第32食
「あ、あ、あ、あ」
最悪の想像が頭をよぎる。
もしかしたら先ほどの≪終末獣≫の攻撃によってメイのいる洋館は……
「くっ、うわぁぁぁ!!」
四肢に力を込めて、ムリヤリ立ち上がる。
行かなきゃ私たちの住居へ!
メイが待つあの洋館へ! 今すぐに!!
ゴンッ!
だが、立ち上がった瞬間、足がもつれて地面に激突してしまう。
今度はメットを被っていなかったから、モロに顔面を打ち付けてしまった。
「ね、姉さん、大丈夫!?……もしかしてどこか具合が悪いの?」
トキノの心配そうな声が頭上から聞こえる。
具合が悪い?
おいおい、なに寝ぼけたこと言ってるんだ?
そんなレベルの話じゃない。
私は今――――死にかけているんだぞ??
もしかしたら兄貴やトキノの神威は、生命の使用量がそこまで大きくないのかもしれない。
魂がゴッソリと抜かれるような感覚を味わったことが無いのかもしれない。
それは特性の違いによるものなのかもしれないが、あまりにも見当はずれなその心配は私をイラつかせた。
「トキノ! 今すぐ私を自宅に連れていきなさいっ!! 住所は××××の×××で庭付きの大きな洋館だから行けばすぐに分かるわっ!!」
「ちょ、ちょっといきなり何言いだすのよ? いまそんなこと言われても」
「いいから早くしなさいっ!! アナタの神威なら簡単なことでしょう!?」
「だから、その」
「バカか? 簡単なワケねぇだろうが」
唐突に兄貴が呆れた口調で茶々を入れてきた。
その挑発的な言動に私はさらにイラつく。
「バカってなによ!?」
「少しは頭使って考えろ。≪終末獣≫は完全にこっちをロックオンしてやがるんだぞ? 今は攻撃が止んでるがいつまた再開するか分からねぇ状況だ。下手に攻守壁の範囲外に行けるワケがねぇだろうが……それによ」
そこで兄貴は言葉を区切り、眉間にシワを寄せる。
「さっきの攻撃は……重たかった。壁を厚くしねぇとヤベェ。今、展開できる攻守壁の範囲はこのメガフロートの上だけだと思え」
「そんな……それじゃ」
兄貴ははっきりと言い切る。
その態度は頑なで、どんな抗議も受け入れてはくれなさそうに見えたが、
「ふっ、ふざけないでよ! 手を抜いてるの!? 私とメイとの思い出の街がどうなってもいいっていうの!? いつも大口叩いてるんだからこんな時くらいヤル気みせなさいよっ!!」
抗議するしかなかった。だって、もし、また先ほどのような光弾が飛んで来たら、こんどこそこの街は――――
「うるっせぇぇぇ!!! 何も分かってねぇくせにガタガタ抜かしてんじゃねぇ!! 誰が手なんぞ抜くかっ!! 今、あの街にはセツコだっているんだぞっ!! それでもどうしても攻守壁を展開するわけにはいかねぇんだよっ!! そういう相手なんだっ!!!」
兄貴は私の胸倉をつかみながら絶叫していた。
私は何も言えなくなってしまう。
だって、その時、垣間見えたサングラスの奥の眼差しが、とてもつらそうに見えたから。
この街には兄貴の大切な人、セツコさんもいる。
それでも、どうにもできない状況…………
それだけの≪終末獣≫が相手なのか………
背後を振り返る。
街からは黒煙が立ち上り、空全体をドス黒く染め上げていた。
そして割れた窓ガラスから炎を噴き出していたビルが、一瞬のうちに炎に包まれ燃え落ち倒壊していく。
ドガシャーーーン!!
ああ、私とメイの思い出が、消失していく。
―――わたしとの思い出を守るために、戦ってよ!!―――-
メイの願いが、踏みにじられていく。
その光景は私の胸に、耐えがたい痛みをもたらした。
やめてくれ、こんな痛み、おかしくなりそうだ。
胸の痛みが全身に広がり、四肢がちぎれて飛び散ってしまうのではないかと錯覚する。
それだけ、心がズタボロにされていった。
この痛みを止めるには――――≪終末獣≫を倒すしか術はない。
そのためには私の消滅弓を放つしかない。
だが……次に消滅弓を放てば、私は
死ぬ
圧倒的なその破壊力と引き換えに、神威に命を吸われ尽くしてしまう。
分かる。それだけは絶対に間違いがない。
そして
それは、メイとの約束を破ってしまうことになる。
私が死んでしまったら、メイの事を覚えていてあげれない。
―――ヨーコちゃんが生き続ける限り、ヨーコちゃんが生きてわたしの事を覚えていてくれる限り、ずっとわたしは死なない―――
さっき約束したばかりなのに。
もう果たせなくなる。
生きて、老婆になるまで、最後の一瞬まで生き延びて、メイの事を思い出してやることが出来なくなる。
だけど、メイと私の思い出が息づく街を、世界を救うためには、私の命を捧げるしかない。
メイ、私は、私はどうすればいいの―――――
メイ
メイ
…………………………
「…………この街に配属されて、ちょうど一年くらいになる」
「はぁ?」
トキノが素っ頓狂な声を上げる。
「最初は財団の用意したタワーマンションに住む予定になっていたんだ。そっちの方が防犯上都合がいいからって。でも、引っ越しの最中にメイが車の窓からあの洋館をたまたま見つけてさ、急にあそこに住みたいなんて駄々をこね始めたんだ。私もセツコさんも困り果てちゃって、でも結局最後は押し切られちゃった。本当に、横浜の配属はそんな感じで最初からバタバタだったんだ」
「な、なに?」
