SS「対策室」
県警本部三階、廊下の突き当たり。
以前は、長机と椅子、ホワイトボード、壁掛けのモニターがあるだけの小会議室だった。第一部の一連の事件で何度も使われた結果、今は入口に一枚の紙が貼られている。
《説明未了事案対策室》
伊東朔は、その紙を見上げた。
「できてる」
隣で御厨美冬が鍵を開ける。
「何がですか」
「特異事案係」
「違います」
「でも対策室」
「係ではありません」
「部署?」
「それも違います」
「じゃあ何」
「部屋です」
御厨はドアを開けた。
「名前のついた」
「部屋です」
「官僚的」
「警察なので」
中も以前とは少し変わっていた。机や椅子は同じだが、壁際には棚が増え、ファイルやケース、救急用品、ペットボトルの水、充電器、延長コードなどが収められている。小さな電気ケトルと冷蔵庫まであった。
「生活できそう」
「しないでください」
「寝袋ない?」
「なぜ探すんですか」
朔が棚へ手を伸ばしかける。
「触らない」
「まだ何も」
「触る顔してます」
「顔で分かる人増えたな」
「あなたが分かりやすいだけです」
*
黒瀬宗一郎は、部屋の奥で書類を読んでいた。
「来たか」
「呼んだの黒瀬さんでは」
「呼んだ」
「じゃあ来ます」
「そうだな」
朔が椅子を引いて座り、御厨も持っていた資料を机へ置く。
「今日からここを、説明未了事案の集約場所として使います」
「正式?」
「半分」
黒瀬が答えた。
「また半分」
「部屋の使用許可は正式に取った」
「対策室って名前も?」
「便宜上だ」
「誰が決めたんです」
御厨が手を挙げる。
「私です」
「意外」
「何が」
「もっと長い名前にしそう」
「例えば?」
「説明未了事案情報集約及び初動対応連絡調整室」
御厨が露骨に嫌そうな顔をした。
「役所を何だと思ってるんですか」
「長い名前を作るところ」
「否定しづらいですね」
黒瀬が一枚、紙をめくった。
「所属は変わらん。新しい課ができたわけでもない」
「じゃあ、ここは」
「何かあった時に集まる場所です」
御厨が答える。
「資料、映像、接触者の記録も、できるだけここへ集約します」
「俺も?」
「必要なら」
「真白は」
「必要なら」
「久世」
「必要ありません」
「かわいそう」
「何がですか」
「一般人差別」
「一般人だから呼ばないんです」
黒瀬が顔を上げた。
「むしろ正常だ」
*
十分ほどして、ドアが開いた。
「こんにちは」
宇佐見玲奈。その後ろから神代真白が入ってくる。
「来た」
朔が言う。
「いる」
真白が返す。
「見れば分かる」
「同じ」
「何が」
「返した」
「俺の言い方?」
「うん」
玲奈は室内を見渡した。
「ずいぶん物が増えましたね」
「御厨が持ち込んだ」
「必要なものです」
「コーヒーメーカーも?」
「それは黒瀬警部です」
「必要だ」
御厨が黒瀬を見る。
「さっきと言ってること違いますよ」
真白は冷蔵庫が気になるらしく、その前で止まった。
「開けていい?」
「自分のものを入れているなら」
「ない」
「じゃあ今は開けなくても」
「見るだけ」
「まあ……」
扉を開ける。
水、お茶、ゼリー飲料。その奥にプリン。
真白が止まった。
「朔」
「何」
「ある」
「プリン?」
「うん」
「それ私のです」
御厨が言うと、真白は静かに扉を閉めた。
「御厨の」
「はい」
少し残念そうだった。
「次から名前を書きましょうか」
玲奈が笑う。
「学校みたい」
「あなたが勝手に食べないようにです」
「俺?」
「誰を想定するんですか」
朔は少し考えた。
「久世」
「いません」
*
午後三時二十三分。
結局、久世はいた。
「何で?」
御厨が訊く。
「俺も知らないです」
久世が答えた。
「朔に呼ばれた」
「暇だったので」
「俺を暇つぶしに県警へ呼ぶな」
「来たじゃん」
「県警の中に入れると思わんだろ」
黒瀬が額を押さえた。
「御厨」
「私じゃありません」
「分かってる」
真白が久世を見る。
「一般人」
「もうそれ肩書きなの?」
「便利」
「やめろ」
玲奈が小さく笑った。
榊原からは、《講義があります》とだけ返信が来ていた。
当然だった。
*
その後は、何も起きなかった。
誰も倒れず、世界が白くなることもなく、木も異形も現れない。
黒瀬は書類を読み、御厨は報告書を作り、玲奈は持ってきた資料に目を通していた。久世はスマートフォンを眺め、真白は御厨から譲ってもらったプリンの空き容器をなぜかまだ机の上に置いている。
朔だけが、回転椅子をゆっくり回していた。
「伊東さん」
「はい」
「回らないでください」
「椅子は回るために」
「違います」
一周。
「止めますよ」
「はい」
止まった。
しばらくして、朔は改めて部屋を見回した。
「これ、事件ない時も使う?」
「資料整理はします」
「じゃなくて」
少し考える。
「集まる?」
黒瀬が書類から目を上げた。
「用があればな」
「用がなくても来そう」
久世が言う。
「お前が言うな」
「俺、今日用ないですよ」
「帰れ」
「ひど」
真白が顔を上げた。
「私は?」
