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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
一章 日下部雅が守るもの
16/46

1-8 守る

 ざくざく、と草を乱暴に踏み潰しながら空は中庭の池目掛けて走る。すぐ目の前に広がる池は月を映して淡く光を放ち幻想的な雰囲気を醸し出しているが、彼にそれを美しいと思う余裕などありはしない。



「雅!」



 空が池に辿り着く直前、不意に凪いでいた水面が揺れてそこから人間の手がずるりと池の淵の煉瓦を掴んだ。そして間を置くことなくもう一方の手、頭、そしてずぶ濡れになった少女の顔が水面から出たのを確認して、空は彼女の名を呼んで駆け寄る。



「げほっ……げほ」

「大丈夫か!? 何があった?」

「だいじょう、ぶ。少し水を飲んだだけだから……ついさっき怪異に池に落とされて、苦しくて。ごめん、ちょっと力が入らないから引き上げてくれる?」

「ああ」



 煉瓦にしがみ付くように息を整えていた雅が片手を空に向かって伸ばす。空は強く頷くと彼女の腕を掴もうと手を差し伸べて。




「……とでも言うと思ったか?」

「え」



 空が雅の手を掴む寸前、突如彼の目の前が明るく照らされた。いや、少々語弊がある。何しろその光――炎は彼自身が作り出したものなのだから。


 空の目の前、つまり手を伸ばしていた雅は突然強い炎に包まれてぎゃああああと醜い悲鳴を上げるが、しかし対する空はただ無表情でその光景を眺めているだけだった。



「な、おぬし気付いて……!」

「そんな酷い怪異の匂い漂わせて気付かないとでも思ったのか」



 生憎俺の嗅覚は他のやつより鋭い、と冷たく吐き捨てた空は水に一度潜って纏う炎を消した雅――怪異を見て舌打ちした。何とか炎から逃れた怪異はもう必要ないとばかりに空から見えていた雅の姿を解除して元の姿を見せる。



「お前が水狐だな」

「人間にも知られているとは、有名になったものじゃな」



 その怪異は、一見するとまるで人間のような見た目だった。妖艶な雰囲気を纏う美女――水狐は本性を表すように大きく口を横に広げてにたりと笑んでいたが、空の顔をはっきりと視界に入れた途端、訝しげに目を細めた。



「おぬし、どこかで見た顔じゃな」

「ナンパは地獄でするんだな」



 怪異が何を言おうと空は揺るがない。再び容赦なく炎を浴びせようと異能を発動させるが、しかし水狐はその前に池に潜ってしまい炎は水面を舐めるようにして消えた。



「まったく、やはり食べ残しとはいえ小物に餌を与えるのは間違っていたか。まさか骨まで喰い尽くさぬとは。おかげでこんなに異能者が集まってきおった」

「やはりお前がここの生徒を殺した怪異か」

「だから何じゃ? わざわざ餌になりに来た異能者には関係なかろう。すでにおぬしらの仲間は一人この池に沈められて死んでおる。おぬしもすぐにその後を追うことになろう」

「……さて、それはどうかな」



 余裕の表情でせせら笑う水狐に、空もまた焼き尽くす程の炎を繰り出す手とは裏腹に酷く寒々しい笑みを浮かべていた。



「あー、空。もう時間稼ぎはいいぞ」

「はい」

「……っ何!?」

「今の時期でよかったよかった。冬だったら凍死してたな」



 その声が聞こえたのは水狐がいる池のやや後ろ、中庭の芝生の上だった。いつの間にか全身ずぶ濡れで疲れたように息を吐いていた男――八雲はその腕に、同じようにずぶ濡れの雅を抱えて座り込んでいる。



「雅は」

「何とか息はあるが辛そうだな。早く菜月ちゃんが来てくれれば」

「八雲さん! 雅は大丈夫ですか!?」

「……と言っている間に来たな」



 ぐったりとした雅を気遣うように見ていた八雲が顔を上げて遠くから全速力で走って来る菜月と恭一郎の姿を見つける。ここに来てようやく全員が合流したのだ、水狐は戦慄くように口を歪ませてきつい目で空達を睨み付けた。



「何故……この池には誰も入っておらぬはず」

「あんたが勝手にそう思っただけだ」



 空が水狐の相手をしている間に八雲はすでに行動していた。気付かれないように異能を使って水中へ移動した彼はすぐに水の中で気を失いかけていた雅を掴み、そして再び外へ移動していたのだ。


