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「なんだか、人間臭がするわ」
メイドの集まる作業部屋で、唐突に、リーユが呟いた。
くんくんと匂いを嗅いでいる。
「そうですかぁ?別にそんなことないと思うんですけどー」
その場にいた何人かのメイドも同じように匂い嗅いでは、リーユの言った人間臭を確かめようとしている。
だが、あまりにも微かすぎるのか、わからないようだ。
「人間だと思うのだけど……気のせいかしら。ねぇ、クロア」
「私にはわからないので、何とも言えませんが」
座って書類整理をする傍らで、クローディアは曖昧に笑った。
「その嗅覚はさすがと言うべきですね、リーユ」
リーユの表情が固まった。声が聞こえた方をにらみつける。
作業部屋に入ってきたのは執事長・トワンであった。
「トワン様」
立ち上がり、軽く礼をしようとしたクローディアを、トワンは視線だけで止めた。
リーユはトワンの前に笑顔で立ちふさがった。
「私を馬鹿にしているのかしら?トワン」
「いいえ。獣のような優れた嗅覚に感心しているのですよ」
二人の間で火花が散る。
しかし、トワンが先に視線をそらした。作業部屋にいるメイド達を見回す。
「これから忙しくなるので、簡潔に言います。人間の団体が魔王城に来ます」
リーユは途端に眉をしかめた。
「何でよ」
「国交です」
「国交?」
トワンの言葉に、リーユが鼻で嗤った。
「ふざけちゃダメよ。どういうつもりか、様子を見に来るのでしょ。あわよくば、魔族を狩ってやるくらいには思っているわよ」
この世界には大きく分けて二つの種族が存在する。人間と魔族だ。
人間の住む区域にはいくつもの国がある。その各国の王や長たちを取りまとめるのが、【聖王】と呼ばれる存在である。
魔族は無秩序・奔放を好む。己が思うまま行動するものである。その魔族が最終的に従うのが【魔王】である。 魔族は、魔族と呼ばれる所以でもある魔力を持ち、自然現象に干渉することができる。気の赴くままに時を過ごす魔族は、長寿でもあり、人間よりも遙かに永く生きる。また見目麗しく、性に奔放で、魅了する力をもつ。
この二種族が住まうこの世で決定的な事実。それは、人間と魔族は相容れない存在であるということだ。
魔族は人間の負の感情を好む面がある。そのため、人間を争わせ、大きな戦争を起こすことを楽しむ傾向にあった。かつてはそのせいで、大戦が勃発したこともある。
人間に破壊・恐怖・混乱をもたらす彼らは、人間にとって脅威であり、憎むべき、そして忌むべき存在である。したがって、人間は魔族に対抗する力を身に付けた。ある者は武術の腕を磨き、ある者は魔族に効果のある武器や道具を作り、ある者は魔法を編み出す研究をしている。そして、それらの力を持つ集団をハンターと呼ぶ。修練を積み重ねたハンターには、流石の魔族も只ではすまない。
今まで、魔族に惑わされ、苦い経験をしてきた人間たちの魔族への印象は悪い。といっても、今ではそんな人間に干渉するような魔族は少ない。殆どいないと言ってもよいくらいだ。
一方で、リーユの言うように、あわよくば魔族狩りをしてやりたいと考えている人間は多い。特にハンターの一部は、自己顕示欲もあるのか、何もしていないただの通りすがりの魔族にさえも、危害を加えることがある。奔放であまり些事には拘らない魔族でも、一部の人間には警戒心を持つのは当然のことだろう。結局のところ、お互い相容れない存在なのである。
「どんな名目であろうと、これは決定事項であり、我々は賓客をもてなさねばなりません」
トワンもその辺りの事情を把握していて、あえてリーユの言葉を否定しなかった。
室内はざわついていたが、トワンが手を叩くと鎮まった。全員がトワンに注目する。
「彼らは【聖王】直属の配下です。集団には普通の人間と、護衛のハンターがいるでしょう。くれぐれも喧嘩をふっかけたり、紛らわしい行動をして、付け入る隙を与えないように。」
トワンはその場にいた一人一人と目を合わせ、「良いですね」と念を押した。
「では各自、出迎える準備を。クローディアは私と来なさい。メイド長、後は頼みます」
「かしこまりました」
年配のメイドが立ち上がる。勤続云百年の、いやもしかしたら、云千年となっているかもしれないメイド長が動き始める。
メイド長がメイドたちに細かい指示を与えていき、それぞれに分担が割り振られていく。それを横目に確認したのち、トワンが動き出した。クローディアは静かにその後をついていく。
すれ違いざま、リーユがトワンの腕をぐっと掴んだ。二人の目が合う。リーユの金色の瞳が煌々と光っている。
「だめよ?クロアをいじめちゃ」
リーユはトワンに聞こえるか聞こえないかくらいの声で囁く。当のクローディアには聞こえないように。
トワンが足を止めたため、少し離れたところでクローディアも立ち止まり、二人の様子を窺っている。
「私ではなくあの方に言うんだな」
面白くなさそうに、リーユは手を放した。
二人が部屋を出て行ってから、慌ただしくなったその場でひっそりと呟く。
「だから、気に食わないのよ」