到着
ヴァルヴァラは、アンジェラとアイーシャと共に、言われた場所に到着した。
ベンガルの結界に近付くと、軍神が出て来てここへ案内してくれたのだ。
そこは、アクサナの記憶の中で見た、あの家の前だった。
脇に何やら木の実が山積みになっていて、人は木の実も食すのかと思った。
「…ここか。」ヴァルヴァラは、言った。「母上が兄上のヴァレリーをお産みになったのは。」
アンジェラは、頷いた。
「は。確かに母上のご記憶の中にあった場所。初めて参りましたのに、何やら懐かしい心地になりますな。」
と、そこへ遠く森の中から、犬の吠え声がした。
…犬…?ここの飼い犬では。
三人が思って振り返ると、犬達は何か大きな物を引きずって、こちらへやって来ているところだった。
「…何を引きずっておるのでしょう。」
アイーシャが目を凝らす。
段々に近付いて来て、犬達が引きずって来ているのは、大きな牝鹿だということがわかった。
「…鹿でございます。」アンジェラが言う。「狩って参ったのでは。」
ヴァルヴァラは、顔をしかめた。
「ここでは餌をやらぬのか?あやつらは己でなんとかせねばならぬか。」
すると、目の前の家の戸が開いた。
「こら、騒がしい!」と、ハッとヴァルヴァラに気づいた。「…ヴァルヴァラ様でございますか。」
ヴァルヴァラは、頷いた。
「我はヴァルヴァラぞ。呼ばれて参った。」
その神は、頭を下げた。
「我は犬神の宮軍神、雷嘉でございます。お待ちくださいませ、王にお知らせ致します。」
犬神の宮…?
ヴァルヴァラは思ったが、黙って頷いた。
雷嘉が引っ込むと、犬達は何やら喜んでヴァルヴァラに纏わりついて来た。
「あ、こら!」アンジェラが、慌てて犬達を抑えようとする。「ならぬ!」
しかし、ヴァルヴァラは犬達に飛び掛かられて舐められながら、それらの頭を代わる代わる撫でた。
「まあ良い、これらに悪気はないのよ。しかし」と、あまりにもフレンドリーにヴァルヴァラばかりに纏わりつくので、戸惑いながら続けた。「なぜに我ばかり。主らには見向きもせぬのに。」
確かにそうだ。
すると、中からイシードや見慣れぬ神達が出て来て、犬達に襲われているヴァルヴァラを見て驚いていた。
「え、ヴァレーリア?!」
人の男、記憶で見たイシードがヴァルヴァラを見て驚いた顔をする。
ヴァルヴァラは、言った。
「我はヴァルヴァラ。主の言うは我の母ぞ。そこまで母上に瓜二つというのでもないのだがの。」と、犬達を抑えた。「とにかくこれらをなんとかしてくれぬか。」
イシードは、ハッとして頷いた。
「こら!やめろ、神様なのだぞ!」
しかし、犬達はヴァルヴァラから離れない。
漸が、見かねて言った。
「控えよ!」犬達が、ビクッと体を固くしたかと思うと、慌てて一斉に平伏した。漸は、息をついた。「落ち着かぬか、だから犬犬言われるのだぞ。」
犬達は、キュンキュン鳴く。
漸が、驚いた顔をした。
「なんだって、主人?違う、これは別神よ。匂いに覚えが?気の所為ぞ。主ら、長生きしておるのか。」
イシードが、答えた。
「…はい、これらは雷嘉と同じく賢しい犬で。もう…三百年は生きておるかと。」と、ハッとした。「そうか、ヴァレーリアの居た頃に生まれた奴らだから。子犬の頃にあれが大層可愛がって…だからヴァルヴァラ様の匂いをヴァレーリアのものと勘違いしておるのだ。」
漸は、頷いた。
「ゆえに長生きなのだ。神に子犬の頃に可愛がられて、神格化する素質を得たのよ。まだ神ではないが、ゆえにこれらは賢しいし長生きなのだ。そのうちにうちへ引き取る事になるやも知れぬ。まだまだだがな。」と、犬達を見た。「そら、もう良いから。それは主の主人ではないぞ。神格化しないのはその落ち着きのないせいだぞ?雷嘉を見習わぬか。」
起き上がった犬達は、尻尾をブンブン振ると、側に落ちている鹿の方へ行って、それを鼻先でグイグイと漸の方へと押した。
そして、漸の前に座って得意そうにした。
「…我に?気持ちは嬉しいが、我は食わぬからな。主らで食うが良い。」それを聞いた犬達は、がっくりと悲しげに頭を垂れる。漸は、その頭を撫でた。「だから気持ちは嬉しいのだと言うのに。そのように消沈するでないわ。」
すると炎嘉が、何やら木の実の山の前に立って宙にブツブツと言い出した。
