術の力
奥では、イゴールが脇の椅子で真っ青な顔で座っていた。
寝台の方では、治癒の女神の二人が、布を掛けられてソフィア自体が全く見えない状態の中で、その一部露出している場所に手を翳してこちらを振り返った。
明花が、言った。
「ご説明致します。こちらへ。」
さすがの炎嘉も緊張した顔で、頷く。
維心は、イゴールを見た。
「イゴール。説明を受けずで良いのか。」
イゴールは、答えた。
「…我は最初の時点で直視できぬようになって。吐き気が抑えられぬので、ここで聞くだけに。」
炎嘉が、言った。
「不甲斐ないの、イゴール。己の妃の事であろうが。」
言いながらも、後ろの焔と紫翠は真っ青だ。
明花は、進み出て開かれた腹の中を指差し、言った。
「こちらをご覧くださいませ。」維心とヴァルラムが、明花の後ろから覗き込む。明花は続けた。「こちらが子の袋、本来このように盛り上がった状態にはなりませぬ。しかも、大きさも平べったくなっておるのか、普通はもっと小さくみえまする。が、この裏に玉があり、それが場を取っておるので、本来の場所に収まろうと玉を巻き込んで丸く前に突き出た形になっておりまする。」
維心とヴァルラムは、うんうんと頷く。
炎嘉は真っ青で声もなく、焔は口を押さえて今にも吐きそうな顔をしていた。
紫翠は、真っ青で茫然としていて、見ているのかどうかもわからない。
明花は続けた。
「こちら、上から進むとこちらからこう、血の管が回り込んでおってそれを傷付けるので無理、左右も同じく通常とは違う形で血の管が巻き込んでおって無理、下からでありましたら、この袋に繋がる道を切断して進む事になり、繋いだとしても障りが出て妃のお務めができぬ状態になりまする。この血の管がこの裏に回っておりますので、それが先で阻んでおったら、それも無駄な事に。ゆえにご相談に参りました。」
炎嘉が何か言うかと思ったが、口を不自然につぐんで何も言わない。
恐らくそのビジュアルもだが、生臭い匂いもあって口を開けないのだろう。
なので、維心が言った。
「…香を焚け。」維心は言ってから、続けた。「…明花には無理なのは今の説明で分かった。我とてソフィアを殺すやも知れぬし、滅多な事はできぬ。イゴール、どうするのだ。言うたように魔法陣だけは本日消さねばならぬぞ。ソフィアの命を諦めるのか、それとも今一度、紫翠に賭けて霧でやらせてみるか。」
紫翠が、青い顔のまま言った。
「慣れぬものを見て動揺しており、上手くやれる自信はありませぬ。せめて僅かでも玉が見えておりましたら、そこから霧に命じて中に入り込ませる事はできますが、血の管を避けて玉までたどり着かせるのなら、直視し続けねばなりませぬから。」
維心は、息をついた。
恐らくこれが維心かヴァルラムなら、できた。
だが、紫翠の精神状態では、かなり酷な事だった。
イゴールが、言った。
「…どうせもう、ソフィアの命は風前の灯火なのだ。それでも可能性があるのだとしたら、霧しかない。それで恨む事もせぬゆえ。紫翠殿、やってみてくれぬか。」
紫翠は、顔をしかめた。
霧を使うと、その目を使う事になるので、嫌でも間近にその組織が見えて来るだろう。
それに耐えられる自信がない。
が、イゴールは縋る目で紫翠を見ているし、炎嘉も焔も維心もこちらをじっと見つめている。
紫翠は仕方なく、頷いた。
「全く保証はできませぬ。が、では、やってみましょう。」
維心が、脇へずれて場を空けた。
紫翠は寝台へおずおずと歩み寄って、手を上げた。
すると、どこから来たのか黒い細かい粒子のような霧が、ブワッと出て来てソフィアの腹の位置に浮いた。
「う…!」
紫翠は、嗚咽を漏らす。
どうやら、吐き気がするらしい。
霧の目から見るので、間近にそれが見えているのだろう。
それでも紫翠は片手で口を押さえ、片手をそこに翳して霧に命じた。
「中へ。」
霧は、サラサラと細かく細い状態になって、中へと侵入して行く。