 八雲達の元に無事に到着した菜月が大慌てで雅に異能を使うと、すぐに雅の体が大きく跳ねて水を吐き出し始めた。菜月が背中を擦りながらそのまま異能を使い続けていると、然程時間も掛からずに雅は咳き込むのを止め、そしてゆっくりと閉じていた目を開けた。



「雅!」

「菜月……」



 ぼんやりとした目で菜月を見上げた雅はうろうろと視線を彷徨わせていたが、しかし自分が八雲に抱えられているという事実に行き着いた瞬間に咄嗟に彼を突き飛ばしてしまった。



「おい、雅ちゃん!」

「すみません、つい反射的に!」

「反射的に突き飛ばすほど嫌だったのか!?」



 八雲の突っ込みに雅は申し訳なさそうに謝る。彼女からすれば知らないうちに男性に抱きかかえられていたことに驚いた咄嗟の行動だったのだが、突き飛ばされた八雲は地味に傷付いたようだ。



「……まあそれだけ元気になったんなら安心だな」

「そういえば私、空に池に落とされて」

「怪異の仕業だ、俺じゃない」



 あいつだ、と空が示した先にいるのは水狐なのだが……これほど話しているのに彼女は何も攻撃してこない。不審に思った空が警戒を強めると、ざばんと水面を波立てて彼女は池から上がり、そして蠱惑的に微笑んだ。



「仲間が集まったのはそちらばかりだと思ったか? こちらもおぬしらが呑気に話している間に既に呼び寄せておる」

「……あ」



 水狐の言葉が発せられた瞬間、全員にぞわりと寒気が走った。よく目を凝らしてみれば暗闇の中あちらにもこちらにも、中庭を包囲するように怪異が群がっているのが見える。恐らく学校中にいた全ての怪異を呼びよせたのだろうと踏んだ空は周囲を警戒しながら少しだけ笑った。



「これだけ集まってくれたら一気に殲滅できるな、好都合だ」

「まったく、空は好戦的だな。……まあ全員揃っているんだ。勝てない訳がないな」



 挑発するような空の言葉に八雲も立ち上がり、そしてナイフを構えながら雅に視線を映した。



「雅ちゃん、今なら好きなだけ突っ走ってくれて構わないよ。俺達がしっかりフォローできるからね」

「八雲さん……」



 雅ははっとして彼を見上げる。先ほど池に落とされた時だって、自分が怪異を倒すんだと頭に血が上って周りが見えていなかった。「俺達で怪異を倒す」と言った空の言葉が雅の頭を過ぎり、彼女は一度深呼吸をして周囲の気配に神経を集中させる。


 怪異の数は多い。そしてその親玉……菫の仇は目の前にいる女。やるべきことは怪異の討伐で、自分の憂さ晴らしではない。

 雅がするべきは、ここに居る仲間を守る為に戦うことだ。



「かかれ」



 さらりと水狐が口にした言葉を皮切りに、怪異達が一斉に飛び掛かってくる。それらに恐れることなく、まず空と雅が飛び出して出鼻を挫き、そして隙を埋めるように八雲と恭一郎が異能を使う。


 強烈な炎で燃やしてもなお一矢報いるように大きな口を開けた怪異が空の腕に噛み付く。腕の一部を噛みちぎるほどに強い攻撃に血が派手に噴き出るが構わず灰にし、空は菜月の所まで後退して治療を受ける。彼女が異能を使って空を治している間は恭一郎が怪異を近づけさせないように立ちはだかり、異能や、菜月が持ってきたモップの柄を器用に使って攻撃を捌いた。



「くらえ」



 八雲が水狐の不意を突く様に背後に移動してナイフを振り上げる。しかしぎりぎりでそれに気付いた彼女は八雲を振り返り、そしてそれを見た彼の手は振り下ろそうとしたナイフを鈍らせた。



「やはり人間は愚か」



 動揺によって生まれた隙を見逃すことはなく、水狐は池から大量の氷の礫を作り出し八雲にぶつける。咄嗟に腕で庇ったものの、随分と尖った氷は彼の腕や体のあちこちを引き裂き傷付けた。



