3-4 雇い主の覚悟
堅枠大が都市部に戻ったときには、すでに空は暗くなっていた。
だが、都市内部はいつもより遥かに照明の数が多いため、夜であっても昼間のように明るかった。通路は依然として人で溢れているが、夕方のような切羽詰った様子は無い。人々は落ち着いているというわけでもなく、日没前とは別種の興奮に湧き立っているように見える。
堅枠大は人混みの中をかきわけて、ジャーガン国内水運の建物を目指した。
彼はなんとか目的地にたどり着き、建物の中に入る。農耕地帯と都市部を走って往復してきた疲労感から、門をくぐった瞬間に堅枠大は膝に両手をついてしまった。
一階のホールには、ジャーガンとマッコウの二人だけが居た。
「カタワク! 戻ってきたか!」
「どこ行ってたんだよ! 心配してたんだぜ相棒!」
二人は堅枠大の姿を見た直後、彼のそばに駆け寄った。ジャーガンもマッコウも堅枠大を怒ろうとはせず、ただ彼を案ずる表情を浮かべている。
「そ、それは……ぜぇ、ぜぇ……何から話せば……はぁ、はぁ……」
堅枠大は息も絶え絶えに言いよどむ。
彼はマッコウへの返答とジャーガンへの報告を同時にしようとしたが、それを言葉にできるほど頭の中はまとまっていなかった。また、体力的にも話をする余裕は無かった。
そんな彼を見かねたジャーガンが優しく声をかける。
「そんなに焦って話そうとしなくていい。まずは息を整えろ」
「はぁ、はぁ……はひ……わかり、ました……」
堅枠大はそのままの姿勢で、しばらく呼吸に専念した。
やがて息が落ち着き始め、体が楽になってきた。彼は上半身を起こし、上を向いて深呼吸を数回行う。そうすることで、ようやく呼吸のリズムが正常に戻った。
「落ち着いたか?」
「ええ、なんとか……」
堅枠大は落ち着いてジャーガンに返事をすることができた。脳も上手く回り始め、自分が見てきたことを言語化する準備が整ってきた。
ジャーガンは真剣な面持ちで堅枠大の目を見る。
「カタワク、まずはどこに何をしに行っていたのかを話してくれ。俺とマッコウはカタワクが心配で、ずっと地上に居たんだからな」
「そうだったんですか……心配かけてすみませんでした……ええとですね」
堅枠大はジャーガンとマッコウに小さく頭を下げ、その後は自分の行動の理由と先ほどまでの出来事を話し始めた。
避難中、自分たちとは逆方向に駆けていくアスラの姿が見えたこと。アスラは自分にとっての恩人だということ。アスラが心配で、彼女を追って都市の外に出たこと。アスラがたった一人で火竜を足止めしていたこと。アスラは重傷を負ったものの生きていること。ヒューライ軍が火竜を拘束したこと。国王が火竜と対峙したこと。火竜は自らの力を示すために大陸西側にやって来たこと。火竜が拘束を破ったこと。火竜が三日後に再来すること。国王の命令で軍が国内に散ったこと。国王が王権発動を議会に申し立てること。
堅枠大はそれらをできるだけ簡潔に伝えた。
彼の話を聞き、ジャーガンは唸った。
「そんなことがあったのか……なるほど。さっき警察の見廻隊が王宮の前に集まるよう言っていたのはそう言う理由だったのか」
「ひえぇ……南の農耕地帯でそんなことが……カタワク、よく無事で帰って来れたな」
マッコウは引き攣った笑みを浮かべる。
堅枠大は「まあ、なんとかな」と言ってマッコウを安心させ、再びジャーガンに目を向けた。
「それで、これからどうしますか? 警官や兵士たちに従って、王宮の前に行きますか?」
堅枠大からの問いかけに、ジャーガンは少し考えた。
わずかな沈黙の後、ジャーガンが口を開く。
「警官も兵士も理由を言わずにどこかに行ってしまったし、都市の中は混雑しているから、王宮前広場には行かないつもりだったが、カタワクの話を聞くと、そう言っていられなくなったな……おそらく、国王様が全国民に向けて大事なお話をするんだろう。ここは行くべきだ」
「会社の全員で、ですか?」
「もちろんだ。マッコウ、地下の皆を呼んできてくれ」
「了解しました」
マッコウはジャーガンの指示を受け、おどけたように笑って敬礼をする。それからすぐに、彼は地下に繋がる階段へと早歩きで向かっていった。
ジャーガンはマッコウの後ろ姿を眺めながら、呟く。
「まあ、皆と言っても、ここに残っているのは独身連中だけだがな。家庭がある奴は、外が落ち着いてきた頃に先に帰らせた。そういう奴らは、そういう奴らで判断して行動するだろう」
彼の目はどこか遠い所を見ているかのようだった。
堅枠大はその独り言が不思議に思えた。
「ジャーガンさんは、帰らなくていいんですか? ご家族のほうは?」
「俺には妻も子供もいないからな。水運奴隷、経営者育成学校、国内水運の開業と経営。そういうことをやっていたら、もうこんな歳になってしまった。両親もとっくの昔に死んじまっているよ」
堅枠大の質問に、ジャーガンは躊躇うことなく答えた。
短い言葉だったが、そこには彼の人生が詰まっていた。堅枠大は何の気なしに尋ねたが、それは人の深い部分に立ち入る行為だった。
それを恥じる気持ちが生まれ、堅枠大の口から咄嗟に言葉が出る。
「す、すみません。そうとは知らず、失礼なことを訊いてしまって」
「いいんだよ。俺には家族はいないが、大切なものはたくさんある。この国すべてが俺の宝なんだ。だから、それを守るために、俺は俺にできることをする。それだけだ」
そう言うジャーガンの目は優しかった。
そして、これから自分が為すべきことを確信している目だった。
「そう、だったんですか」
堅枠大は視線を落とし、自らの左手を見た。
黒いグローブの下には、氷結の特異体質を持つ手が眠っている。今は封じられているが、その力は都市中の水路を凍らせてしまうほど絶大なものだ。
(あの時、親衛隊に入っていれば、今日の時点で火竜を撃退できたのだろうか。あの巨体を氷漬けにして、国を守れたのだろうか……いや、そんなに上手くいくわけがない。俺が居たとしても、結果は今日と同じだったに違いない)
堅枠大は自らの選択を後悔しつつも、それを正当化するしかなかった。
彼とジャーガンの間に沈黙が訪れる。
そこに、マッコウが戻ってきた。地下に避難していた同僚たちや、バーンとアリィも階段を上って顔を出す。
(とにかく、今はキーテス様のお話を聞くしかない)
堅枠大は気持ちを切り替え、顔を上げた。
建物内の全員が一階のホールに集まったところで、ジャーガンは奴隷たちに簡潔な説明をおこなった。奴隷たちは夕方のようにパニックに陥ることは無く、全員が覚悟を決めたような顔つきになった。そして、満場一致で王宮前に行くことになった。
ジャーガンたちはこの場に居る全員を引き連れて王宮へと向かった。