見えていて場所が特定できているので、霧が他に流れていく様子はない。
どんどんと青から白に顔色が変わって行く紫翠は案じられたが、皆は黙ってそれを見守った。
「…ガラス。」紫翠は、押さえた手の下から言った。「ガラスに行き当たりました。」
ヴァルラムが言う。
「それを割るのだ!できるか。」
紫翠は、頷いたが言った。
「力加減が…ヒビを入れるための力加減が難しいです。そんな細かい指示が出せないので、完全に割れるかも。」
維心が言う。
「割れたらその時ぞ!厚みは?」
紫翠は、目の前に見える血にまみれたガラスを探った。
「…硬化の術を感じます。厚さはこの大きさで3センチ。ヒビだけ入れるというよりは、削って穴を開ける事しかできませぬ。何故ならヒビを入れたら2つに割れる可能性が。」
焔が、そちらを見ずに吐きそうな顔で言った。
「良いからやれ!もうなんでも良い、とにかく早うやってくれ!」
簡単に言わないで欲しい。
思いながら紫翠は、霧に命じて一箇所に絞り、そこに力を集中して穴を開けようと削り始めた。
霧は熱を発して進むので、何やら焦げ臭いような匂いがして来る。
明花が急いで手を翳し、その箇所を修復し始めた。
「…組織が焼けておりまする。このままでは、別の意味でまずいことに。」
そんな事を言っても。
紫翠は、しかし穴を開ける事に集中した。
後に何か障害が残ったとしても、とりあえず生き残るのが重要なのだ。
ふと、手応えがなくなった。
「あ。硬化の術の層を破りました!ここからは速い…すぐに溶けて行きます。」
これなら魔法陣までもうすぐ。
が、何か他の気配が…?
皆がホッとした瞬間、パアッとその腹から光が湧き上がった。
「…まずい!」維心が、紫翠、明花、二人の女神を弾き飛ばして、気を発した。「仙術ぞ!これを作った奴らはまさかの対策を立てておったのだ!」
維心とヴァルラムが必死にその力を押さえ込もうと盾の呪文でその光を押さえる。
弾き飛ばされた紫翠は、尻もちをついて茫然とその様を見た。
維心とヴァルラムは、必死に光を抑え込み、それ以上大きくならないようにとどんどん光を絞って行く。
遂に光が収束した時、場はシンと静まり返っていた。
維心とヴァルラムが、腹の中を見下ろしている。
イゴールが、言った。
「…どうなった…?」
ヴァルラムが、振り返った。
「…駄目だった。」え、と皆が目を見開くと、ヴァルラムは続けた。「これでは…恐らくもう。」
明花と二人の治癒の女神達が、急いで立ち上がって腹の中を覗き込む。
そして、息をついた。
「…焼き切れており、修復は不可能です。まだ息はございますので…万が一ということも。やれるだけのことは。」
維心は、頷いた。
「…頼む。」
やれるだけの事はやった。
炎嘉が、進み出て真っ黒になった腹の中を見た。
「…発覚したら、術ごとソフィアと暴こうとした誰かを焼こうとしたのか。」
そんな状態になっても、玉は煤けて真っ黒になったまま、そこにあった。
が、紫翠が開けただろう穴の辺りから2つに割れており、中の魔法陣は綺麗に消滅していた。
「…腹に持ったままであったら、確かにソフィアも取り出そうとした誰かも焼かれておったろうな。周到な奴よ…こうなって来ると、これを成した輩を野放しにしておけぬな。密かに探させるしかないか。アマゾネスの城は、義心に見張らせておるのだがの。」
イゴールは、涙目で言った。
「…どちらにしろ、ソフィアは助からなかったのだの。」イゴールは、その場に座り込んで、続けた。「我に配慮して、ここまでやってくれた事に感謝しておる。この上は、これを犠牲にしよった輩をなんとかして捕えて断じて欲しい。そうでなければ…ソフィアが浮かばれぬ。」
いつの間にか、焔の吐き気もどこかに行ったのか、神妙な顔で立ち尽くしている。
そんな中でも、絶望的と言いながら、明花達は必死にソフィアを治療していた。
焚かれた香の匂いが、焦げた匂いと混ざって何やらもう、葬儀の席に居るような心地になった。




