第40話 ひとと魔物が混ざる街 SIDE:ノルベルト・ベルンシュタイン
西の都、ヴォーゲン。俺は初めて足を踏み入れた。
整備された石畳と豪華なショーウィンドウは、王都を思い起こさせる。華やかで先進的な印象だ。
活気は段違いだ。人の数に圧倒される。
道を進むと、狼男やゴブリンが道を歩いていた。
……王都では見たことがない。
すれ違うときに少しだけ身構えるも、別に何もなかった。彼らも普通に買い物をしている。なんだか、彼らにとても失礼なことをしてしまった気がする。
アベルが前に『グレッチャーにも事情があるかもしれない』と言っていたのを思い出す。
確かに、この街を知っていたら、魔物も俺たちと同じ普通の生き物だと感じるだろう。
俺は広場近くの質屋に向かった。剣の宝石を換金するためだ。
東地区の方が質屋が多いようだが、アベルに止められたからそちらへは行かない。観光地価格でも安全をとるべきだろう。
質屋に入り、無愛想な店員に宝石を手渡した。
豊かなひげを蓄えた老人の店員だ。じろりと俺を睨んでくる。
「あんた、この辺の人じゃないだろ」
「この店はヴォーゲンの人間でないと客にしないのか?」
「いいや。別に。誰でも大歓迎だよ」
大歓迎なんて表情じゃないが。
老人は細かな宝石を、小さな虫眼鏡でじろじろ確認していた。
狭い店内、他に客はいない。骨董品や絵画、バッグなど、雑多に物が詰め込まれている。
「盗品じゃなきゃいいんだ、ウチは。この街で君みたいな人間が来るときは大体ワケアリだからね」
「盗品ではない。盗むなんて、するわけないだろう」
「はは。そのままでいてくれよ、青年」
なんだか意味深な言い方だった。この老人には俺がどのように見えているのだろうか。
……まあ、家の宝石を売るなんていうのは、ワケアリな人間しかしないか。
老人は店の奥から袋を取り出した。
俺の前に金貨と銀貨をじゃらじゃらと並べる。……かなり高額だ。
「こんくらいでどう?」
老人はちらりと茶色い瞳を俺に向けた。
俺は気づかれない程度にほっと胸を撫で下ろす。
小さな宝石のわりにはかなりの額になったな。これでクラウスに払う分の金が用意できた。
「問題ない」
「じゃ、これ。サインして」
「……サイン?」
「受領証。念のためだよ」
老人は太い指でとんとん、とテーブルを叩く。先にはやや黄ばんだ紙があった。金額と宝石の詳細が記されている。
……あまり、自分の身元を晒したくはないのだが。仕方ないか。
俺はサインをした。『ノルベルト・ベルンシュタイン』……。偽名でも使うべきだっただろうか。馬鹿正直な自分が嫌になる。
ペンを置くと、老人は左側だけ口角を上げて、受領証をしまった。
「……世話になった」
「気をつけるんだよ、青年。この街は危ないからね」
「ああ、聞いている。気をつける」
「そうだね、きみは騙されやすいからね」
老人がにやっと笑った。
内心ひやりとする。むしろ高額で買い取ってくれたと思っていたのに。……もしかして、ぼったくられただろうか。
「ぼったくってはないよ。むしろ応援の色をつけた」
……心を読まれたみたいだ。
じゃあ、なんだ、と顔をしかめると、老人はひげを揺らして「ほっほっほ」と笑った。
「わしは人間じゃないよ。ドワーフ。人間だと思ってたじゃろ?」
俺は口をぽかんと開けた。
……完全に人間だと思っていた。
まさか、魔物が店を経営しているだなんて。
俺は質屋を出て広場に向かった。
驚いたな。全然気づかなかった。
ドワーフの質屋は、見た目は完全に人間に見えた。目は赤くなかった。茶の澄んだ瞳だった。もしかして、そういう偽装グッズでもあるのだろうか。
辺りを見渡すと、人間だらけに見えた景色が、少し違って見える。
狼男やゴーレムみたいな、見た目に特徴があるのは魔物と分かる。だが、もしかしたらドワーフみたいに、人間と見分けがつかない魔物もいるのかもしれない。
