令嬢の鑑が壊れたら、傲慢王子も壊れた。
エリック・バードランド公爵令息、十七歳。
バードランド公爵家の四男であり、マーロット・ブルターナ第一王子の側近候補。
それが、私の名前であり、肩書だ。
二年前に、マーロット殿下、そしてセフィラ公爵令嬢と共にブルターナ王国貴族学園に入学した。
すぐ上の三兄とは十以上も年が離れているが、私は庶子ではなく、三人の兄たちとは同母の兄弟である。遅くにできた子ゆえに年も離れすぎており、家督を争うライバルにすらなり得ない。そのため家族からは大層可愛がられて育った。
だが、公爵家から私に与えられる爵位などないということは、第一王子の遊び相手として、わずか五歳で城に上がったときに教え込まれていた。
この国の『王国継承法』において、新当主の誕生は、兄弟たちの「終わり」を意味する。
後継への代替わりと同時に、成人を迎えても生家に残る弟は、法的に除籍される。その代償として、一代限りの準男爵位が自動的に付与される――それが、この国の厳格なルールだからだ。
爵位が与えられるのは男性のみ。成人を迎えた姉妹の場合は自動的な除籍こそないが、婚約が結ばれていなければ修道院に入るのが通例となっている。
また、同法によって、子が複数いる場合は、継承時に一番年嵩である直系男子が継承することが定められているため、継承時には当然のように新当主には妻子の存在がある。
子を持ち妻帯していることが継承の絶対条件というわけではないが、後の家督トラブルを防ぐため、次世代の後継がいる状態で代替わりをするのがこの国の当たり前だった。
高位貴族であれば従属爵位を持っているため、事前にそれを融通されることもあるが、それも爵位が余っていればこその話だ。
私が五歳で城に上がった時点で、後継から外されることなく次期バードランド公爵としての立場を固めた長兄にはすでに双子の息子が誕生していた。
次兄は他家へ婿入りし、三兄は相手が幼馴染の侯爵家の次女だったことから従属爵位を譲り受けて結婚したばかり。
そして、私の成人を待って、父から長兄へ爵位が譲られる予定になっている。
長兄の息子、私にとっての甥っ子へ渡す従属爵位を考慮すれば、いくら家族に可愛がられていようが、公爵家といえども四男の私に割く爵位などどこにも残っていないのだ。
側近候補として名を連ねている分だけ待遇は悪くないが、学園の卒業と同時に側近に上がることができなければ、法衣貴族位に叙爵される道は閉ざされる。
故に、公爵家の息子とはいえ、継ぐ爵位も婿入り先もない四男となれば、将来的な立場は男爵家の次男や三男と何ら変わりはない。
親の庇護があるうちは大きな顔ができても、将来的に痛い目を見るのは火を見るより明らかだ。
だからこそ、高位貴族であっても、よほどの馬鹿でない限りは、自分の身分や能力に溺れて周りを見下すような真似はしない。
――そう、「よほどの馬鹿」でなければ。
「怠惰で、性格も悪く、身分だけの馬鹿女より、アリアの方が殿下にはお似合いだ!」
何度目かになるお決まりの台詞を口にした男から、私はすっと目を逸らした。
軍務派であるモルタント侯爵家の次男であり、護衛としての側近候補であるゼオン。
初めてその台詞を耳にしたときは、求められる役割は違えど、同じ側近候補の中にこれほどの阿呆がいるとは思わなかった。
確かに、身分があり、怠惰で馬鹿だが、セフィラ様の性格は悪くない。
人の捉え方はそれぞれだが、口にすべきことでは無いため、違法薬物の摂取か精神操作の魔術でもかけられたのかと本気で慌てたものだ。
しかし、調査の結果、それが本人の素の考えだと判明したとき、身辺調査に関わった者たちは一斉にゼオンから一歩引いた。
ゼオンが口にしたアリアとは、このブルターナ王国貴族学園に、今年特待生として入学してきた聖女のことだ。
簡潔に言うなら、彼女はただの平民である。
貴族学園と名がついているだけあって、特待生として受け入れられた平民には、在学期間中に限り『学園内限定の準男爵位』が貸与される。
特待生試験に男女の区別はないが、暗黙のルールとして女性の受験は無かった。
通常、これを受験するのは官吏として採用の道がある優秀な平民の男子か、あるいは将来的に子や孫へ準男爵位を買い与える予定の、裕福な大商人の嫡子と相場が決まっているからだ。
彼らが貴族との人脈を築くための足がかり、それが特待生制度だ。
まさか、女性で官吏の受験資格もない、裕福な商家の跡継ぎでもない、ただの定食屋の娘が試験を受けるなど、誰も予想していなかった。
おまけに、その娘がトップの成績で合格してしまうとは、学園側も国も完全に想定外だったのだ。
とはいえ、ルール上、貴族女性に与えられることのない爵位を、たとえ『学園内限定の準男爵位』だとしても、平民の女性にそのまま与えるわけにはいかない。
そこで国が捻り出した苦肉の策として、『学園内限定の準男爵位』の代わりに『聖女』という大層な名称を便宜上与えられているだけの平民。
それがアリアである。
