2-11 分岐点
「……え?」
突然の申し出に、堅枠大は固まってしまった。言葉の意味は理解できても、その意図は全く掴めなかった。
「む? 聞こえなかったのか?」
キーテスは首を傾げる。
美少女顔の国王は眉をひそめ、口を少し尖らせながら腰に両手を当てる。そのようなしぐさをするキーテスには威圧感などはまったく無く、むしろその姿は可愛らしいとさえ思えた。
それでも、質問を無視してしまうのは失礼極まりないことだった。
堅枠大は慌てて口を開く。
「い、いえ、確かに聞きました。ですが、あまりにも唐突だったもので」
「それもそうか。確かに、軍人でも無い者が、国王の親衛隊になれといきなり言われても困惑するだけだな。すまなかった。だが、これにはれっきとした理由があるのだぞ?」
キーテスは両手を腰に当てたまま、口元を大きく上げる。
自信たっぷりな態度だった。それはもう、国王が今にでもソファに飛び乗ってしまわないかと心配になるほどだった。無論、実際には、キーテスは床に足をつけたままでいる。
堅枠大に対する国王の言動はどこからきているのか、彼には思うところがあった。そもそもなぜ、国王が一奴隷に過ぎないカタワクと一対一で話しているのか。異世界人という理由だけであれば、転生してからすぐに呼び出されてもおかしくはないはず。
では、なぜ今になって面会するのか。
堅枠大は自らの左手を一瞥した後、キーテスの目をまっすぐに見た。
「それって、俺の特異体質に関係があるんですか……?」
「うむ! 大まかに言えばそうだ! まあ、とにかく余の話を聞いてくれ」
「わかりました……」
堅枠大は素直に従い、ソファでおとなしくすることにした。
彼の推測は当たっていた。国王にとって、面会の主な目的は地球の話やヒューライ国の紹介などではなく、堅枠大に突如として宿った氷結の特異体質だったのだ。
キーテスは自信満々な姿勢を崩さず、堅枠大を見下ろしながら話し始めた。
「簡潔に言うと、この国を守るために一人でも多くの戦力が欲しいのだ。東側の大国や大陸に点在する人外勢力といった脅威が、いつ襲ってきても大丈夫なようにな。都市中の水路を凍らせるほどの力があれば、侵略者を撃退できる可能性も上がるであろう」
キーテスはそう言うと、陽気な表情から一転して眉間にしわを寄せた。
彼はテーブルの上に広げられた歴史書を睨み付けながら話す。
「実際に、百年前は東の大国に支配されていたのだ。奴らがまた、いつ険しい山脈や荒れた海を越えて侵攻してくるかわかったものではない。一つの大国が東側で覇権を握れば、当然のように西側の攻略を始めるだろう。これはもう、歴史の中で幾度となく繰り返されている。二千年前には、西側を制した国が東側を支配したこともあるのだぞ」
キーテスはそこで一呼吸置く。
彼は右手の人差し指を立て、話を続けた。
「次に、人外勢力。北の森林の奥深く、西の大河、東の山脈。そういったところには、人間とは異なる種族が住んでいる。今はどの種族も平和的で人間との共存ができているが、これから先、好戦的な勢力が現れる可能性もある。事実、人間と異種族が争ったという記録が多数残されている。今後、それらと同じようなことが起こらないとは考えにくい」
国王は大きく息を吐き、目を閉じる。
キーテスはゆっくりとまぶたを上げ、堅枠大の双眸をまっすぐに見た。
「そして、現在最も危惧されている存在が、大陸東側で暴れ回っているという火竜だ」
「火竜……」
堅枠大は思わず声を漏らした。
彼はすぐに二か月前のことを思い出した。再教育学校に通うようになったきっかけは、マッコウとバーンから聞いた火竜の噂だった。何かあったときに自分の身を守れるようにとバーンに勧められ、堅枠大はヒューライ語と魔法を習うようになったのだ。
キーテスは一呼吸置くと、再び話し始めた。
「その火竜は前触れも無く現れては畑を焼き尽くし、都市を破壊しているようだ。奴の強さは、大国でさえも手が付けられないという。火竜による直接的な死者は出ていないようだが、その真偽は不明だ。いずれにせよ、諸国連合のような中小国では、国の一部を破壊されただけでも存亡に大きく関わる」
