第28食
「で、でもなんでメイがそこにいるの?」
メイの声を聞いている内に、当然の疑問が湧いてくる。
私との交信ができる通信室は、セツコさんの住む離れにあるはずだ。
言い方は悪いけど、スパゲッティシンドロームなはずのメイがそんなところにいるのがまず信じられなかった。
『それは』
『私がお連れしました』
メットの中に今度はセツコさんの声が響きわたる。
その冷たい声音に私は衝撃を受けるとともに、激しい怒りを覚える。
「な……何考えてるんだよっ!! メイが今、どういう状態か分かってるだろっ!? だからセツコさんに任せたのに、なんでそんなことを!!」
信じていたはずなのに。
セツコさんのその裏切り同然の行為を私は許せなかった。
『……申し訳ありません』
「謝ってすむ問題かっ!? お前はっ」
『いいの! やめてヨーコちゃん』
「メイは黙ってて!! こればかりは!!」
『いいのよ! ……だってセツコさんにわたしがお願いしたの。ヨーコちゃんとお話しさせてって』
『メイ様、それは……』
メイがお願いした? セツコさんに?
「な、なんでそんなことを?」
『ごめんねヨーコちゃん……でも、わたし、ヨーコちゃんにどうしても言いたいことがあって』
「言いたい事?」
『そう、ヨーコちゃん聞いて、わたしはね―――』
「おいヨーコっ!! 油売ってるヒマはねぇぞ!? 早く≪終末獣≫を仕留めねぇと双子が出張ってきちまうぞっ!!」
兄貴の怒号が飛ぶ。
そんなことは分かってるって。
―――双子―――
それは人類にとってもろ刃の剣ともいえる最終兵器。
北極と南極にそれぞれ配置されたギシンの兄妹のことだ。
顔を合わせたこともないほど遠縁の二人だが、彼らの神威の事だけはよく知っている。
≪双滅破≫
双子が向きあう事で発動する特別な神威。
お互いの間の空間を完全消滅させる力を持っている。
その威力は距離によって減衰することはなく、地球上のどこに≪終末獣≫が現れても対処することが可能となっている。
そのため私の消滅弓とは違い、世界全域をカバーできる最強の広域神威とされている。
―――だが、その代償は大きい。
≪双滅破≫は、二人の間に存在する全てを、文字通り完全に消滅させる。
過去に二度だけ使用されたことがあるが、その前と後で世界地図の形が大きく変わってしまった。
その痕跡は、今も二つの超大陸に決して消えることのない傷跡として残されている。
その範囲は≪終末獣≫のもたらす災厄と比べても何の遜色もない……いや、むしろそれよりも数段、甚大であると言わざるを得なかった。
だからこそ双子は最終兵器。
他のギシンで≪終末獣≫に対処できないと判断された時にのみ投入される。
このまま私が何も出来ずに棒立ちになっていれば、そう遠からず財団は最悪の決定を下すことになるだろう。
―――でも、今の私じゃ何もできない。
兄貴には悪いけど、このまま双子のご登壇を待たせてもらうとしようかな……
『ねぇヨーコちゃん、聞いて』
メイの声が聞こえる。そういえば話の途中だったな。
「ああ、ゴメン。悪いけど今、取り込んでるんだ。帰ってから聞くから部屋に戻ってなさい」
『ううん……戻らない』
いつもなら私のいう事を素直に聞くのに、今日は珍しく食い下がって来た。
つい先日もこんな事あった……反抗期、なのかな。
ちょっと心配になる。
そう言えば―――
そこで私は、メイとはあの夜以来、顔を合わせていないことを思い出す。
メイが神威に目覚めたあの夜を境に。
別に会いたくなかったわけじゃない。
ただどんな顔して会えばいいのか、分からなかった。
会えばきっと泣き叫んで、取り乱して、子供みたいに駄々をこねてしまう事が分かりきっていたから。
だから会わなかった。
ただでさえ不安がっているメイを、これ以上心配させたくなかったから。
―――もしかしたらその事を怒っているのかもしれない。
だったらさっさと謝ってしまうか。
「ごめん。私が悪かった」
『あのねヨーコちゃん、聞いて。わたしはね、ぜったいに死なないから!!』
「!!?」
会話を適当に打ち切ろうとした矢先に“死”という単語が飛び出してきて動揺してしまう。しかもメイの口から。
「ど、どういう意味?」
なんとか平静を装って問い返す。
『さっきセツコさんから聞いたんだ。ヨーコちゃんが初めて神威を外しちゃったって。それでね、それを聞いてもしかしたらヨーコちゃんは今、ピンチなんじゃないかって、そう思ったの』
「っ!!!」
図星だった。
大ピンチだよ。でも、
「な、な、なんでそんな風に思ったのさ?」
『だってわたしはヨーコちゃんの戦う理由を知っているのよ。わたしの未来を守るために戦ってくれてるって。……でもね、わたし分かるの。ヨーコちゃんはわたしが死んじゃうじゃないかって思ってる事を。だから会いにも来てくれなかったんでしょ? そんな状態じゃ落ち着いて戦えないわよね!?』
―――ヨーコ様が神威を外されました―――
