「まあ、このことに関してはお前達とは同感してやるよ。確かに、あの妹、琥凛って言ったか? あいつは自ら進んで体を売っては凌辱に今日まで耐えかねたさ。っけ、健気な奴だぜ」

 包帯巻きの魔術士はケラケラと笑った。気に障る。

「なんでそこまでして、自分を売ったんだろうな、珀の坊」

 包帯巻きの魔術士がこちらを見据えた。何かを訴えようとするその視線。

「流石に気付かなねぇか。琥凛ってやつも、そんなことじゃ泣くんじゃないか? あっ、いや、もう泣けねぇか。どうせ、もうすぐで殺されるんだし」

 怒りは有頂天に上った。

 俺は「ふざけるな!」と、やりきれない気持ちを拳に乗せて包帯巻きの魔術士に向かって走り出した。完全に理性を失っている。この場の衝動に乗せられ、俺は二人の制止を無視して走っていた。それは、愚かな行為だと、巫弥に言った覚えがある。なのに、自分の場合となると、そんなの彼方へと飛んでいってしまったかのように忘れるのであった。戦闘において、感情の制御出来ぬ者など、馬鹿だ。

 拳を揮う。だが、呆気なく包帯巻きの魔術士によって阻まれた。俺の拳は、真っ白な包帯に巻かれた拳に覆い尽くされている。がっしりと握られ、自分の拳を引き抜くことさえ出来ない。

 包帯巻きの魔術士は、「お前って口車に乗せられ易いやつか?」などと蔑みながら、俺の腹に手を回し、持ちあげて、端に投げ飛ばした。

 宙に浮いた俺の体は、やがて地面へと叩きつけられ、呼吸が上手く出来ない。噎せながら、俺は包帯巻きの魔術士を睨んだ。そこに、衛樹が制止に入る。

 「円城、落ち付け!」と、俺の気を宥めようとする。

「邪魔するな! 衛樹! 俺は、俺は、琥凛が馬鹿にされたことが許せないんだよ!」

「気持ちはわかるよ。でも、この状況で、勝手な行動するなよ……。俺達仲間だろ。一人だけ突っ走られると困るんだって。あの巫女みたいに」

 衛樹はいつも冷静沈着だ。こうして、状況下に飲み込まれない姿勢は、俺達三人の中では一番優れていた。

「円城。そこでじっとしてなさい。攻撃の一種も持ってないあんたにとって、魔術士と戦うなんて馬鹿馬鹿しいわよ」

 巫弥の言葉の鉄槌を受け、俺はしょんぼりと肩を落とすのだった。

 畜生! 俺は、何も出来ないっていうのか!?

「そうだよ」

 二人に言われ、「わ、わかったよ」と返事を返すのだった。

 巫弥が包帯巻きの魔術士に問う。

「訊くけど、円城がほしいの?」

「もちろん」

 間髪いれずに答えた。

「じゃあ、渡さないって言ったら?」

「それは困るなぁ。こっちも命かかってんだ。どうせ、生きられない命だ。主からの命令を全うする以外道がなくてね、力技でも使って珀の坊はもらうぜ。そうでもないと、そうでもないと、生きてる感じがしないんでね」

「そう、わかったわ」

 巫弥がニヤリと笑った。そしてこちらに一瞥して、「円城、衛樹! 円城の家に行きなさい。あそこがで強大な呪力を感じたわ。そこで琥凛さんを式神が見付けたら、早く行ってきなさい」と、琥凛の居場所を教えてくれた。俺は間髪いれずに、踵を返して自宅へと向かった。

「ありがとう、巫弥」

「礼なんていらないから、早く行ってきなさい。妹さんを助けたいんでしょ? あんた、どうせそのことで一杯だろうし」

 見透かされていた。完全に図星の返答を、巫弥はしてきたので、俺は苦笑いをしながら自宅へと向かって走り出した。

「衛樹、円城の援護頼むわよ」

「わかった」

 衛樹と巫弥は言葉を交わすと、それ以上お互いに何も言わなかった。


◆◆◆


夜道を駆ける俺と衛樹は、辺りの視線も憚らずに走り抜けていた。

「円城、包帯巻きの魔術士が言ってた、主の心当たりはないの?」

 並走しながら、衛樹が問う。俺は「いや、心当たりがない。未亡人の知人なんて、いたかな」と、首を傾げた。

「未亡人、だよね。妻を生き返らせたってことは、夫ってわけでしょ」

「夫?」

「そうだよ。それでいて、さっき琥凛さんを連れ去った人は男だったし、間違いないよ」

 衛樹の言葉に俺は頷いた。

「ん? ちょっと待って、未亡人だよな」

 琥凛を知っており、尚且つ未亡人。そして、自宅とくると、あの人しかいない。




「志戒か!」




 他に当たる人物がいなかった。親父、いや志戒は、俺が養子に来るずっと前に妻を亡くしていた。俺が養子に迎えられたのはその後だ。養子に来た頃には、もう妻の姿など一度たりとも見たことはなかった。

