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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第6章 第7管理区画・第0補助層

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閑話 視察――たぶん仕事、かなりデート

 目を覚ました時、誠二の胸元には、まだ夜の続きみたいな熱が残っていた。


 隣ではなく、ほとんど上に近い位置でリュシアがだらりと身体を預けている。シーツを腰のあたりへ雑に引っかけているだけで、他は何も着ていない。起きているのに、起き上がる気はまるでないらしかった。白い肌が朝の薄い光を受けて、昨夜の名残をまだ少し持っているみたいに柔らかく見える。


 誠二が少しだけ身を起こそうとすると、リュシアが腕を回して止めた。


「まだ」


「もう昼前ですよ」


「起きてる」

「でも、まだ動かない」


 言い方はいつも通り平然としているのに、身体はまったく仕事へ向かう気配がない。誠二は小さく息を漏らしてから、そのままもう一度枕へ頭を戻した。


 リュシアは満足したみたいに少しだけ近づいて、胸元へ頬を押し当てる。昨夜の余韻がまだ身体のどこかに残っているのだろう。朝の空気の中でも、距離の詰め方が自然だった。


 少しして、ぽつりと言う。


「誠二の家でするの好き」


 誠二は一瞬だけ言葉を止めてから、小さく息を漏らした。


「だいぶ率直ですね」


「好きだから」


 言い切ってから、リュシアは少しだけ目を細める。

 そこから先は、夜の続きというほど重くはなかった。けれど、昨夜から今朝へ繋がっていることを確かめるには十分に近かった。眠気の残る身体同士で、少しだけ触れ合い、少しだけ息を乱し、少しだけ笑う。急がず、深追いもせず、だらだらしたまま近くいられること自体が、何より自然だった。


 ようやくベッドを抜けた誠二は、先にキッチンへ向かった。

 コーヒーを淹れる湯の音が、静かな部屋にゆっくり広がる。


 振り返ると、リュシアはまだシーツを肩に掛けたまま、ベッドの端へ座っていた。こちらを見ているわけでもなく、少しぼんやりしている。仕事の時なら、もうとっくに支度を終えている顔だ。今日はそういう日ではないらしい。


「コーヒー、飲みますか」


「飲む」


 短く返してから、ようやく立ち上がる。

 地上で泊まること自体はもう初めてではない。前にも何度かあったし、添い寝まではしていた。けれど、こうして関係が変わったあとで迎える朝は、やはり前とは少し違った。


 コーヒーの湯気が立つ頃には、リュシアも地上仕様の格好に戻っていた。白いブラウスに、すっきりしたスカート。仕事帰りの女にも見えるし、少しきっちりした私服にも見える。本人は多分、視察仕様のつもりだ。


「それ、普通に出かける服ですよ」


「視察用」

「地上仕様」


 言い切る顔があまりにも真面目なので、誠二は笑うしかなかった。


 家を出る時には、もう昼にかなり近い時間になっていた。

 視察と言うには出発が遅い。

 デートと言うには、リュシアの目がわりと本気で街を見ている。


 浅草へ向かう電車の中で、リュシアは窓の外をかなり真剣に見ていた。

 車内広告。座っている人間の顔。立っている人間の間の取り方。駅の混み方。

 見ている場所がいちいち細かい。


「そんなに面白いですか」


「面白い」

「昼の移動は、夜と全然違う」


「そうですね」


「人の顔がまだ持ってる」


 その言い方に、誠二は少しだけ感心した。

 たしかに、夜の居酒屋帰りや、仕事帰りの駅とは、人の顔の疲れ方も速度も違う。リュシアはそういうところをちゃんと拾う。


 浅草に着くと、人の密度は渋谷とはまた違っていた。

 観光客の賑やかさ。

 昔からの店の看板。

 寺社の周りだけ少し空気が変わる感じ。

 食べ歩きの匂い。

 雑多なのに、雑多さの種類が違う。


 リュシアは歩く速度を少し落とした。

 視線が忙しい。

 表情は静かなままだが、見ていることは明らかに多い。


「渋谷より、古いですね」


「そりゃそうです」


「でも古いままじゃない」


「商売ですからね」


「うん」

「残し方が上手い」


 その言葉が、妙に浅草の空気へ合っていた。


 落語の席へ入ると、リュシアは最初かなり静かだった。

 仕事の顔で座っている、と言った方が近いかもしれない。背筋はすっと伸び、視線も無駄に揺れない。

 けれど、噺が進むにつれて、ほんの少し肩が揺れるようになった。


 一人で喋っているだけなのに、人が増え、場面が動き、空気の温度まで変わる。間の取り方、黙る時間の置き方、客席の呼吸の引き込み方。リュシアはそういう技術にかなり反応していた。


