第1話 カモからのスカウト
あれはカモだ――春の暖かな日差しの届かない細く汚い路地。潜むルイは笑みを浮かべた。偽名を名乗り始めてからの生活で、人から奪うことにはすっかり慣れてしまった。
骨の目立つ筋張った手で腰の銃を撫でる。どぶの匂いを含む風に揺れる短い金色の髪を耳にかける。その碧い瞳に映るのは、白地に真っ黒なカラスの羽ばたく旗――空賊の証。
見慣れぬ小型の飛空艇が、ベルドの町はずれの丘に向かうのを見かけたルイは、慌てて追いかけてきたのだった。その飛空艇は帆を畳まず、激しく船体を揺らし草地に着陸した。下手をすれば島の端を越えて下に広がる真っ白な雲の中、上海へ突っ込んでしまいそうな程危なっかしい操縦だった。
飛空艇から降りてきたのは男女二人組で、身なりはそれなりに小綺麗。船荷は期待できそうだ。二人は船番にふくろう一羽しか置いていかなかった。なんとも不用心で、ルイには好都合だった。
「生きて、兄ちゃんを見つけなきゃいけねぇんだ。悪く思うなよ」
二人組が十分離れたのを確認し、ルイは一人呟きフードを目深にかぶり直した。
ルイが船に近づいてみると、船番のふくろうは眠っているように見えた。右足に山吹色のバンダナを付けている。ますます仕事がしやすいと内心喜び、ルイが音を立てずに甲板に飛び乗った時だ。
「ホー!」
目を覚ましたふくろうが、ルイの頭めがけて飛んできた。心臓が跳ね上がる。甲板を転がり、かろうじてふくろうの攻撃を避けた。
「んだよ、邪魔くさいな!」
ルイは腰の銃を抜いた。
しかし、ルイが撃つ前にふくろうは船の陰へと隠れてしまった。ルイは次の攻撃へ備える。来るなら自分の死角。
「甘いな」
ルイが真後ろに振り向き構えた先に、ふくろうはいた。鋭い嘴に鉤爪。真っすぐ突っ込んでくる。ルイは狙いを定めて引き金を引いた。鋭い音と共にリボルバーが回る。腕に伝わる反動。
「ホー!」
狙い通り弾丸は右翼にかすった。ふくろうはよろよろと軌道を変えて、またルイからは見えなくなってしまった。
ふうっと息をつく。ふくろうはしばらく攻撃して来ないだろうと踏んで、ルイは船を物色し始めた。しかし、船はすっからかんだった。金目の物どころか、食料や水さえない。あったのは数枚の山吹色のバンダナだけだった。とんだ外れくじだ。
ルイが舌打ちをして船から離れようとしたその時だった。
「ノーチェス!」
船のすぐそばから女の声がしルイは思わずびくりと肩を震わせた。船の持ち主が戻ってきたようだった。ルイが想定したよりもずっと早い。見つかる前に船から離れようと声とは反対側から草原へと飛び降りた。
迂回して背の高い草に隠れながら町に戻ろう、と身をかがませ歩くルイの目の前に、色眼鏡の男が立ちふさがった。派手な赤いロングコートが風に揺れる。
「お前か?ノーチェスを傷つけたのは」
静かな中に激しさを孕んだ声だった。男の額には血管が浮き出ていた。手に鉤爪のような武器。ルイは躊躇せずホルスターから銃を抜き、男の足元を狙った。風に混ざる硝煙の匂い。
しかし、命中しなかった。弾は狙った場所へと飛んでいったにも関わらず。
この距離で避けられた……?