……さすが、すべてが混ざり合う街・ヴォーゲンだ。
まあ、あのドワーフは結局俺を応援してくれていたのだし。
すべてが警戒すべき存在ではないだろう。
広場を歩く。
大きな噴水のまわりにカップルや家族連れが見えた。みな楽しそうだ。
子どもの歓声と走る音、水音に耳を澄ませる。
「ベルンシュタイン隊長!?」
突然、背後から声をかけられた。俺は一瞬身を固くした。
「やっぱり! ベルンシュタイン隊長だ! 俺、俺です。ビーゴです! 三年前、王都で一緒に働いていた……」
無視しようとしたが、無理だった。
騎士団の服に身を包んだ男が楽しそうに話しかける。あまり記憶にはない。大方、俺が指揮した小隊のひとりだろう。大所帯だったからな。
……面倒だ。騎士団の奴らに俺の存在が知られるのは。死んだと思ってくれていた方が楽なのだが。
「あれ? でも、ベルンシュタイン隊長、どうしてここに? 王都にいたのでは? もしかして、あなたもこちらに配属になったのですか」
「……ただの旅行だ」
「え! あのベルンシュタイン隊長が…!? まさか、新婚旅行とか、そういう?」
「詮索するな」
どうせ知らない顔だ。
俺は背を向けて歩き出す。なぜだか、こいつにアベルのことを知られたくなかった。
「そっちは危ないですよ! 東地区は治安が悪くて」
ビーゴが俺を呼び止めた瞬間、道の奥から悲鳴が聞こえた。
目を向けると、暗がりで女性が襲われていた。
助けなければ。石畳を力強く蹴って、駆けていく。
背後でビーゴが「待ってくださいよ!」と追ってくる。待ってられるか。
急がなければ彼女が傷ついてしまう。
襲っていた相手は魔物だろうか。足が早い。暗くて細い道を駆け抜けるも、追いつけない。
路地裏にはゴミ袋や酒樽、ロープなどが散乱している。足を取られそうになりながら後を追った。
すると突然、あたりに霧が充満した。
……魔法か。
視界は真っ白になった。どこかから誰かの話し声がする。何の言葉かわからないし、反響して距離感が掴めない。
口を手で覆い、極力吸わないようにする。
白い霧の奥で赤い光がちらちらと見える。……魔物がこちらを伺っている。
ゆっくり足を進める。追っていた男は見失った。
振り返るとビーゴはいなかった。俺はこの東地区にひとり、迷い込んでしまったらしい。
冷や汗が一筋、背中を伝う。
慎重に足を進めていくと、次第に霧が晴れた。暗くてじめっとした道に戻る。
……何かがトリガーとなって発せられた魔法だったのだろうか。
あたりを警戒して、来た道を戻ろうとした。
「お兄さん」
やや後方から声をかけられた。
振り返ると、紫や赤の布で覆われた小屋があった。
中には怪しげな老婆が座っている。ボロボロの黒い布を纏っていた。占い師か、魔術師だろうか。
「お兄さん、あんただよ。あんた。人間のあんた」
「……なんだ」
「迷い込んだのかい? このあたりは危ないから早く戻りな」
「これから戻るつもりだ」
「大通りはあっちだよ」
老婆は、俺が向かおうとしていた方向とは逆の方向を指さした。
……おかしい。俺は来た道、つまりは大通りへ戻ろうとしたのに。
「"幻影の魔法"がかかってるんだよ、このあたりは。だから、方角が逆になる」
老婆は俺の心を見透かしたように続ける。喉の奥でひきつった笑いをしながら。
「"幻影の魔法"?」
「そう。距離や方角を狂わせる。このあたりは魔物の居住地区だからね。人間に入ってこられたくないのさ。ま、あんたは走り抜けてきたらしいけど」
「……すまない。踏み荒らすつもりはなかった」
「わかってるさ」
老婆はちょいちょいと手招きした。
俺は少し躊躇うも、ゆっくりとした足取りで近づく。
ボロ布の小屋は不思議なお香の香りがした。
老婆は深い皺の奥に赤い瞳を持っていた。……やはり、魔物だったか。