キーテスは口調を強めて語る。
政治的な力を持っていなくても、ヒューライ国の王は自国や周辺各国のことを誰よりも考えている。堅枠大はそう感じた。
国王は目の前の奴隷を見つめながら、話を続ける。
「ゆえに、火竜や人外勢力、東の大国といった脅威からこの国を守るために、カタワクの力を貸してもらいたいのだ。火竜のような強力な個体であれば、その体を凍結させればよい。相手が集団ならば、地面を氷漬けにして足止めをすることができるだろう」
キーテスはそう言い終えた後、険しくなっていた表情を緩めた。
そうすることで周囲の空気が自然と和らぎ、堅枠大が口を挟む余地も生まれた。彼は国王の顔を見つめ、戸惑いながらも口を開く。
「そのために、俺を親衛隊に入れようと?」
「そうだ。もちろん、給料は弾む。今の二倍以上は確実だ。身分も奴隷から高度専門職になる。家庭を設け、育むための支援もしよう。どうだ? 悪い話ではないと思うが」
キーテスは凛とした笑みを浮かべる。
その口から提示された条件は、破格のものだった。それを受け入れれば、自分の家を持つことも遠い話では無くなる。社会的な充足感も大きくなる。苦労することなく誰かと結ばれ、家庭的な幸福も得られる。確かに悪い話ではない。
だが、堅枠大はそれを素直に受け入れられなかった。
「でも、俺は今まで軍に入った経験なんてありませんよ。それに、もうこの歳ですし」
「それについては心配ない。カタワクは戦士ではなく魔法士扱いとするからの。魔法士ならば、四十歳でも若い部類に入るのだ。何も問題は無い」
キーテスの言葉に、堅枠大は何も言い返すことができなかった。水運奴隷の彼は黙り続け、ついにはうつむいてしまった。
そんな彼を見た国王は、柔らかな笑みを浮かべた。
「そなたが今、何を考えているのか、正直に言うとよい」
その声は優しかった。
堅枠大は自分の気持ちをすぐに漏らしそうになった。だが、それを国王に言うのは失礼な気がして、慌てて呑み込んだ。しかし、当の国王は、堅枠大の本心を知りたがっている。
彼は躊躇った。
逡巡の末、彼はキーテスが望む通り、正直に話すことを選んだ。
「俺は……今の暮らしを続けたいです。今はとても楽しくて、昔では考えられなかったくらいに毎日が充実していて……だから、それを変えたくはありません」
堅枠大はうつむいたまま話す。
自分本位な理由だった。それでも、キーテスは黙って耳を傾けてくれている。そのことに堅枠大は安堵しつつ、もう一つの理由を語り始めた。
「それに、いきなり高度専門職になるということも、素直には喜べません。高度専門職の人たちは、自分の素質を知って、強い意思を持って努力して、仕事に就いた後は身につけた力を誰かのために最大限に使っています。そんな人たちと並び立つ自信は、俺には到底ありません」
堅枠大はそう話しながら、とある数人の姿を思い浮かべていた。
迷惑な特異体質を自分のものにして国を守る、国王親衛隊の戦士アスラ。得意な魔法を極め、日々研究に勤しみ、何かあったときには息を切らしながら現場に駆け付ける、国家魔法士のリサ。診療所で担当区域住民の健康を支える、国家医師のクーディ。
思い浮かぶのは彼女たちだけではなかった。語学が堪能なフーカ講師や、魔法初心者の訓練を熱心にみるカオン講師。それから、堅枠大を診た他の医師や魔法士たち。姿は見ていないが、水路凍結騒動で忙しく動き回ったという救護隊や警察の見廻隊の人たち。
彼ら彼女らは皆、己の能力と役割に誇りを持つ者たちだった。
奴隷にもそういった誇りはある。だが、高度専門職の人々が持つそれは、奴隷のものとは比較できないほどに強い。
今の暮らしを続けたい、高度専門職の人たちと肩を並べることが申し訳ない。その二つの気持ちが、堅枠大の結論を導いていた。
「ですから……せっかくのお心遣いですが、申し訳ありません。親衛隊への入隊は、断らせていただきます」