ルイはすっと冷たいものが喉から腹へと走る思いがした。ルイがハンマーを上げ次弾を撃つ前に、ポニーテールの女が船の脇から現れた。男の反対側だ。つまり、ルイは二人に挟まれる形となった。
「逃がさないわよ!」
女が武器であろう大きな針を何本も腰のポシェットから取り出し、器用に指の間に挟み構えた。男も攻撃を繰り出そうと大きく腕を引いた。ルイは腰の後ろへ左手を回し、隠し持っていたもう一つの銃も取り出した。両手に一丁ずつ銃を持ち、かなりのスピードで近付いてくる二人の額へ銃口を向けた。
「動くな!」
ピタッと二人は動きを止めた。距離が十分近く、素人でもわかるくらい、ルイが引き金を引けば二人の頭に風穴があくのは明らかだった。ルイは慎重に、狙いをずらさず膝を曲げ、ぐっと力を入れてひらりと甲板へとジャンプした。
船の反対側へ行って、町まで真っすぐ逃げればこっちのもの……ルイがそこまで考えたところで、何かが後頭部に当たった。バランスを崩し手をついた拍子に銃が甲板を滑る。ふくろうが鋭い鉤爪でそれを持ち去る。
「ノーチェス、よくやったわ! 任せて」
背後で女の声が響く。立ち上がったのも束の間、目に見えないロープで縛られたかのように体の自由を奪われ、芋虫のようにルイは甲板に転がった。
懸命に身をよじるルイに、背後から二人の足音と満足気なふくろうの鳴き声が聞こえた。
身動きが取れず甲板に転がったルイは、二丁の銃を奪われた上、実物のロープでマストに括り付けられた。念入りなことだ……と長く息をつく。
男女二人組は小声で短く何事かを話し合った後、色眼鏡を外してまじまじとルイを見つめた。船縁にとまったふくろうまでもが首を回しまん丸な目をルイに向ける。
「あなた、すごく身体能力高いのね。ね、スヴェン?」
スヴェンと呼ばれた男は軽く頷き腕を組む。にこりともしない。
「お前、名前は?」
ルイは言いかけたが、声に出す前に女がスヴェンを小突いた。
「あなた、そういう尋問官みたいな聞き方するからダメなのよ。もっとかわいげのある話し方しなさい」
「かわっ……」
女の無茶な注文にスヴェンは絶句している。
「私はマイリ。こっちの無愛想だけどとっても頼りになるのがスヴェン。あの賢くて優しいふくろうがノーチェスよ。あなたは?」
「ルイ・スタイナーだ」
相手に聞き間違えられぬよう、偽名をしっかりはっきりと名乗ったルイは、相手の反応を見る。二人はこの名前に特別何かを感じてはいないようで、ルイは小さく舌打ちした。
マイリに覗き込むようにして目を合わせられて、ルイは初めてあることに気が付いた。マイリの目の色は、ルイの碧とは違い翠だった。そしてスヴェンは――右目は眼帯で覆われていたが――紅だ。
「翠瞳族と紅瞳族の他種族混合の集団……」
目の色の違う他種族の者たちが入り乱れた集団、ランタナ・パーティ。ルイの言葉にマイリとスヴェンは頷いた。少し面倒くさそうな顔をしている。
「……そりゃそうか。空賊だもんな」
ルイの冷静な言葉に、二人はきょとんとして顔を見合わせた。マイリが嬉しそうに口を開いた。
「他種族だと気付いて恐がらないのは、あなたが初めてよ」
「今まで自分が正気をなくすと思ってるやつばかりだったな」
聖典をもとに世界中央政府が作った法律により、他種族同士の交流は禁止されている。「他種族といると邪心が芽生え正気を失う」という話は広く信じられていたが、ルイはそれを迷信だと思っている。
「オレをどうする気だ。言っとくが金目のものは持ってねぇぞ」
「だろうな」
スヴェンが視線をルイの頭のてっぺんから足先まで走らせ、ため息交じりに言った。薄汚いフード付きマント、裾がぼろぼろと崩れた革のベストと薄汚れたシャツ。穴の開いたデニム、底がすり減ったブーツ。
「あなたを人買いに売りつける……」
女は楽しげな笑顔を浮かべた。ルイはやはりな、と視線を落とした。人身売買は、空賊のやり口として珍しいものではない。
特に高く売れるのは若い女。種族が違えば子は成せない。それを都合良しと考える、下衆な連中がいることをルイは知っていた。
「なぁんてことはしないわ」
軽やかな女の言葉にルイは顔を上げた。スヴェンが尋ねた。
「お前、俺たちの仲間に……空賊にならないか」
「私たちは『イヴァンの鍵』を探しているの。知ってる?」
マイリの言葉に、追い詰められ歪む兄の顔がよぎった。ルイの胸中に、黒い憎しみがじゅわっと染み出す。




