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怪異調査事務所へようこそ  作者: とど
一章 日下部雅が守るもの
15/46

1-7 罠

「ああもう、やってられない!」



 雅は頭を抱えながらそう言ってずんずんと体育館の傍を歩いていた。あれから怪異を倒したもののすぐに他の怪異がやって来て、戦っているうちに随分校舎から離れてしまったのだ。


 しかし問題はそこではない。雅は一度足を止めるとポケットにしまった携帯の残骸を取り出して大きくため息を吐いた。これでは他の仲間に連絡も取ることが出来ない。誰かが危険に陥っていても分からないのだ。



 怪異を倒して一度余裕が出来た時に菜月に電話しようとしたのだが、しかしすぐに別の怪異がやって来てしまった。邪魔だ、と思い切り重力を乗せて力のままに拳を振り下ろした雅は……その手に携帯を握っていたことをすっかり失念していたのである。



「……あ」



 怪異は倒したがそれ以上の損害を被ってしまった。






「とにかく菜月を探さないと」



 雅は気を取り直すようにそう声に出すと、怪異の不意打ちを受けないように神経を使いながら校舎へ向かおうとする。校舎内の方が隠れ場所も多いだろうから菜月もまだ留まっているだろうと当たりを付けて急ぎ足を進めていると、不意に目の前から誰かが走って来るのが見えた。



「空!」



 焦ったような顔でこちらに向かってきたのは空だった。彼は雅の顔を見るとほっとしたように表情を緩め、「無事でよかった」と笑みを浮かべる。雅もまた一人きりだった所にようやく仲間が現れたことに心底安堵した。何しろこの暗い中、菜月と離れてから怪異の姿しか見ていなかったのだ。



「空、八雲さんは?」

「怪異に分断されて逸れたんだ。……それより大変だ、ここの怪異の親玉を見つけた」

「本当!?」

「ああ、だけど一人じゃ流石に無理だったんだ……助かった」

「どこに居るの!? ねえ、早く倒さないと!」



 八雲のことは心配だが、しかし雅は菫を殺した首謀者を見つけたと聞いて居ても立ってもいられなくなった。雅が何をしようと大切な友人はもう戻って来ない、そう分かっていてもその怪異を絶対にこの手で――。


 怪異に殺されたと初めて聞いた時と同じように燃え上がる黒い感情のままに空の肩をがくがく揺らすと、彼は「お、落ち着け」と動揺しながら雅を無理やり引きはがした。



「怪異はこっちだ、着いて来てくれ!」

「分かった!」



 頭に血を上らせながら空の背を追って雅は走った。向かう方向は校舎の入り口ではなく、どうやら中庭のようだ。息が切れることも気にせず全力で走った彼女は突然足を止めた空に釣られて立ち止まり、そしてくらくらする頭のまま辺りを見回した。


 綺麗に手入れのされた花壇や木々、昼休みになれば生徒でいっぱいになるであろう芝生、そしてその傍に広がっている少し大きめの池。雅が確認できたのはそれだけで、怪異の姿などどこにも無かった。



「空……怪異は!?」

「さっきそこの池に入っていくのを見たんだ! 多分まだ中に……」

「池?」



 怪異と人間の構造は多少似通った場所もあるものの根本的に全く異なる。例えば心臓を刺されたり首を折られたりすれば死ぬのは一緒だが、死ぬ瞬間にその姿は完全に消え去る。それがまた怪異の存在を調べにくくしている原因なのだが……とにかく怪異は人間とは違い呼吸を必要としないのかもしれないと雅は思った。


 空の言葉に池を覗き込んでみても波紋一つ立っていない。もしこの中に怪異が潜んでいるのであれば雅はすぐにでも潜りたいが、しかし水中で呼吸の制限がない怪異に果たして勝てるだろうか。



「どうにかして引き摺り出さないと」

「ああ、でも簡単な方法がある」

「本当!?」



 背後から聞こえて来た頼もしい言葉にぱっと振り返った雅は、その瞬間硬直した。




「おぬしがそのまま沈めば全て解決じゃな」



 空の姿で、声で……しかし空の言葉でも表情でもないそれは、酷く歪んだ笑みを浮かべながら右手を強く前に突きだした。



「え」

「愚かな娘じゃ。好いた男も見分けられぬとは」



 思い切り突き飛ばされた雅は当然のように背後に広がる池にその身を踊らせ、そして混乱したまま水をかき分けるようにもがいた。けれど顔を出そうとした彼女の頭を誰かが水の中に押し戻してしまい、雅は苦しみながらその歪んだ視界が閉じられるのを待つしかなかった。



