90.進み出す日常
美桜は、落葉樹が並び立つ並木道を歩いていた。
季節は秋。澄んだ青空に、乾燥した空気。
冷たい風が枯葉を舞い上げている。
美桜はこの場所が気に入っていた。
通りに並ぶ樹木は、春になれば鮮やかな桜の花びらを咲かせる。
その光景を思い浮かべた。
目を閉じれば、一面に咲き誇る桜並木が頭に浮かぶ。
秋の落葉と紅葉も趣深いものがあるが、やはり咲き乱れる桜ほど心を動かされるものはない。
桜が好きだった。桜の季節が待ち遠しかった。
もう二度と、目にすることはないと思っていた。
けれど、それが覆った。
すでに巫女の任は解かれた。
また桜を目にすることができる。
来年も、再来年も、その次の年も。
この先も生きていける。
それは全て、あの少年のお陰だ。
不思議と、目にするもの全てが彩られて見えた。
枯れ枝でさえ、鮮やかに色付いて見える。
とても、暖かい気持ちだった。
この気持ちはなんだろう。あの少年ことを考えるだけで、心が色付き出す。
目に映るもの全てが美しく見えた。
今でさえそうなのだ。
春が来て、実際に桜を目にした時、どれほど心が躍るだろう。
「ふふっ」
楽しみだった。本当に楽しみだった。
「桜の季節には、まだ遠いですね」
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エスペランサ月白、鈴巴の自室にて、竜一は鈴巴に声をかけられた。
「泉谷君、今日はお疲れ様」
「はい、ありがとうございます」
鈴巴から任された業務資料の整理を終えた竜一は、鈴巴に返事をして帰り支度を整える。
「それでは、今日は失礼します」
「ええ」
鈴巴は短く返事したのち、言葉を続ける。
「それでは、明日の十八時からだから。忘れないでね」
「はい、勿論です。本当にありがとうございます」
竜一は改めて思う。
もうすぐ、誕生日か……。
明日の十八時から、竜一の誕生日会が開かれる。
主催者は鈴巴。
実際の誕生日は来週だが、皆の都合がいいのは明日なので、明日が開催日となっている。
「でも、本当にいいんでしょうか? 俺なんかのために……」
「いいに決まっているわ。貴方は私の大切な部下よ。何も遠慮することはないわ」
「俺……」
「ん?」
「俺、本当に天染さんの部下になってよかったです」
「フフッ。そう言ってもらえてなによりだわ。というか貴方、案外ちょろいわね」
「ハハハ……。そうですかね? というか、美人からそんな優しい言葉をかけてもらえて、誕生日を祝ってもらえるなんて、嬉しくない男はいませんよ」
「そう? それは良かったわ」
「はい。では失礼します」
そう言って、竜一は部屋を退出した。
部屋には、鈴巴一人となった。
鈴巴は手で顔を扇いだ。
顔が熱い気がする。
何故だろう?
さっきの竜一の言葉が、頭の中で繰り返される。
美人だから―――。
思わず顔がにやけてしまった。
「もしかして……ちょろいのは私……?」
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鈴巴の自室から退出した竜一は、廊下で怜とバッタリと出会った。
竜一は軽く頭を下げた。
「片瀬さん、今日はこれで失礼します」
「ええ。お疲れさまでした」
怜はそう返事したあと、竜一の顔をまじまじと見つめた。
竜一は躊躇いがちに尋ねた。
「あの……俺の顔に何か……?」
「失礼しました。少し……疲れているように見えましたので」
「疲れている、ですか?」
「ええ」
「ハハ……。ですかね? だとしたら俺はまだまだ未熟ですね。疲れが顔に出ているようじゃあ……」
「いえ、それはいいのですが。なにか……」
そう言って怜は、顔を竜一の顔に近付けて覗き込む。
「あ、あの……近い……です」
怜はハッとして、咳ばらいをした。
「私としたことが、失礼しました」
「いえ。心配してくれてありがとうございます」
「ふむ。泉谷殿、何かあれば私に言ってください。貴方の教育係として、貴方の状態を知っておくのは私の義務ですから」
「分かりました。でも、ただ疲れが溜まっているだけで、特別何か悩みがあるとかではないですよ?」
「そうですか。杞憂だったようですね」
「はい。だけど、そうですね―――」
「何か?」
「訓練の時、もう少し手心を加えてもらえると、疲れが軽減される……かもです」
「泉谷殿」
「はい」
「その様子なら、大丈夫そうですね」
「……はい」
怜の表情に、これからもビシバシといくという気概が見え隠れしていた。
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エスペランサ月白の玄関から外へと出た竜一は、ふと空を見上げた。
空には闇が広がており、闇の中で輝く星々。
澄んだ秋の夜空は、星々をより一層輝かせている。
美しい光景に見惚れてしまい、足が止まった。
少しのあいだ夜空を見上げていたが、やがて歩き出した。
しばらく夜道を歩いていると、ポケットの携帯電話が震えていることに気付いた。
竜一は携帯電話を手に取り、通話ボタンを押した。
「もしもーし、茜だよー」
電話をかけてきたのは茜だった。
竜一は返事をする。
「うん、何かあった?」
「あー、特に用事があるわけじゃないんだけどね。今、話できる状態?」
「大丈夫。今日はもう、帰るだけだから」
「よかった。じゃあちょっとだけ話したい」
「いいよ」
「ありがとう! あ、誕生日プレゼント楽しみにしててね!」
「ハハハッ。楽しみにしてるよ。本当にありがとう、俺なんかのために」
「俺なんかのため、じゃないよ。私にとって竜一は……」
「ごめん。俺が悪かった」
「そうだよ」
「うん」
「私、竜一には本当に感謝してる。竜一は私の人生を変えてくれた」
「そうかな? 流石にそれは言いすぎじゃあ……」
「いいや、言いすぎじゃないよ。私ね、竜一と会うまではよく考えていたの。どうして私は、この家に生まれちゃったんだろう、って」
「そうなの?」
「そう。私は裏の世界の事情に関心が持てなかった。ぶっちゃけると、どうでもよかった。それでも、私は朽葉家として生まれてしまった。どれだけ無関心を貫こうとしても、環境がそれを許してくれなかった。だから正直、苦しかったかな。なんでこんな家に生まれちゃったんだろう。もっと普通の家に生まれたかったなって、そう思ってたんだ」
「そう……なんだ」
「でも、今は違うよ。今は、この環境も悪くないって思ってるし、家の事も前向きに考えてみようって思ってる。そう思えるようになったのは、竜一のお陰。竜一が一緒に居てくれるなら、私はどこでもやっていける」
「……」
「竜一? 聞こえてる?」
「流石に……」
「え?」
「流石に照れるな……」
「アハハッ! 竜一ったら可愛い!」
「茜」
「んー?」
「これからもよろしく」
「―――うん! こちらこそ!」




