過去に
エフィムとアイーシャとダリヤは、アマゾネス城の王の居間へと戻った。
ちょうどアンジェラが戻って来ていて、ヴァルヴァラの側に控えて何やら話しているところだった。
ヴァルヴァラが、言った。
「戻ったか。母上の書は?」
エフィムが、ヴァルヴァラに歩み寄りながら、首を振った。
「それが、それは跡形もなく。側に、花が供えてあったゆえ、恐らく誰かが入ってそれを見つけて持ち去ったのだろうと話しておったのだ。しかし、墓所の場所は誰にも知られておらぬはずだし、我らにも誰が持ち去ったのか分からずで。もしや、ヴァレーリアの縁者が他にも居たのではないかと思うのだがの。」
ヴァルヴァラは、眉を寄せた。
「母上の縁者と?そんな事は聞いた事もない。母上は何も仰らなかった。母上の子供は、我だけぞ。」
アンジェラも、困惑した顔をしている。
アイーシャが、言った。
「我らも何も聞いておりませぬが、我らがお仕えし始めたのは二百前の時で、今から三百年ほど前の事でした。ヴァレーリア様はその頃三百。ちょうど、ヴァルヴァラ様を宿そうとしておった辺りの事でございます。その前に何かあったとしても、何も知らされておりませぬ。」
ダリヤも、頷く。
「我の母なら何か知っておったやも知れませぬが、今はもう亡く。アイーシャの母もです。」
アイーシャは、頷いた。
「確かに我が母上ももう居らぬしな。ヴァレーリア様をお育てした軍神達は、皆軒並み居らぬから。」
母上が、他に子を…?
ヴァルヴァラは、顔をしかめた。
「…ならば一言あっても良かっただろうが、我に姉妹が居るなど全く聞いておらぬゆえな。居るなら共に育っておったろうし。」
それはそうだ。
だが、ダリヤが言った。
「ですが…仮にそれが男であったりしたら、ヴァレーリア様も跡目にはできぬで捨てた可能性はありまする。」
アイーシャは、顔をしかめた。
「何を言うておるのだ。男なら万が一王座に就きたいなどと思い出したらまずいゆえ、女王のお子であっても、いやだからこそ、赤子のうちに処分するのだ。そうでなければ、娘の脅威になりかねぬから。ゆえ、男ならばあのヴァレーリア様のこと、必ず殺しておるはずよ。」
エフィムは、それを聞いて眉を寄せる。
アンジェラが、言った。
「ならば他に皇女が?とはいえ、それならなぜに育てなんだのだ。もしや、殺し損ねて誰かが拾い、育っておるのではなかろうの。ゆえにヴァルヴァラ様を恨んでおるとか。」
皆が、顔を見合わせる。
それが一番、可能性が高そうだった。
「…とりあえず、あの潜んでいた屋敷から放置してあった書は、持ち帰った。これを見て、何か手がかりはないか調べるしかない。同じ仙術なのだから、何か解くコツのようなものがあるはずぞ。それを見つけるよりなかろう。」
ダリヤが、自分が持って来た束を振り返った。
「しかしながら、かなりの数になりまする。時が…。」
日が、真ん中を過ぎて傾いて来ているのだ。
エフィムは、それでもその束に手を伸ばした。
「何もせぬよりマシぞ。とにかくやるのだ!終わったらそっちへ積め。手分けして見るぞ。」
仕方なく、アイーシャ達がその紙束に手を伸ばすと、アンジェラが言った。
「…アナスターシャの母は?それも死んで居らぬか。」
アイーシャは、書を手にしてアンジェラを見た。
「アナスターシャの方が我らより歳上であったゆえな。とっくに母は死んでおらぬ。」と、ふと何かを思い付いた顔をした。「…そういえば、アナスターシャの母は一番ヴァレーリア様と共に居たとか聞いたな。乳母の任をレイティア様から与えられて、赤子の頃から世話していたのだと聞いておる。ゆえに戦の時も、ヴァレーリア様を隠して結界外にたった一人で潜んでいたとか。アクサナ殿の母も、その頃合流して共にヴァレーリア様とアクサナ殿を育てたのだと聞いておる。」
