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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
二章 高遠空と約束
22/46

2-5 居場所

 物心ついた時には、それはもう当たり前の光景だった。



「お父さん、それ何?」

「あ? 火も分かんねえのか」

「火?」

「触ると熱いぞ」



 空の父親は可笑しな力を持っていた。そして年を重ねると空自身も父親と同じく発火能力を扱えるようになって無邪気に喜んだが、母親に言われるまではそもそもそれが可笑しな力だとも思っていなかった。


 だからこそ他人には絶対にその力を見せてはいけないと言われた時、空は正直不満に思ったものだ。彼にとっては当たり前にあるもので、そして大好きな父親と同じ力だったのだから。



「何で駄目なの?」

「普通の人間には使えないのよ」

「……じゃあ僕やお父さんは普通じゃないの?」

「ちょっと特別ね。お母さんだけ仲間外れ」



 そうして空が教わった人間とは異なる怪異という存在。しかし人間である母親はあまり詳しく知っているとは言えず、怪異だという父親も碌に話そうとはしなかった為、空も“そういう生き物”という漠然とした知識しか持てなかった。


 うちは他の家とはちょっと違う。その程度の認識で特に困らなかった空は、発火能力を持つ以外はごくごく普通の人間と同じように至極平穏な日々を過ごしていた。学校に行って、友達と遊んで、帰って宿題をして、ご飯を食べて、両親と話して、そして寝る。



 それが本当に幸せな日常だったと知ったのは、空が小学六年生の時だった。





「――え」



 友達を遊んですっかり遅くなってしまったその日。母親に怒られるだろうかとびくびくしながら帰った家は、見るも無残な惨状だった。

 玄関の扉は乱暴に壊され、普段母親が綺麗に掃除している床は土だらけ、真っ白な壁はあちこちに引き裂かれたような跡が残り、そして何よりリビング全体がまるで爆発が起こったかのように焼け焦げ、ちりちりと耳障りな音を立てている。


 そのリビングの中央には真っ赤な炎が踊るように燃え盛り、そしてその中に見えた人影を認識した瞬間、空は持っていたサッカーボールを焦げた床に落とした。

 すぐに燃え上がっていた炎は消え、そして焼け跡には灰すら残らなかった。



「……ああ、てめえ居たのか」



 転がって来たサッカーボールに気付いて立ち上がったのはその部屋で唯一生きていた存在、空の父親だった。



「な、んで」

「ああ……これか」



 空はたった今まで燃えていたその場所から目を離せないでいた。そこには何もないが、確かにすぐ直前まであったのだ。

僅かに視線を逸らした先には、彼が毎日目にする水色のスリッパが片方だけ放置されている。いつも母親が履いていたお気に入りのそれを見た瞬間、空はそこで焼かれていたものが何だったのか、嫌でも確信を得てしまった。



「なんで、なんで母さんを!」

「お前も同じ所に行くか?」



 喉が壊れそうな程に叫んだ空の言葉を全く聞いていなかったかのように、父親は淡々とそう空に告げ、そしてまるで遊ぶように空の周囲をあちこち燃やし始めた。

 直接炎に当たった訳ではないが、それでもすぐさま飲み込まれてしまいそうなほどの炎に空は絶望したように目を限界まで見開いて父親を見た。

 その男はその瞬間、にたりと笑っていたのだ。



「俺は怪異だ。こうやって簡単に人間を殺して、何とも思わない。それが怪異だ」

「……っ!」

「死にたくねえならさっさと逃げてみろ。十秒後ここに残ってたら、一瞬で殺してやるよ」



 空は震える足を無理やり立ち上がらせ、ただ死にたくないという願望のままに逃げ出した。父親に立ち向かおうなんて選択肢は存在せず、恐怖から逃れるように、現実から目を背けるようにひたすら逃げた。


 なんでなんでなんで、それだけが空の頭の中をぐるぐると回っていた。















「俺は人間じゃない、あんなやつの子供だ。そんな俺が、この事務所にいる資格なんてない」



 あっけなく一瞬で母親を焼いた父親を思い出して空は俯いた。あんなやつを慕っていたのだと……自分はあの怪異の血を引いているのだと。



「空……」



 八雲の脳裏に、彼が初めて高遠空と出会った時の光景が過ぎる。


 複数の怪異が人間を襲っていると情報を得て駆け付けた廃墟。しかしそこには襲われた人間も怪異もどこにもいなかった。残っていたのは冬にも関わらず彼を襲った熱気と焼け焦げて今にも崩れそうな廃墟、そして一人の炎を纏った少年だけだった。



「……やっぱり、怪異なんてこんなやつらなんだ。人間を殺すことしか脳がない、そんな」



 ぶつぶつと呟かれた独り言を今でも八雲は思い出せる。まるで期待を裏切られたかのような失望の声を、あの時に聞いたのだ。





「今まで、ありがとうございました」



 そう言って顔を上げた空は今度こそ出て行こうと歩き出す。しかし彼が何度も何度も歩いても、しかしまったく前には進むことはなかった。まるでムーンウォークをしているかのような状態に、空はようやく雅に掴まれていた腕を振り返った。