堅枠大は深く頭を下げ、その姿勢のまま固まった。
国王の頼みを断ることに後ろめたさがあった。国王は国のことを真剣に考えているのに、堅枠大は自分のことしか考えていなかったのが、恥ずかしかった。だから、彼は国王の顔を見る気にはなれなかった。
それでも、キーテスは満足そうに目を細めていた。
「そうか……そうだな……強力な特異体質になってしまったからとはいえ、カタワクはこれまではただの奴隷だったな。懸命に働いて、学んで、遊ぶ、善良な国民だったものな。それを、余はいきなり親衛隊に入れようとした。謝るのは余のほうだ。すまなかった」
キーテスは堅枠大にそう語りかけ、頭を小さく下げた。
国王が奴隷に頭を下げて謝罪をする。そんな異常事態を察した堅枠大は、急いで顔を上げた。国王の心情をすぐにでも確かめなければならないと思うほどに、彼は恐れを感じた。
だが、彼の心配とは裏腹に、キーテスには怒っている様子も悲しんでいる気配も無かった。申し出を断られることはわかっていたと言わんばかりに、国王の表情は穏やかだった。
堅枠大は安堵した。そのおかげで、彼は落ち着いて言葉を返すことができた。
「いえ、そのようなことは……奴隷が出すぎた真似をいたしました」
「よいのだ。今の余には、何事も強制する力など無い。そして、強制したところで意味はない」
キーテスはそう言って立ち上がると、堅枠大の右隣に座った。
堅枠大はソファの振動とともに、いい匂いを感じた。花のような、石鹸のような、女の子のような、とても安心する香りがキーテスの身体から漂っていた。
キーテスは堅枠大の顔を覗き込む。キーテスは悪戯な笑みを浮かべながら、右手の人差し指を堅枠大の口元に寄せた。
「あと、今日は国王と奴隷の面会ではなく、キーテスとカタワクのお喋りだという事を忘れるな。そして、今日のことは内密に、な?」
「は、はい」
キーテスの言葉に、堅枠大はそう返事することしかできなかった。
絶世の美少女が悪友感を出しながら秘密の約束をするという、おとぎ話のような出来事だった。実際には老年の男性が悪ふざけをしているだけなのだが、国王の言動は堅枠大の頭を混乱させるには十分すぎるものだった。
堅枠大の返事を受け、キーテスは口元を上げた。
それから国王は立ち上がると、今度は執務机に向けて歩き始めた。彼は机の前で立ち止まり、ガラス窓を通して街を眺めた。
その時にはもう、日は傾き、夕方になろうとしていた。
「もうこんな時間か。楽しい時というのは、早く過ぎるものだな」
キーテスは堅枠大に振り返る。
ヒューライ国王の顔には、充実感と同時に寂寥感が浮かんでいた。
「今日のところはこれで終わりにしよう。機会があれば、また会って話したい」
「は、はい! 俺も、キーテス様とお話しできて、楽しかったです!」
堅枠大は勢いよく立ち上がり、国王に体を向けた。
彼の言葉は本心から出たものだった。堅枠大もキーテスと同じように時間を忘れていた。また会って話したいという国王の言葉は、建前なのか本音なのかはわからない。だが、どちらにせよ、そう言ってくれたのは堅枠大にとって喜ばしいことだった。
キーテスは小さく頷く。
「うむ。では、またの」
「はい! ……あっ、お茶とお菓子、ごちそうさまでした。とても美味しかったです。それでは、失礼します」
堅枠大はそう言い終えた後、腰を折って礼をした。それから出入り口まで歩き、扉を開く直前に振り返り、もう一度キーテスに頭を下げた。
彼は背中を伸ばし、国王を一瞥する。キーテスは堅枠大を穏やかな表情で見送ろうとしていた。それが嬉しくて、堅枠大は自然と笑顔になった。
堅枠大は名残惜しさを感じながらも扉を開け、執務室から出ていった。
扉がゆっくりと動き、丁寧に閉められる。
執務室に一人残ったキーテスは、出入り口を眺めながら、柔らかく目を細めた。
「いつか……その時が来たら、この国のために力を貸してくれると信じているぞ、カタワク」
キーテスの呟きは誰に聞かれることも無く、夕暮れの中に消えていった。