 終わって外へ出てから、しばらく歩いたあとでやっと口を開いた。


「かなり上手い」


「プロですからね」


「圧縮が上手い」

「言葉が少ないのに場面が多い」

「無駄がない」


 感想は完全に仕事目線だった。

 でも、それだけではなかったのは、途中で小さく笑っていたのを誠二が見ている。


「普通に楽しんでましたよね」


「それも含めて視察」


 真顔で返されて、誠二はまた笑った。


 ランチは浅草の少し落ち着いた店に入った。

 観光地らしい賑わいはあるが、昼の席としてはちょうどいい。揚げ物とご飯、味噌汁。地に足のついた昼食だ。


 リュシアは食べる前に少しだけ店の中を見回した。

 客層、回転、店員の動き、卓上の置き方。

 それを見てから、箸を取る。


「ここも視察ですか」


「うん」

「昼の滞在時間、接客の密度、客の離れ方」


「よくそこ見ますね」


「大事」


 そのわりに、出てきた食事はきちんと楽しんでいた。

 一口食べて、少し間を置く。


「おいしい」


「視察の感想としてはだいぶ緩いですね」


「食事の方」


 昼の空気はやわらかかった。

 落語の話を少し続け、浅草の歩きやすさの話になり、渋谷との違いを少し比べる。仕事の言葉で見ているのに、並んで座って食べている時間はかなり普通の昼だった。


 午後は秋葉原へ回った。


 駅を出てすぐ、リュシアは短く言った。


「濃い」


「いきなりですね」


「渋谷と違う」

「熱量が偏ってる」


 その表現が妙に正確だった。

 好きなものに向かってまっすぐ濃い街。

 しかも、その濃さが店ごとに分かれて並んでいる。看板も、客の視線も、立ち止まる場所も偏っている。


「でも整理されてる」


 フィギュアショップの前で立ち止まりながら、リュシアが言う。


「好きなものに遠慮がない」

「でも街として成立してる」


「それが秋葉原ですね」


「渋谷は流れてる」

「ここは溜まってる」


 言われてみれば、その違いはたしかにある。

 渋谷は流行が通り過ぎる街だ。秋葉原は、好きなものが層になって沈殿している街に近い。


 アニメショップ、ゲーム、フィギュア、ガチャ。

 どこへ入っても、リュシアは無言の時間が少し長くなる。真面目な顔で見ているのに、嫌がってはいない。むしろ面白がっている方が近い。


 ガチャの前で、ふと立ち止まった。


「これ、何が出る」


 誠二が横へ並ぶ。


「種類ですか」

「見た目どおりです。ランダムですね」


「ランダム」


「やります?」


 少しだけ間。

 それから短く、


「やる」


 誠二が笑いながら小銭を入れる。

 リュシアが回す。

 出てきたカプセルをその場で開けて、中身を見る。

 微妙に狙いとは違ったらしいが、嫌な顔はしない。


「外れではない」


「よかったですね」


「でも、次なら別のがいい」


「もう一回やりますか」


「それは今日はしない」


 その線引きが妙に真面目で、誠二はまた少し笑った。


 歩き回るうちに、夕方には二人ともそれなりに疲れていた。

 ただ、その疲れ方は補助層の鈍い疲れとは違う。普通に外を歩いて、見て、食べて、少し笑ったあとの、人としてまともな疲れだった。


 夜は、結局いつもの居酒屋へ入った。

 渋谷で最初に並んだ場所。

 仕事が入り込んだり、案件の話になったり、関係が変わったり、そのたびにここへ戻ってきている気がする。


 ジョッキが置かれ、最初の一口を飲んでから、リュシアが言った。


「かなり視察だった」


 少し間を置いてから、続ける。


「たぶん」


 誠二は苦笑する。


「だからデートですよ」


「それも少し」


 即否定しないところが、前よりずっと素直だった。


 揚げ物をつつきながら、少し沈んだ空気のあとで、リュシアがジョッキを置く。


