1-21 ヒューライ国の奴隷
やがて閉店時間になり、客たちは店主の女性に追い出されるようにして店を出ていった。
ジャーガン国内水運の奴隷たちは支え合いながら、奴隷寮や自宅に向かった。
夜の街はランプの形をした魔道具によって照らされていた。オレンジ色や青色などのさまざまな照明が、昼とは違った街の雰囲気を作り出している。通りは人で溢れ、深夜帯営業の露店や飲み屋などが大いに賑わっている。
そんな道を、堅枠大とマッコウも歩いていた。
二人は肩を組んで互いを支えながら、自分たちの部屋を目指して進む。二人とも、限界寸前までアルコールが回っていた。
「カタワク、ハー、エーマ、ジューブ?」
「カタワク、お前大丈夫か?」
堅枠大の耳に、マッコウの声が日本語としてだけでなくヒューライ語としても聞えてくる。しかも、両方同じ音量だった。
「うん、うん。俺は大丈夫」
「エイ、エイ、ブージ、ハー、ジューブ」
堅枠大は日本語で話したが、翻訳魔法が暴走しているのか自分の言葉までもがヒューライ語で聞こえた。
二カ月間の学習のおかげで、堅枠大はほんの一部であればヒューライ語もわかるようになっていた。わかる言葉はヒューライ語として聞き取れるが、やはりわからない言葉は雑音として聞こえてきた。
二人はおぼつかない足取りで歩きながら話す。
「もう三十一歳のいい大人なんだから、限界の手前で止めれるっての」
「まあ、そうだよな。カタワク、最後のほうは食ってばっかりだったもんな」
マッコウにそう言われ、堅枠大は先ほどのまでの宴会を思い出した。確かに堅枠大は途中から酒は飲まず、水を飲んでは料理を食べていた。
「つーか、全員そうだっただろ。追い出される直前に残り全部早食いしてたしさ」
「そうしねぇとジャーガンさんに申し訳ねえもんな。あと、食い物そのものとか作ってくれた人とかにもな。それにしても、今日はジャーガンさんの奢りだったし、いい酒が呑めたぜ」
マッコウは口元を緩める。
堅枠大も優しい気持ちになって目を細めた。
彼が居た日本では、宴会の料理が大量に残されるのは当たり前の事だった。だが、この国では酒も料理も適量が出され、客も残さずに飲み食いしていく。文化的な側面もあるだろうからどちらが良いとは言えないが、堅枠大はヒューライ国の風習のほうが好きだった。
彼は、この国では宴会で余計な気遣いをしなくてよいことも気に入っていた。奴隷などの身分はあるものの、それは役割的な側面が強いだけで、私的な部分での上下関係は弱い。上司や先輩の顔色を常に気にする必要など無かった。
「まったくだ。職場の飲み会がこんなに楽しかったの、生まれて初めてだ」
堅枠大は思わず言葉を漏らす。
独り言だったが、マッコウはそれを聞き逃さなかった。
「ん? カタワク、記憶戻ったのか?」
マッコウは酔った人間特有の緩んだ笑みを見せながら、堅枠大の目を覗き込む。そこには疑う様子も怪しむ様子も無く、ただ純粋に訊く気持ちだけがあった。
しかし、堅枠大は自分の言動が迂闊だったと思った。
自分は記憶喪失という設定でこの国の一員になっている。いずれはマッコウにも本当のことを話さなければならない時が来るのだろうが、それは今ではない。こんなところで綻びを見せていては、今まで築き上げてきた良好な関係が崩れるかもしれなかった。
自分が異世界人だと言ったところで、簡単には信じてもらえないだろう。
堅枠大は酔った頭で脳を回転させ、取り繕う。
「い、いや、記憶は戻ってない。でも、なんとなくそんな気がしただけ」
「そっか。気のせいでも、そう思えたなら、よかったな」
マッコウは優しい声でそう言って、いつもの能天気な表情を浮かべた。
彼が堅枠大の嘘に気付いているのかどうかはわからない。気づいていないフリをしているのか、気づいていないのか、半分気づいていて半分気づいていないのか、真相は不明だ。
それでも、マッコウが堅枠大を大事に思っているのは確かだった。それと同時に、改めて堅枠大もマッコウのことを大切な存在だと感じた。
二人は酔いの中で微笑み合い、歩みを進めた。
惰性で歩き、気づけば奴隷寮の前にたどり着いていた。二人は一度そこで足を止める。堅枠大は我が家も同然の青い建物を見上げた。
「おお、もう帰ってきたのか。よし! さっさと寝よう!」
「そうだなぁ。風呂は明日の朝でいいや。今入ったら死んじまいそうだぜ。ねみぃし、水飲んで歯ぁ磨いて部屋戻ろうぜ」
マッコウはうつむいた状態で、珍しく覇気のない声を出した。
堅枠大は今にも眠ってしまいそうなマッコウを支えながら、奴隷寮のドアを開けて中に入り、一階の食堂に行った。
今日と明日は食堂のおばちゃんことミリサとその夫が休みで居ないため、食器を使った場合は自分たちで片付けなければならない。それが面倒だったので、二人は魔道具に手を添えて飲用の蛇口から水を出すと、両手に水を溜めて飲んだ。
