1-9 当たり前の空間
事件から日は過ぎ学生達が夏休みに突入したある日、雅は騒がしい町の喧騒から離れるように静寂が保たれた墓地に立っていた。まだお盆ではないので人影も少なく、墓地に向かう途中で一人とすれ違ってからは誰の姿も見ていない。
とある墓の前に立った彼女はそこで立ち止まって花を供え、そして無言でその場にしゃがみ込んだ。
「……」
新見菫の墓の前で、雅は一度口を開くがすぐに閉じる。彼女に何を言えばいいのか分からなかった。
守れなくてごめん。仇は取った。いくつかの言葉が彼女の頭に浮かんだものの、結局雅は何も言うことなく手を合わせてから立ち上がった。もやもやとしたえも言えぬ感情を心に残したまま、雅は墓前に背を向けて来た道を戻り始める。
「……あれ」
とぼとぼと歩いていた雅の足が止まる。目の前からやって来た花を抱えた人物の姿を見た彼女は少し驚きに目を瞠りながら彼の名前を口にした。
「八雲さん」
「ん? 雅ちゃん、偶然だな」
彼、八雲もまた驚いたように目を見開き雅に声を掛けて来る。まさかこの場所で彼と遭遇することになるとは思わず、雅は彼が抱える花に視線を落とした。
「八雲さんも、誰かの」
「……ああ。よかったら、雅ちゃんも来るか?」
「え?」
「まったく関係の無い人物って訳でもないからな」
墓地にいるというのに明るい口調で笑って促す八雲に、雅は流されるように頷いた。せっかく墓参りに来たというのにいいのだろうかとも思ったが、自分にも何かしらの縁があるらしいという言葉に興味を引かれ、踵を返して八雲の背中を追う。
迷うことなく足を進める八雲に従って歩いていた雅は、ふと歩みを止めた彼を見上げ、そしてその前に立つ墓に視線を移す。
九十九家と書かれたその墓に花を供えた八雲はどこか懐かしげに目を細め、そしてある人物の名前を口にした。
「九十九一真」
「え?」
「俺の兄さん……うちの長男だった人だ。俺が一番、尊敬していた人」
八雲に兄弟が多いことは雅も耳にしたことがあるが、しかし誰かが亡くなっていたという話は初耳だった。
九十九家は異能の家系だ。殆どの人間が異能を持ち、そして異能を持つということは怪異に狙われるということだ。だからこそ命の危険性は普通の人間よりもずっと高い。
「雅ちゃんは知らないだろうが、うちの事務所の前の所長が一真兄さんだった。……俺達を庇って怪異に殺されて、俺が代わりに所長になるまでは」
「怪異に……」
「ああ。兄さんが死んだ時は、どうして俺じゃなかったんだって、何で庇ったんだってずっと考えてた」
ぽつりぽつりと告げられる言葉は雅の心に染み入り、そして彼女が抱いていた疑問を氷塊させる。先ほどのもやもやはきっと同じなのだと。菫が死んでしまったのに、自分は生きているという罪悪感なのだと。
だからこそ、何を言っても偽善にしかならないと思ってしまった。
「……そんなこと考えても仕方がないのにな。結局の所、兄さんが死んだのも俺が生きているという事実も変わらない」
「……そう、ですね」
菫が殺されて、雅が生きていることだって揺らがない。変えられない。
自然と俯いていた雅は、目の前の八雲が振り返ったのに気付いて顔を上げる。「だからさ」と言葉を続ける彼は、何処か吹っ切れたように笑っていた。
「死んでしまった人間に出来ることは、ないから。だからせめて、彼らに恥じないような生き方をしようと思ったんだ」
「……八雲さんは、そうやって生きられていると思いますか?」
「さあね。兄さんに負けないような所長になりたいとは思っているけど、実際はどうかな。雅ちゃんはどうだ?」
「私?」
「何がしたい、どんな風に生きたい」
どんな風に、そう言われて雅の頭に最初に過ぎったのは菫の姿だ。明るい太陽のような彼女に救われた。
そんな彼女に、惹かれた。
「皆を、守れるように」
菫が雅を守ってくれたように、彼女もまた誰かを守れるようにと、そう思った。