アンジェラは、頷いた。
「我が母はその事について我に詳しくは言い残してはおらぬが、確かにアナスターシャの母と祖母は友だったとか言うておった。ならば、アナスターシャの宿舎に何か残っておるのでは。アナスターシャも母親から、何か継いでおるやも知れぬぞ。」
ダリヤが言った。
「そういえばアナスターシャはアナスターシャで、ソフィアの術の隠滅の術の他に何か、内に持っておる命があるようだったの。何か知っておるのだろうが、何も聞かぬのが我らの間で暗黙の了解となっておったゆえ、敢えて聞いたりせなんだが。」
アンジェラは、言った。
「ならば我は、アナスターシャの宿舎を調べて参る。何か残っておるやも知れぬ。そこに手がかりもある可能性があろう。」
アイーシャは、書に視線を落としながら、頷いた。
「ならば行って参れ。あやつが死んでから、片付ける暇もなくそのままになっておるわ。」
アンジェラは、ヴァルヴァラに言った。
「女王、我はアナスターシャの宿舎へ調べに参ります。」
ヴァルヴァラは、頷いた。
「行って参れ。」
アンジェラは頭を下げて、そうしてアナスターシャの宿舎へと急いだのだった。
雷嘉は、漸に許されて大会合の後から、犬であった時の主人である、イシードの所へ里帰りしていた。
イシードは相変わらず若々しい姿だったが、人にはあるまじき長生きなのは知っている。
その息子のヴァレリーも、同じく長生きの人だったので、二人はひっそりと人里離れた村の外れの、森の中で生きていた。
それでも、村人達はそれを知りながらも、困った時には助けてくれるイシードとヴァレリーのことを、他所の人々に話したりはしなかった。
二人は長生きなだけでなく、いろいろな能力を持っていて、食料不足の時にでも、どこからともなく獲物を狩ってきては、村人に興じてくれる、頼もしい人々だったからだ。
神となった雷嘉の初めての帰還だったので、イシードとヴァレリーの二人はいつも雷嘉が大好物だった鹿肉を準備してくれていたが、雷嘉は困ったように、ぎこちなく言った。
「イシード、我はせっかくですが、神になってからは肉が食べられぬようになって。今は特に何も食さないのですよ。」
最初は主人だったのでイシード様と呼んでいたが、神となった雷嘉が人に仕えているようなのはおかしい、と、気軽に呼ぶように言われているので、まだ慣れない。
イシードは、残念そうな顔をした。
「そうか、だったら仕方ない。お前はもう神だものな。」
雷嘉は頷いて、自分に纏わりついてはしゃぐかつての仲間の犬達を撫でた。
「それより、まずはこれらを落ち着かせねば。森を散策して来ます。」と、漸から持たされた、包みを差し出した。「これは、我が王漸様よりの品。茶や、薬草など人に使える物を持たせてくだされた。使ってくださると良い。」
イシードは、パァッと明るい顔をした。
「すまぬな、助かる。」と、ヴァレリーを見た。「雷嘉と共に散歩に行って来るといい。」
ヴァレリーは、頷いた。
「雷嘉、行こう。あの頃より地形が変わっているところもあるしな。地震があって。」
雷嘉は、頷いた。
「では共に。」
二人は、そこを出て歩いた。
犬達は、その後ろを物凄い勢いでついて行って大騒ぎだ。
イシードはそれを見送って、二人の背中を見ながら思った…これで、少しはヴァレリーが気持ちを切り替えてくれたら、と。
ヴァレリーは、最近になって何やら暗い顔をするようになり、イシードは気にしていたのだ。
こんな場所に二人きりで長年住んでいるので、何か思うところがあるのかもしれない。
神となった雷嘉が共に居れば、その穢れを祓う気の影響で、少しは元気になるかもしれない。
イシードは、それを期待していた。