3-5 王の願い
王宮前は大混雑していた。
国中の人間が集結しているため、人々は上手く身動きが取れない状態だった。下手に動けば迷子になってしまいそうなほどだ。個々人の話し声は小さいが、それらが何万と重なっているせいで騒音と化している。おまけに周囲の人々と体が密着しているため、秋の夜だというのに真夏のように暑く感じる人も少なくなかった。
照明は大量に灯され、その数は堅枠大が帰還したときよりも遥かに多い。元から設置されている街灯や臨時のランプだけではなく、魔法士自らが光を照らしている箇所すらあった。
黒服の兵士や深緑色のマントを纏った警官たちが大声を出しながら、国民を必死で整列させている。国民たちはそれに従っていたが、それでも混雑の解消までには至らなかった。
人混みは王宮前広場からはみ出て、周囲の通路にまで広がり、そこから果てしなく伸びている。
堅枠大たちジャーガン国内水運一行も、通路で足止めをくらっていた。
兵士たちは「国王様からお話がある。詰められるだけ詰めてくれ!」と何度も叫んでいたが、ヒューライ国民の二十万人全員が王宮前広場に入るのは物理的にそもそも不可能だった。
「まいったな。これじゃ国王様が見えねえぞ」
マッコウは背伸びをし、目の上に手のひらを添える。
彼はそうして遠くを見るしぐさをしているが、王宮二階のバルコニーは建物に遮られているため、どれだけ頑張ってもここからでは見ることはできない。
その時、男性兵士の声が通路に響き渡った。
「所有者からの許可が下りた! 今から指名する者とその関係者は順次、建物の中やその屋上に行ってくれ!」
その知らせは、この状況において大きな助けとなった。
兵士たちの指示に従い、許可が下りた建築物に国民たちが次々と入っていった。人々は屋上やベランダ、窓の近くなど、王宮のバルコニーが見える位置に並んでいく。
ジャーガン国内水運一行は屋上に上がった。王宮から南東方向に位置する三階建ての住居で、屋上は平坦な造り。広場中央の塔が王宮のバルコニーと重ならない、ぎりぎりの場所だった。
「ラッキーだったな。これで国王様のお姿が見えるぜ」
「これが新年の挨拶みたいに平和なものだったらよかったのにな」
マッコウは立ったままガッツポーズをとり、その横でジャーガンが落胆するかのようにため息をついた。
バーンとアリィはマッコウたちの近くに立ち、どこか興奮したような様子で王宮を眺めている。
「キーテス様が自ら国を動かすのじゃな……まさか、こんな日が来るとは思いもしなかったわい」
「まだそうと決まったわけじゃないけどねぇ……でも、そうなったら、あのお方がもっと遠い存在になってしまったように感じるだろうねぇ」
他にも、ジャーガン国内水運の奴隷たちは、皆口々に話していた。
そんな中、堅枠大だけは黙って王宮のバルコニーを見つめていた。
彼は非常事態の熱に浮かされているわけでもなく、非日常に怯えているわけでもなく、ただ無心でその時を待っていた。
しばらくして、王宮前の国民配置が完了した。
王宮前広場に入った国民たちは整列して立ち、周囲の屋上には多くの人々が並び、窓やベランダから王宮を見る者が大勢居る。普段とは大きく異なる光景がここにはあった。
王宮のバルコニー周辺が一気に明るくなる。まるでスポットライトを照らすかのような現象により、人々の視線は瞬時にその場所へと集まった。
国民たちは自然と口を閉ざしてしまう。
王宮前広場は静寂に包まれた。
そしてその数十秒後、ヒューライ国三代目の王、キーテス=ヒューライが王宮のバルコニーに姿を現した。
透き通るような長い銀髪に、絶世の美女と謳われても不思議ではないほどの端整な顔立ち。白色の緩い服に、赤いマント。それは、堅枠大が知っている姿と同じだった。だが、彼が二か月前に会ったときとは違い、今の国王は赤いブーツを履き、赤い王冠を頭に被っている。
両側に親衛隊員二人を従えたキーテスは、国民たちを見渡す。
国王の登場に、集められた人々はどよめいた。
「キーテス様だ」
「国王様が出て来たぞ」
「いったい何のお話をするんだろう? やっぱり火竜のことかな?」
国民たちは小声で口々に言う。
ジャーガン国内水運一行もそれぞれに呟く。
「国王様……ああ、やっぱりかわいい」
「ここからじゃ、表情まではハッキリとは見えないな」
マッコウはキーテスの美貌に恍惚とした表情を浮かべ、ジャーガンは腕組みをして王宮のバルコニーを凝視している。
「相変わらず老けとらんのう」
「でも、お顔は真剣そのものだねぇ」
バーンとアリィは不敵な笑みを浮かべながら、どこか懐かしさを感じているようにも見える。
国王が現れる前とは違う種類のざわめきが、王宮前にはあった。
だが、それでも堅枠大は一言も喋らなかった。キーテスの表情を目で捉えることはできないが、彼が険しい顔つきでいることは想像に難くない。国王がバルコニーから去るまで、堅枠大は黙って見守るつもりだった。
国民の前に立ったキーテスは、深呼吸をおこなう。
その後、彼の胸の前に円状の黄色い光が灯った。
(あれは、拡声魔法か何かか?)