「今回ので、急ぎは一段落」


 誠二もジョッキを置いた。


「ようやく、ですね」


「うん」


 少し間。

 それから、何でもないことみたいに続ける。


「たぶん次は、あの二人のどっちか」

「スポットワーク入る」


 誠二は少しだけ目を上げる。


「セレナさんか、ミレイアさんですか」


「たぶん」


「もう見えてるんですね」


「気配ある」


 誠二は少しだけ考えてから言う。


「どちらが先でも、だいぶ違いそうですね」


「かなり違う」


 その一言で十分だった。

 セレナでも、ミレイアでも、補助層とはまた違う空気になる。そこだけははっきり見える。


 居酒屋を出たあと、二人は近くのコンビニへ寄った。

 飲み物と、朝用の軽いものと、少し甘いもの。リュシアはもう一人で来たことがあるせいか、前より店内での動きが自然だった。

 それでも時々、棚の前で立ち止まっては短く聞いてくる。


「これ、朝用?」


「そうですね」

「それは夜でもいけますけど」


「じゃあ両方」


 部屋へ戻る頃には、二人ともかなり気が抜けていた。

 靴を脱ぎ、袋をテーブルへ置き、どちらからともなくソファへ沈む。テレビはつけてもいいし、つけなくてもよかった。会話は多くない。肩が触れ、少し寄り、時々キスが落ちる。そういう夜だった。


 リュシアはソファの背にもたれたまま、誠二の腕へ自分の腕を絡めるみたいにしていた。

 強く抱きつくわけではない。

 でも、離れる気もない。


 しばらく黙っていたあと、何でもない顔で言う。


「明日は誠二が仕事行く時までいる」

「それから戻る」


 誠二は少しだけ目を上げた。


「だいぶ自然に言いますね」


「自然だから」


 それで話は終わった。

 けれど、その言葉が部屋の中へ落ち着いて馴染んだことの方が、誠二には少し不思議だった。


 前から泊まりはあった。

 添い寝もしていた。

 だが、今はそれとは少し違う場所へ来ているらしい。

 明日の朝、仕事へ行く時間まで一緒にいる。そのことが特別でもなく、無理でもなく、ただ自然に置かれている。


 リュシアが少しだけこちらへ寄ってきて、肩へ額を当てる。


「今日はかなり視察だった」


「だからデートですよ」


「たぶん」


 短い返事のあと、二人はそのまましばらく黙っていた。

 補助層の重さは一度区切れた。

 次の仕事の気配はある。

 でも今夜は、まだそこへ行かなくていい。


 近い距離のまま、ゆっくり夜が深くなっていった。

第0補助層編、ここでひとまず一区切りです。


今回はこれまでの世界側案件よりも少し重めで、「救う側の職場が壊れていたらどうするか」を中心に書いてきました。

全部を救えるわけではないし、全部を綺麗にもできない。

それでも、壊れ方を分けて、止める線を置いて、次に同じ落ち方を少しでも減らす。

誠二がやったのはそういう地味で重い仕事だったかなと思います。


そして今回は、リュシアの隠さない彼女感もかなり強めでした。

もともと仕事の顔と私的な顔の線引きが独特な子ですが、繋がってからはそのへんをあまり隠さなくなってきて、だいぶ“彼女”として前に出てきた気がします。

平然と仕事の話をしながら、しっかり彼女でもあるのは、やっぱりリュシアらしいなと思いながら書いていました。


次章からは、また少し相手と空気感が変わった展開になります。

同じ神界側でも、相手が変わると案件の色もかなり変わるので、そのあたりも楽しんでいただけたら嬉しいです。


少し書き溜めをしたいので、更新は少し日があきます。

また戻ってきた時は、ぜひお付き合いください。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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