「円城のお父さんが犯人!? あぁ、そういえば、未亡人だったっけ」

「あぁ、親父は未亡人さ」

 この一連の事件は、全て志戒が行ったということなのだろうか。しかし、他に見当がつくことはない。琥凛は、自ら志戒に食虫植物の役を買った。なら、琥凛は首謀者ではない。琥凛はただの手駒でしかない。

 自宅に向かう足は、更なる速さを求めて、心臓の許容範囲を超えようが、お構いなしに俺は駆け抜けた。ただ一心に。

 救いたい、という愚直の唐変木の心を抱いて。

 巫弥は察していた。どうせ、円城のことだ。すぐさま、琥凛を助けに行くだろう、と。

 一秒たりとも、無駄には出来ない。

 殺される。

 失う。

 失いたくない。

 失いたくはないんだ。

 家族を失ったことがある。村を失ったことがある。

 俺は、失うことには恐ろしい程に臆病だ。何か目の前から消えてしまうだけで、泣きたくなる。

 初めての友人が、たった今殺されかけている。それは嫌だ!

「親父、あの野郎!」

 意気ごみ高々に、山道へと入っていった。


 自宅上空には、異様な呪術――普通なら見えぬが、呪力というものを知っている俺と衛樹なら、視認が出来た――がかけられていた。それは、そこらで見るようなものではない。この呪術は、そんなに脆弱ではない。近寄り難い結界が張られている。

 俺は問答無用に、その結界を突き抜けると、真っ先に家へと足を入れた。

 玄関の戸を開ける。怨念を孕んだ家の中は、酷く重苦しかった。ただ立っていることさえままならない。

「な、なんて呪力だ……。か、考えられない……」

 玄関にあがるなり、衛樹は驚愕の感想を口にした。

「に、兄さん!」

 そして、もう一つの声。悲哀に呑まれたその口調は、須雀のものだった。襤褸襤褸になったその容姿。和服は至るところが裂け、地肌が見え隠れしている。出血さえしており、誰かと交戦したのは、紛れもない事実であった。

 衛樹が傷を見るやいなや、早速治癒に取り掛かった。

「須雀、琥凛や親父を見なかったか!?」

「み、見ました……。兄さん、早くして! 琥凛が、このままじゃ!」

「死ぬっていうんだろ」

「そ、そう……。あの子、私達の身代わりになって、死ぬつもりなの! 兄さん、琥凛を止めて……。あの子、妖狐を出して殺すつもりなの!」

「妖狐?」

「九尾の狐、白面金毛九(しろめんかねけきゅう)()(きつね)を、あの子は召喚するつもりなの……」

「えっ!? その妖狐って……」

 治癒に専念していた衛樹が、素っ頓狂な声をあげては須雀に目を瞠った。

「な、なんだよ、その九尾の狐って」

「兄さんは、知らないんですね。妖狐において最上級の妖狐を」

「円城はどうやら知らないみたいだな……。なんていったいいのかな……。とにかく、危険な使い魔を召喚をしようとしてるんだよ。人が扱い切れるかわからない程の、強力凶暴のね。殺生石にまで封印して、挙句の果てには砕いた。それに封印されてる妖狐だから」

 衛樹の話から推測するに、それは相当な妖狐なのだろう。呪術関連はわからないので、これといって何を言えるわけではないんだが、須雀の狼狽ようからして、衛樹の慌てようからして、一刻も早めに止める必要があるようだ。

 俺は須雀に「琥凛はどこにいる?」と尋ねると、「この旅館の地下に」と言った。

「地下?」

「えぇ、あるんですよ。この旅館には地下が」

 知らなかった。この旅館に地下があることを。そこで、何もかもが行われるという。


 ◆◆◆


 我が血は、呪われし憑き物一家。殺生石に魅入られた祖父は、あっという間に九尾の狐によって呪いの類を授かってしまった。それは子孫まで蔓延り、私にまで続いている。祖父は、己の九尾の狐を、何としてでも抑制する為に、ある神道一家の許を訪れ、結界内で九尾の狐の弱体化を試みた。結果、成功し、今に至る。