所詮は平民なのだ。まともな思考力があれば、王族の隣に立つなどという大それた妄想を抱くはずがないのだが、なぜかゼオンを通して、この平民の女はマーロット殿下にアピールをしてくるのだ。
で、そのゼオンから「アリアの方がお似合いだ」と熱弁を振るわれている当のマーロット殿下はというと、セフィラ様の観察に忙しくて、ゼオンの言葉などこれっぽっちも聞いていなかった。
例の『セフィラ様のギャン泣き事件』、そしてそれに伴う『教育係解雇事件』を境に、殿下はセフィラ様への態度を百八十度変えたのだ。
そもそも、この国では王族としての基本的な教育を修了しなければ、婚約者も側近候補もあてがわれることはない。
もし決められた年齢までに修了できなければ、状況次第ではあるものの、内定していた婚約は完全に白紙へと戻される。
単なるご学友ではなく、正式な側近候補と婚約者をあてがわれたということは、すなわち王子教育を完全に修了したという証明でもある。
それを十歳という若さで成し遂げたマーロット殿下は、間違いなく、優秀と評して差し支えない人物だ。
だからこそ、今の殿下の様子は奇妙だった。
かつて城へ上がってきたばかりのセフィラ様の授業を見学した際、自分がすでに修めた内容を勉強している彼女の姿を見て、あからさまに見下した笑みを浮かべていた頃が平和だと思えるほどに。
その後、セフィラ様の王太子妃教育が順調に進む一方、規定によって自身の王太子教育を始めることができず、彼女にばかり集まる称賛に苛立っていた殿下すら懐かしく思えるほど、今の殿下は変だった。
あの日、それまで令嬢の鑑とまで評されていたセフィラ様が、突然一転してボロボロと大粒の涙を流し、大声を上げて泣きじゃくったのだ。
常識的に考えれば、高位貴族の令嬢として、あるいは王族の婚約者候補として、専属教師からの授業の時間という閉ざされた空間の中ではあったものの、あってはならない大失態である。
――しかし、我が主君であるマーロット殿下は、あろうことかその姿に一目惚れした。
意味がわからない。
殿下の女の趣味は本当に理解に苦しむ。
一方のセフィラ様はというと、なぜかギャン泣きしたその日以来、壊れた。
恋に狂ったマーロット殿下も壊れているから、お似合いとも言えるが、セフィラ様の壊れ方は未来の王妃として足らなさすぎるものだった。
それまでに学び身につけ出来ていたことが、急に出来なくなったのだ。
最初は反動が出ているだけでは? 解雇になった教師たちを庇うためでは? との意見も出ていたが、それが一週間が一ヶ月に。一ヶ月が二ヶ月、半年となる頃には、優秀だったものが劣化したと考えが改められ、過剰な教育が原因とされ、解雇された教師たちの罪は重くなった。
マーロット殿下とセフィラ様との婚約についても白紙にして、別の令嬢と婚約する話も出た。
しかし、マーロット殿下が譲らず、二人の婚約は未だ続いている。
その話し合いの席に、私も同席したが、婚約白紙の話が出たときのセフィラ様の嬉しそうな顔と、マーロット殿下のゴリ押しで続行になったときの絶望した顔をみてしまい、自分の未来を憂いた。
――そして、現在。
学園のサロンで、ゼオンが「アリアの方がお似合いだ!」とキンキン喚いている今この瞬間も、殿下の視線は1ミリたりともゼオンに動いていない。
殿下が見つめているのは、中庭の木陰で、ぼーっと上を見上げているセフィラ様の姿だ。
小指の先ほど大きさで見えるセフィラ様の姿を、殿下は手元の手帳に恐ろしい執念でスケッチしている。
表情から細部にいたるまで描かれた絵に、殿下の目には望遠機能でも付いているのだろうかと、ありえないことを考えてしまう。
「今日もセフィラは可愛い。
あのぼんやりと開いた口が良いよね。白い歯がチラリと見えるのがたまらない。
昨日は夜ふかししたみたいだ。
お気に入りの小説の続きが発売されたから、遅くまで読んだのだろうね。
なんてことだ、スカートが少し捲れてるじゃないか。お付きの侍女は…… あぁ、気がついた。良かった。セフィラの滑らかな肌を見るのは俺だけで良い」
「左様でございますか」
私は、もはや無表情の仮面を張り付かせることしかできない。
深く考えたら気持ち悪さが前面に来る。
ゼオンが学園卒業時に、側近候補から側近になることは無いだろうが、それ以前に、マーロット殿下が王族の資格なしとして、側近の話が無くなる可能性に頭が痛い。
セフィラ様との婚約は解消されることは無いだろう。
マーロット殿下がセフィラ様を諦めることは無いだろうし、彼女は公爵家の一人娘だから、殿下が婿養子に入るだけの話である。
このまま王妃としては足りないセフィラ様に殿下が執着するのなら、王族足り得ないが幽閉するほどでもないと判断が下るだろう。
王家としては既に婚約が結ばれている為、労せず引き取り手の確保ができたぐらいに考えそうだ。
元々産まれた子のうちの一人に公爵家を継いで貰う予定だったのだから、公爵家としても強く反対することはないだろう。
残される問題は、私の学園を卒業した成人後の行き先である。