セツコさんがなんて言ったかは想像するしかないけど、全く、余計なことを言ってくれたものだ。
メイをこんなに心配させるなんて。
帰ったら文句を言ってやろう。
「……だから、絶対に死なない、か」
そう言えば私が安心すると思ったのだろう。全くメイらしい単純さだ。
『うん、そうなの。セツコさんが教えてくれたの。ごはんが食べられなくても栄養がとれる方法があるって。そうすれば激しい運動とかは難しいけど、普通の人と同じように生活できるんだって』
メイのその言葉に胸が締め付けられる。
メイはまだ気づいていない。自分の体に何が起きているのかを。
栄養なんて関係、ない。
神威なんだ。メイがずっと欲しがってた、憧れていた神威が、メイの命を奪う原因になっているんだ。
神威の発動には生命力を消費する。
メイの神威は二十四時間休むことなく発動してしまっている。
それはコップの底に穴が空いてしまったようなもの。中に蓄えられた水はいつか必ずカラになる。
そしてそのコップの中身がカラになる時は、おそらく、そう遠くはない―――
『だから安心してヨーコちゃん』
安心なんて……出来る訳が―――
「メ、メイ、私は―――もう戦えないよ!!」
ダメだった。もう、取り繕えない。
いくら振り絞っても気力が沸いてこない。
メイがもうすぐいなくなるという現実が、重くのしかかってきて、どうにもならなかった。
『大丈夫よヨーコちゃん。わたしは絶対に死なないから』
「で、でも、メイはもうすぐ神威に命を吸われつくして、そして――――」
感情の赴くまま私は叫ぶ。
「死んじゃうんだよっ!!」
……………………
……………
………
私は最悪の姉だ。
言わなくてもいいことを言ってしまった。
絶望的な事実を伝えてしまった。
自分の弱さに……負けてしまった。
メイの声が止む。
きっと、さっきまで気丈に振る舞えていたのは、自分が生き延びられると信じていたからだったのだろう。
それを最も信頼していた姉に否定された。その胸中にどんな悲しみが広がっているか、想像もしたくなかった。
『……大丈夫だよ。ヨーコちゃん。もし万が一、わたしが何らかの理由で命を落としたとしても――』
でも、次に聞こえてきたメイの言葉は、とても明るいものだった。
『それでもやっぱりわたしは死なないから』
でも、言っている意味は分からなかった。
「…………それってどういうこと?」
『……わたしね、ベッドの上でずっとずっと考えてたの。もし私が死んじゃったら、ヨーコちゃんどうなっちゃうのかな……って。きっと一人ぼっちになったヨーコちゃんは前みたいに戦えなくなっちゃって、そして≪終末獣≫に負けちゃうんじゃないかって、そんな風に考えちゃったの』
メイのその考えは正しい。
現に私は今、戦えなくなっている。
『だからね、一生懸命考えたの。わたし、ヨーコちゃんには負けて欲しくない。この世界で最後まで生き延びて欲しいの。わたしがいなくなった後もずっとずっと生き延びて、おばあちゃんになるまで生き続けて欲しいの。だからね、わたしが死んでも死なないってことにすればいいと思ったの』
やっぱり何を言っているのか分からなかった。
「メイ……ごめん。私にはメイが何を言っているのか分からない」
『……あのね、その人が本当に死んじゃうのって、命が無くなった瞬間なのかな?』
「……そんなの当然だろ」
『わたしはね、そうじゃないと思う。きっと本当の死って、誰からも忘れられて、その人の痕跡が跡形もなくなった時なんじゃないかなって気がするの。そこで初めて死ぬことになる。だからね、もしわたしが死んじゃったとしても―――』
”死”について話しているはずなのに、メイの口調はとても穏やかで。
『わたしはそこで終わりじゃない。ヨーコちゃんよ。ヨーコちゃんが生き続ける限り、ヨーコちゃんが生きてわたしの事を覚えていてくれる限り、ずっとわたしは死なない、ヨーコちゃんがわたしを思い出してくれれば、その瞬間、わたしは甦ることが出来るの』
メイの発する一語一語が、私の中に浸透していく。
『それにこの横浜にはわたしとヨーコちゃんの思い出がいっぱい詰まってる。海辺の公園の石畳、レンガ造りの洋館、二人で初めてケンカして、そして仲直りした川沿いのベンチ、数え切れないほどの思い出がたくさんたくさん詰まってる。そんな思い出の街を≪終末獣≫なんかに壊されたくない。だからお願いヨーコちゃん』
そこでメイは一呼吸置いてから、はっきりとした口調で告げる。
『戦ってヨーコちゃん。わたしの未来を守るためじゃない。ヨーコちゃん自身が生き延びて、そしてわたしとの思い出を守るために、戦ってよ!!』
未来じゃなくて、思い出。
それさえ守れれば、メイは死なない。
私の中で、永遠に、ずっとずっと生き続ける。
ふっ、そんなの方便だろ……
あまりの子供らしい発想に、鼻で笑ってしまう。
でも、気づいたら、いつの間にか私は立ち上がっていた。




