2-7 やっと日常に……?
翌朝、堅枠大は物音を感じて目を覚ました。
覚醒当初、自分が牢屋の中に居ることに、彼は戸惑った。だが、昨日に何が起こったのかを彼はすぐに思い出し、慌てることなく体を起こした。
金属柵の向こうには見知らぬ黒服の男が二人立っていた。どうやらアスラの言う通り、王宮の兵士が交代で堅枠大を見守ってくれていたようだ。
警備にあたっている兵士に言えば、トイレや洗面に連れて行ってもらえた。朝食はパンと野菜スープが与えられた。朝食後は魔力抑制の粉薬を水で飲んだ。
朝食から一時間ほど経った頃、国家魔法士のリサが昨日とは別の男性医師を引き連れて堅枠大のところにやって来た。二人は彼の体に簡易的な検査を施した。その結果、問題は特になかった。魔力抑制剤は上手く効いていて、体にも異常はみられなかった。
「まあ、日常生活に戻って大丈夫でしょう」
リサのその言葉に、堅枠大は素直に喜んだ。
昨日は突然特異体質に目覚めてしまい、どうなる事かと思った。しかし、たった一日で日常が戻ってきたのだ。嬉しくないわけがない。
検査を終えたリサと男性医師が帰り支度を始める。堅枠大はその様子を寝台に腰かけて眺めていた。
そのとき、アスラが急いだ様子でやって来た。彼女は険しい表情をしていて、堅枠大は思わず身構えてしまった。
「カタワク。キーテス様がお呼びだ」
「キーテス?」
アスラの口から出た聞き慣れない名前に、堅枠大は首を傾げる。
彼女は真剣な顔のまま、堅枠大の檻に一歩近づいた。
「キーテス=ヒューライ様。この国の王であらせられるお方だ」
「お、王様!?」
堅枠大は驚きのあまり、木板のベッドから転がり落ちてしまう。
衝撃を受けたのは彼だけではなかった。アスラの言葉に、見張りの兵士二人も、男性医師も、リサも、驚愕で目や口を大きく開いてしまっていた。
この場を代表するかのように、リサが声を上げる。
「き、キーテス様が、奴隷一人にお時間を割かれるですって!? アスラ、それって特異体質が関係してるんですか!?」
「いや、理由まではお聞きしていないよ。ただ、キーテス様が、そのカタワクという奴隷を連れてきなさい、話がしてみたい、とおっしゃったから、ワタシはそのお言葉に従っただけだよ」
アスラは表情を和らげて、リサの疑問に答える。
その回答を聞き、リサは小さく頷きながら目を閉じた。
「そう……まあ、きっと、国王様には国王様なりのお考えがあるんでしょう。あのお方が、ただの思いつきで奴隷一人との対面の場を設けるなんて考えにくい」
リサは納得したように息を吐き、腕組みをする。
兵士二人も男性医師も冷静になったようだが、肝心の堅枠大だけは状況が呑み込めず、いまだに混乱していた。
彼は床に尻を付けたまま、アスラを見上げた。
「いやいや、王様って、この国の最高権力者でしょ!? なんで特異体質に目覚めただけの俺に会うんだよ!? 俺はただの奴隷だぞ! な、なんかあるに違いない! こ、怖いことされたりなんかしないよな!?」
堅枠大はすがりつくような目をして声を荒げる。
そんな彼の言動を見て、アスラは呆れたように渋い表情を浮かべた。
「あのねぇ、今は最高権力者ってわけじゃ……その辺りの説明は面倒くさいな。まあ、それはキーテス様が直々にご説明するだろうね。あと、キーテス様は単にカタワクとお話がしたいだけだよ。怖いことなんて何もない」
「ほ、ほんと? 信じていい?」
堅枠大は四本の手足で床を這い、アスラに近づく。
子犬のような目で希望を願う堅枠大に、アスラは柔らかな笑みを見せた。
「ああ、信じていいよ」
「じゃ、じゃあ……従う」
「よし、そうと決まればキーテス様のところに連れて行ってやろう」
アスラは明るい声でそう言って、檻の中に足を踏み入れた。彼女はそのまま堅枠大の手を取り、彼を立たせて檻の外に連れ出した。
(あれ? アスラの手って、意外と柔らかいんだな。やっぱ、最強の戦士であっても、女性であることには変わりないんだな)
堅枠大はアスラの手を握り返しながら、ふとそう思った。
このとき、リサはアスラと堅枠大の様子を見て眉間にしわを寄せていた。
「昨日に比べて、随分と雰囲気が柔らかい……こいつら、いつの間に仲良くなったんだ……? 特異体質同士、なにか通じるもんでもあんのか? なんか、アスラが奴隷と仲良くしてるとムカついてくるな」
リサのその独り言は、誰にも聞こえないほど小さな声で放たれていた。
檻を出たアスラとカタワクは、そのまま牢屋を後にしようとする。それを見たリサは、急いで檻の外へと駆け出た。
「ちょっと待った! アスラ! あんた、そんな汚い体のままカタワクを国王様に会わせるつもり!? そいつ昨日も一昨日も風呂入ってないぞ! ハッキリ言ってくせえ! 清浄魔法じゃ足りないくらいにな!」
彼女の怒声が牢屋の中に響き渡る。
アスラはその忠告を聞き入れ、笑顔でリサに振り返った。
「ああ、そうだね。ワタシとしたことがうっかりしていたよ。助かった……というか、なんでリサはそんなに不機嫌なんだ?」
「そんなことあたしが知るか! ああ、そうだカタワク! 今回の報酬として特異体質の研究に協力してもらうからな! いつになるかはわからんけどな! お前に拒否権は無いからな! いいな!」
リサの八つ当たりが堅枠大に飛び火する。