酔っているときに飲む水は格別に美味しく感じた。
その後、二人は二階に上がり、洗面所で軽く歯を磨いた。
奴隷寮には飲み会帰りの同僚たちがいて、食堂で座って話す人や、廊下にたむろしている人もいた。奴隷寮の公共スペースで見かけなかった人たちは、二次会に行ったか、すでに部屋で眠っているのだろう。
堅枠大とマッコウはすれ違う同僚たちに軽く挨拶をしながら、自分たちの部屋へと向かった。
部屋に入るや否やマッコウは自分のベッドに飛び込んだ。彼は数秒も経たないうちに眠りに落ち、寝息を立て始めた。
堅枠大もベッドに上がって仰向けになった。
酔いは覚めてきたが、宴会の余韻はいまだに残っている。思い返せば返すほど楽しいという気持ちが甦ってきて、頭が冴えてしまった。
「うーん、酒がちょっと抜けたせいか、眠れないな。汗でべたついて気持ち悪いし、ちょっと風にでも当たりに行くか」
堅枠大は起き上がり、物音を立てないように気を付けながら部屋から出た。
彼は階段を下り、そのまま玄関を抜けて外に出た。少し歩いて水路へと続く階段を下り、その足場に座る。
舟を泊めて荷物の積み降ろしをするためのスペースで、堅枠大はしばらく休憩することにした。
「いやあ、夏だというのに、夜が涼しくていいなあ」
堅枠大は夜風に当たりながら顔を緩める。
アルコールの効果が薄れてきたとはいえ、酔いはまだ残っている。顔がわずかに火照っているおかげで、夜風がより気持ち良く感じた。また、夜のピークを過ぎて街が少しずつ静かになっていく様子を、ほろ酔い気分のなか、耳で楽しむこともできた。
心地良さを感じながら、堅枠大は夜空を見上げ、暗闇に浮かぶ満月を眺める。
円形の黄色い月を見ていると、これまでの四か月間のことが思い出された。
堅枠大は日本で過労死して、どういうわけか異世界に転生してきた。最初は奴隷にされたことに絶望したが、実際に働いてみると非常に良い労働環境だった。仕事に対するやる気も出て、社会的充足感も得られた。
学校に通って勉強するのも楽しいし、仕事でいろんな人と交流するのも楽しい。これからは農場や国境の貿易会社の人たちだけでなく、もっと多くの人と関わることになるのだろう。
ヒューライ国に来て、堅枠大は変わった。以前の彼は、現代日本で不運にも劣悪な労働環境に晒された結果、感情を捨てた歯車となっていた。しかし今の彼は、公私ともに充実した人間として生きている。
彼は今の労働時間を物足りなく感じていた。もっと仕事をしたいと思うようになっていた。しかし、きっとこのくらいがちょうどいいのだろうとも思っていた。
「奴隷最高だな」
彼はそう呟く。
その言葉は、事情を知らない人間から見れば不可思議なものに違いない。だが、堅枠大はヒューライ国の奴隷という立場を誇りにすら思っていた。
彼はもう、日本人ではなく、ヒューライ国民だった。
それでも、彼はもと居た世界を懐かしく思うこともあった。
魔法ではなく、科学で支えられた世界。電気で支えられた世界。みんながみんな、身を削りながら働いて発展させてきた世界。そんな世界を彼は否定する気にはなれなかった。否定してはいけなかった。
堅枠大が今居る世界には、電子機器は無い。高度な工業製品も無い。嗜好品の種類も少ない。魔法という便利なものがあるため、そういったものを生み出す必要は無く、また生み出される偶然もほとんど起こらない。
元の世界では魔法が無くても、人類は明日を良くするために新しいものを生み出してきた。そして、偶然から生まれたものが明日を良くしてきた。
そう考えると、元の世界も悪いものではなかったと堅枠大は思った。
今居るこの世界を生きることが一番大事。だが、元の世界に思いを馳せて懐かしむということも、彼にとっては大切な行為だった。
そこでふと、元の世界での夏の生活が思い出された。
それが、堅枠大の心に、ある感情を呼び起こした。
「キンキンに冷えたビールが飲みたい。ガチガチに凍ったアイスが食べたい」
日本の夏を思い返したことで、冷えた物への渇望が彼の心に芽生えていた。
その欲望は次第に大きくなった。そこに酔いが加わることで、彼には制御できない意味不明な意思が発生した。
「そうだ。この水路に手を突っ込んで寝そべったら気持ちよさそう」
堅枠大はその場でうつ伏せになり、左手を水路に入れた。左手首までが水に浸かり、水温が体へと伝わっていく。
「ああ~。冷たくて気持ちいい~」
堅枠大はそこで急激な眠気に襲われて目を閉じた。
彼は自分が何をしているのかもわからないまま、気持ちの良い状態で眠りに落ちていった。
第一章「奴隷転生編」はこれで完結です。次章から少し雰囲気が変わります。