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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第3章:山悟荘の創造
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第33話「地下10メートルのピコ・バブ〜ル」

スズメのヒナの誕生という一大イベントを終え、我が家には再び平穏な日常(といっても恐竜がいるが)が戻ってきた。

 

 私たちは、地下10メートル地点にある第1基地を30畳まで広げるための工事を本格化させていた。

 地下10メートル。地上の吹雪も夏の酷暑も届かない、静寂の世界だ。気温は年間を通じて安定しており、天然のシェルターとして申し分ない。

 

 第1基地の空間をより快適な四角形に整えるため、新たな仲間が参戦していた。掘削中に仲間になったエゾモグラ君だ。彼は土の匂いを嗅ぎ分け、掘りやすいルートを探知する「生体レーダー」。そして硬い岩盤に突き当たると、破壊神・ビリー君の出番となる。


 ガゴォォォォッ!!


 ビリー君は岩盤を粉砕していく。砕かれた土砂は、アダンソン先輩の指揮のもと、クロオオアリ部隊が運び出していく。数時間の激務の後、私は休憩を告げた。

「よし、休憩だ。ビリー君、こっちへおいで」

 私はポケットから、携帯用の「ダイヤモンド砥石」を取り出した。

 

 硬い岩盤との格闘で、ビリー君の自慢の鉤爪( シックルクロウ)の先端が、少し摩耗して白くなっているのが気になっていたのだ。恐竜にとって爪は命。常に最高の切れ味にしておくのが、相棒( 飼い主)の務めだ。


 ビリー君は大人しく私の前に座り、長靴を脱いだ巨大な足を差し出す。

 私は慣れた手つきで、爪のカーブに合わせて砥石を滑らせた。

 

 シャリ、シャリ、シャリ……。

 静かな地下空間に、心地よい研磨音が響く。

 ビリー君は、くすぐったいような、それでいて誇らしいような顔をして、うっとりと目を閉じている。

 先端が再び鋭利な輝きを取り戻したのを確認し、私は最後にオイルを染み込ませた布で拭き上げた。

「よーし、完了だ。いい艶だぞ」

Kururu(クルルッ)(サンキュー、アキラ! 最高の仕上がりだよ!)」

 

 さて、爪も整ったところで昼飯だ。

 今日のメニューは、現場作業の定番にして北海道民のソウルフード、マルちゃんの「やきそば弁当」だ。

 お湯を注いで3分。

 ビリー君が、期待に満ちた目で自分の分のカップを見つめている。

 そして彼は、「ふりかけ」と「中華スープ」の粉末の入った袋を器用に爪で2つに切り分けた。私にとって、何が厄介かといえば、この一つのパッケージに「ふりかけ」と「中華スープ」というふたつのオプションが同居していることなのだ。


 この小さな小袋の「中華スープ」側を破った時に「ふりかけ」側に被害が及ばないよう細心の注意が必要なため、私はいつもキッチンバサミを使って両者を切り離している。そして、ビリー君もそんな私を見て学んでいるようだ。がしかし、彼は切り離したその「中華スープ」を大切そうにダウンのポケットにしまおうとした。

 

 以前、彼はこのキラキラした袋をコレクションだと思って集めていた前科がある。

「待て待て、ビリー君。それはコレクションじゃないし、そのまま舐めるものではなーい」

 私は彼の手から袋を取り上げ、マグカップに粉末を開けた。

 そして、ここからが重要だ。

 

「いいか、よく見てろ。正しい焼きそば弁当の食べ方だよ」

 私は麺の入った容器の湯切り口を開け、その熱いお湯をシンクに捨てるのではなく――マグカップへと注いだ。

 トポポポ……。

 麺の油と旨味が溶け出した茹で汁が、粉末スープと混ざり合い、濃厚で香ばしい中華スープへと変貌する。

「この戻し湯を使ってこそ、『やきそば弁当』は完成するんだよ。捨てればただの排水だが、注げば極上のスープになるんだよ、ほら」私がマグカップを差し出すと、ビリー君は恐る恐る一口啜った。

 

「……Vamoose(ヴァムース)!!(うおおっ! なんだこれ、めちゃくちゃ美味いじゃん!!)」

 彼の目が輝いた。麺を啜り、スープを飲む。その無限ループに気づいてしまったようだ。


 腹も満たされ、工事は再開されたが、一つ深刻な問題が発生した。

 「ビリー君、泥だらけ問題」である。

 地下水を含んだ粘土層の掘削で、ビリー君の、せっかく手入れした爪も羽毛も毎日ドロドロだ。

 しかし、鳥類( や羽毛恐竜)にとって、羽毛の「油分」は命綱だ。毎日シャンプーで洗ってしまうと、油分が失われ、保温性が下がり、皮膚病の原因にもなる。

 

「うーん、洗わないわけにもいかないし、洗いすぎもダメだ……」

 悩む私に、大家さんがニヤリと笑って新しいノズルを持ってきた。

「ふふふ。ナノバブル程度で満足してはいけませんよ。私が開発したのは、ナノ( 10のマイナス9乗)のさらに下……『ピコ・バブ〜ル洗浄機』ですよ!」

「ピコ……10のマイナス12乗……1兆分の1メートルですか?」

 

 大家さんの言葉を聞いた瞬間、私の頭の中でバラバラだったパズルが勝手に組み上がった。極小の気泡、電荷の偏り、そして質量。

(そのサイズならプラスの電荷で泥汚れだけに吸着する。……ああ、そうか。泡が小さすぎて質量がなさすぎるんだ)


 私は独り言のように納得して頷くと、導き出した結論を口にした。

「……羽毛の表面を覆う油膜の分子結合を破壊するほどの、運動エネルギーを持たない。だから油分は残るんですね」

 

 私がそう言うと、大家さんは嬉しそうに目を細めた。

「ご名答。つまり、『油分は残して汚れだけを剥がす』のですよ。相変わらず理解が早くて助かります」

 早速、泥だらけのビリー君に噴射してみる。

 シュワワワ……。

 以前の高圧洗浄機のような衝撃はなく、まるで霧に包まれるような優しさだ。

 みるみるうちに泥水が流れ落ち、ビリー君のアンズ色の羽毛が蘇る。

 

Pikobabool(ピコバブ〜ル)……(はぁ〜、極上だぜ……)」

 ビリー君が思わず、最上級の感謝の言葉を漏らした。(この体験こそが、のちに彼の辞書に『極上=ピコバブ〜ル』として刻まれるルーツとなる)

 洗い上がりを触ってみると、驚いたことに羽毛はしっとりと油分を保ち、水を弾いている。

 

 鋭く研ぎ澄まされた爪、お腹の中には温かいスープ、そしてピコ単位で洗浄されたフワフワの羽毛。

 地下10メートルの世界で、私たちの地下帝国作りは快適そのものだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。

もし作品を気に入っていただけましたら、ページ下部のブックマークや評価などで応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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