堅枠大がそう推測するのと同時に、キーテスの口が大きく開かれた。
「皆の者、静粛に!」
国王の中性的な声が、国中に通っていく。都市だけではなく、農耕地帯や国有森林の至るところにまでその声は渡っていき、適切な音量で人々の耳に届いていった。
キーテスの声が聞こえた直後、国民たちは静まり返った。人々はその顔を国王に向け、言葉を待った。
国王は大きく息を吐く。
そして、キーテスの演説が始まった。
「ここに集まってもらったのは他でもない。火竜の襲来とその対策について聞いてもらいたいことがあるからだ。だがその前に、話しておかなければならないことがある」
キーテスは一呼吸置き、語気を強める。
「先ほど、貴族院と混合院の両院にて、全会一致で王権発動が可決された! よって、火竜を撃退するまでは、余がヒューライ国の最高権力者である! これより三日間、この国は余の命令のもとで動くこととなった!」
彼の声が国中に響き渡る。
その発表は、人々を驚かせるのには十分すぎるものだった。
「王権の復活じゃ……ご初代様のお姿が見える……」
堅枠大たちの近くにいた一人の老人が、堪らずに呟く。彼は両手を合わせて、遠くを見るような目をしていた。
だが、他の人々は目を見開きはしたものの、発声を必死に堪えていた。また、その老人もそれ以上は何も言わず、国王の話を聞き届けようとしていた。
キーテスは少し間を置き、国民たちの驚愕が落ち着くのを待ってから話し始めた。
「この国は百年前、東の大国の支配下にあった。だが、余の祖父が中心となってその支配を破った。その流れの中で、大陸西側が一体となって大国を東に追いやり、我ら自身の文明や文化を復活させた。それ以降、我が国を含めた諸国連合、北の三国、西の四国が互いに協力し合い、この百年の間、繁栄を続けてきた。そしてそれは、民の力あってのことだ」
キーテスは両手を広げた。
人々を包み込むような姿を見せながら、彼は話を続ける。
「西側諸国の独立も、百年の繁栄も、すべては一人ひとりの力があってこそのものだ。百年前の独立戦争の時、それに関わった者が誰か一人でも欠けていれば、この国は今も東国の支配を受けていたかもしれない! そして、そなたやそなたの親が生まれたからこそ、この百年の繁栄があるのだ!」
キーテスは誇らしげに国民たちを称えた。
その直後、彼の表情は怒りに歪められた。
「一人ひとりが大切に築き上げてきたこの営みを、あの火竜は今まさに破壊しようとしている! それも、自らの力を示すためだけに、だ! そのような意思ある理不尽に、この尊い営みを破壊させるわけにはいかんのだ!」
キーテスは口調を強め、自分が国民と同じ気持ちを抱いているということを表した。
ヒューライ国全体が火竜の行為に怒っている。キーテスの言葉により、国王も国民もこの場でそれを再認識することができた。
人々の気持ちが一体となったところで、キーテスは両手を下ろし、肩を落とした。彼は目を伏せて、声を弱める。
「だが、知っての通り、我が国の軍隊では火竜を打ち倒すことはできなかった。ヒューライ国が誇る最強の戦士でさえも、火竜をわずかに足止めするのが精一杯だった。火竜の急な襲撃に対応できず、無惨にも畑を焼かれてしまった。それだけではなく、三日後には再び火竜が攻め込んでくる。ヒューライ国の正規軍だけでは、あの火竜に勝つことは不可能だろう」
国王の言葉に、国民たちは不安げな表情を浮かべた。