「まずは、一人」


















「いやあああ、来ないででえええ!」



 悲鳴を上げながら夜の校舎を爆走しているのは菜月だ。背後には一体の鳥形の怪異が迫っており、しかも早い。せっかく電撃を放つ怪異を撒くことが出来たのにすぐに別の怪異に遭遇してしまうとは、と泣きそうになりながら走っていた菜月は必死に震える手でポケットを漁って携帯を取り出すと、操作一つで繋がる緊急時の連絡先を慌てて選択する。



「や、八雲さーん!」



 彼ならば菜月のGPSを追ってすぐにここに来てくれる。そう思ったのだが、しかし電話は一向に繋がらない。そもそもコール音すらならない状況に八雲に何かあったのかもしれないと血の気が引いた。



「え、ちょっと待ってよ!」



 しかし携帯など操作していれば当然多少は走るスピードが落ちてしまう。その隙を狙って彼女の隣に並んだ怪異は素早い動きで、まるで獲物を捕まえるように彼女の手にあった携帯を嘴で銜えてそのまま窓の外へ飛んでいってしまったのだ。



「あ、あああ……」



 彼女の最後の切り札が奪われてしまったのに気力もなくしてその場にへたり込む。雅ではあるまいしそもそもここは三階だ、あの鳥を追う手段など彼女にない。



 完全に一人になってしまった彼女はとにかく怪異に見つからないように傍の教室へ籠り、息を潜めるしかなかった。



「……何してるんだろ、私」



 怪異調査事務所の一員であるはずの菜月は、ここに怪異を討伐しに来たのだ。それなのに怪異に怯えてただ逃げ隠れしている自分がたまらなく嫌だった。完全に一人になってしまった彼女の脳裏にはそんな自分を責める言葉がどんどん溢れ、段々と表情が失われていく。


 異能で攻撃出来ないからなんて言うのは言い訳だ。八雲だって異能は瞬間移動なのに前線でナイフを振りかざしてしっかりと戦っている。菜月だって本当は、すぐに怪我が治るという利点を生かせば怪異に特攻だって可能なはずなのだ。それをしないのはただ単に怖いと身勝手に怯えているからに他ならない。



「……行こう」



 痛みがなんだ、すぐに治るだろう。他の人達はもっと傷付いているかもしれない。菜月は一度教室内を見渡して何か武器になるものはないかと探し、そしてまた結局掃除用のロッカーを開けた。椅子や机は彼女が振り回すには重すぎ、更にそこまで間合いに入り込まれたら先に攻撃されてしまうだろう。


 先ほど雅に渡した長箒と塵取り、そしてモップが入ったロッカーの中を確認した菜月は少し考えた後にモップを手に取った。箒の方が軽いがモップの方が長く、振り回すにも十分だ。掃除中に男子生徒がちゃんばらをやっていたのを思い出しながら何度か素振りをした菜月は「よし!」と気合を入れるように声を上げてから教室を出て行こうとした。



 ……しかし扉を開こうとした瞬間、廊下から聞こえて来た足音に見事に彼女の動きはぴしりと止まったのだった。廊下を叩く様にコツコツと規則的に聞こえて来る足音に、彼女は緊張しながらゆっくりと息を呑む。足音からしてきっと一体だと予想した菜月はモップを握る手に力を込めながら、その足音が扉の前を通り過ぎるのをじっと待った。



「やあああああっ!」



 今だ、という瞬間で扉を開けた菜月は、恐らくこちらに気付いていないであろう怪異に向かって思い切りモップの柄を振り下ろし、そして――。

 何事も無かったかのようにあっさりと受け止められてしまった。




「……なつ」

「え」



 ぱしん、と軽快な音を立ててモップを受け止めたのは、驚いた顔をした恭一郎だった。今まで怪異を倒すのだと気負っていた菜月は唐突に見た彼の姿に安堵し、思わず全身の力が抜けそうになる。



「……よかった」



 心からのほっとしてしゃがみ込んだ菜月を恭一郎は暫し目を瞠るように見つめていたが、しかししゃがみこんだ彼女に手を差し伸べることはなかった。彼は眉を寄せて険しい表情を浮かべたかと思うと、「なつ」と短く彼女を呼んで顔を上げさせる。



「どうしたの?」

「……お前、この前の数学のテスト何点だった?」

「は?」



 一体何を言っているのだろうと首を傾げた菜月に、ますます恭一郎の顔が険しさを増す。



「いや、知ってるでしょ? あの点数思い出したくないんだけど。というか何で今そんなこと」

「いいから答えろ」

「……十五点です」



 こんな緊急事態に何を言わせているのかと思いながらも菜月が答えると、恭一郎はようやく安心したように表情を緩め、彼女の腕を掴んで引き上げた。



「いっくん、何変なこと言ってるの? どこか怪我したの?」

「何でもない。……というか何でお前は一人なんだ、日下部はどうした」

「雅は……」



 恭一郎の質問に、菜月は困りながらもこれまで起こったことを話す。怪異によって分断され、そして携帯も奪われてしまった為一人になってしまったのだと口にする菜月に、恭一郎は頭痛を押さえるように右手を米神に当てる。



