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 王城の天守は、黄金の奔流と漆黒の影がぶつかり合う暴力的なエネルギーによって、飴細工のように砕け散っていた。

 紫色の雷鳴が轟く空の下、私は崩れかけた玉座の傍らに立ち、その光景を瞳に焼き付けていた。


「……アハハ、あはははは! 見て、ヴァンさん! 世界が、世界がこんなに輝いているわ! あなたの汚れも、私の悲しみも、全部この光の中で溶けて一つになるのよ!」


 セフィリアは、もはや人の形を保っていなかった。

 彼女の背中からは、血管のように脈打つ光の翼が幾十にも伸び、その中心で『神罰の聖杯』が彼女の心臓と入れ替わるように脈打っている。彼女が指を振るたびに、絶対的な「消滅」の光がヴァンの肉体を削り取っていく。


 だが、ヴァンは止まらなかった。

 彼の左腕は既に炭化し、頬は裂け、銀髪は自らの血で赤黒く染まっている。それでも、彼の瞳にあるのは絶望ではなく、ただ一点――私だけを見つめる、狂気的なまでの忠誠心だった。


「……セフィリア。お前の言う『一つになる』なんて、吐き気がするほど生温い」


 ヴァンが、影の中から新たな剣を錬成した。それは剣というよりも、憎悪と執着を固めた「棘」のようだった。


「俺とお嬢様は、お前のような光で溶け合う必要なんてない。……俺たちは、お互いの毒で傷つけ合い、その痛みを共有することでしか繋がれない……不完全で、最低で、最高に美しい共依存なんだよ!」


 ヴァンが地を蹴った。

 セフィリアが放つ、一国を滅ぼす「神の拒絶」を、彼はあえてその身で受けながら突き進む。肉が焼け、骨が軋む音がここまで聞こえてくる。


(――ああ、もう、見ていられないわ。……私の推しが、あんなにボロボロになって……!)


 私は、震える足で一歩前へ出た。

 魔力はほとんど底をついている。けれど、私にはまだ、この物語を終わらせる「悪役」としての権利が残っている。


「セフィリア!! あなたの負けよ!!」


 私の叫びに、セフィリアの巨大な瞳がこちらを向いた。


「負け……? 私が? 神の代理人である私が、あなたのような、ただ執着に溺れただけの女に……!?」


「そうよ。あなたは『愛』を救済だと思い込んでいる。……けれど、本当の愛は、相手を地獄へ引きずり込んででも離さない、卑怯で、利己的で、どうしようもなく汚いものなのよ! ……ヴァンは、あなたの綺麗な天国なんて、一秒だって望んでいないわ!!」


 セフィリアの心が、一瞬だけ揺らいだ。

 聖女として、正しくあろうとした彼女の正義が、私の剥き出しの悪意に貫かれた瞬間。


「――今よ、ヴァン!!」


「おおおおおあああああああッ!!!」


 ヴァンの影が、巨大な狼のあぎととなってセフィリアを飲み込んだ。

 彼はセフィリアの胸元、光り輝く『聖杯』へとその右手を突き立てる。


「……これで、終わりだ。……聖女様」


 ヴァンの指先が聖杯を掴み、そのまま握りつぶした。


しかし、巨大な銀の仮面に、ヴァンの攻撃が弾かれた。吹き飛ばされ、地面に叩きつけられるヴァン。


「ヴァン!」

私はヴァンに駆け寄り、上体を起こす。幸い、ヴァンは無事だった。


だが、この世のものとは思えない何重もの金属の擦れ合う音が、けたたましく響き渡る。


私は息を呑んだ。目の前に現れたのは、見たことない異形の壁だった。


 それは数万もの「銀の仮面」が隙間なく寄り集まった、巨大な蠢く群れ。仮面の表面は滑らかではなく、常に新しい仮面が内側から突き上げ、発疹が広がるように、あるいは細胞分裂を繰り返すように、位置を変え続けていた。


 無数の無表情な顔が互いに擦れ合い、金属の鳴るような音を立てて私達を見定めているようだった。


「ヴィズリーゼ『狂気濾過調律官マニアック・ストレイナー・チューナー』……」

セフィリアが恐怖で顔を歪めている。


「良い器ね。手間が省けた。あぁ、私の愛しい作品(力天使)」


 セフィリアが、どろりとした紫黒色の「何か」へと変質し、空間そのものを侵食し始めた。戦場の喧騒をすべて吸い込むような魔力。現実を歪ませるほどの強大な魔気が渦巻いている。


 ヴァンが、折れかけた剣を支えに立ち上がる。ヴィズリーゼはそんな彼を一瞥しているようだった。


「その力は返してもらう。人間にしては、良い働きだった」


 ヴァンが咆哮と共に斬りかかるが、ヴァンの影を霧散させた。


 ヴィズリーゼの無数の無表情な仮面の視線が視、私の魂を串刺すように突き刺さった。


「……エルフレイダ。あなたは面白い。私の姉であるゼストゥルゴーラが、愛でる人間のように強い魂を持っている。ンッフッフ♪」


 ヴィズリーゼの周囲に、次元の裂け目が開く。

 絶叫すら上げられないセフィリアと、その体内に囚われた天使の魂を連れて、ヴィズリーゼは帰還の途につこうとしていた。


「この国も、王座も、もはや、あなた達のもの。……天使も聖女もいない。異界で定められた『悪役』たちの楽園。……あなたがそれをどう育て上げるか、楽しみに見守らせてもらうわ♪」