その中には、「滅びるしかないのか」、「もう終わりだ」などと悲観的な発言をする者もいた。それは小さな声で放たれたものだったが、周囲の絶望感を増幅させるだけの力を持ってしまっていた。
恐怖は瞬く間に伝播していく。国王自らが火竜に勝てないと宣言したことは、自分たちの死を宣告されたのと同じことではないかと。
その負の感情は膨らみ、言葉に出来るだけのエネルギーを蓄えていく。大勢の人間がその気持ちを発せられる状態になる。
そして、とうとう群衆から声が起ころうとした。
だがその直前、それを打ち消すかのようにキーテスが檄を飛ばした。
「だからこそ! 余はそなたたちに頼みたい! どうか! どうかこの国を守るために、力を貸して欲しい! 軍だけでは国を守り切れない! だが、ヒューライ国二十万人の力を合わせれば、あの暴虐非道な火竜をも退けることができる! そなたたちにはそれだけの力があるのだ!」
キーテスの強い言葉により、民衆が抱えていた絶望感が一瞬にして消え去っていった。だが、民衆は火竜を倒せるということに対して疑念を持っているようだった。
キーテスは胸を張り、国民の説得にかかる。
「ヒューライ国は民の教育と健康維持に力を入れてきた! 知っての通り、そなたたちには物事を学んで考えるだけの知力がある! 魔法や魔道具を使うための魔力がある! 日々の生活を支える技術がある! そして、ここぞというときに発揮できるだけの余力がある!」
キーテスにそう言われ、人々は自らの力を自覚した。
学校で知力や魔力の土台を作り、実生活で仕事の技術を身に付けながらそれらを強めていった。余力を残して働いているため、常に力が溢れている。一人の力ですら大きいのだから、それらを合わせればより大きな力になる。
人々の心に希望が生まれ始めた。
キーテスはもうひと押しと言わんばかりに息を大きく吸い込み、国民に向けて言葉を投げかける。
「今はこの国が滅びるか生き延びるかという時! 火竜を退け、もとの暮らしを取り戻し、国をさらに発展させていくために、どうかその力を貸して欲しい! 皆で力を合わせ、この危機を乗り越えるのだ!」
キーテスは最後に声を最大限に強め、両手を大きく広げた。
国王が口を閉じると、王宮前は沈黙に包まれた。その静けさは不安になりそうなほどで、いつまでも続きそうな予感さえあった。
ふと、誰かが「やってやろうじゃねーか」と呟いた。
少しの静寂の後、別の誰かが「やってやろうじゃーか!」と声を上げた。それから数秒後、その近くにいた者が「そうだそうだ!」と叫んだ。
そしてそれを皮切りに、人々は次々と賛同の声を上げていった。
「火竜なんかに潰されてたまるかよ!」
「やらなきゃ滅びるだけだ! だったらやっちまおうぜ!」
「俺たちの生活は俺たちで守るんだ!」
「今の暮らしが無くなるなんて絶対に嫌! そんなのごめんだわ!」
人々はその場で拳を高く挙げ、火竜撃退の意思を強めていく。王宮前は燃えるような活気に満ち溢れ、その意思はヒューライ国全域に広がっていった。
堅枠大の周辺にも、同じことが起こっていた。
「オレたちもやってやりましょうよ!」
「たった三日だ! 運べるだけ運んでしまおう!」
マッコウとジャーガンは水運で国難に立ち向かう意志を示していた。
国内水運の奴隷たちも同じように声を上げてやる気を見せつけていた。ある者は火竜が来るまで水運をぶっ続けでやると言い、ある者は事務作業に専念すると言い、またある者は余った魔力を決戦の日に兵士へ捧げるとまで言っていた。
バーンとアリィも意気揚々と声を張り上げる。