「………………」
「それでせっかく運んだ荷物をまた洋館まで運ぶことになってさ。その作業だけで一日つぶれちゃった。それで腰を落ち着けたはいいけど、今度は夜中に変な音がするとか言い出してさ。結局、私が夜通し手を握ってあげてたんだ。あの子、怖がりのくせに洋館なんかに住みたがるなんて、本当に後先考えない子だよね。結局慣れるまでに一週間くらいかかってたよ。もちろんその間私はロクに寝れなかったね」
「ね、姉さん何言ってるの? 今はそんな話をしている場合じゃ」
「トキノっ!!」
「な、なによ」
「……だまって聞いとけ」
「…………なによ、もう」
「……それで最近は幼児向けアニメなんかにハマっちゃってさ。……ホントいつまで経っても子供で笑っちゃうよ。二人でそのアニメのDVDを探しに行った時もすごく必死でさ。でもあの時は久しぶりに二人で出かけて本当に楽しかったなぁ。メイもかわいかった。……それでその後、初めてケンカしたんだ。メイはね、神威が使えない自分がイヤでイヤで仕方なかったんだって。私、そんな風に思ってるなんて知らなかった。神威が使えるなんてロクなことじゃないけど、メイはそうは思ってなかったみたい。私、その時、柄にもなくもの凄く動揺しちゃってさ。ちょっと震えちゃったんだ。でも、メイの本音が聞けてそれ以上に嬉しかったかな。その後、色々あって結局最後はメイがワンワン泣き出しちゃってさ……本当に悪いお姉ちゃんだよ、私は……」
―――本当の死って、誰からも忘れられて、その人の痕跡が跡形もなくなった時なんじゃないかなって気がするの―――
そうだね、メイ。
誰からも忘れられてしまったら、きっとその時が本当の終わりなんだろうね。
私もそう思う。
でも、ゴメンね。
お姉ちゃん、メイの事、覚えていてあげられないの。
だって私には、やらなきゃいけないことがあるから。
だからねメイ。
私じゃなくても……いいよね?
私が生き延びなくても、
私が覚えていなくても
他の誰かが、私とメイの事を覚えていてくれれば、それでいいよね?
そうすれば、私達はきっと、その人の思い出の中で、永遠に生き続けられるから――――
ずっと、ずっと二人で一緒に
……………
………
………
「………他にもたくさんあるんだけど、ひとまずこんなところかな」
どれだけ話をしたか分からない。
けど、いつのまにか胸の痛みは治まっていた。
顔を上げると二人が私の顔をジッと見つめていた。
その表情はとっても真剣で、どうやら、伝わったらしい。
この二人でよかった。
血を分けた兄妹でよかった。
後はもう、思い残すことはない、かな。
「今の話、忘れないで欲しい。出来ればずっとずっと、最後の時まで」
「姉さん……私は」
トキノが何かを言おうとしてそのまま口ごもる。
何て声をかけていいのか、分からないのかもしれない。
私は何気なしに、ふと、街の方へと目を向けてみる。
…………あぁ、よかった。
希望はまだ残っていた。
どす黒く曇った空が晴れわたり、そこから青空が顔を覗かせていた。
火の手もいつの間にか大分鎮火していた。
被害の範囲だってよく見ると限定的で、まだ多くの建物がそのまま残っている。
そして、そこから大勢の人が吐き出されていくのも見える。
みんな元気でまだ生きている。まだ大丈夫だ。ぜんぜん間に合う。
多くの人が、私とメイの思い出が生きる街は、まだまだ大丈夫だった。
思わず笑顔がこぼれる。
これなら気分よく戦える。
迷うことなく命を使えるよ。
そう決意した瞬間、胸の奥から新たな力が湧いてきた。
「さあ、それじゃ今日も化け物退治と洒落込もうか」
軽快な足取りで、私は私の戦場へと向かう。
「ヨーコ、遠慮なく一発カマしてきなっ!!」
「おうっ!!」
兄貴はおそらく、分かってるのだろう。
このあと私に何が起きるかを。
それでもこうやって気持ちよく送り出してもらえるのはありがたい。
「それじゃ行ってくるよ」
覚悟を決めて私はVRメットを装着する。
血と汗の匂いが鼻孔に飛び込んでくる。
この匂いとも、これでお別れか。
ちょっとだけ寂しい気がする。
これが正真正銘、最期の一射。
死村ヨーコの最期の一射。
私はVRメットを操作して、敵までの距離と射角を表示させる。
そして目の前に表示された≪終末獣≫を睨み付け、渾身の力を持って弓構える。
これで決着だ。
神威を発動し、消滅弓を生成して――――
放つ
放
…………
放てない。
ダメだ。
目の前の景色がぐにゃりと歪んだ気がした。
「ダメだ…………放てない」
「あぁん? どうしたヨーコ??」
「ダメだ………この≪終末獣≫は私じゃ倒せない………」
「あああん??? お、オメーなに臆病風に吹かれてやがんだっ!? 」
違う、そうじゃない。
そう叫びたかったけど、言葉が出ない。
あまりの事態に何も考えられなくなる。
こんな事って、こんな事って―――
覚悟を決めたはずの私は、その場で棒立ちになってしまう。
だって、コイツは、この≪終末獣≫は―――
南極大陸・リュツォ・ホルム湾東岸
距離、約14,000キロ
――――14,000キロ――――
それは遠く離れた地球の最果て。
よりにもよって二体目の≪終末獣≫は、消滅弓の限界射程から数千キロも離れた、絶対に届かないアウトレンジに出現していた―――