 やがて、神道一家の施しの許、血と呪いが馴染み、抑制まで出来るようになった。だが、呪いを全て立ち切ることは出来なかった。




 円城 琥凛……。我が血に宿りしその呪いを、自らの命を犠牲に解放する。妖狐を使役し、私は、憎き志戒を殺す。

 その時だ。旅館の頭上で蔓延っていた呪術が、一層力を増し、私の許に妖狐を召喚させた。


 ◆◆◆


 須雀に案内され、旅館地下室へと続く階段を見付けるないやな、俺は駆けこんだ。地下に続く階段は、酷く湿っており、空気が肌に纏わりついてくる。気持ち悪い空間である。

 その空間は、呪力の気配さえも孕んでおり、この先に呪術士がいることを克明に示していた。

 階段を降り切ると、左右に廊下が続いていた。廊下は全体的に暗く、足許がうまく見えない。ここで衛樹と別れることとなり、俺は左へ。衛樹は右へと足を歩み始めた。須雀は迷うことなく、俺の方について来た。

 一歩歩みを進める。右目に痛みが奔った。針を突き刺すような痛みが、容赦なく襲ってくる。「兄さん!?」と、須雀の心配する声さえ、気にかける余裕すらなかった。壁に手をつきながらも、前に進む。立ち止まることなど、出来ない。

 やがて、また分かれ道に出くわし、俺と須雀は一旦別れた。先に進むと、鉄の扉が見えてきた。頑丈に出来たその扉はそっとのことでは開けられなかった。鉄の扉に体当たりをしては開けると、目の前に広がる更なる暗室。電灯に電気が通っていないのだろう。どこかに、スイッチでもないだろうか。

 錆ついた地下室。全体的に暗室なので、視界はぼやけている。スイッチがどこかと、手探りで歩み進めていく。足許に、嫌な感触を味わいつつ、俺は偶然にもスイッチ――いや、ブレーカーに――に手が触れた。

 突然、部屋に光りが灯り出す。そして、克明に示す、地下室の内容。

 この事件に巻き込まれた者の、肉片がそこらじゅうに転がっている。まだ破棄されなかった部位が、この部屋には無造作に置かれている。息を飲む光景であった、と共に、とてつもない吐き気を催した。足許のがらくたに何もかも出し切って、気を落ち着かせる。

壁に凭れかかり、視界を部屋一面に広げる。十二畳くらいの部屋に、薄暗い電灯、コンクリート作りの地下室、対面の壁には刃物が悠然とぶら下がっていた。血の味を知っているだろう。刃から止めどなく滴り落ちる赤い一滴は、己の下をただ濡らしていくばかり。床にある肉体に還元されていく。

 あれで、切ったんだろうな……、やったのは、志戒かな。

 そして、右の方へと視線を移すと、血という穢れを知った割烹着がぶら下がっている。間違いないだろう。返り血対策として、志戒が着て、それで斬ったんだろうな。

 咄嗟に目が痛む。

 肉片から浮かび上がる数々の霊魂。その霊魂は、生前の姿を模って、俺に訴えかけてくる。「助けてくれ」とか「アイツが憎い」と。縋るような思いで、霊魂から発せられる死者の視線が、俺に釘付けとなる。

 右目は、見返していた。その霊魂達を。

 そんな中、須雀が俺の許に駆け寄ってきた。

「ここにいたのね……」

 須雀はどこかやせ細ったような声で、俺がいたことに安堵の言葉を口から出した。そして、次の瞬間、この地下室の惨状を見て、思わず目を逸らした。そして、逸らした目からは、涙が浮かんで地面へと滴り落ちていく。

 須雀は悲しんでいた。今まで、姉として琥凛のことを気にかけておきながらも、結局は何も出来なかった自分を恥じて、罵って、その思いを涙にして流していた。

 俺だって、何にも出来なかったんだ。あの日記のことを、もっと早めに気付いていればよかったかもしれなかった。俺も、琥凛が食虫植物として体を売っていることを、何も知らなかった。俺だって、贖罪に追われる悲しさは持っていた。

「私は、酷いことをしてしまいました……。とても辛いことを、私は承知で任せてしまった……。こんなことにはならなかったのに……」

 そう言って、血だらけに染まる割烹着に目をやる。最後に「ごめんなさい」と言って、部屋を後にした。俺も、ここに長居は不要だった。

 一刻の猶予もない。一人が、――いや、ここにいた者の命も含め――殺されかけているのだ。散々蹂躙された後に、散々凌辱された後に、最後の最後に人形の役目を果たす為に――。

 俺も、部屋を後にするのだった。一連の騒動を、止めに。そして、救いに。


“反魂の術”は、京極夏彦著の「狂骨の夢」に登場するものを使わせてもらいました。実際、若干違ったりしてますが、悪しからず。まあ、諸説あるのだから、こればかりは仕方ないな。

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