38 黄昏葬送行進曲
虚ろな瞳で、ローランド卿はシアーズの姿を捉えた。唇を微かに動かす。
「シア……ズ……決着は、まだ……。向こうで、待ってる……お前も、いつか来い……俺だけが……」
シアーズはローランド卿の手をとった。温かい。
何をしているんだろう、俺は。父の敵を。俺の人生を狂わせた奴を前にして。
「ああ、俺も楽しみにしてるよ」
そしてローランド卿は、再び部下に視線を戻し、皆の顔をゆっくり眺めてから海を見た。黄金色の太陽の縁が海にかかっていた。海は太陽を白く縦長に映し出している。光がますます強くなった。影は一段と濃くなる。
「お前達、皆……俺も、……を……繰り返し、て……」
言いかけた途中で息が続かなくなった。声にならない。眉をひそめ、彼は苦しそうに息をしている。次第に荒い呼吸が治まってきたところでローランド卿は目を閉じ、哀しげに微笑んだ。すっかり色を失った唇の隙間から、水の溢れるように言葉が落ちる。
「女王……陛下……万、歳……!」
その言葉に、その場にいた全員が驚きを隠せなかった。この人は――。
シアーズはローランド卿の手から、僅かに残っていたものが溶け出していくのを感じた。壁に寄りかかっていた体が傾いた。それを受け止め、運んできた時と同じように抱え、壇の方へゆっくり歩いて行った。座っていた所が真っ赤に染まっていた。
ローランド卿の腕がだらりと垂れ下がる。指先から血が滴った。象牙色の美しかった手が紅く汚れている。何年も前、子どもだったシアーズの頭を撫でた同じ手だとは思えない。今は、立場が逆転してしまったみたいだ。顔を見ると、心なしか少し笑っているように見える。気のせいか。傷ついてなお綺麗だ。そういえば俺は小さい頃、こいつに俺のお嫁さんにしてあげる、と宣言したこともあったっけ。ウィルは随分困った顔をして、もっと大きくなったらな、と言っていた。あの頃が懐かしい。
足音だけが響く。立ち止り、ふと空を見た。
黄昏の空がいつにも増して哀しい。シアーズは思わず、眉間にしわを寄せた。怒りと悲しみの混じったような表情で、空を睨んだ。そうする間にも、白く輝く太陽はほとんど沈んでいった。もう縁も見えないくらいだ。その周りの空は、目もくらむ程の黄金色に輝いていた。天頂から半分は、鈍い青色に覆われている。黄金色の空との境目が、宝石のように美しい澄んだ黄緑色の輝きを放っている。そして、いくつか雲があるが、どれも意図的に、最も美しい位置に来るように配置されたかのようだった。雲の縁は、銀白色に光っていた。
壇の前に来るとシアーズは、ローランド卿の体を抱きしめ、額にキスした。ずっと昔、自分が父親を亡くした頃、彼がよくそうやってくれたように。それからゆっくりと体を降ろし、寝かせた。
気のせいか。こいつは、こんなに小さかったか。俺に抱えられるくらい、細い身体をしていたか。思い出せない。何も。こいつの手は、いつだって俺より大きかったはずだ。こいつの目は、いつだって俺より多くの現実を映していたはずだ。なのに。
女王の手向けたのであろう白い花の花束が、シアーズの手に触れて斑に紅く染まった。血と涙で汚れた顔を自分の袖で拭ってやり、乱れた髪を整え、額の古傷を隠してやった。左目は何ともない、強く優しかった目が閉じられている。なのに、幼い頃の痕が残っているような気がした。魔物の血が混じっているとは思えないくらい、人間的で美しい。ふと、右頬に見慣れない傷跡があるのを見た。まだ新しい傷跡だ。しかし特に何も思わず、流れ作業のように両手を胸の上へ置いてやる。足も揃えた。
「じゃあ、またいつか」
シアーズはそう言って帽子に手を触れ、少し動かすような仕草をした後、静寂の中、堂々と門へ歩いて行った。誰も止められない。群衆は女王も含め、ただ黙って見ていた。波の寄せる音しか聞こえない。まるで、舞台を観ているかのように時が過ぎてゆく。シアーズは、ローランド卿の使っていた馬に乗ると、海へ駆けて行った。
すっかり日も暮れて、水平線間際の空がわずかに白い。底なしの濃い闇色の空は、あいつの瞳に良く似た色だ。所々に、小さくちらつく星が見える。砕け散った宝石のかけらのようだ。音もなく吹きつける風が冷たい。シアーズは馬に乗ったまま、砂浜にいた。
「お前ホント馬鹿だよ……ウィル」
そう呟くと、海からの風が一段と強くなった気がした。脳裏に、走馬灯のように駆け巡るものがあった。どうして今頃――。しかしすぐに、波の音がそれを洗い流した。
彼は手綱を引き、馬の向きを変えると、そのまま走っていった。砂浜に残った足跡も波に消された。