 振りほどこうとしても全く離れない彼女の腕。それもそのはず、俯いていた雅はそのまま全力で空の重力を奪い、そして彼に重石を付けるかのように自身の重力を増していたのだから。

 雅は何も言わない。しかし顔を上げて空を見た彼女の視線は、弾丸のように空の目を強く射抜いていた。



「高遠君。この事務所にいる資格がないなんて、本気で言ってるの」



 横になっていた菜月が起き上がり、そして怒るように語気を強めて空を見つめる。その隣でぐらぐらと傾く菜月の体を支えた恭一郎もいつも通りの冷めた口調で淡々と空に向かって口を開いた。



「お前、そんな理由でここを辞められると思ってるのか? ブラック企業だぞ、この事務所」

「おい、恭一郎」

「事実でしょう。お前に抜けられると俺の仕事が増える、冗談じゃない」

「何で……」



 辞めさせないなんて、まるで自分を引き留めようとするかのような言葉に空は訳が分からないとばかりに動揺を露わにし、力の限り叫んだ。



「俺は、怪異の子なんですよ!? 異能者じゃない、人間でもない! それなのに何で」


「そんなことも分からないの? ほんっとに空って鈍感よね!

――そんなの、あんたが好きだからに決まってるじゃない!」



 今まで黙って空を睨み続けていた雅がそう怒鳴りつけると、至近距離でその言葉を聞いた空は驚きに目を瞠り、そして動きを止めた。

 八雲はそんな硬直したままの空の元まで来ると、彼の頭に手を置いて軽く叩くようにしてからふっと微笑む。



「お前の事情は分かった。だが、辞めるのは却下だ。事務所のやつら全員を抱え込む覚悟がなければ、俺は最初から所長なんてやってない。空、お前は確かに怪異の子なんだろうさ。怪異の子供で、雅ちゃんが惚れた男で――それで、怪異調査事務所の一員だ」

「八雲さん……」

「お前がどんなに否定しようと、お前の居場所はずっとここにある」



 なあ皆、と八雲が他のメンバーを振り返る。しかし八雲が菜月達の表情を確認するその前に、彼の隣にいた雅の右手による一撃が八雲を襲う。



「ちょっと何どさくさに紛れて惚れたとかばらしてるんですかああ!」

「ぐおっ」



 然程強い力ではなかったものの、不意打ちを食らった八雲はよろよろと体勢を崩して数歩後ずさる。



「え、だって自分で言って」

「さっきのはそういう感じのやつじゃなかったじゃないですか!」



 雅は顔を真っ赤にして更に八雲に殴りかかろうとする。流石にそれはしっかりと躱したものの、暴走している雅は攻撃が当たるまで止まらないとばかりに彼を狙い続けた。


 そんな彼らを菜月は微笑ましげに、また恭一郎は呆れ顔で眺める。そして、雅と八雲を最も至近距離で見ていた空はというと……呆気に取られたままぽかんと口を開けて二人と、正確に言うと雅を見つめていた。

 そんな空の視線に気付いた雅はようやく八雲に殴りかかるのを止めて、ぱくぱくと口を動かし、しかし何も言えずに目を泳がせる。



「雅……」

「……ええそうですよ! ずっと好きだったのよ何か文句ある!?」

「俺、怪異だぞ?」

「だから何なのよ、この馬鹿!」

「何で俺が怒られてるんだよ……」



 逆切れ気味に怒鳴り付ける雅に空は少し困ったような驚いたような、けれどどこか照れたような表情を浮かべ、片手で頬を掻いて彼女から目を逸らした。


 その二人の様子に、今まで緊迫していた事務所内の空気が柔らかく緩み始める。空の復讐心が消えた訳ではないが、それでももう彼は事務所を辞めて一人で飛び出すことはしないだろう。八雲がそう思って息を吐いた瞬間、今まで彼の視界に映っていた空達の姿が突如消えてしまった。




「何だ!?」



 いや、正確に言うと突然彼の視界が真っ黒に塗りつぶされて空達を見ることが出来なくなった。八雲だけではない、この事務所全ての電気が一斉に落ちて何も見えなくなった彼らは、誰もが困惑してきょろきょろと辺りを見回したり、手探りで周囲の物を確認したりする。



「停電?」

「外の明かりも全部消えてるな」

「……っ、八雲さん! 窓の外に!」

「何だ?」



 焦ったような空の声を耳にして、八雲は月明かりで部屋よりは明るい窓の傍に向かう。先に窓の外を見ていた空の隣に並んだ八雲は、空に促されるままに薄暗い外を見て途端に顔を顰めた。



「怪異が」



 一体ではない、少し見ただけでも複数の怪異がこちらを窺っているのが分かる。恐らく八雲達の見えない場所にもこれ以上の数の怪異が潜んでいるようで、ひどくざわざわとした気配が事務所の外を覆っていた。