そうか、と頷いた八雲は彼女の頭に手を置き、そしてゆっくりと撫でる。
「それじゃあ、そろそろ帰ろう。事務所まで一気に飛ぶか?」
「八雲さん、異能使いすぎると運動不足になりますよ。ちょっと太ったんじゃないですか?」
「は、え、マジか」
「嘘です!」
本気で焦り自分の腹を触った八雲に、雅はからっと笑って彼をからかう。少し怒ったように彼女の名前を呼んだ八雲を置いて走り出した雅は、途中で方向を変え先ほど花を供えた菫の墓の前で足を止めた。
何も言えなかった先ほどとは違い、雅は憑き物が落ちたようにすっきりとした顔で手を合わせて感謝の言葉を紡いだ。
「菫……私と友達になってくれて、ありがとう」
菫のように誰かを守れる人間になるから見ていて、と雅の瞳から一筋の涙が零れた。
雅と八雲が事務所に戻ると、何やらそこは随分と騒がしい声で溢れ返っていた。
「何でこの問題が分からないんだ、さっき解いた問題と殆ど変らないだろうが」
「いっくんがスパルタだあああ……」
「何で俺まで」
事務所に入って最初に見えた光景は、今にも持っているペンを放り出しそうに嘆いている菜月と空、そして眉間に皺を寄せて厳しい顔で二人を見張る恭一郎だった。菜月達の前には雅にも見覚えのある問題集が広げてあり、それが数学の夏休みの宿題であることが分かった。
ぶつぶつと文句を言うように呟いた空の声を聞いた恭一郎はそんな彼に冷めた視線を送りながら「お前が前に教えろと言ったよな?」と片眉を上げる。
「なつが俺がいないのを理由に勉強しなくても困るからな。その時にお前が教えられるようにみっちり叩き込んでやる」
「俺完全に巻き込まれてるだけじゃないですか!」
「……あはは」
相変わらずの恭一郎の様子に乾いた笑いが出る。その雅の声にようやく二人が帰って来たことに気付いた三人は一様に顔を上げて各々彼らに向かって声を上げた。
「二人とも一緒だったんだ、おかえりなさい」
「八雲さん、この音羽贔屓の男どうにかして下さい!」
「ちょうど良かった。日下部、お前もどうせ宿題まだやってないだろ。参加しろ」
好き勝手に話し始める三人に雅と八雲は顔を合わせて苦笑し、それぞれの定位置に座る。まるで救いを求めるように菜月と空に視線を送られるが雅とて恭一郎をどうにか出来る訳ではない。
「いっくん、ちょっと休憩しようよ」
「どうせやらなきゃいけないんだ。さっさと終わらせろ」
「問題集一冊あるのに!」
こんなに分厚い、と菜月が指で厚さを確認していると、雅もだんだん問題集を開く気が失せて来る。数学の宿題は何故か他の教科よりも多い気がするのである。
しかしそんな菜月の懇願も恭一郎にはどこ吹く風。彼は菜月の問題集を取り上げるとぱらぱらとページを捲り「一ページの問題数はそんなに多くないから出来る」と無情なことを口にした。
「休み明けに実力テストがあるの分かっているんだからな。結局期末で平均取れなかったんだからきりきりやれ」
「いやでもさ、三十点取ったよ? 前の二倍だよ? 五十点だったら百点になってたってことだよ」
その考えは色々と可笑しい、と雅と空が同時に思った所で恭一郎の「百点なんて求めてないから五十点取れ」と至極真っ当で冷静な突っ込みが飛ぶ。
更に言い合いを続ける二人をいいことに空は恭一郎の目を盗んで休憩し始め、雅はこっそりとソファから腰を上げて八雲の元へと向かった。
机に置かれた書類の束にうんざりとした顔をしていた彼の傍までやって来ると、雅は一度菜月達に視線をやって八雲を呼ぶ。
「八雲さん」
「どうした?」
「私、この事務所好きですよ。八雲さんが作ってくれたこの空間が好きです」
「……ありがとう」
少し騒がしいが、とても居心地の良い場所だと雅は笑う。そして、この日常を壊さない為に戦うのだ、と。
一章終了です。次回二章の更新は一週間後の予定になっています。