「ワシらも戦場に出るぞい! のぅ! アリィ!」
「当たり前だねぇ! あのクソッタレ火竜に一泡吹かせてやろうじゃないか!」
元軍人の二人は火竜と直接戦う意志さえ見せていた。
ジャーガン国内水運一行も、元軍人の老夫婦も、王宮前で起こった意思の波に巻き込まれている。彼ら彼女らは皆、国や自分たちの暮らしを守るために立ち上がった。
だが、堅枠大だけは、その様子を静かに眺めているだけだった。
国中が熱狂に湧くなか、キーテスが再び口を開いた。
「静粛に!」
彼の声がヒューライ国全土に行き渡り、人々は瞬時に口をつぐんだ。
キーテスは腕を広げたまま、不敵な笑みを浮かべた。
「皆の者! そなたたちの勇気と助力に感謝する! 火竜撃退に協力する者は、国務所にて非常時対応参加者名簿への登録を頼む! 登録後は各区域の指揮官に従うように! 報酬は後日、必ず支払う! では、火竜撃退の準備を開始せよ!」
国王は国民に向けて命令を下し、王宮前の人々を見渡した。
それから数秒後、キーテスはゆっくりと両手を下ろすと、胸の前の光を消し、民衆に背を向けて王宮内へと歩いていった。
国王が姿を消し、それに続いて親衛隊員二人も居なくなる。
国民は静まっていたが、やがて堰を切ったかのように熱狂を取り戻した。人々は興奮し、火竜を倒すために一丸となる。
騒々しいほどの歓声が湧くなか、堅枠大は王宮のバルコニーに視線を向けていた。その場所にはもう誰もいない。それでも彼は国王キーテスの幻影をそこに見出し、それを見つめながら考えていた。
(この世界に来る前、俺には守りたいものなんてなかった。ただ、時代と周囲に流されて生きていくので精一杯だった。ブラック労働だって、誰かがそこから救ってくれるのを願いながら、自分ではそこから抜け出そうとしなかった。抜け出そうと考えることもしなかった)
堅枠大は周囲を見渡す。
現代日本とは全く異なる世界が、そこには広がっていた。そして、その世界を守ろうと闘志を露わにする人々で溢れていた。
(元の世界で死んで、この世界に来て、俺は人生が楽しいと思えた。仕事も勉強も遊びも、生活のすべてが楽しい。俺だって、この暮らしを失いたくない。同居人で相棒のマッコウも、国内水運の同僚も、届け先の人たちも、学校の人たちも、アスラも、リサさんも、クーディ先生も、キーテス様も、この国すべてが大切だ。俺は、俺はこの国を守りたい)
彼はそう思い、目を閉じる。
そうすると、人々の声がより鮮明に大きく聞こえるようになり、自分がその渦に呑み込まれていくかのような感覚がした。
(でも、転生したところで、俺が周囲に流されていたことには変わりない。俺はこの国の暮らしに従っていただけだ。本当ならそれでいいんだ。今この時だって、水運業に専念しようと思って当たり前なんだ。それが今の流れなんだ。俺は、水運奴隷なりにこの国を守ろうとしていいんだ)
堅枠大は目を開け、自らの左手を見る。
二か月前に突然、普通ではなくなってしまった手。黒色のグローブをはめた、現在は封印されている左手。それを凝視していると、周囲の声が遠ざかっていくような感覚になった。
(だけど、俺には特異体質がある。俺は戦士でもなければ魔法士でもない。戦うための力も無い。戦う訓練を受けたことも無い。それでも、国中の水路を凍らせてしまうほどの強烈で迷惑な力が、俺にはある! ……それなら、俺が今やるべきことは……っ!)
堅枠大は王宮のバルコニーに目を向ける。
そして、彼は静かに覚悟を決めるのだった。