 ちらりと見えた電柱に切れた電線がぶら下がっているのが見える。恐らく怪異が切ってしまったのだろう。事務所が建つ立地には住宅はなくここと同じような事務所がいくつかあるだけで、土曜日の夜遅くである今この辺りにいる人間は殆どいないだろう。それだけが不幸中の幸いだ。


 鋭い目で怪異を見回した八雲はすぐに部屋の中を振り返ると、暗闇に慣れた目で事務所の面々を見渡して指示を出し始める。




「雅ちゃんは事務所正面の怪異の排除、空は裏だ。向こうの数が多い、俺が出来るだけ敵を引っ掻き回すからその隙に倒してくれ。菜月ちゃんはその状態で動くのは危険だ、ここで待機。恭一郎は事務所に怪異が入って来ないように守ってくれ」

「……いいんですか」

「俺のように移動能力がある怪異がいないとも限らない。動けない菜月ちゃんを一人にしておく訳にはいかないからな」



 怪異の数は多いのに自分は前線に出なくていいのか、と恭一郎が尋ねると八雲は何とかすると頷いた。戦えない異能者を放置しておくわけにはいかないが、確かに恭一郎の気持ちを汲んだ結果でもあった。



「ごめんなさい……また足手纏いに」

「元々体調悪かったのに俺が余計に異能を使わせた所為だ。音羽は悪くない……相馬先輩、音羽のこと頼みます」

「お前に言われなくても俺が守る」

「ですよね」



 がんがんと頭に響く頭痛に苦しむ菜月と恭一郎に声を掛けた空はそのまま慌ただしく事務所の扉に手を掛け、そして出て行こうとした所で一度振り返って彼は小さく笑った。



「……行って来ます」
















「ったく、どれだけ居んのよ!」

「異能者は殲滅しろっ!」



 雅は怪異を地面に叩き潰しながら苛立ちを込めて叫ぶ。怪異達は怪異達で雅を狙いながら煩い声で彼女を威嚇している。

 怪異達の声を聞いて彼女が推測する所、どうやらこの怪異達は炎が帰って来たことで気が大きくなり、その勢いのまま今まで太刀打ち出来なかった異能者を殺そうとしているらしい。影が言っていた通りだ。



「炎が戻って来たからにはお前らを恐れる理由などない! 死ね!」

「雅ちゃん!」



 他の怪異を相手にしていた所為で背後に鋭い鉤爪が迫っていることに気付かなかった雅だが、その爪が彼女に届く寸前で八雲が彼らの間に滑り込み、大振りのナイフで怪異を切り払った。



「ありがとうございます! 八雲さん、空は!?」

「無事だ。こっちの方が大変だから行って欲しいって言われてな。ぎりぎりセーフだったみたいだが」

「空……」



 事務所の裏手で戦う空と正面で戦う雅の元を行き来していた八雲だったが、空に雅のことを任せられた。空の炎は広範囲を焼くことが出来るので一対多数に慣れているし、そこに攪乱目的の八雲が紛れ込むと逆に戦い辛くなるのだ。

 先ほどまで暴走していた空を一人にするのは少々懸念があったが、八雲は空を信じることにした。


 元々怪異の間を飛び回って攻撃する二人だ、雅と八雲は多数の相手を翻弄する際非常に良いコンビネーションを見せる。お互い怪異を振り回し、その隙を縫って一撃で仕留める。順調に怪異の数を減らしていた二人だったが、しかしその時不意に怪異達の怒声に混じって何かが割れる音が周囲に大きく響き渡った。



「え」

「事務所が!」



 割れたのは二階に位置する事務所の窓。そこへ怪異が飛び込んでいくのを目撃した雅は咄嗟にその後を追う為に踵を返したが、待っていましたとばかりに気を逸らした雅に怪異が突撃した。


 腹を思い切り突き飛ばされて思わず吐きそうになった雅に怪異は追撃を掛ける。しかしその怪異は背後から突き立てられたナイフであっさりと塵になり、雅はよろよろと腹を押さえながら体勢を整えた。



「今は目の前の怪異に集中してくれ。恭一郎を信じるんだ」

「……はい」



 ぐったりと辛そうにしていた菜月の姿が雅の頭の中に過ぎったものの、彼女はそれを振り払うように威勢のいい声を上げて怪異に向かって行った。















 事務所の裏手。八雲が居なくなり空が一人で怪異を倒していた頃、突然彼は後ろに大きく飛んで怪異との距離を取った。

 その刹那、夜の闇を残らず焼き尽くすような凄まじい炎が空の目の前を通過し、その場に居た怪異を余すことなく消し去る。空の炎ではない、しかし見覚えのある強大な炎だった。



「来ると思ってた」

「ああ、来てやったぞ」



 先ほどから空のよく知る怪異の匂いが漂っていた。他の怪異の匂いなど嗅ぎ分けられないが、この男だけはしっかりと記憶に刻まれている。更に先程とは違い、ここに来ると予想していたのだから間違えるはずもなかった。



「覚悟しろ、クソ親父」



 消えた炎の先から姿を見せたその怪異は、空の言葉に応えるように楽しげに笑った。





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