「…いや、気持ちは嬉しいが主らで食せ。我は木の実は食わぬのだと申すに。…いや、虫はもっと食わぬゆえ!持って来るな!」
鳥が遠くの空中を、かなりの数が飛んだり木の枝にとまったりして騒いでいるのが見える。
どうやらそれらに話しているようだった。
維心が、顔を覗かせた。
「何をしておる?」と、炎嘉を見た。「炎嘉、何ぞそれは。」
炎嘉は、振り返った。
「我に貢ぐと申してこのように。我は要らぬと申しておるところぞ。」
維心は、呆れたように言った。
「ヴァルヴァラを出迎えるだけにしては戻って来ぬから、玉は我が取ったわ。早う来い、皆で見るのだろう?」
ヴァルヴァラは、龍王までが来ている事実に流石にひいた。
島の神がなぜにそんなにこの事に力を入れておるのだ。
しかし、そんな気持ちはおくびにも出さずに、頭を下げた。
「維心殿。昨日は大変にお世話になり申しました。」
維心は、頷いた。
「良い。早う済ませたいのだ、中へ来い。」と、炎嘉と漸を見る。「眷属の世話をしたければ良いが、我は忙しいゆえこっちの処理をするぞ。」
炎嘉は、維心に言った。
「別に我は世話をしとうないのよ!なのにあやつらがあれこれ気を回しよってからに、この方が気を遣うわ。」と、足を戸の方に向けた。「ヴァルヴァラ、参るぞ。イシードからはもう話を聞いたのだ。それからここらのカラスの長から、主らが襲われた時の様子を聞いた。間違いなくヴァレリーが襲撃しておる。中へ。」
ヴァルヴァラは、頷いた。
「は。」と、アンジェラとアイーシャを振り返った。「主らはここに。中は狭そうぞ。」
二人は、頷いた。
「は。こちらでお待ちしておりまする。」
そうして、ヴァルヴァラは大きな気の王達と共に中へと入って行った。
アンジェラとアイーシャは、犬達が自分達で狩って来た鹿をせっせと引きずって、イシードが解体に使うらしい、いろいろな道具が置いてある場所へと移動させて行くのを眺めた。
遠くで、鳥達は騒がしくしていた。
中へ入ると、イゴールとヴァルラムも居てヴァレリーは居なかった。
どうやら、奥に寝かされているらしい。
炎嘉が、ヴァルヴァラに言った。
「大会合の折に見て知っておろうが、それが犬神の王の漸。我らとは大会合の時に話しておるから分かろう。」
漸は、言った。
「ヴァルヴァラ。犬神が何故にと思うやも知れぬが、我だって面倒はごめんなのだ。ただ雷嘉がこちらの出身で、無関係ではないだろうと連れて来られただけよ。ゆえに我の事は気にするでない。別に膜の呪文にも興味はない。」
炎嘉が、咎めるように言った。
「こら、興味はないとは何ぞ。主は最近に神世に出て参ったから被害はないやもだが、我ら長年この術には悩まされて来たのだ。主とてこのままでは迷惑を被るのだぞ?少しは当事者意識を持て。」
漸は、顔をしかめた。
「当事者でないのにそれは無理ぞ。まあ、何かやれというのならやる。その程度よ。」
維心は、はぁとため息をついた。
「漸はいつなりこうよ。諦めよ、炎嘉。やれというのならやると言うのだから。」と、手の上に玉を出した。「で、これよ。ヴァレリーから抜き出して来た、記憶の複製ぞ。あやつが眠っておるのは、霧が巣食っておる時に損傷した精神の修復が終わらぬから。我が見たところ、まだ掛かろうな。これを、最近のものだけ掻い摘んで映し出すゆえ、皆で見ようぞ。その後、あやつの処遇は決めれば良い。」
炎嘉が、言った。
「映し出すとてどこへ?ここは狭いし壁は丸太を積み上げてあるし、綺麗に見えぬぞ。」
ヴァルヴァラが、気を遣って言った。
「ならば、我のマントを。」と、ヴァルヴァラは首の紐を解いた。「白いのでそこらに掛けたら映し出すのにちょうど良いかと。」
維心は、頷いた。
「ならばそれで。イシード、そこの…ええっと、テレビとかいったか?そこに掛けよ。」
月の宮で見たことがある。
維心がそう思って言うと、漸は感心したような顔をした。
「主、よう知っておるの。あの板の名前。」
維心は、頷いた。
「月の宮で見た。」
月の宮にはテレビとかいう板があるのか。
ヴァルヴァラが驚いている前で、イシードはヴァルヴァラから躊躇いがちにマントを受け取ると、それをそこに掛けた。
維心は、そこへ向けて、ヴァレリーの記憶を投影したのだった。