 激しい金属の擦れ合う音で空間が歪み、私とヴァンは目を瞑って、両耳を手で押さえて凌ぐしかなかった。そしてヴィズリーゼは、セフィリアと共に跡形もなく消え去った。


────


 後に残されたのは、崩壊した城と、静寂が支配する王都。

 そして、己の力が悪魔の貸し与えたものに過ぎなかったことを突きつけられたヴァンと、私だけ。


「……お嬢様。私は……」


 ヴァンが、震える拳を見つめて立ち尽くしている。

 私は迷わず、彼の背中に回した。


「……馬鹿ね、ヴァン。悪魔の力だろうが、借り物だろうが、関係ないわ。……あなたがその力で私を守り、あの人を絶望させたのは事実。……結果として、私達は生き残り、あなたは私の隣にいる。……それだけで、それだけで十分よ。悪魔に認められたのよ? 私たちは悪魔が公認する『悪役』になったの。……なら、堂々とこの地獄の続きを楽しみましょう。……誰も救われない、私たちだけが幸せな、この物語を」


 私はヴァンの耳元で、ヴィズリーゼさえも失笑するような、傲慢な言葉を囁いた。


私は彼を強く抱きしめた。

 温かい血の感触。激しい心音。

 彼は生きている。私の選んだ、私の推しが、運命を殺してここにいる。


「ヴァン。……あなたは世界で一番最高の騎士よ」


 ヴァンの瞳に、再び昏い情念の火が灯った。

 彼も私を抱きしめ、壊れ物を扱うように、けれど力強く答えてくれた。


「……ええ。お嬢様。……たとえ魂が、悪魔の掌の上であったとしても。……この命が尽きる瞬間まで、私はあなたの影として、この世界を喰らい尽くしましょう」


私達はキスをかわす。

 その時、階下から重厚な足音が響いてきた。

 父と、血に染まったライナス。そして私兵部隊が、ついに玉座の間に到達したのだ。


 父はボロボロになりながら私を抱きしめるヴァンを一瞥し、それから……空席となった王座を見つめた。


「……終わったようだな、エルフレイダ。……いや始まるのか。……王の血は絶え、聖女は堕ちた。……この国には今、あるじがいない」


 父が私を振り返る。その瞳には、野心と、そして愛娘への狂おしいほどの期待が込められていた。


「お前はどうする。……このまま公爵領へ帰るか? それとも……」


 私はヴァンの銀髪を愛おしげになぞりながら、ゆっくりと立ち上がった。

 足元に転がる王冠を、つま先で無造作に転がす。


「……お父様。私は、この腐った国を立て直すような、高潔な女王になるつもりはありませんわ。……けれど、ヴァンの戦場を、彼の居場所を奪おうとする者がこれからも現れるというのなら……私はいつでも立ち向かいます」


「ハハハ、それでこそ、私の娘だ」


────


それから数年の月日が流れた。


 かつての王国は解体され、今は「ランヴォール王国」という名で再編されている。

 王都は父の手腕でまたたく間に美しく再建されたが、その中心にある城には、神を祀る大聖堂も、正義を説く広場もない。

 あるのは、王国の支配者である、私たちだけ。


 窓の外では、王国軍の訓練に励む兵士たちの声が響いている。

 彼らはかつての「領民徴兵軍」を核とした、最強の軍勢だ。彼らにとっての忠誠は、教会ではなく、自分たちに富と誇りを与えた公爵家だ。


「――お嬢様。……いえ、エルフレイダ姫。そろそろ、回廊の散歩の時間です」


 背後から、落ち着いた、けれど甘い毒を含んだ声がした。

 振り返ると、そこには漆黒の正装に身を包んだヴァンが立っていた。

 彼の瞳は今や、私以外の人間が直視すれば発狂するほどの威圧感を放っている。


「ヴァン。姫なんて呼ばないで。……二人の時は、いつもの呼び方がいいわ」


「……ふふ。仰せのままに、愛しいエルフレイダ」


 ヴァンは私の手を取り、跪いてその指先に接吻した。

 その動作一つ一つが、私への永遠の隷属と、執着を証明している。


「ねえ、ヴァン。……私たちは、本当に悪いことをしたのかしら?」


 私は彼の肩に寄りかかりながら、平和な(そして私たちが支配する)王国の景色を眺める。


「……分りません。ただ、世界はあなたを『魔女』と呼んでいます。……けれど、あなたが笑っていて、私があなたの隣にいられる。……それ以上の正義を、私は知りません」


「そうね。……もう、それでいいわ。……これからも、私を飽きさせないでね、私の騎士様」


「――命に代えても。……いえ、魂の最後の一片まで、あなたに捧げましょう」


 悪役令嬢としての破滅エンドは、とっくに彼方へと消え去った。

 残ったのは、血塗られた栄光と、誰にも邪魔されない、永遠の、共依存の楽園。


 かつての乙女ゲームのヒロインが見るはずだったハッピーエンドよりも、ずっと深く、ずっと昏い、けれど世界で一番幸せな「悪役たちの物語」は、ここで幕を閉じる。


 ……けれど、私とヴァンの「推し活(愛の蹂躙)」は、まだまだ終わる気配はないのだけれど。


 私はヴァンの膝の上に座り、彼から差し出された赤い果実を口にする。

 

「ねえ、ヴァン。……いつかあの悪魔が、また私たちを笑いに来るかしら?」


「その時は、今度こそ、その喉笛を食いちぎってやりますよ。……私の主人は、あなた一人だ」

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