3-6 カタワクの決意
国王キーテスの退場から約二十分後。
民衆の興奮が収まってきたところで、兵士や警官が人々の誘導を始めた。国民たちはその指示に従い、王宮前広場から少しずつ離れていく。
ジャーガン国内水運一行も警官の指示を受け、階段を使って屋上から降り、道路へと出ていった。
堅枠大は建造物から出るや否や、一人で歩き出した。彼は無言でジャーガンたちと別れ、人混みをかきわけて王宮へと向かっていく。
マッコウは堅枠大の単独行動にいち早く気づき、彼を追った。
「おい! カタワク! オレたちが行くべき国務所はそっちじゃないぜ!」
「うるせえ! 俺は国務所に向かってるわけじゃない!」
背中から浴びせられた声に、堅枠大は振り向かずに答える。
そうしている間にも、堅枠大とマッコウの距離が少しずつ離れていく。人で埋め尽くされているうえに、流れも逆。思ったようには進めず、マッコウは焦りを隠せなかった。
「だったらどこに行こうって言うんだよ!」
「知り合いのところだ! いいからマッコウは来なくていい!」
マッコウも堅枠大も怒声をぶつけ合う。
堅枠大はこれから自分がすることにマッコウを巻き込みたくなかった。その一方で、マッコウは堅枠大が心配で堪らなかった。
「カタワク! いいから落ち着けって! 警察の言うこと聞いて動かないとあぶねえよ! 怪我するぜ!」
「この程度の人混みなんて慣れてんだよ!」
堅枠大はそう叫び捨て、歩行速度を上げた。
人々の流れとは逆行しているのにもかかわらず、彼は人と人の間を巧みにすり抜けていく。マッコウと堅枠大の距離は広がり続ける。
そしてついには、マッコウの視界から堅枠大の姿が消えてしまった。
堅枠大が進んでいった方向を、マッコウは睨みながら立ち止まる。
「クソ、見失った……つーか、こんな人混みに慣れてるって、どういうこった? 今日のカタワク、なんか変だぞ」
マッコウは堅枠大の一連の行動を怪しんだ。このまま追いかけて、相棒を問い詰めたいと思った。
だが、彼は堅枠大を見失ってしまった。
マッコウはどうすることもできず、仕方なくジャーガンたちのもとへと戻っていった。
堅枠大はすれ違う人々と体を衝突させることなく歩き、自分でも驚くほどの早さで王宮の入口にたどり着いた。
王宮入口前は混雑していて、人の出入りが激しい。見張りの兵士は入出する人間の監視を諦め、片側通行の誘導に専念している。
(よし、ラッキーだ。俺が入るのは犯罪だけど、そんなことを気にしてる場合じゃねえ!)
堅枠大は見張りの目を避けるように人の流れに入り込むと、そのまま王宮内へと侵入した。
王宮内は出入口ほどではないものの、非常に混んでいた。廊下は行き交う人で溢れ、王宮職員や高度専門職員たちが至る所で大声を交わし合っている。異常事態に伴う熱気は王宮前広場の比ではなく、この場に居るだけで額に汗が浮き上がってきた。
(暑い……温度調整が間に合ってないのか? そりゃそうだ。この混雑具合じゃな。まるで朝の満員電車だ)
堅枠大は心の中で悪態をつきながらも、王宮内を進んだ。
その途中、隅に脱ぎ捨てられた白いローブが目に入った。
(これまた幸運だ。水運奴隷の服装じゃ、いつ摘まみ出されてもおかしくないからな。持ち主には悪いけど、貸してもらうぞ!)