無視するわけにもいかず、彼はリサに顔を向けた。彼女の歪みつつも感情が読めない複雑な表情を見て、堅枠大は困惑するしかなかった。
「えぇ……そこは俺の意思が尊重されるんじゃ……」
「そうだよ。研究に無理矢理協力させるのは法に違反するよ」
半ば呆れ顔の堅枠大とアスラ。二人の言葉は至極真っ当な反論だった。
だが、リサの興奮は収まらなかった。
「うっさい! そんなことわかっとるわい! いいからとっとと風呂入って着替えて国王様のところに行きやがれ!」
「はいはい。カタワク、とっとと行こう」
アスラはどこか微笑ましそうな顔をして、堅枠大の背中を押した。
堅枠大は背後からの威圧を感じながら、歩き出す。リサが突然不機嫌になった理由がわからず、彼はますます困惑した。
「なんなんだ、いったい……」
「いつものことだよ。リサは繊細だからね」
アスラの口ぶりは、努力家のあの国家魔法士のことをわかっているような、わかっていないかのような、とても曖昧なものだった。
堅枠大はリサについて考えるのを止め、アスラとともに牢獄から出ていった。
独房を後にした堅枠大は王宮地下内の浴室に向かった。一人用の湯船と、湯を呼び寄せるための手形の魔道具があるだけの簡素な設備だったが、彼はその場所で体を綺麗にして服を着替えた。
どういうわけか、国王との面会時には、転生当初に着用していたスーツを着ることになった。これは国王の指示らしい。堅枠大が風呂に入っている間、アスラがジャーガン国内水運に報告をしに行っていて、そのついでに許可をもらって奴隷寮からスーツを取ってきたようだ。
四か月ぶりとなるスーツに、堅枠大は懐かしさを覚えた。
(まさか、この国でこれを着ることになるとは……革靴も、ズボンも、ワイシャツも、ネクタイも、ジャケットも、全部がキツく感じる。そういえば、転生するまでは毎日こんなんだったな。忘れてた。俺も、いつの間にかヒューライ国に染まってたんだなぁ)
彼は昔のことを思い出しながら、脱衣所から出てアスラと合流した。
その後はアスラにつられ、王宮内を歩いた。
王宮本棟内は外観同様に華美ではないものの、荘厳な装飾が施されていた。石製の壁には熟練の職人が彫ったと思われる模様が広がっている。天井は普通の建物に比べると二倍以上の高さがあり、天井面にはモノクロの抽象画が描かれていた。
堅枠大は内装を見渡し、身が縮こまるのを感じた。
(ひえ~。俺みたいな一奴隷がこんなところ歩いていいのかよ~。というか、今日は月曜だし、今はもう仕事始まってる時間だよなあ。マッコウとジャーガンさんに迷惑かけちゃうなぁ。あと、昨日と今日のことをどうやって二人に説明すればいいんだ?)
そんな考えが巡り始め、彼の背中が少しずつ丸まっていく。
それだけならばよかったが、スーツ姿のせいですれ違う人々からは奇異の目を向けられて、居心地の悪さが段々と大きくなっていった。
このままではどうにかなってしまいそうだった。
堅枠大は少しでも落ち着くために、アスラと話すことにした。
「な、なあ、アスラ」
「ん? なんだい?」
右を歩くアスラは平然としていた。
堅枠大は身をすくめ、彼女に対して上目遣いをしながら口を開いた。
「俺、仕事行っちゃダメかな?」
「君は何を言っているんだ? これからキーテス様と会うというのに。君一人が一日くらい仕事を休んでもたいして変わらないだろう? 君のことに関する報告は、ジャーガンさんにはもうしているよ」
「うっ、まぁ、そうですけど……」
アスラに当たり前のことを言われ、堅枠大は言葉に詰まった。
そのせいで会話が途切れてしまう。アスラは、まるで自分の家の中であるかのように王宮内を歩いていて、彼女から話を振る様子はまったくない。
堅枠大は他に何か話題が無いかと頭の中を必死で探した。
すると、話が弾みそうなものが一つ見つかった。
(そういえば、俺は国王のことを知らないんだよな。マッコウからは年寄りだけどかわいい人、としか聞いてないし)
彼は仕事初日の夕方のことを思い出す。マッコウとともに舟で都市を巡って王宮の近くに行ったとき、相棒が国王について熱く語っていた。
「あの……国王様って、どんなお方なんだ?」
堅枠大は控えめな声でアスラに尋ねる。
王宮の空気に負けてすっかり縮こまってしまった彼に対し、アスラは何の気なしに応えた。
「キーテス様かぁ……口で説明するのは難しいけど、一言で言えば聡明で美しいお方だね。ただ、ワタシの口からいろいろ聞くよりかは、直接会ったほうが何倍もキーテス様のことがわかると思うね」
「そう、なのか」
アスラがそれ以上話さなかったため、堅枠大はどのような言葉を返していいのかわからず、頷くことしかできなかった。
(年寄りでかわいい人、聡明で美しいお方……ダメだ。イメージが湧かない。愛嬌のあるおじいちゃんなのか? そのうえで賢くて美しい? うーん、わからない)
マッコウの話から想像していた国王の姿が、アスラの言葉によって崩れ去る。当初のイメージは、白髭で体格が良く愛嬌のある笑みをうかべる老紳士。そのような人物に対して、聡明はともかく美しいという印象を抱くものなのだろうか。
加えて、アスラの言葉には、どこか女性を褒めるかのようなニュアンスがあった。それがますます堅枠大の想像を混乱させた。
彼は首をひねりながら、アスラの後ろをついていった。