「八雲さん!」

「痛ってぇな……こんな時に懐かしい顔を見るとは」



 呟くように付け足された言葉は誰にも届くことはなく消えていく。怪異の能力だと分かっていても、久しぶりに見たその顔に無意識に手を止めてしまったのだ。




「早くこっちに来て下さい!」

「いや、これくらい大丈夫だ。菜月ちゃんも少し休んでくれ、さっきから異能を使いすぎだ」

「でも」

「後は私達に任せて。菜月に治してもらった分、存分に暴れてやるから!」



 雅は言いながら怪異の脳天に必殺の重力を込めた踵落としを食らわせる。先ほどまで溺れてぐったりとしていたのが嘘のように元気な彼女の姿を見て、異能の使いすぎによる頭痛に耐えていた菜月も少し力を抜いて息を吐いた。


 未だに多勢に無勢だ、気を抜いていいはずがない。それなのに彼女は無意識のうちに大丈夫だと確信していた。雅も空も、八雲も恭一郎も、皆その顔に不安など一切感じられなかったのだから。












「これで、最後だな」



 残っていた怪異をまとめて空の炎が呑み込むと、辺りは夜を取り戻したかのように暗く、静寂が広がった。終わったのだと頭痛が収まった菜月が立ち上がると、ふと彼女の耳に隣にいた恭一郎の「おかしい」という呟きが届いた。



「誰か水狐を倒したか?」

「いや、俺は」

「私も」

「いつの間にか他の怪異に紛れて居なくなっていたか?」

「不利を察して逃げたのかもしれない」



 水狐を探すように五人は慎重に辺りを見回す。逃げられていたとすれば、また別の場所で同様の事件が起こっても可笑しくないのだ。確実に捕まえて、もう二度とこんなこと起きないようにしないと、と菜月も真剣に中庭を隅々まで確認するつもりで歩いた。


 その足に冷たいものが絡みついたのは、その時だった。



「え」

「土産にひとりでも貰っていく。わらわをコケにした代償だ」



 菜月がいたのは池のほとり。そこから煉瓦の淵を乗り越えてぬるりとした手が伸び、彼女の足に巻きついていた。驚いて硬直した菜月の目に池の中からぎょろりと目だけを出した女の顔が映り、まるで呪うような怨嗟の声も相まって彼女は恐怖に腰を抜かした。


 しかし彼女が座り込もうが、足に絡みついた手は容赦なくずるずると彼女を池に引き摺り込もうとする。その勢いはすさまじく、他の人間が気付いても手遅れになるか、もしくは一緒に引き摺り込まれるだけだろうと確信させるようなものだった。



「なつ!」



 恭一郎の声が聞こえるが彼女の返事をしている余裕などない。その手は片足を池に引き摺り込むと続いて胴体を絡め取るように手は伸び、菜月は身動きも取れぬまま池の中に連れていかれる寸前だった。

 雅の時と同じようにはいかない。八雲の異能を知った水狐は警戒しているであろうし、恐らく今度は菜月が死ぬまで彼女の体を離さないだろう。確実に異能者達に打撃を与える為に。


 暗い水の中に飲み込まれる恐怖にパニック状態になっていた菜月は胴体が水に浸かる瞬間目を閉じる。



「あんた」



 しかし一向に引き摺り込まれる感覚はない。何故かぴたりと止まった動きに少しだけ我に返った菜月は恐る恐る目を開けるが、自分の体に巻きつく腕にもう一つの手が添えられているのを見て、弾かれるようにその腕を辿ってその主を見上げた。



「菫だけでなく菜月にも……私の友達に何するのよ!」

「何!?」



 水に引き込まれるぎりぎりの所で間に合った手は雅のものだった。彼女は水狐の手に触れるとそのまま彼女から一気に重力を奪った。水の中でも力強く菜月を引っ張っていた水狐だったが、どれだけ力を込めようと重力を失い更に浮力のある池の中で菜月を引き摺り込む程の力などない。


 水面に浮いた水弧を雅は菜月を解放させた後に容赦なく引っ張り、そしてそのまま傍の地面に強く叩き付ける。勿論今度は思い切り重力を付加させて。



「空!」



 空の名前を呼んだ雅に、彼はいいのか、と彼女の瞳を覗き込む。空の目に映る彼女は憎しみに捕らわれたものではない、仇を討つと切羽詰っていたものでもない、空を信頼するような強い眼差しをしていた。


 一瞬のアイコンタクトの後、空は無言で火柱を作り全てを終わらせた。





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