2. 異世界転生と、望み通りの「最弱」
それから、俺は「エルタ」として新しい命を授かった。
魔法やダンジョン、そして魔物が実在する世界の、荒々しい自然に囲まれた辺境の開拓地。そこが俺の新しい故郷だった。
だが、生まれ落ちてから5歳になるまでの俺は、自分がかつて「天野結人」であったことなど、一ミリも覚えていなかった。
ただの元気で、ちょっぴりお人好しな、ごく普通の開拓民の子供。厳しいけれど優しい両親に愛され、泥にまみれて育つ、そんな純朴な幼少期をエルタとして生きていたのだ。
そして迎えた、5歳の鑑定の儀式。
その日、俺は村の小さな教会にいた。
生涯を左右する「適性レベル」や「魔法の系統」を神聖な水晶から言い渡される、人生最大の分岐点だ。
教会の厳かな空気の中、俺の前には、今年5歳になった村の同い年の子どもたちが並んでいた。彼らが緊張した面持ちで水晶に手を触れるたび、眩い光とともに、高い適性レベルや強力な魔法系統の資質が浮かび上がる。
「おお!【身体スキル適性:上級】に【火系統魔法適性:上級】だと! 天才だ!」
「将来の村を背負って立つ逸材だな!」
後ろで見学していた村の大人たちや、すでに数年前に鑑定を終えている俺の兄たちは、彼らを囲んでこれでもかと囃し立てていた。同い年のやつらの顔には誇らしげな笑みが浮かび、早くも周囲の熱い期待を一身に背負い始めている。まだ5歳の子どもの心だった俺は、純粋に「すごいなぁ、俺には何が出るんだろう」と胸を躍らせていた。
「次、エルタ。前へ」
神官に呼ばれ、俺は小さな胸を弾ませながら、トコトコと教会の祭壇へと歩み出た。
並び立つ大人たちや、ニヤニヤとこちらを見ている兄たちの視線が集まる中、少し緊張しながら、冷たい水晶に両手をそっと乗せる。
――その、瞬間だった。
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
頭の奥底で、固く閉ざされていた記憶の濁流が、凄まじい勢いで決壊した。
(あ、が…………っ!?)
頭痛とは違う。脳が、魂が、強制的に書き換えられていくような圧倒的な衝撃。
満員の通勤電車、鳴り止まないオフィスの電話、他人の「期待」という名の檻、長年すり減らし続けた心、そして――迫り来る銃口から小さな女の子を庇った、あの最期の閃光と火薬の匂い。
「天野結人」としての20数年間の人生の記憶が、一瞬にして5歳のエルタの脳内で完全に融合した。あまりの情報量に目眩を覚え、視界がぐらりと大きく揺れる。
俺が呼吸を忘れて硬直している間にも、水晶は淡い、ひどく頼りない光を静かにまたたかせていた。
神官が、冷淡に鑑定結果を読み上げる。
【エルタ:すべての身体スキル・全系統魔法において『初級適性』のみ、および『生活魔法』。】
一瞬にして、教会の空気が凍りついた。
述べられた才能はこの世界では最弱だった。
初級のスキルや魔法、生活魔法は誰でも少し訓練すれば習得可能なものだからである。
さっきまで熱狂していた大人たちの目が、まるでガラス細工のように冷たく、無価値なものを見る蔑みの色へと変わる。
「将来性ゼロの凡人……いや、それ以下だな。どの系統を触っても初級で頭打ちか」
「可哀想に。過酷な開拓地において、中級以上の技も魔法も一つも使えない奴なんて足手まといでしかないぞ」
優秀な適性を持つ兄たちからも、露骨に価値のないものを見るような、憐れみの混じった視線が突き刺さる。さっきまで「弟の番だ」と笑いかけてくれていたはずの彼らの目が、急にガラス細工のように冷たくなった。
……正直に言えば、普通に辛かった。
たった今、大人の記憶を取り戻したとはいえ、ベースにあるのは今までこの村で5年間育ってきた、純粋な子供のエルタの心なのだ。昨日まで笑いかけてくれていた村人や家族のあからさまな態度の変化は、俺の胸の奥に、チクリとリアルで重い痛みを残した。前世でお人好しと言われた性質のせいか、他人の悪意や失望の空気は、思った以上に肌を刺す。冷ややかな視線の痛さに耐えかねて、思わず視線を床へ落としそうになった。
だが――それと同時に、俺の頭は冷徹なほど静かに、前を向いていた。
前世の記憶、そしてあの闇の底で聞いた「アナウンス」が、俺に最大の解答をもたらしていたからだ。
(……いや。これでいい。これがいいんだ)
胸を突く寂しさを、深く息を吐き出すことで無理やりやり過ごし、俺はズボンの脇で、自分の小さな拳をそっと握りしめた。
突出した才能なんて、俺には最初からいらない。
これで、誰も俺に理不尽な期待を寄せない。誰も俺に「お前ならできる」なんて重荷を背負わせない。
誰からも期待されないということは、誰の人生も背負わなくていいということ。他人のためのマシーンにならなくて済むということだ。
普通に見下されるのは想像以上にキツいけれど、これなら、俺は俺の意思で、自分のために、どこまでも自由に生きられる。
他人の期待に応えるためではなく、自分自身の足で歩くために。
記憶を取り戻した「最弱のエルタ」としての静かな決意を胸に秘め、俺は冷たい視線の中を堂々と歩き、第一歩を踏み出したのだった。
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