奴隷の堅枠大はその白いローブを手に取ると、まるで自分の持ち物であるかのような顔をしながら、それを素早く羽織った。
彼は念のためフードを目深に被って顔を隠し、国家魔法士を装って王宮本棟へと足を進めた。
二か月前、堅枠大はアスラに案内されながら王宮内を歩いて国王キーテスの執務室に向かった。その記憶を頼りにしながら、彼は一階を突破して二階に上がり、国王が居る可能性の高い三階へと進んでいった。
混乱に乗ずることで、ここまでは上手く行くことができた。
だが、ここから先は事情が違っていた。階段を上り切って廊下に差し掛かったとき、堅枠大は三階の光景を見て足を止めた。
三階の廊下には国王親衛隊員が八人いた。黒服が六人に、白服が二人の、オレンジ色のマントを着けた精鋭たち。どれも並みの兵士では太刀打ちできないほどの力を持った、戦士と魔法士だ。
さらに、紫色のマントを身に着けた重臣らしき人物が執務室前に十人ほど並んでいた。執務室の扉は閉じられていて、その中では重要な話し合いが行われているということは堅枠大にも容易に想像できる。
堅枠大が以前来た時に比べて、圧倒的に人数が多い。しかし、二階や一階とは違ってこの場は静かで落ち着いている。とても混乱しているとは言えない状況だった。
堅枠大は壁に身を隠しながら、唾を呑んだ。
(どうする? 引き返すか? ここで引き返せば、まだ取り返しはつく)
彼の脳裏に、犯罪という二文字が浮かび上がる。これまで真面目に生きて来た彼にとって、それは自分の人生において無縁なものだった。
初めて罪を犯してしまうことに、堅枠大は躊躇してしまう。
だが、彼は首を横に振って、その臆病な気持ちを追いやった。
(犯罪がなんだ! こんなところまで来てビビってんじゃねえよ! 今の俺は国家魔法士なんだ! 堂々としていればいい!)
堅枠大は自らに喝を入れ、執務室に続く廊下へと足を踏み出した。
彼は胸を張って廊下を突破しようと試みる。だが、その途中、体格の大きな男性親衛隊員に呼び止められてしまった。
「待て、お前、何の用だ!」
「見ての通り、国家魔法士だ。火竜撃退の件でキーテス様にお話がある」
堅枠大は歩みを止めずにそう答え、親衛隊員の前を通り過ぎる。
親衛隊員は呆気にとられたような顔をしたが、すぐさま我に返って堅枠大を追いかけ、その前に立ち塞がった。
堅枠大は仕方なく足を止める。
親衛隊員は事情を理解したような様子を見せながらも、表情を険しくした。
「待て、キーテス様は各大臣との打ち合わせがあるのだ。国家魔法士の方といえども、優先順位的にはその後だ。大臣の方々とのお話が終わったときに、改めて来てくれ」
彼は国家魔法士を名乗る男に対して、誠実に説明をした。
それは親衛隊員が為すべき仕事だった。また、その説明内容は誰もが納得できるものだった。この非常時において、国の中枢にかかわる人間が優先されるのは至極当然のことだった。
だが、彼の説明は堅枠大の神経を逆撫でしてしまった。
「優先順位、だと?」
堅枠大は低い声で呟き、顔を上げて親衛隊員を睨み付ける。
彼はその顔に見覚えがあった。目の前に居る男性戦士は、二か月前にキーテスとの面会の時に執務室の前で待機していた二人のうちの一人、ガウィンだった。短い茶髪の厳つい顔つきは、強く印象に残っていた。
ガウィンのほうも何かに気付いたようで、眉をひそめて堅枠大を睨み返す。
「お前……国家魔法士じゃないな……あの時の奴隷か」
ガウィンは唸るような声を出したが、堅枠大は怯まなかった。
堅枠大の覚悟はすでに決まっている。身分を偽って王宮に侵入したことも、国王が住む三階にまで無断で来たことも、顔見知りの親衛隊員に見つかってしまったことも、今となってはもはや些細な事でしかなかった。
「ああ、そうだ。だから、オレのほうが優先順位は高いんだよ!」
堅枠大はそう言って駆け出した。
彼はこの場を強引に突破し、国王の執務室に突入するつもりだった。
しかし、ガウィンの反応は予想以上に速く、堅枠大は彼の横を通り過ぎようとしたところで右腕を捉えられてしまった。
ガウィンは堅枠大の右手首を両手で掴み、彼の走行を引き留める。
「待て! なにを訳の分からないことを言っているんだ! いいからここは引き下がってくれ! なにを考えているのかは知らんが、ここで面倒なことを起こすんじゃない!」
「うるせえ! この国の一大事にそんな悠長にしてられるか!」
堅枠大はガウィンの手を振りほどこうと、右手を何度も上下左右に振る。
しかし、選りすぐりの戦士であるガウィンに、ただの水運奴隷である堅枠大が力で敵うはずがなかった。
(クソ! こうなったら!)
