長命
「え、神威様の宮に?」維月は、戻って来た維心から話を聞いて、驚いた顔をした。「…あちらは元々あまり大きな宮ではあられなくて、一度蛇族との戦でかなり数を大きく減らしてから、また宮もそれほど大きくはないのではありませぬか。皆で押し掛けて大丈夫なのですか?」
維心は、着替えながら苦笑した。
「神威もそう申しておったが、焔がもう雑魚寝でも良いとか申して。ゴリ押しした形ぞ。」
そんな無茶な。
維月は思ったが、言った。
「…お受けくださったのなら、とりあえずは何とかなるとお思いなのでしょうけれど。確かに纈様とこちらの神に面識がないのは、後々お困りになるでしょうし、神威様もそれゆえにお受けになるよりなかったのかも知れませぬわ。」
維心は、頷いた。
「そうだの。とはいえ、初めて正式に訪ねるのであるし、それなりの物を持って行こうと思うておる。」
維月は、頷いた。
「はい。そのつもりで選んでおきますわ。お任せを。」
維心は、頷いて息をついた。
「それにしても、此度もあのままでは月の宮になりそうな気配であったし、十六夜もこの際毎年余程の事がなければ月の宮と決めたらどうかと言うてくれておった。ゆえ、これからは月の宮に頼もうかと思うておる。」
維月は、また頷いた。
「はい。普段から月の宮は閉じておるので、来客などお正月以外は花見ぐらいしかない状況ですので、それでも良いかと思いますわ。会合も受け持ってはおりませぬし、良い所月見が追加されるぐらいで。お正月ぐらい、集まっても文句はないかと。蒼も臣下も、お正月は皆が来る、という意識であるようなので。」
維心は、頷いた。
「そうか。毎年年末になると揉めるのが面倒でな。また蒼に改めて頼む事にするわ。」
維月は、微笑んだ。
「はい。それでよろしいかと思います。」
維心は、維月と並んで椅子へと座りながら、言った。
「…時に、北はどうか?あれから見る事はあるか。」
維月は、頷く。
「はい。ヴァルヴァラは落ち着いた様子で政務に当たっておりますわ。エフィム様は城に入っておりますが、まだ婚姻は成っておらぬようで。何しろ婚儀の日取りは正月明けと決まっておりましたでしょう。未だ別々にお休みで、ヴァルヴァラ様は気にしておられぬようですが、エフィム様はご不満なようですわね。」
維月は、フフフと笑った。
維心は、苦笑した。
「エフィムは気の毒なことよ。まあここまで待ったのだし、良いのではないか?少しは焦らされてもの。」
維月は、息をついた。
「…とはいえ、あの膜の術が何とか抑えられて良かった事と思います。ヴァレーリア様の禁書は、無事に月の宮へ渡り、蒼が命じて志庵と理亜のみがそれを読み、対抗術を考えておるのだとか。万が一を考えて、蒼すらそれを読まずに渡したそうですわ。これだけ徹底されておれば、術が漏れる事はありませぬわね。」
しかし、維心はそれには僅かに眉を寄せた。
維月は、それを見逃さなかった。
「…何か懸念でも?」
維心は、ため息をついた。
「…まだ残っておる。」え、と維月が目を見開くと、維心は続けた。「記憶の玉ぞ。ヴァレーリアの記憶の玉には、その呪文が残っておる。そしてそれは、イシードの手にあるのだ。あれがある限り、油断はできぬ。月の宮へ献上したのは、サーシャの記憶の玉のみだった。それは月の結界の中、十六夜が見張っておるゆえおかしな動きはできぬ。が、ヴァレーリアの記憶は…イゴールの管轄ぞ。あやつがしっかりしておれば良いが…我とて、分かっていたがあの折イシードからあの玉を奪う事は出来なんだ。あやつはその中の、共に暮らしたほんの数ヶ月を心のよすがにこの数百年を生きていたのだ。それを思うと、哀れでの。とはいえ、放置はできぬ案件ぞ。どうしたものかと時々に考えるのだ。」
そうだ、ヴァレーリアの記憶の玉があった…!