「犯罪者でも追ってきたんだろう? 見てたよ」
「ああ、そうだ。取り逃がしてしまったが」
「あいつは足が速いからね。気になさんな。あんた、新しい騎士かい?」
「……いや。ただの観光客だ」
老婆は俺をまじまじと見て、「へえ」と意味深に頷いた。
「なるほど。そうかい。じゃあ、これを持っていくといい」
老婆は黒いぼろ布の下から、俺の右手に何かを置いた。
見た目は紫の石だ。楕円形で、黒い装飾が施されている。よく見るとブローチのようだ。
眺めていると不思議な気分になってくる。……包み込まれるような、引き込まれるような。
「なんだこれは」
「"お守り"だよ。あんたを魔物から守ってくれる」
「……あなたも魔物だろう」
「色々いるからね。魔物にも。傷つけるのも、傷つけられるのも」
老婆はカラカラと笑った。俺の失礼な言い方も気にしていないようだ。
……こんな怪しいもの、受け取ってしまっていいのだろうか。突き返そうとするも、老婆は手で制する。
「なに、悪いもんじゃない。あんたにかけられる魔法を消してくれる。それだけ。この路地を歩くんじゃあ、持っておいたほうがいい。"幻影の魔法"はそこらにあるからね」
「……なぜ、これを俺に」
「あんたは優しい青年みたいだからね。犯罪者を追っかけるなんて、この街の騎士はもうしてくれない。これはそのお礼さ」
俺は手元のブローチに目を落とした。確かに、悪いものには見えない。
……お礼だというのなら、受け取っておこうか。
ありがとう、と小さく返す。
老婆は皺の深い顔をあげ、にっこりと笑った。
それにしても、この街の治安はどうなっているんだ。街のひとを守るのが騎士の務めなんじゃないのか。
ビーゴの様子を見ると、この街の騎士はろくに働いていないようだったが。
俺はブローチをポケットにしまった。
「それに」
老婆はにやりと、音もなく口元を吊り上げた。
ーーーーあんたは”魅入られている”みたいだからね。
老婆のもとを離れ、指さすとおりの方角に歩いた。
暗い路地裏が続く。本当にこっちで合っているのだろうか。やっぱり俺は騙されたんじゃないだろうか。ドワーフの忠告が蘇る。
おずおずと歩を進めていく。
……すると、どこか見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「アベル?」
ーーーーいや、違う。
銀髪だし、髪が長いし、服も違うし。格好も、ちがう、………のに。
「誰?」
なぜだか、アベルと重なった。
「あ、いや……すまない。知り合いに似てたから」
「何それ、ナンパ? ウケる」
目の前の男はうさんくさい笑顔を浮かべる。
アベルではない、か。何を勘違いしたんだろう。
レネ・ホフマンと名乗る男は、飄々とした顔でひらひらと手を振った。
雰囲気も、顔立ちも、背格好も違うのだけれど。
……自分の中の何かがうるさく警鐘を鳴らしていた。
少し気になって、レストランでアベルに尋ねてみた。
もしかしたら遠方の親戚かもしれない。何か血のつながりでもあるかと思ったのだが。
アベルは首を傾げていた。やはり他人のそら似だったようだ。
……そもそも、アベルがあんな危ない場所にいるわけないか。
「そんなにその人が気になるんですか? 美人だったとか?」
「いや、その、まあ、綺麗ではあったけど。そうではなくて……」
「へぇ? 綺麗だったんですね。そうですか、そうですか。私というものがありながら。ふぅん? ひどいですねぇ」
「違う! 俺が好きなのはアベルだけで………!」
「え〜? ホントですか〜?」
アベルはいらずらっぽく笑った。ころころと、可愛らしく。
なぜだか、その試すような瞳が、色気のある表情が。あの銀髪の男と重なった。
……まあ、気のせい、だろう。
ブクマ&評価、ポチッとよろしくお願いします~!!