「まったく、無事だからよかったものを。なつ、とりあえず頼みがある」

「頼み?」

「これを直せるか」



 恭一郎はポケットから壊れた携帯を取り出すとそれを菜月の前に差し出す。そこで今更ながら彼女は自分の異能が人だけでなく物も直せるのだったと思い出したのだった。元々頭にあったとしても彼女の携帯は手元にないのでどうしようもないが。



「……いっくん」

「何だ」



 菜月は恭一郎の携帯を受け取ろうと手を伸ばし、しかしすぐにその手を止めた。そして彼の携帯を持つ右手から視線を逸らした彼女はもう一つの手――先ほどから碌に動かしていない左手を見た。


 考えてみれば、彼の左側からモップで殴りかかった時だってそれを止めたのは右手だったのだ。八雲ほどではないが、きっと怪我をしたのだろうということは彼女でも薄々気付くことが出来た。



「左手見せて。他もどこか怪我した?」

「……別にお前に治してもらうほどの怪我じゃない」

「またそんなこと言って!」



 菜月は問答無用とばかりに恭一郎に抱き付き、そして彼の怪我が全て治るようにと異能を使い始めた。電撃を受けた左手や耳だけではない、細かい切り傷まで全て治そうとする菜月の異能に、恭一郎は焦って彼女を引きはがそうとする。



「なつ、止めろ! ただでさえ異能使うとすぐにへばる癖にそんな豪快な使い方を!」

「いっくんが悪いんだから! ちゃんと教えてくれればこんな風にしなくていいんだからね!」

「悪かった! 分かったから放せ!」

「……まったく」



 少しずきずきと頭が痛み始めた所で渋々菜月も異能を止める。恭一郎が菜月に異能を使わせたくないのは分かるが、しかしこうでもしないと彼は自分が怪我をしてもずっと黙ったままだ。ある意味荒療治というやつである。


 怪我が治ったことに満足した菜月は続いて恭一郎の携帯に触れて再び異能を使う。今まで練習で少しずつ小さな切り傷を治して来た菜月はある程度異能を使う際の匙加減が分かって来ており、携帯一つくらいならばさほど異能を使わずとも直すことが出来る。



「はい」

「電源は……入るな。直ってる」



 渡された携帯の電源を入れた恭一郎は、少し操作してそれが全く問題なく作動するのを確認した後、そっと左手で彼女の頭に手を置いた。



「なつ、助かった」

「役に立てたなら良かったけど……」

「とりあえず他のやつらを探そう。日下部から何か連絡が入ってないか八雲さんに……高遠に掛けてみる」

「高遠君?」

「八雲さんも携帯を壊されてる。出来れば合流してどうにかした方がいいが」

「まかせて!」



 自分でも少しは役立てたとやや気分の浮上した菜月は、力強く頷いてから携帯を耳に当てる恭一郎を守るようにモップを握って周囲を見回した。


 怪異がいたらすぐに見つけられるように、と緊張しながら廊下や窓の外――先ほどの鳥の怪異がまた戻って来るかもと――を警戒するように確認していた菜月は、不意に視界に見慣れた二人を見つけて首を傾げた。窓の外、中庭を走るその二人の姿は明らかに可笑しなものとして彼女の頭に大きな疑問符を浮かべさせる。



「ねえ、いっくん」

「なんだ、今電話して」

「いっくんがいる」

「……何だって?」



 電話口で何かを話していた恭一郎は、菜月の言葉に意味が分からないと眉間に皺を寄せる。電話の向こうの八雲に一言断って携帯から耳を離した彼は中庭を見下ろす菜月に従って同じように窓の外を確認して、そして厳しい顔をして目を細める。



「……俺にはよく見えん」

「そっか、暗いし目悪いもんね」

「とにかく、どういう状況なんだ」

「ほら、あそこに雅がいるの分かる? その隣に、いっくんみたいな人がいるの!」



 必死に目を凝らす恭一郎の目に、恐らく雅であろうと思われる人物が映る。しかしその隣にいるのは。



「な――」

「雅!」



 どうして恭一郎が二人も、と考えていた菜月の目に信じられない光景が映った。中庭にいた恭一郎が、池を覗き込んでいた雅を突き飛ばし池に沈めたのだ。

 暗闇の中で水飛沫が飛び散り、雅が沈んでいくその光景は恭一郎の目にも曖昧にだが目にすることが出来た。ただし彼が見た雅を突き飛ばした人物は自分ではない。


 状況を全て把握した恭一郎は繋がったままになっていた携帯に再び耳を当て、八雲に焦りながらも簡潔に目にした状況を説明し始めた。



「恭一郎?」

「八雲さん、日下部が――!」




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