維月は、それを忘れていた。
ヴァレーリアの記憶の玉の中には、その他知られたくない術も多く残されているだろう。
これまで無事だったのが、奇跡に近かった。
誰もそんなものがそこにあるとは、思いもしなかったからかもしれない。
維月は、言った。
「…忘れておりましたわ。そうでした、ヴァレーリアの記憶が一番面倒なのでは。イゴール様が管理できたら良いのですが…何分、代替わりをお望みで、イグナート様に変わった時に、果たしてきちんと守られるのか疑問ではあります。」
維心は、頷いた。
「それにの。」と、自分のこめかみをトントンと叩いた。「我の記憶の中にも、それがある。」
え、と維月は仰天した顔をした。
あの時、読まなかったのではないの?!
「え、維心様、ご覧になられたのですか?!」
維心は、息をついて頷いた。
「見た。見るつもりはなくとも、皆にその部分だけを避けて見せるために投影しておると、嫌でも見えるのよ。呪文だと思うて避けてを繰り返し、それは我の脳裏に必ずその瞬間上る。まるで絵のように、それが読める状態で記憶に残っておるのだ。とはいえ、我は他に漏らすことはないゆえ、己を信じておるゆえ脅威ではないが、あの時、サーシャの記憶を見たというあの場に居た幾人が、同じように記憶にそれを残しておるのかもと考えたらきりが無うてな。もちろん、見ておらぬ可能性も高い。しかし、見ておる可能性もある。」
なんてこと…。
維月は、愕然とした。
つまりは、一度世に出てしまったからには、なかなかに殲滅など難しく、どれだけ完璧だと思っても、それを確信することもできないのだ。
「…困りましたわ。」維月は、言った。「維心様のことは案じておりませぬ。もとよりお口が硬い方であられるし、絶対に漏らしたりなさらないでしょうから。ですが他は…それにイシードはそれと思わずとも奪われてしまう可能性が高いですわ。人なのですから。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。非情ではあるが、ならばやはりそれをイゴールに知らせて玉を焼き消すべきか。悩むところよな。」
どうしよう…。
維月は、悩んだ。
碧黎が、この術さえ殲滅できたなら、レイティアが今少しマシな場所へ上れると言っているのを聞いたのだ。
もう、殲滅されてレイティアも楽になれるかと思っていたのに、そう簡単な事ではないらしい。
イシードは人なのに、かなりの長生きで亡くなるのを待つというのもできそうにない。
だが、長生き…。
「…イシードは、なぜにそんなに長生きなのでしょうか。」維心が、話題が変わったように感じて眉を上げる。維月は続けた。「だって、イヴァンだって四百ぐらいで亡くなったと聞いておりますのに。イシードはもう五百以上、六百近いのでしょう。そこらの神ぐらい生きておるのですよ。」
確かにそうだ。
維心は、首を傾げた。
「…そうだの、考えた事もなかったが、あやつは人であるのに老いてもおらず、少々白髪が混じるぐらいであったな。何故と言われても、我にはわからぬな。」
もうヨボヨボの歳なら、寿命を待ってと言えるのだが、イシードは若い。
維月は、そこを解明した方が良いのだろうと言った。
「父に聞いて見ますわ。」と、宙に言った。「お父様!イシードは何故に長命なのでしょうか?」
碧黎が、面倒そうに答えた。
《…何でも我に聞くでない。主だけならほいほい答えられる事でも、維心が居ったら答えられぬのだと言うのに。とはいえ…これぐらいなら良いかの。》と、息をついた。《あやつが、再び神となろうとしておるからぞ。回りを神に囲まれ接し神の宮に上がり、犬達も神格化し始めて、神と愛し合い子を成した。元々が神の血族なのだから、簡単に神格化する。あやつは限り身の中に居ながらにして、神となろうとしておるのだ。あやつのせいではない、回りのせいでそうなっておるのよ。》
イシードも神に…?
維心と維月は、呆然とした。
だが、確かにあり得る事だった。