堅枠大は左手を自分の口に近づける。それからすぐにグローブを噛み、そのまま左手を引き抜いた。
ガウィンは目を見開く。
この奴隷が何をしようとしているのかは、彼のことを少しでも知っている者であれば簡単に察することができた。
堅枠大が口からグローブを離す。彼はそのままブレスレットの金具を歯で外しにかかろうとした。
それと同時に、ガウィンは廊下の親衛隊員に向けて叫んだ。
「みんな、この者を取り押さえろ! 左手には気を付けるんだ!」
彼の呼びかけにより、王宮本棟三階は騒然とした。廊下の警戒に当たっていた親衛隊員たちの注意は堅枠大に集中し、執務室前に待機している重臣たちは奴隷が侵入してきたことに驚きを隠せない様子だった。
二人の親衛隊員がガウィンの助力に向かう。
「任せろ!」
「左手はわたしがやるわ!」
片方は赤色長髪の平均的体格の男性戦士。もう片方は茶色の長髪をポニーテールにまとめた、細い体格の女性戦士スィーラだった。
二人が加勢する前に、堅枠大が魔力放出のブレスレットを外し終えた。
その直後、親衛隊員の二人が彼を押さえにかかった。男性戦士は彼を羽交い絞めにする。スィーラは両腕を使って堅枠大の左腕を捉え、肘の関節を固定した。ガウィンもスィーラと同じように右腕を固める。
「クソっ! 離せ! 俺は国王と話をしなきゃいけないんだよ!」
堅枠大は拘束を振りほどこうと、もがいた。
だが、相手は国内最強クラスの戦士が三人。彼がどれだけ力を入れても腕は動かず、足を前に出すことすらままならない。
力で勝てないのであれば、特異体質に頼るしかない。
堅枠大は左手に体中の魔力を送り込んだ。
魔力抑制剤が効いていても、脅しに使えるだけの力はある。それらの魔力をすべて使い、彼は手首に施された魔力障壁すらも打ち破ろうと力を込めた。
そして、魔力が障壁をすり抜け、氷結の特異体質魔法が発動した。
堅枠大の左手周辺が急激に冷やされる。空気中の水分が凍り、スィーラの目の前が白く霞んでいく。
だが、スィーラはその脅しに屈しなかった。彼女は氷結の力に目を見開いてしまったものの、左腕の拘束は解かなかった。
さらに、親衛隊員の魔法士二人が堅枠大に向けて両手を伸ばした。その手には魔力が込められていて、すぐにでも堅枠大を攻撃することが可能になっていた。
(いくらなんでも、氷結の特異体質を使うのはまずかったか!)
堅枠大は身の危険を感じ、左手に魔力を送るのを中断した。
左手に集まっていた魔力が体内に分散していき、氷結魔法が弱まっていく。空気の白色が消えたことで、親衛隊員たちは堅枠大が力の使用を止めたことを悟った。
だが、彼が危険人物であることには変わりない。親衛隊員の警戒心が弱まることは無く、むしろより一層強くなっていった。
もはや強行突破はできない。
しかし、堅枠大はここで諦めるわけにはいかなかった。
「国王様! キーテス様! カタワクです! お話したいことがあります! キーテス様!」
堅枠大は精一杯の大声を上げ、執務室のキーテスに呼びかけた。
しかし、執務室の扉は動かなかった。
代わりに、その付近のドアが乱暴に開かれた。
「何事だ!」
一人の女性が怒声を上げながら飛び出てくる。
彼女の登場に、また違った種類のざわめきが起こった。
その女性、アスラは、黒服の上から体中に白い包帯を巻いていた。出血は止まっているものの、その足取りはおぼつかない。火竜との戦いで負ったダメージがかなりの割合で残っていることは、誰の目から見ても明らかだった。
アスラと堅枠大の目が合う。
二人は同時に目を見開いた。
「カタワク……っ! なんでこんなところに?」
「アスラっ! よかった、無事だった……」
堅枠大はアスラが生きていることに安堵し、全身の力を抜いて表情を緩ませた。
一方、アスラは眉間にしわを寄せて不思議そうに堅枠大を見ていた。しかし、その顔は次第に怒りに染まっていった。