黒瀬が一瞬だけ詰まる。
「神代は……」
御厨を見る。
御厨は玲奈を見る。
「来たい時に来てもいいんじゃないですか」
玲奈が言った。
「勝手に決めるな」
「駄目ですか」
「駄目とは言ってない。入館の手続きは要る」
「めんどう」
「警察なので」
御厨が言う。
朔が笑った。
「たまり場になるな」
「するな」
「でも」
「するな」
「まだ何も」
「顔で分かる」
「黒瀬さんまで」
*
数日後。
たまり場になっていた。
正式には《説明未了事案対策室》。
黒瀬と御厨はここで仕事をする。玲奈は必要に応じて顔を出し、榊原は呼ばれれば来る。澪は大学帰りに資料を持って立ち寄るようになり、真白は本を読んでいることが増えた。
朔もいる。
なぜか久世もいる。
冷蔵庫には名前を書いた飲み物や食品が増え、棚には澪が持ち込んだ民俗学の本、榊原が置いていった論文、玲奈の心理関係の資料、御厨のファイル、黒瀬の茶が並んでいる。
真白のプリンもある。
朔は棚を眺めた。
「俺のもの何もない」
「置くな」
黒瀬が即答した。
「俺だけ排斥されてる」
「お前は自宅じゃないと思え」
「真白は置いてる」
「神代は勝手に怪異へ話しかけない」
真白が本から顔を上げる。
「話す」
「……そうだったな」
「でも勝手には行かない」
真白は朔を見る。
「えらい」
「俺と比較して?」
「うん」
「納得できない」
「してください」
御厨は画面から目も上げずに言った。
*
その日の午後、窓側の机に澪、玲奈、真白が集まっていた。
話しているのは服や髪、食べ物のことらしい。少なくとも事件の話ではなかった。
「何してるんですか」
御厨が訊く。
「別に」
澪が笑う。
「女子会」
「水城さん」
「違う?」
玲奈も笑った。
「別にいいんじゃないですか」
「女子会」
真白が復唱する。
「覚えなくていい」
朔が言った。
「なぜ」
「使う場面が少ないから」
「今」
「今はそう」
御厨が振り返る。
「伊東さん、何か言いたいんですか?」
「別に」
「その顔は何ですか」
「少し気になっただけです」
「何が」
朔は答えず、少し離れたところで書類を読んでいる黒瀬へ向き直った。
「黒瀬さん」
「何だ」
「最近は日本語の乱れがひどいですね」
黒瀬が怪訝そうに顔を上げる。
「急に何だ」
「御厨さんたら、さっき自分たちの集まりを女子会って言ってましたよ」
御厨が止まった。
「伊東さん」
「はい」
「どうして、それをわざわざ黒瀬警部に報告したんですか?」
「言葉の運用上の問題なので」
「何の報告義務ですか」
「問題提起」
「私に直接言えばいいでしょう」
「本人に言うと主観が入るので」
「黒瀬警部に告げ口すれば客観的になるんですか?」
朔は少し考えた。
「第三者なので」
部屋が静かになった。
黒瀬は書類から顔を上げたまま、何とも言えない顔をしている。
御厨は笑った。
目だけが笑っていない。
「伊東さん」
「はい」
「ちょっと外へ」
「なぜ」
「当事者間での意見調整です」
「黒瀬さんも?」
「来ません」
「第三者が」
「外へ」
「はい」
*
五分後。
ドアが開き、朔が戻ってきた。
何事もなかったような顔で椅子へ座る。
ただし、右頬が赤くなっていた。
久世が見る。
「何したの」
「言語運用について当事者間で調整した」
「物理調整されてるじゃん」
「一部」
「頬を引っ張られて?」
黒瀬は何も聞かなかった。
玲奈は微妙な顔で資料へ視線を落としている。
澪は口元を押さえていた。
真白だけが、朔の顔をじっと見る。
左。
右。
もう一度、左。
「朔」
「何」
「半分、違う人」
朔が止まった。
「腫れてるだけ」
「戻る?」
「たぶん」
真白は安心したように頷いた。
「よかった」
久世が机へ突っ伏した。
澪も耐えられなかった。
玲奈まで顔を伏せる。
「笑うところですか?」
御厨が言う。
「いえ」
玲奈が答えた。
「すみません」
黒瀬は書類を一枚めくる。
「余計なこと言うからだ」
「黒瀬さん」
「何だ」
「警察が市民に暴力」
「俺は何も見てない」
「組織的隠蔽」
「御厨」
「はい」
「次は見えないところでやれ」
「黒瀬警部?」
「冗談だ」
朔が口を開く。
「最近は警察の倫理も」
「伊東さん」
「黙ります」
真白が見る。
「学習」
「した」
「嘘だ」
久世が即答する。
朔は少し考えた。
「まだ分からない」
御厨が額を押さえた。
*
夕方になると、一人ずつ帰っていった。
澪、玲奈、久世、御厨。
最後に残った朔と真白も、部屋を出る。
真白はドアの前で振り返った。
《説明未了事案対策室》
「ここ」
「うん」
「何する場所?」
朔は少し考える。
「分からないことがあったら来る場所」
「分かる?」
「たまに」
「分からないまま?」
「結構」
真白はしばらく看板を見た。
「じゃあ、合ってる」
「何が」
「名前」
朔も見る。
《説明未了事案対策室》
「確かに」
電気を消し、ドアを閉める。
翌日になれば、また誰かが来る。
SS 了
1章としてはここで完結。気が乗れば2章も書きます。




