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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
四章 相馬恭一郎の願い
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『怪異調査事務所へようこそ』

「お前ら、準備は出来たか?」

「はーい、ばっちりです!」



 その日、影白支部はいつも以上に慌ただしかった。

 事務所の隅から隅まで丁寧に掃除を済ませ、普段は散らかっている書類や本棚も綺麗に整える。さらに応対に使われるテーブルには花が飾られてその隣には茶菓子もセットが完了していた。


 本日、影白支部には来客の予定があった。一年に一度、各事務所は他の支部の所長による視察を受ける。その際視察をする所長は、終了後本部にその事務所の評価を報告することになっており、その評価は来年度の事務所の査定に結構響いてくるのだ。

 去年の場合は、八雲が報告するまでもなく相手の事務所が酷い結果だったわけだが。



「掃除もしっかり終わりましたしテーブルのセッティングも完了。空特製のラスクなのできっと所長さんも喜ぶと思いますよ!」

「ま、うちの秘伝レシピだからな……って何つまみ食いしてんだ」

「だって美味しいんだもん」



 昔手伝わされたおかげで唯一母親の味を再現できたそのラスクは空の十八番だ。しかしだからと言ってつまみ食いをしていいとは言っていない。


 さくっと音を立ててラスクに噛み付いた雅はにこにこと笑いながら反省した様子もなく美味しそうにそれを味わっている。そんな彼女と空の胸元には、まるでその仲を見せつけるかのように色違いの揃いのペンダントが飾られていた。



「まったく、お前らはいつまでたっても騒がしいな。客の前で大人しくしてられるのか?」

「……相馬先輩。何文句言いながらちゃっかりラスク食べてるんですか」

「お前が美味いもの作るから悪い」



 通りすがりに皿から一枚ラスクを掻っ攫って行った恭一郎は、そう言いながら半分に割って口の中に入れた。


 恭一郎の言葉に一瞬唖然とした空と雅がぽかんと口を開けて視線を合わせる。聞き間違いかと疑った二人だが、相変わらずさくさくと音を出している恭一郎を凝視してそれが幻聴ではなかったと理解した。



「……何にやにやしてるんだ」

「いえ? 何も」

「どうぞ気にせず食べてて下さい」



 示し合わせたかのように口元を緩ませる二人に首を傾げる恭一郎。そんな彼らを、菜月と八雲はキッチンから眺めてこちらも表情をほころばせていた。



「いっくん、少し変わりましたよね」

「ああ」



 異能が無くなった恭一郎だが、今でも彼は一応事務所に所属する形になっている。元々バイトをしていた表の仕事は勿論、異能者としてではないが怪異調査事務所の職員も継続しているのだ。



 「異能が無くても、少なくとも菜月よりは戦える」と口にした恭一郎は、怪異討伐も他の異能者のサポートを中心として――主に菜月を守る形で――参加している。



「俺が何だって?」



 と、菜月達の会話が耳に入って来たのか恭一郎がキッチンへ来た。あまり余計なことを言うと機嫌を損ねるので何でもないと菜月は首を振ることにする。疑わしげに見られるが笑って誤魔化した。



「……まあいい。なつ、口開けろ」

「え?」



 不思議に思いながらも言われた通りに彼女が口を開くと、恭一郎は今し方半分に割ったラスクの残りを菜月の口に放り入れる。流されるままにもぐもぐと食べてしまった彼女は、少し照れた様子で恭一郎を見上げて破顔した。



「ありがとう。美味しいね」

「そうだな」

「……あー、どいつもこいつも見せつけてくれやがって、まったく」



 世知辛いったらねえ、と少々呆れた声を出した八雲は、直後インターホンの音を耳にして慌てて衣服を整え背筋を伸ばした。



「とにかく、お前ら聞かれてもあんまり俺の悪口とかいうなよ」

「いつもの八雲さんへの対応で大丈夫ですね」

「……それが問題なんだよ」



 はーっと大きくため息を吐いた八雲は再度インターホンが鳴る前に急ぎ足で入り口へ向かい、そして緊張しながらその扉をゆっくりと開く。



「すみません、お待たせして……って」

「こんにちは、八雲さん」



 表情を硬くしていた八雲の不安を裏切るように、開いた扉の先に立っていたのは見慣れた女性の姿だった。思わず途中で声を裏返らせた八雲に小さく笑った女性――美咲はそのまま楽しそうに彼に挨拶をする。



「美咲さん、だったのか……道理で七海が何も言って来ないと思ったら」

「私から内緒にしてほしいってお願いしてしまったんです。……今日は、氷森支部の所長としてここに来ましたから」

「なんだー、美咲さんならいつも通りで大丈夫ですよね!」

「まあ今更取り繕っても現状ばればれですしね」

「……雅ちゃん、空、気を緩め過ぎだ」



 生真面目にそう言った美咲とは対照的に、二人は視察の人間が美咲だと知ると途端にまったりとした空気を醸し出している。変わり身の早さが凄まじい。


 そんな二人にくすくすと笑っていた美咲は、不意に我に返って姿勢を正す。そして「怪異調査事務所、氷森支部所長の神凪美咲です。本日はよろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。


 そして八雲もそんな彼女に応えるべく、一度事務所の面々を視界に入れた後にしっかりと美咲に向き直った。彼らを背負う者として、相応しい姿であるようにと。




「影白支部所長の九十九八雲です。――怪異調査事務所へ、ようこそ」





End



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